第一話 リノンが往く

 列車の車窓から流れて往く紅葉した山々や、地域性の表れた近代的な街並み等の景色も、乗ってすぐには少なからず感動を与えてくれたものだけれど。


 私は自慢の翠色の双眸を、しぱしぱとしばたかせ、優美な風景から視線を逸らす。


 ――私が花より食い気な人間であるからなのか、それとも美人は三日あれば飽きてしまう。というやつなのか。


 如何にこの豪奢な客車といえども、流石に何日も乗っていれば、息も詰まるし剣の腕も鈍ってきそうであるというものだ。


 だが――。


「でも、そんな退屈な列車旅の中での唯一の楽しみが、コレなんだよね!」


 私は鼻歌混じりに、目の前に置かれた本日の日替わりケーキを眺める。

 この大陸横断鉄道の、次の停車駅であり長旅の終点である港湾都市ライエの特産物、レモンと藻塩を使ったチーズケーキである。

 爽やかな柑橘の芳香と共に、どこか潮風を連想させる香りが、私の口内を唾液で満たしてくる。


「いやぁ、毎日最寄り地域の特産品を使った絶品スイーツが食べれるなんて、ほんと粋な計らいというものだよねぇ」


 もし、私が貴族であったなら、カッコよく「シェフを呼んでくれ」とでも言いたいところだよ。

 上機嫌に頬を緩ませていれば、対面に座す我が美貌の相棒は、吸っていた煙草を灰皿に置くと、グラスに注がれたレモンから作られたお酒を傾けながらこう言った。


「ろくに動きもせず、毎日そんなものを食べていたら、すぐに太りますよ。リノン」


 ――全く、不粋である。


まだ、若くて代謝も良いから、大丈夫です〜」


 舌を出し、少しばかりの嫌味を言うが、眼前の相棒――アリアは薄く微笑うに留まる。


「ま、本当に太っちゃう前には、ライエに着けるみたいだし、良かったよね」


 現在、この列車の走っている荒野の先には、ライエルプ大河と呼ばれる河があり、そこに架けられたライエルプ大鉄道橋を渡ると、少し行けば港湾都市ライエとなる。


 ちなみに私の豆知識ではその大河に、ライエルプガシウスという、四十メテルもの大きさの怪魚が居るとか居ないとか言われている。

 食べられるのかは知らないが、是非一度斬ってみたいという衝動には駆られるものがある。


「貴方の皆伝の儀まで、あと二月程ですか。フリーの傭兵となってからの二年に及ぶ旅の修練によって、私から見ても技量だけであれば、団長に届きうる様にはなったかもしれませんね」


「うーん、そうかな? 現状の私じゃ、まだまだ母様には届かないかなと思っているよ。

 命気を使って、身体能力を強化しなければ、体捌きや歩法は、足元にも及ばないだろうしね。

 ま、それでも一太刀くらいは届かせてみせるけどね」


「ふふ、その意気です」


「とっておきの技も身につけたし、一泡吹かせてあげるよ……もぐもぐ」


 ケーキを頬張りながら意気込みを口にすると、まろやかで濃厚なチーズの風味を感じた後に舌に残る甘味と仄かな塩味が、レモンの爽やかな風味と共に風となって私を包んだ。


 わかりやすく言えば、開いた口に渾身の突きをぶち込まれて、後頭部から脳漿をぶちまける……といったところかな?


「うーん、こいつはまた絶品」


「やれやれ、貴方が大人になるまでは、まだまだ時間がかかりそうですね」


 アリアはため息まじりにそう言うと、肩口に掛かったプラチナブロンドの髪を耳に掛け、私と同じ翠色の眼をすっと細めながら、グラスに形の良い唇をつける。


 その姿は同性の私にすら、なんとも言えぬ色気を感じさせ、少しばかりの羨望を覚えるが、色気に関してはまだまだ勝てそうにもないので、ケーキに意識を戻す。

 割り切りは傭兵にとって大事な感性なのだ。


 昨日の薔薇のシロップを使ったムースケーキも美味しかったが、今日のチーズケーキも絶品である。ここのパティシエールは余程の凄腕なのだろう。この度の、鉄道の旅の一番の思い出は確実にケーキに決定である。


 さて、旅路の思い出を締めくくろうと、ケーキにフォークを入れた所で、突然、列車が甲高いブレーキ音を立て、勢い良く急停車した。


「あああ……!? 私のケーキちゃんがぁ!」


 気が抜けて居たのもあり、皿のケーキは音を立ててテーブルを滑り落ち、生き残っているケーキはフォークに刺さっているぶんのみとなってしまった。


「ケーキの心配よりも、大事な事があるでしょう。

 何かあったのでしょうか? 随分と急に列車を停めたものですが」


 私が手の中のケーキしか守れなかった事を嘆いていると、アリアは警戒の視線を籠めながら、客車のカーテンを捲る。


「――ッ! リノン! 今すぐ外に出なさい!」


 何か緊急の事態が起きたのだろう。アリアの剣幕をみれば、それは直ぐに分かった。

 

私は心の中でケーキを弔い、フォークに刺さっていたケーキの欠片を口に放り込むと、お互いに白と黒の防弾コートを急いで羽織り、駆け足で外に飛び出す。


 外に出ると、列車に随伴している鉄道警察官たちが忙しなく右往左往していた。

 ただ、避難誘導をしたり降車を促していないことから、どうやら乗客を降ろす様な状況ではないらしい。


 鉄道警察官達の視線の先を見れば、成程。と納得した。


「いやぁ、コイツはでっかいねぇ〜」


 つい気の抜けた声を上げてしまったが、列車の前方にある大河を、跨ぐ様に架けられた鉄道橋に向かって巨大な機械人形が歩いている。


 機械人形は細身ではあるが、巨大な人間の骨格にそのまま装甲を着けた様な、異様な風体だ。


 それはさておきヤツの進行方向からすると――。


「あいつ、おそらく鉄道橋を落とすつもりだ!」


「私は列車の側に控えます。他に賊がいるかもしれませんし。

 ……少々大きい敵ですが、リノン。貴方一人でなんとかできるでしょう?」


「余裕!」


 アリアは淡々と私に告げると、私は不敵に笑った。

 それを見て、我が相棒はプラチナブロンドの髪と漆黒のコートを翻し、鉄道警察官達のいる場所に疾駆した。


「さて。ちょっとでっかくて面倒くさそうな相手だけど、さっき散ったケーキちゃんの仇は討たせてもらおうかな」


 機械人形――いや、あれは確かテトラーク皇国が秘密裏に開発しているという噂の、起源兵オリジンドールという奴だったか。


 こちらに入っていた情報だと、大きさは五メテル程と聞いていたのだけれど、このデカブツは優に二十メテルはある。


「聞いてた話と全然違うし、なんでこんなところで橋を落とそうとしているかは知らないけれど、先ずは」


 私はブラウスの首元のボタンを外すと、命気を軽く両脚に纏い、脚力を強化すると、一気に加速し、オリジンドールの前に躍り出る。


「中に誰か乗っているなら、一応警告させてもらう。

 私はフリーの傭兵で、リノン・フォルネージュ。まぁ、巷では銀嶺ぎんれいなんて呼ばれたりもしてるけど。

 降伏しないのなら、そちらのオリジンドールは破壊させてもらうけれど……。さて、貴方は降伏してくれるかな?」


 一応、降伏勧告は出した。

 私に付いた異名は、皇国でも割と知られているので、軽い牽制にはなるかなと思ったのだが、果たしてどうか。


「ふん。この巨体に人間一人で何ができるというのだ。それにお前が本当に、音に聞く銀嶺であるかどうかも疑わしい。

 任務の邪魔をするというならば、お前から先に叩き潰してくれようか」


 あらら、やっぱりダメだったか。まぁあんなデカいのに乗ってたら、気も大きくなって尊大にもなっちゃうかな。


 オリジンドールが右の掌をこちらに向けると、掌の中央の部分に仕込まれた機銃が轟音と共に放たれる。


 私は両眼と両脚に軽く命気を流すと、機銃から放たれた弾丸の一発一発を見切りながら回避し、オリジンドールの股下の、死角になっているであろう場所に、一気に駆け込んだ。


「ふぅ。名乗りも挙げないとは、機械に乗っているとはいえ、不粋だな」


 オリジンドールは機銃を撃った事による硝煙の中、こちらを見失ったのか、その動きを止めた。


「フリーの傭兵、リノン・フォルネージュ」


 名乗りと共に重心を落とし、上体を捻る。さらに愛刀、蛍火嵐雪けいからんせつの柄に手をかけ、両眼と両脚に纏っていた命気を薄く全身に広げていく。


「往かせてもらおうか!」



 私は、笑みを浮かべながら勢い良く太刀を抜き放った。





 


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