第91回 ハケンアニメ! その1

「ハケンアニメ!」は辻村深月の小説です。第12回本屋大賞にノミネートされ、3位になった作品です。女優の吉岡里穂主演で映画化されました。


 スピンオフ作品集の「レジェンドアニメ」も発売されています。


 吉岡里穂と言えば、主演作の多い人気女優です。少し前までは連続ドラマでも多くの主演をしました。ドラマ「きみ棲み」こと「君が心に棲みついた」のちょっと病んだ女性役は記憶に新しいです。


 そして、映画の見どころは、劇中で登場する2つのアニメ作品のクォリティの高さ。


 まず、第1章のカリスマ監督、王子千晴が手掛ける「運命戦線リデルライト」は、「プリキュア」シリーズ等で有名な大塚隆史監督です。更にキャラクター原案は「魔法少女まどか☆マギか」等で有名な岸田隆宏が務めています。


 主人公の斎藤瞳監督が手掛ける「サウンドバック 奏の石」は、「テルマエ・ロマエ」等で有名な谷東監督です。キャラクター原案は、「ツルモク独身寮」等で有名な漫画家の窪之内英策。メカデザインは「機動戦士ガンダム00」シリーズ等で有名なメカニックデザイナーの柳瀬敬之が担当しています。



 原作は、タイトルで示すとおり、アニメ制作現場を舞台とする「お仕事小説」です。


 第1章の題は「王子と猛獣使い」です。


—―どうして、アニメ業界に入ったんですか。

 ええ、それは、きっと、いつか王子千晴と仕事をするためです。—―(ハケンアニメ P.9)


 王子千晴というのはカリスマ監督。映画版では中村倫也が演じました。

 3人の中心的な女性が、章のはじめに「どうしてアニメ業界に入ったのか」をそれぞれ語ります。この章の中心は有科香屋子ありしなかやこという女性です。映画版では女優の尾野真千子が演じています。


—―「春のハケンはこれで決まりですね」

(中略)

 ハケン、というのが何を意味するのかわからなかったが、それにより訊き返すタイミングを逸した。ハケン。漢字で書くと、派遣、だろうか。香屋子が考えているうちに、逢里が手元の資料をめくる。—―(ハケンアニメ P.10)


 香屋子は、王子監督が24歳の時に携わった「ヨスガ」という作品に惚れこみ、中堅アニメ会社・スタジオえっじのプロデューサーとなりました。第1章はこの香屋子を中心に話が進みます。


 「ハケン」は、私も同じ勘違いをしていました。意味はかなり引っ張られます。


—―王子が消えたことを、今日も、言えなかった。—―(ハケンアニメ P.20)


 なんと王子監督は失踪していました。カリスマゆえにけっこうわがままな所があります。絶対に妥協しないため、他人との軋轢がすごいのです。ネタバレすると失踪は誤解なのですが。


—―「有科さん、春クールのハケンを争うんですよね。『サバク』と」

「ハケン?」

「覇権。王者覇者の覇に、権利の権。—―頂点取るって意味です」

 覇権。—―(ハケンアニメ P.58)


「サバク」というのは第2章から中心人物となる主人公・斎藤瞳監督によるアニメ「サウンドバック」の略。香屋子にとってはライバル番組です。


—―「人がゴミのようだって思ってる? バーイ、ムスカ」

 心臓のど真ん中を、その声に射貫かれた。

 あわてて顔を上げ、声の方向を見る。

「そんなふうに地球の重力に魅せられると、シャアに粛正されちゃうぞ」

 王子が立っていた。—―(ハケンアニメ P.63)


 失踪した王子監督が香屋子の前に悪びれずに現れます。なんという空気の読めなさ。


「人がゴミのようだ」は、アニメ「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐の有名過ぎる名言です。


「本当に排除しなければならないのは、地球の重力に魂を引かれた人間達だろ!」はZガンダムのカミーユの名言です。


 こんな感じでアニメファンにはたまらない名言の数々が盛り込まれてます。他には「俺がカミーユだったら殴られてますよ バイZガンダム」等。


—―「ただいま、有科さん」

 その声を聞いた途端、走り出していた。

 後先考えず、距離を詰める。抱き合う程に近づいて、息を切らし—―そのまま、王子千晴の顔を殴った。

 グーで。—―(ハケンアニメ P.67)


 王子監督が失踪したと誤解していた香屋子はあちこちで奔走していました。怒って当然ですね。ところが……


—―「本当は、どこに行っていたんですか」

 香屋子は根気強く、問いかけた。オニオニ、と告げられる言葉に辟易しながら、本当にこの人は……とあきれる。だけど、知りたかった。あの絵コンテが生まれた場所を。彼がどこであれを描いたのか。

「家にいたよ」

 と、彼が答えた。

 ふてくされた顔つきのまま、ふっとそっぽを向く。香屋子は息を呑んだ。

「どこにも行ってない。ここにいた」

「でも、だって—―」

 誰もいない、無人の状態の部屋に立ち尽くしたあの日のことを思い出す。『リデル』の資料もそのままに、彼は忽然と姿を消したのではなかったのか。

「最初の二日間くらいは戻らなかったけど、それ以降は戻って絵コンテ書いてた」

「どうして」

「あのさぁ、まだ存在しないゼロのものを、たとえそれが頭の中にあるにしろ一から立ち上げて形にしなきゃならないプレッシャーってわかる? 俺がやらないと何も進まないっていうこの状況。簡単にやれてるように見えるかもしれないけど、簡単にやってるように見えてんだろーなってことまでがストレスになるわけ。できるかどうかなんていつもわかんないよ。昔できたからって、今回でつまづかない保証なんて誰もしてくれないんだから」

 王子が眉根に皺を寄せながら一気にまくし立てた。理不尽なことで逆ギレしているに近い状況なのに、彼がきれいな顔をゆがめるだけでとんでもなく絵になる。自分の言葉に勢いづいたように、さらに饒舌じょうぜつになる。

「取材旅行なんて行く余裕あるわけねーだろ。ハワイの片手間にできるような仕事かよ。よく気分転換の方法とか、リフレッシュ法とか、散歩してる最中にアイデアが、とか言う監督や作家いるけど、そんなの絶対嘘っぱちだね。じゃなきゃ天才だね」

 香屋子に口を挟む隙を与えないまま、吐き捨てるように言い、それからふいに真顔になった。不機嫌そうな表情だけは崩さずに、香屋子を正面から見つめる。

「脚本とか絵コンテは、地道に机に向かうことでしか進まないよ。どんだけ嫌でも、飽きても、派手さがなくても、そこに座り続けてずっと紙やパソコンと向き合うしかない。席を立ったらそこで取り逃がすものだってあるし、かじり付くように、ひったすら、やるしかないんだ。気分転換なんて、死んでもできない」

 ふいに、王子が机の前に座る背中が、実際に見たことのように思い浮かんだ。今、もとになるものがあるから、香屋子やアニメーターたちは王子を助けられるが、最初のこの作業中は誰も彼を救えない。誰にも頼らず、一人でやるしかないのだ。

 ああ、と身体の真ん中に、火がともるような感覚があった。

 そうだった。この人は、戻ってきた時、顔がやつれ、ボロボロだった。—―(ハケンアニメ P.86~P.88)


 王子監督は、気分転換にハワイに行って作業していたと嘘をつきましたが、実際には家で地道に作業していたのですね。


 ここでの絵コンテの話は、小説執筆にもそのまま当てはまるのではないでしょうか。身につまされるいい話です。


—―あなたに、きっと覇権を取らせてみせる。

 だってあなたは、私にとってのアニメそのもの。憧れと尊敬のすべてだから。—―(ハケンアニメ P.122)


 カッコいいですね~香屋子さん。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。



 次の第92回も引き続き「ハケンアニメ」の秘密に迫ります。お楽しみに。

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