マキヒコとイスキ
天気だけは良かった。
晩秋の天は高く、空は抜けるほど
高さ約16丈(48メートル)ある大神殿のまわりには雲一つなかった。
邪馬台国の中心部である内城のさらに中心部である大神殿が建立す聖城内にポツポツと人が集まりだした。
どちらかというと恐る恐るといった
普段は直営隊が警備し人の丈ほどの塀で囲まれた内城はおろか聖城内には邪馬台国の人間ですら入ることは許されていない。
邪馬台国の行政面の頂点である司台国のマキヒコですら内城は我が物顔で歩けるが聖城内には決して入れない。
許されているのは<鬼道>に通じるもの、姫巫女にして女王の卑弥呼、巫女、修行中の身とはいえ<御子>だけである。
今日だけが特別なのである。
季節ごとに行われる冬の宣旨会。
邪馬台国が統べるほぼすべての国の
そしてその神託に従い冬野菜、冬の作物の作付け、キノコ類の収穫の薪の采集の量まで決まる。
各国の
昨晩は軽い宴席を儲けた後に巫女に指示されながらやや儀式めいた沐浴。
身を清め晴れて翌日の宣旨会に臨むのである。
「おお、これは、あが甥のヴァサム、ちょっと見ぬ間に大きゅうなったのう」
聖城内に可奴国の
トウゴは大きく両手をひろげているが、甥っ子のヴァサムは怯えた様子でトウゴの腕の中には入らない。
その様子をマキヒコは
邪馬台国は五国や七国、果ては国とは呼べないような小さな地域も含めると十余国とも言われている国々を統治している。
逆に言うと十余国の国と地域が邪馬台国を支えているのである。
すべての国主が姫巫女を介し神の前で忠誠を尽くすことを宣誓してはいるが、倭国は文字すら持たぬ古代国家である。
約定はなんの意味も持たない。書き記したものがないのですぐに言った言わないの水かけ論となり
更に邪馬台国は各国主に宣誓をさせた上で<人質>をしっかり取っていた。
人質は国主の血縁が絶対条件でしかも子供に限られていた。
マキヒコは更に周囲に目をめぐらし、各国主とその人質の再会の様子を見ていた。
斯邪国の国主は、涙を流しながら姪っ子と抱き合い、
須巴国の国主は、人質に声すら掛けない。目線すら合わさない。人質の子も涙ぐみながら困っている。
その国主と人質の子供たちの間を蝶や兎のようにひらひらと駆け回っている女がいる。
司台国婦人、マキヒコの妻リフアである。
人質の子は人質とは呼ばれていない。<被後見人>と呼ばれている。
<後見人>は邪馬台国であり、実質、司台国婦人のリフアが<後見人>面倒を見ている。
「フキア、さぁ、国主の
リフアが丁寧に手を引き、引き合わせようとするが、露骨に嫌がる<被後見人>も当然居る。
リフアそのものが面倒を見ることは少ないかもしれないが、幼い<被後見人>は遠く離れた母国の流儀ではなく、邪馬台国流の躾と教育を受けて育つ。
幼い<人質>は邪馬台国を頼るしかないのである。
まだ大きく成長し母国に帰国した<被後見人>は少ないが、完全な親邪馬台国の重要人物として各国に帰国することになる。
すべて、謀反や叛乱を避けるためだったが、マキヒコが考えた方策である。
が、各国主も面妖である。
血縁が条件とはいえ、遠縁の前の嫁の末子だとかほぼ人質として用を足さないものを露骨に送り出してくる国主が半数は居る。
これも事実だ。
そして、人質はおろかもっと不敬な国主も居る。
当のマキヒコの舅、妻のリフアの父、北兎国の国主ウルドは高齢を理由にこの宣旨会に参代すらしていなかった。
ウルドの娘そのものが嫁いでいるのでリフアそのものが人質とも取れるし、姻戚関係になっているので邪馬台国とは上下の関係ではないとも言える。
国家間の力関係は本当に微妙である。
マキヒコはウルドに完全にナメられたと理解していたが。
少し
国主や邪馬台国の国老のような要人だけでなく、この宣旨会には、普段は内城外で暮らす邪馬台国の平民や奴隷も参加し入ることが許されている。
もちろん、
マキヒコの脳裏を昨晩の夕食会で何気なく交わした会話がよぎる。
相手は亀足国の<国主>オットだった。
亀足国は狗奴国とうねり川の水利権を争っている。
急峻で水量の少ない上流は狗奴国、水量も多く肥沃な下流は亀足国。
マキヒコは亀足国に有利な裁定を下した。軽くオットに礼でも言ってもらえるかとおもいきや違った。
『狗奴国では人がかなり増えておりますぞ』
予想外の言葉で意味が最初わからなかった。
『我らは河の民、水の清らかさで人の多さを推し量れまする』
そうだろう。
マキヒコは更に大きく首をめぐらし、狗奴国の国主スサムを探す。
数日前、スサムはその水利権についての姫巫女との謁見を断られた。
しかし今日は会える。
他の平民と同じ距離で会うことにはなるが。
狗奴国の人質はマルヌとかいう歳は七つほどの男の子だったはずだ。
確かスサムの前の妻の末の弟の嫁の連れ子だとか聞いたが、、、。
倭国でいうところの完全な血縁ではない。
人混みの中にスサムが居た。
スサムは顔に入れ墨も入れず派手な衣装も身につけていない、まるでどこかの平民か良い主人に巡り合った楽な人生をおくる奴隷のような姿だ。
スサムは贅沢奢侈を嫌い、民衆と同じ生活を好む。
が、それは逆に狗奴国そのものが貧しいことも表している。
スサムが狗奴国で前の国主の位を簒奪したにも関わらず多くの民から慕われているとの報告をマキヒコは何度も受けている。
妻のリフアが導くまでもなく、スサムは身をかがめマルヌと頬をすり合わせ抱き合っていた。
お互い心から再会を喜び合っている様子だ。
「息災であったか」
「はい、あの国主様にして、あの大叔父様」
マルヌがスサムの目を見てしっかり答える。
<被後見人>のマルヌも
遠くから見ている限り芝居なのか、本気なのかわからない。
スサムの機嫌もすこぶる良さそうだ。
マキヒコは軽くため息を付いた。
まぁコレなら良しだ。
実は、マキヒコはスサムが姫巫女との謁見のときに持ちかけた案件について狗奴国側の要求を一切取り合わなかった。
現状維持を申し付けた。
現状維持とは、上の立場のものや現在、得をしている側に対し有利な裁定となる。
別に亀足国を立てたわけではない。
邪馬台国そのものをしっかり立てたのである。
それが、司台国の仕事だとも思っていた。
頭を下げ這いつくばり陳情を申し立てするのが下のものなのである。
コレで良しと思っても、マキヒコはなかなかスサムから目を離す事ができなかった。
この男は、他の国主と違い<野心>を持っている。
しかもそれはどのだれよりも大きい。
マキヒコはスサムの脇に今まで見たことのない若い青年が立っていることに気づいた。
スサムの血縁だろうか?。
ずんぐりむっくりなスサムには似ず、背が高く。
しかし、この力だけが支配する倭国においては、なににもまして線が細すぎる。ひょろひょろだ。
頭が良いのは目つきでわかる。
立ち振舞いにもどこか隠せない知性が溢れ出ている。
マキヒコは性癖とは関係なく、この痩せた背の高い男が気になった。
「マルヌ、狗奴国の太子にしてあが息子、なれの従兄弟のイスキだよ」
「こんにちは、イスキ御兄様」
マルヌが見上げて挨拶した。
「こんにちは」
イスキが言葉少なく静かで穏やかな口調で答えた。
マキヒコはイスキをいつまでも見ていた。
だが、そのイスキの脇にいる黒い衣装を頭から被った幼い女の子には全く気づかなかった。
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