イヨとトゥア

 かなり遠くで百舌鳥もずの声が響いた。

 何度目だろう?。

 イヨは小さな指で木製の壁に誰かが掘ったであろう鳥の形の壁の傷をなぞった。

 イヨは小さな一部屋に入れられていた。

 寝台を置くといっぱいになってしまう部屋。

 寝台には粗い木綿を巻いただけの木の枕。

 寝台の横には、トゥアの杖が立てかけてある。

 土砂降りの中打ち捨てられていたのをイヨは自分の衣で何度も拭いて杖を綺麗にしていた。

 トゥアにとっては命の次に大事なものだから。

 修練場は塀で囲まれていたがここはもっと狭く露骨に木の板の壁で覆われていた。

 土砂降りの雨の中でスルアに目の前に立たれたとき、邪馬台国から追い出されるか地下牢に入れられるかどっちかだと思っていたがそうではなかった。

 扉に鍵はかかっていなかった。

 この部屋に厠がなかったので用を足しに廊下に出て厠へ行くことも可能だった。

 厠からさらに廊下を進んでいくと長い棒を持った屈強な修練士が立っていた。

 反対側の廊下も同じ。

 そしてまるでその修練士たちの影の様にスルアが立っていたことにも気づいた。

 尋ねなくてもここから先には進んではいけないことになっていることはわかった。

 このお仕置き部屋みたいな場所は、以前修練場にやってきたが泣き止まなかった<御子みこ>が入れられていたので知っていた。

 が、自分が入るとは思っていなかった。

 その<御子>はずーっと泣き止まなかったのでそのままどこかへ連れ去られた。

 追い出されたコムトより先に。

 食事もいつもと同じだけ同じものを与えられていたので楽だといえば楽だった。

 暇すぎたので考える時間だけは恐ろしいほどあった。

 考え過ぎるほうが怖かった。


『宣旨会であんなことしなきゃよかった』 


 とも心の底からは思えなかった。

 もっと厳しい罰を与えられていたら、そう思ったかもしれない。

 たかが狗奴国の会ったばかりの子犬を眼の前で殺されただけだ。

 犬など邪馬台国にも野良犬がたくさんいる。

 だけど、なにかやり返してやりたいとも思った。

 スルアや姫巫女様にというか自分の境遇に対して。

 この仄昏ほのぐらい小さなは始めてではなかった。

 イヨがこの邪馬台国に来るきっかけもこの仄昏ほのぐらが大いに関係していた。

 むらで弟や妹を馬鹿にした邑長むらおさの子供にちょっと酷いことをしてやった。

 多分あれがきっかけで姫巫女様にお仕えすることになったのだろう。

 イヨはそう確信している。

 邑長むらおさの子に報復をしたときも、宣旨会のときと同じ気持ちだった。

 高揚感も達成感もなかった。

 それまで心の中になにかがあったが、そのなにかがなくなり心の中が空っぽになっただけ。

 どうやらそれがちまたと呼ばれるものらしい。

  

 イヨの指が壁に掘られた鳥のレリーフをなぞっていく。鳥の首から胴体しっぽへ。

 木戸の向こうで鳥が鳴いた。

 イヨは飛びはねるようにして木戸に向かった。

 木戸にはさすがに逃げられないように格子が入っていた。

 百舌鳥もずだ。

 さっきまでしとしと降っていた雨があがったらしい。

 鳥は天気の変化を一番に教えてくれる。

 空を飛べる特権らしい。

 木戸から外をあたりをぐるっと伺ったが百舌鳥もずはもう見えなかった。

 弱い西日が修練場の広場に差し込んでいた。

 もし、鳥のように飛べたら邑まで飛んで帰れるだろうか?。

 今までは邑へ帰ることばかり考えていたが、この仕置き部屋にいれられてからは少し考えが変わった。

 邑から邪馬台国に来る道中は山の形や太陽の沈む位置から方角など必死に覚えてきたが数ヶ月たちすべてがあやふやになった。

 たぶん、正確に山の形、方角、道を覚えていないだろう。

 何日歩いたかすら覚えていない。

 鳥のように飛べたとしても自分は邑にはもう帰れない。

 そう思うと、とても悲しくなった。

 他の<御子>と同じ様にこのごみごみした邪馬台国で生きていかなければいけないのだろうか?。

 そのとき、鈍く大きなかしいだ音がして扉が開いた。

 イヨがぱっと振り向いて見るとスルアと棒を持った修道士が二人立っていた。


「出なさい」


 スルアが言った。

 スルアはいつもながらガリガリに痩せている。

 他の人間と決別したなにかを持ち、それを求め付続けている見ていてそんな気がする。

 決して美人とはいえないが髪だけは綺麗に結い上げ、そして何を考えているのか全く伺いしれない細い目と無表情な顔。

 不気味さと威厳が入り混じったなにか。

 反抗する理由もなにもなかったのでイヨは寝台の横に立て掛けてあったトゥアの杖を手に持つとスルアに付き従った。

 スルアは廊下をすたすた歩きイヨを<御子>たちが暮らす大部屋まで連れて行った。

 無駄な注意や訓戒や指導は一切ない。

 宣旨会の神岩の件に関する言及などあろうはずがない。

 スルアと二人の修練士は風のように去っていった。

 沈黙もまた風の如し。

 大部屋の入り口で呆けた感じでイヨが立っていると、まずムノベが駆け寄ってきて

イヨの肩を優しく抱いて言った。


「そうだね」

「大丈夫だよ」


 イヨも答えた。

 肩が濡れたので驚いたがムノベは涙を流していた。

 ムノベはどこまでも優しい。

 どうやら<御子>たちはイヨが相当きつい罰を受けていたと思ってたらしい。

 サムリは自由には動けないで、イヨがサムリのところまで言って肩を抱いてやった。


「イョォ、」

「大丈夫。元気だった?」


 サムリは自由に喋ることも出来ない。

 しかし声をかけあった。

 続いて発作も出てなくて元気そうなイエア。

 他の<御子>たちにもイヨは挨拶を繰り返す。

 たった数日だが<御子>たちの再会の儀式は進んでいく、たったひとりの<御子>を除いて。

 トゥアである。

 トゥアは木戸の近くに静かにきれいなたたずまいで座り外を見ている。

 木戸の近くはトゥアの指定席だ。

 いつも外をのに見ている。

 細く薄い紫の布を目に掛けはちまきのようにして巻いて覆っている。

 生まれた時から目が見えないという話しだがどうやって色を認識しているのだろうか?。

 イヨは不思議でならない。

 実際に年重だということもあるが、他の<御子>と同じ衣装を着ていてもトゥアだけは全く違うたたずまいがある。

 トゥアだけは実際に美しいし大人なのである。

 女なのだ。

 おそらく月の物ももう始まっているだろう。

 イヨは恐る恐るトゥアに近づいた。

 後、数歩という距離でトゥアが視線を外からイヨの方に向けた。

 音だけでなく空気の流れでも周りを把握しているらしい。

 見えているとしか思えない。

 そうか<御力みぢから>でか。

 イヨがこの修練場に来たときにもう既に一番<御力みぢから>が強かったのがトゥアである。

 イヨは宣旨会でトゥアが杖でイヨの足を叩いた痛みをまだ覚えていた。

 あのせいであれで止まったが、あれがなければもっとひどいことになっていたかもしれない。

 イヨはトゥアが新しい杖を持っていることに気づいたが言った。

 

「トゥア、忘れ物だよ」

 

 トゥアの新しい杖は太さが前のより太く長く見るからに使いづらそうだった。

 さらに手に平には布を何重にも巻いているが傷だらけのトゥアの指先。

 

「イヨが持っていることは知っていたわ」


 目を覆っているだけでこれほど相手の感情を推し量れないものだとはイヨも知らなかった。

 

「はい」


 イヨはゆっくりトゥアの手を取ると自分が持ってきた以前のトゥアが使い慣れた杖を手渡した。

 トゥアはびっくりしたように手をすくめると持っていた新しい太い杖を落とした。

 木の棒が倒れる音が派手に大部屋に響く。

 試したわけでは無いが、やはり見えていない。

 ぎこちない空気が二人の間に流れ大部屋全体に広がっていく。

 イヨはトゥアがこの使い慣れた杖を手に取ろうとしないのかと思ったが違った。

 トゥアは古い慣れた杖を持った。

 使い慣れた様子で杖を確かめる。

 すり減った握りやすい柔らかな布がたくさん撒かれた位置を優しく持つ。


「イヨはもう、ものすごい<御力みぢから>を持っているんでしょ」


 イヨは答えなかった。

 突然、トゥアが小さな椅子から立ち上がり両手で古い杖を持った。

 イヨはトゥアが何をしようとしているのかわからなかった。

 トゥアが両方のひじを張り噛みしめるような顔になった。

 

 パキーン。

 

 トゥアは杖を折った。

 二本になった杖を探り探り合わせると今度はそんなに太くない自身の太ももを使いもう一回折ろうとした。

 少し時間がかかった。トゥアの細い腕や足が小刻みに震えトゥアにしてはものすごい力を加えているのがわかった。

 

 バキ。


 トゥアの杖は4本に折れバラバラになった。

 その一本の欠片がイヨに向かって飛んできたのでイヨは避けた。


「そのすごい<御力みぢから>でこの杖を元に戻して」


 トゥアが言った。

 そんな事できるわけがない。

 イヨも口を真一文字に結んだ後にはっきりと言った。


「そんなことはできない」


 トゥアもややひるんだ。言い返されるとは思っていなかった様だ。

 

「それが<御力みぢから>よ。<御力みぢから>は壊したり人を不幸にするだけ」

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