戦前

マキヒコとスサム

「失礼します。狗奴国の国主くにぬしがたった今、到着されました」


 美貌の台国補たいこくほハルト遥人司台国したいこくマキヒコ巻彦に告げた。

 マキヒコは仕切りのない執務の間に居て、胡座をかき竹簡に彫られた漢籍を読んでいる最中だった。

 執務の間といっても仕切りはない高床の二階すべてが執務の間だった。

 壁一面には丸められた竹簡がうず高く積まれている。すべて北の海のはての国。「魏」から取り寄せたものだ。

 低い机の上には黒米茶が湯気を立てている。


国主くにぬし様は迎賓の館でお待ちです」

「わかった」


 マキヒコ巻彦は、入り口の色縄で編んだ編み物をめくり高床式の館を出た。

 階段の勾配はきつく、まだ若いマキヒコ巻彦でも足元に注意しながら降りる。

 外は風が冷たい。もうすぐ冬だ。

 聞き慣れぬ音が響いて驚いた。

 犬の吠え声が姫巫女の内宮にまでかまびすしく響く。

 狗奴国の国主くにぬしは、大量の犬を連れて参代したらしい。 

 しかし、狗奴国の国主くにぬしの乗る輿こしが見当たらない。

 この時代日本には牛も馬も居ない。

 どうやら狗奴国の国主くにぬしスサム須佐武は自ら歩いて邪馬台国までやってきたようだ。

 狗奴国の国主くにぬしの供回りの者が犬を押さえなだめようとするが犬の吠え声は一向にやまない。

 人の多い邪馬台国の内城が珍しいのだろうか?。


 マキヒコ巻彦が迎賓の館に入ると藁で分厚く編んだ座布団の上にどっかと座るスサム須佐武の姿があった。

 スサム須佐武の大きな背中がマキヒコを威圧する。

 スサム須佐武は下座に座り、マキヒコ巻彦に気づくと立とうとしたが、マキヒコは手で制した。


「どうぞ、そのまま」

 

 司台国のマキヒコは上座に付く。

 マキヒコは中国式に右手を左手で囲った挨拶をしたが、スサムは両手を両膝についたまま大きく頭を下げただけである。

 スサムがゆっくりと頭を上げる。

 スサムは年の頃は五十代手前。

 横幅の大きな身体に顔そのものも横に大きい。

 腹も出ている。

 もうかなり白い毛が増えたが髪と髭はうっとおしいほどはえており、髪は左右でなく後ろで大きくまとめてある。

 眉も太くえらがはり、どちらかというと古人いにしえびとといってもとおりそうなぐらいである。

 背はそれほど高くないが腕も足も太い。この腕で狗奴国の前の国主になにをしたかマキヒコもよく知っている。

 高貴な身分を示す顔への入れ墨はない。

 これはこの男が低い身分から国主まで成り上がったことを示す。


「お元気そうでなによりです」


 とマキヒコが軽く世間話をしようとするとスサムは面倒そうにマキヒコから視線をそらせ小さく愛想笑いをし言った。


司台国したいこく殿も」


 ここで、迎賓の館に仕える下女が黒米茶を運んできた。

 スサムは相当な距離を歩いてきたのだ。

 ぐびっと大きく茶の杯を上げる。

 スサムは下女が完全に部屋から下がるのを見届けてから切り出した。


「本来迎えてもらえる方がみえられぬが」

「それを一番にお伝えしようと思っていたのですが、我らが姫巫女ひめみこ様はご機嫌が優れられないご様子で国主殿との謁見は中止とさせていただきます」


 スサムの眉が露骨に険しくなった。

 館の外では、スサムが連れてきたであろう複数の犬の吠え声がここまで響く。


「このあが、何十里をおしてこの邪馬台国まで歩いてきたと思われる」


 苦痛に耐えるような小さい声だったが不満はマキヒコにもしっかり届いた。


「神託をお受けになられる姫巫女様あってのこの我ら邪馬台国。用件があればこの司台国のマキヒコがしっかとお受けし姫巫女様にお伝えいたしましょう」


 マキヒコに帰ってきたのはスサムの大きなため息だけだった。


「このスサムも邪馬台国をお支えする国主衆の一人、直接姫巫女様にお会いしたいが、」


 そこまでスサムが言ったところでマキヒコが食い気味で断った。


「このたびは誰にも会われません」

「直接お会いして伝えねば意味がない」


 ここで、マキヒコは分かった。

 スサムは伝えたいのでなく、卑弥呼とじかに会いたいのだ。会って卑弥呼の様子を確かめたいのだ。

 マキヒコは語気を強めた。


「このマキヒコが伺いまする」


 スサムのもう一発大きなため息。


「では、用向きを言わせていただこう。今年は神託の<先読み>に反し冷夏であり狗奴国は穀物はすべて不作であった。冷害に強いヒエですら半分といったところ。しかも、冷害で曇天続きに日が差さず曇れど少雨。これも、姫巫女様の神託の<先読み>から反しておった。うねり川の水量も1/3といったところこれからの冬野菜に向けての準備も甚だ苦労しておる始末。どうか、課せられている貢物の量を減らしていただきたい」

 

 スサムは事前に何度も練習したであろうセリフを一気に言いきるとペコリと頭を下げた。


 ようは貢物の引き下げか。 


「昨年も同様の要望を伝えに来られたはずだが」


 マキヒコは吐き捨てるように言った。

 スサムは堂々とした顔でマキヒコを見てから言った。


「昨年の引き下げの要望は聞き入れてもらえたことは狗奴国の民衆一同大いに感謝しておる。姫巫女様らしい慈悲深い措置であった、と涙するものまでおったぐらいだ。しかし昨年も季節の神託の<先読み>は大きく外れておった。夏は酷暑に秋は短く刈り入れの時期を逃してしまい冬は暖冬であった。その前の年もじゃ。ここ数年の姫巫女様の<先読み>は一体どうなっておるのか?。何のための<先読み>なのだ。我が国の<先読み>のほうが天気に関してはあたっておる」

 

 マキヒコはどこからスサムをやり込めようか、色々考えていた。

 マキヒコはスサムが民衆をたきつけ奢侈にふける前の国主バルナ羽瑠那から狗奴国を奪い取ったことを知っていた。

 バルナ羽瑠那が催す宴席中に『そんなに酒が飲みたいならたらふく飲み干せ』というやバルナ羽瑠那を配下の者四人で両脇から抑えさせその口に腰の高さほど在る大きな土器に入った酒を大量に注ぎ込み窒息死させて国主の座を簒奪していた。

 が、言葉が先に出てしまった。


「狗奴国がうねり川の水利権を亀足国と争っておるのも知っているし、狗奴国の土地が山がちで農地が少なく土地がやせておることも知っている。しかし、派遣されている<女王の目>からは異なった報告も受けている」

 

 スサムの目の勢いが弱まった。<女王の目>には大量の賂を渡して取り込んでいたと思っていたらしい。

 

「ヒエは知らぬが、ソバが例年どおり実っておると」

「あれは山裾のわずかばかりの土地に新しく開梱したもので偶々、、、、」

「それと、もう一つ聞き捨てにならない報告も受けている。水利権を争う亀足国との国境くにざかいに大量の<古人いにしえびと>を住まわせておることも。<古人いにしえびと>は撒かず耕さず育てず、ただ食える物を採取するだけだ。亀足国も困り果てておるであろう」

「それは違う。田畑の農作物の最大の敵はけものだ、害獣だ。<古人いにしえびと>は害獣駆除のためにやむを得ず住まわせておるのだ」

「邪馬台国では<古人>との交わりを一切禁じておる。スサム殿も国主として姫巫女様の御前で神との誓いをたてられたはず」

「<古人>は流浪の民。どこの国にも入り混じり暮らしておることは存じておられよう、この邪馬台国の内城にも入り山で取れた実や魚などを売り買いしておるはずだ」

しかり、だが住まわせてはおらぬ。四代続いた国主の家柄のバルナ羽瑠那から国を奪った国泥棒め」


 <国泥棒>は、マキヒコも流石に言い過ぎたと、思った。

 ぐぅ、と音は聞こえなかったがその音と同じ顔をスサムはしていた。

 長い間があった。

 もう犬の吠え声は聞こえなかった。

 しかし、狗は最後に弱い声だったが吠えた。


「夜の宴席には出ぬ。次にこの邪馬台国までの道を歩むときは犬だけではなく、兵も伴っておるかもしれぬことをお覚悟あれ」

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