イヨとスルア

 イヨ壱与は騙されたと思っていた。

 どこまで見ても囲まれているのは塀ばかり。こんな生活が二年も続いていた。

 地面は丸くて白い小さな石がきれいに敷き詰められ裸足でも痛くない。

 これは、ここで雑草が生えないため、どこでも座れるため、または這って移動しなければならない御子みこのためである。

 腹いっぱいに食べさしてもらえ衣服も与えられ寒くもひもじくもないのはありがたかったが、この草木さえ生えない白い丸い石の地面と塀のなかでは気がおかしくなりそうだった。

 

 父親は『なれは遠い国へ行って姫巫女ひめみこ様にお仕えするのだ』と言った。

 が、嘘だった。

 カイコの世話でもやらされるのかなと思っていたが、これも違った。

 皿洗いでもなかった。

 田や畑の雑草取りは得意だった。

 なによりイヨは誰よりかんが良かった。

 イヨはテキパキ幼い妹や弟に指示を出した。

 小さい妹には小さい雑草を、少し力のある弟にはもう少し大きな雑草を取るように言いつけた。

 イヨはすべての雑草と妹と弟の刈った雑草を背中いっぱいに背負い畦まで担いだものだ。

 イヨの家はむら一番の速さで雑草を取ったものだ。

 むらや雑草取り、なにより家が恋しい。

 冷たい北風がイヨの脇を駆け抜けた。

 もう秋も終わりかけだ。

 ということは豊饒祭も終わったということだ。

 一年で一番楽しみにしていたむらの豊饒祭、今年はどんなだっただろう。

 イヨのむらは貧しかったが豊饒祭だけは赤米と黒米を混ぜ炊合せしつぶし、そこに柿の実を混ぜた甘いベタベタしたお菓子がイヨのような子供にも振る舞われた。

 今、死ぬほど食べたい。

 弟と妹と奪い合い、分け合い、手や口にお菓子をいっぱい付けたまま互いに笑いあい食べたことを思い出すと泣きそうになる。


 この修練場しゅうれんじょうで一番偉いらしい、糸や針より細い目をした女、スルア素留亜にいつむらに帰れるのか?尋ねたが、答えてもらえなかった。

 

 この修練場ではイヨのような子が幾人も集められ御子みこと呼ばれていた。

 御子みこは全員子供だったが少し変わった子でかわいそうな子ばかりだった。

 小さい頃マムシに噛まれ左腕を失った男の子、ヒガノ蛭吾延

 幼いころに高熱を出しうまく喋れずギクシャクとしか動けなくなった、男の子、サムリ去無吏

 サムリは修道導士が抱えるとき以外は這って動くことになる。

 盲目の女の子トゥア砥雨遭

 いつもぼーっとしていて『そうだね』としか喋らない、大きな男の子、ムノベ務伸瓶

 耳が聞こえず、喋ることも出来ないコムト胡武摂

 突然金切り声をあげ歯ぎしりをしだし動けなくなってしまう女の子、イエア異栄挙

 など、、。 

 なにか変わった特徴がないのはイヨぐらい。

 どうしてイヨがここに居るのかすら、イヨ自身にもわからなかった。

 面倒見の良いイヨは他の御子の手助けをしてやっていた。 


 そして毎日、鬼道きどうの修練をしていた。

 小さな石を手を使わずに動かしたり、裏返しになった木札の画を当てたり、明日の天気を当てたり、北の海の向こうの国から伝わったと言われる同じ四角い面に穴が6個あいている小さな箱を転がしその目を当てたり。誰か人が呼ばれてその人が思い浮かべていることを言い当てたり。

 この鬼道の能力のことを御力みぢからと邪馬台国では呼んでいた。

 御子たちはこれらのこと必死に取り組んでいた。

 しかし、イヨにはどっちでもいいことばかりだった。


 なぜなら、イヨにとっては、簡単にできることばかりだったから。


 修練場の塀の外がかまびすしい。

 目の不自由なトゥアが言った。


「狗奴国の人がたくさん来ているんだって」


 御子は皆で小さな瑪瑙めのうを手を使わずに動かそうとしているところだった。


「そうだね」


 ムノベ務伸瓶が答えた。


「どうして知ってるの?」


 イヨがトゥアナに思わず訊ねてしまった。

 だけどすぐに、目が見えず音と声だけが頼りのトゥアナには悪いことを訊いてしまった、と思った。


「さっき飯炊き係の女性の心を読んだの」


 トゥアは誰にも聞こえないように小さい声で言った。御子は修練場以外では御力を使っていけないことになっている。

 

「もうすぐに国に帰るらしいわ」

 

 トゥアが付け加えた。

 そのとき、犬の小さな吠え声が修練場にまで届いた。


「犬ぅがぁ居るぅねぇぇ」


 とサムリ去無吏が言った。


「ムノベ、ちょっと来て」


 イヨが塀めがけて駆けていった。


「そうだね」


 ムノベはのそのそイヨの後をついていった。

 イヨは急に犬が見たくなった。

 邑には何軒か犬を飼っている家があった。イヨの家では貧しく父も厳しく飼えなかったが。

 イヨは塀のところまでやってくると言った。


「ムノベ、あを持ち上げて」


 塀はイヨの背丈よりかなり高かった。塀の向こうの喧騒も聞こえた。邪馬台国では狗奴国の人を迎えて大騒ぎしているらしい。交易の品もあるのだろう。

 犬の吠え声もさっきより大きく聞こえる。


「ムノベ、ムノベ」


 イヨが振り返ると、ムノベはしゃがみこみ四つん這いになっていた。


「違う、違う、おんぶじゃないよ。ムノベ」

「そうだね」

「肩車、肩車」

「そうだね」


 大きく力持ちのムノベはひょいと軽くイヨを担ぎ上げると肩に乗せそのまま座らせた。


「うわー」


 た、高い。

 イヨは思わず声を上げてしまった。久しぶりに見た修練場の外の世界。邪馬台国の中の人の多さ。

 そして、邪馬台国の人々とは少し違った風俗をしている十数人の狗奴国の人々。

 邪馬台国の人ですら物珍しそうに取り囲んでいるのだ。

 イヨの丁度目の高さあたりが塀の先端だった。


「ムノベ、ちょっと前行って」

「そうだね」


 狗奴国人の集団の周りにたくさんの犬の綱を束ねている男がいた。

 いろんな種類の犬がいる。

 その脇に丁度イヨぐらいの歳の男の子が居た。


「おーい、なれぇー」

 

 イヨはありったけの声で叫んだ。

 その男の子、カルム夏昼向が声のする方向に振り向いた。

 なんとカルムは脇に仔犬を抱えていた。

 離れててよく見えないけどかわいい。


「なれぇーこっちに来て、おねがーい」


 イヨは叫んだ。

 そして付け足した。


「その仔犬といっしょに」


 カルムは塀の上から目だけだしている女の子のところに小走りにやってきた。

 もちろん仔犬を抱えたまま。


「ムノベ、もうちょっと前」

「そうだね」


 ムノベが塀のせいでもうこれ以上前には進めなかったが、鼻とおでこを塀に押し付けながら更に前進んで頑張った。


「名前なんての?」

「カルム」

「ごめん、なれじゃなくて、犬の」

「ガウ」


 仔犬はむくむくしててとても可愛かった。

 色は茶色で鼻先が黒かった。目はくりくりまなこ。鼻をひくひくさせてクンクンいっている。

 イヨは塀越しに手を伸ばした。カルムも仔犬を両手で持ち上げ近づけてくれた。

 それでも届かなかった。

 イヨはムノベの肩の上に立った。

 そうしたらイヨも腰の上ぐらい

塀の上から出た。

 カルムが手を差し伸ばす仔犬に触れた。

 なでなで。毛が気持ちいい。いい子。いい子。本当にいい子。

 

「あのね、狗奴国では犬を色んな所に配ってるの、この子もらってくれる?」


 ええーこんな可愛い物を貰えるの?。

 そうやって、狗奴国のシンパを増やしていることをカルム自身ですら知らなかった。

 イヨに迷う余地などなかった。

 イヨは何度もコクコクと頷いた。


「はい、名前は勝手に変えても良いよ」


 カルムも背伸びしてくれてることにはじめて気づいた。本当に良い人だ。

 ムノベの肩に立つと楽に仔犬を受け取れた。

 その時だった。


「イゥヨォ!」


 塀の中でうまく喋れないサムリが大声で叫んだ。

 それと同時に棒で殴られる鈍い音。

 ぐぇというサムリの悲鳴。悲鳴までうまく発音出来ないことが更に悲惨さを増した。

 ムノベがまずバランスを崩し後ろに倒れた。あまりにも塀に近づいて立っていたので後ろに倒れるしかなかった。

 同時に上に居たイヨは仔犬を胸に抱いたままムノベの上に落ちた。

 低い小さな声でムノベは言った。


「そうだね」


 あいてて。だけど下でムノベが守ってくれたのだ。感謝しなきゃ。

 ふと横を見ると四本の足があった。

 ぴっしゃん!。

 次の瞬間、平手打ちが飛んできた。

 指導女士のスルア素留亜の右手だった。

スルア素留亜の隣には大柄な男性の指導士が立っていた。

 イヨはスルアの平手打ちにすっ飛んだが胸に抱いた仔犬は決して離さなかった。


「イヨ、その犬を渡しなさい」


 左の頬がじんじん痛くてイヨは喋れなかったし喋りたくもなかった。  

 スルアが男性の指導士に顎で指示を送った。

 男性の指導士は太い腕で無理やりイヨの抱いている仔犬の首根っこを掴んだ。

 そして引っ張った。

 イヨはしっかり仔犬を抱いて頑張ったが、仔犬がキャンキャン泣き出したので可哀想になり力を緩めてしまった。

 仔犬は男性指導士のものとなった。

 スルアは言った。


「なれどもは、邪馬台国いや姫巫女様に飼われていることをわすれてはなりません。飼われているものがなにかを飼うことはできません」


 イヨはスルアをねめみつけた。

 だが起き上がったムノベはイヨのように睨みつけただけではなかった。

 中腰のまま、おおっと吠えながら男性指導士に向かっていった。

 男性指導士の方が一歩先を言っていた。

 仔犬を片手で抱いたまま反対の腕で棒を巧みに扱い棒でムノべのみぞおちを突いた。

 そのままムノベは音もなくうずくまりながらドスンと下に落ちた。

 イヨの顔が更に険しくなった。


「こういうことが二度と起きないように大きな罰を与えます」


 スルアはまた顎で男性指導士に指示を与えた。

 ここに二人が駆けつける前に、既にすべては決まっていた様だった。

 男性指導士は両手で仔犬をわざとイヨに見せつけるように抱き直した。

 ほんの一瞬だった。

 男性指導士はくいっと仔犬の首を捻った。

 仔犬は声を上げるまでもなくぐったりとなり死んだ。


 悲しみと怒りでぐしゃぐしゃになったイヨは深くしゃがみ込むや、深く大きな声にならない悲鳴を上げた。

 すべての御子たちが動かそうとしていた小さな瑪瑙めのうよりも大きな地面に轢かれた丸い白い石が大量に円形に広くイヨを中心として弾け飛んだ。

 スルアはどうにか避けられたが、イヨの正面に立ち仔犬の死を見せつけた男性指導士の顔面には大きな丸い白い石が飛び前歯二本折った。

 また違う石が右の脛の肉を深くえぐり肉が飛び、どっとどす黒い血が流れ落ちた。


 イヨの心の中は大きくうねっていたが、ものすごく遠くで自分をせせら笑うような小さな声が心のなかで響いた。

 今まで一度も聞いたことのない声。

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