傍話 帰ってきたら部屋が無い



「久しぶりに来たな」


「えっ、火狩先輩ってここに居たんですか!?」


「建築中の防衛任務やってたんだよ。あん時は“怪物”が多くてなぁ」

 

「火狩先輩が、防衛…?」


「お前拾う直前ぐらいか?人手が足りてなかったんだ知ってんだろ」



 『最強』の“魔法少女”コダマと、それの師匠である“魔法少女”カガリの2人は[魔法院]の前に立っていた。


 何とこの度、カガリの長期任務が終わり、約束だったコダマとのペア活動が決定したのだ!

 谺は今、非常浮かれていた。とてもご機嫌だ。どれだけご機嫌かと言えば、今なら腹立たしい【あの魔女】の安い挑発も笑って流せそうなくらいご機嫌だ。

 

 して、[魔法院]とは“魔法少女”を保護収容教育世間から隔離する為の組織である。また、[魔法院]とは組織の施設を差す事もあり、“魔法少女”達の下宿先でもある。その規模としては最低でも小中学校程度の大きさがあり、大きい場所では街1つ都市1つを呑み込む施設も存在する。それぞれ共通しているとすれば、そこで暮らす“魔法少女”の生活が不便なく送ることが出来る設備が揃っている事だ。


 今は、日本でも有数の規模を誇る[魔法院]の前にいる。ここは伊豆と呼ばれていた地域である。今でも伊豆と呼ばれているが、観光地としての活気をほぼ失っている。一般人が立ち入るには専用サイトから事前に予約が必要となった。何故なら伊豆全域が[魔法院]であり、“魔法少女”を保護収容する檻だからである。


 入場についての制限は先の通り事前予約の他に、関係者証や紹介状、付き添いや迎えなど例外も多いが、やはりどれも入場の許可は必要だ。



 そんな場所に居る2人は、本日から3日間の休暇を獲得している。


 特に火狩はここ数年は働き詰めだった。北は北海道、南はオーストラリア。それに加えて西は中国、東は太平洋のど真ん中。それぞれ数週間から数ヶ月、数日単位であれば更に遠くまで遠征している。日本で最も働いた“魔法少女”と言っても良い。何なら世界一飛び回った“魔法少女”だろう。元々持っていたパスポートから数えて、既に3冊目も限界を迎えている。そろそろ増補申請しなければいけない。


 そんな火狩の戦闘能力は谺と同程度はあると予想されている。正確には谺が追い付いた、もしくは追い抜いた。なのだろうが些細な事だ。

 問題はすぐにバテるという弱点があるため、最終的には継戦能力の高いコダマに軍配が上がってしまう。それでも速度と攻撃力に振り切っている彼女の強さは最高峰である。

 少しずつ強くなっていったコダマとは違い、初めからある程度強かったカガリは随分と働かされていた。それに、彼女の性格と弱点からして守りには向いておらず、こちらから攻める時にこそ真価が発揮される。いつやって来るか分からない“怪物”よりも、既に発見されている“怪物”の討伐をさせたほうが有効なのだ。



「いや〜にしても帰ってきたらお前が『最強』とかよばれてんだもんな、絶対に何かの間違えだと思ってたぜ」


「頑張ったんですよ」


「そりゃ分かるけどな。そりゃぁもう耳も目も頭も疑ったわな」


「私に失礼じゃないですか?」


「だってそうだろうが。谺と別れて北海道行くだろ、そっから帰ってきたらなんかヤバい“魔法少女”が居るとかいってんじゃん。刑部と流々川に頼んで手紙と伝言を伝えたろ?そんで谺が来るのと入れ替わりで今度は中国に行って沖縄行って太平洋に出て、んで帰ってきたら『最強』の“魔法少女”とか呼ばれてんだからビックリだわ。弱くはなかったけど、別に強かった訳でもないお前がだぜ?」


「わっ、ちょっと!もう、せっかく綺麗に整えたのに」



 乱雑にぐわんぐわんと谺の頭を撫で、それはもう愉快そうに笑っている。不器用な妹分の成長が堪らなくうれしいのだ。

 そうして雑に撫でられる谺も、言葉の割に満更ではなさそうである。何せ大好きな先輩の温もりを感じる事が出来るのだ。この手の平、この温もりの為に死ぬ思いで生きてきたのだから当然だ。

 


「…ん?」



 揺れる世界を眺めていた谺は、何かが頭の片隅に引っ掛かった。


 刑部と…るるかわ…?

 るるかわ、るる川…流々川。

 おや?確かあの腹立たしいチャランポランも流々川だった気がする。

 こんな変わった苗字、そうそう居やしない。


 そういえば昔、自分に火狩からの手紙と伝言を持ってきたのは“魔法少女”だった。それはグレーとオレンジのメイド風の衣装で…



「淀さんと知り合いだったんですか!?」


「うぉ!どうしたいきなり」



 クワッ!と詰め寄る谺に驚く火狩。少し離れて2人を物珍しそうに見ていた野次馬達もビクッとした。

 あのチャランポランの戯言早く笑って流せそうなくらいご機嫌ではあったが、笑って流せるとは言っていない。名前だけとはいえど、谺にとってアイツは地雷そのもの。好き嫌いなら間違いなく嫌いだし、人を馬鹿にする様な言動には虫唾が走る。けれども心の底から憎むことが出来ないのがまた憎たらしい。アイツ含めてアイツ等には恩があるし、そもそもアイツ以外の2人は割と気に入っている。



「淀さんと、知り合いだったんですか?」


「お、おう。まだ[魔法院]が連盟だった頃に世話んなったんだよ。あん時は刑部と一緒に[魔法院]の骨組み作ってたんだっけか。お前こそ流々川と知り合いだったのか」


「“魔女”ハックルベリーですよ、その人。私が追っかけてます」


「あ〜そういやそうだっけ。それ、何処まで知ってるんだ?」


「刑部さんと同じくらいには」


「なら後で話そうぜ。アタシ、流々川の事結構好きなんだよ、カッコイイからな。だから最初はあっちに参加するつもりだったし」


「はぁぁ!?」



 再び大声を上げる谺。無理もない、大好きな火狩が“魔女”になる可能性があったのだ。

 『最強』の肩書に思い入れは無いが、自身が“魔法少女”である事にはプライドを持っている。命懸けで戦い、人々を守る仕事はその分やりがいもあるし、危険に見合う手当も出ている。争い事は今でも苦手だが、自分達にしか出来ないのだからやるしかない。そしてそれを教えたのが火狩、それが“魔女”になる姿など想像も出来ない。

 だから決して、敬愛する火狩が、嫌い千万なアイツを好きだと言った事への衝撃ではない。


 それと同時に、カッコイイか?とまたもや疑問が浮上し始める。

 谺の脳内に居るアイツは、ヘラヘラと笑いながら自分達をからかって、そしてついでに“怪物”も倒していく“魔女”である。勿論、その役割については聞いているし理解もしている。

 うん、まぁ、格好いいとは言えなくもないのかも知れないが、納得はしきれない。


  そんな様子の谺を余所に、火狩はその格好いい理由を話し出す。誰だって好きな物事を共有したいものである。共通の知り合いで、アイツの秘密も知っているのだから遠慮なく話すことができる。



「ほら谺、“大敵”って覚えてるか?」


「富士山で繭になっていた“怪物”ですね」


「あれ、暴れてた奴を弱らせて強制的にあの状態にしたんだよ。自己強化の繭っていうより、防御するためのものなんだってさ」



 軽く周りを見渡した火狩は、ここでする話ではないと再び歩き出す。そうすればあとは谺が場所へ案内してくれるからだ。

 移動を始めた2人を追い掛けてまで聞き耳を立てる子はここには居ない。すれ違う人の雑談している内容まで、いちいち気にする者も居ない。


 ここ伊豆の[魔法院]は2人にとっては懐かしく久しぶりに来た場所ではあるが、揃ってここに住んでいる訳でもない。そのため自分の部屋は存在しない。行くのは管理職員の居る受付だ、手続きを済ませたら車を出してもらう手筈になっている。


 因みに谺のホームは、愛知県豊田市の丁度真ん中辺りに建てられた[魔法院]の施設にある。火狩はあまりにも遠征が多かった為、自室を持っていない。大きめのトランクケースと時々変わるリュックサック1つが彼女の持つ全ての荷物である。今後は谺と同じ施設内に部屋が用意されるハズだ。


 今回の2人はお客様だ、やってきた理由も慰安の旅行である。まぁ、観光と言っても人を楽しませる為の施設はほぼ全てが撤退している。あるのは元々そこにあるものだけだ。景色と温泉である。特に温泉はここに住む“魔法少女”や職員達の要望によって当時と同じクオリティで維持され続けているので期待ができる。

 谺の出身地ではあるが、地元であるほど地元の観光地には寄り付かないものだ。実は初めてらしい。



「へぇ〜、知りませんでした」


「そりゃ非公式だからな。で、それをやったのが流々川だ。当時のアタシ達が戦って負けた“怪物”を、アイツは1人で追い詰めやがった。しかも無傷でな、あんなの見せられたらファンになるしかないってもんだ」



 当たり障りの少ない話を聞きながら、手続きを済ませると、入ってきたのとは反対の出入り口で送迎の車を待つ。

 その頃にはあのチャランポランの話も通り過ぎ、今後の予定について話していた。


 

「やあ、お待たせしたね」



 やって来たのは白い乗用車が1台。それは別に問題ない。乗るのは2人だけだ。

 


「刑部さんじゃないですか!?」


「仕事のついでさ。乗りたまえ」



 まさかの運転手に驚きつつも、2人を乗せて目的地へ。

 旅行の目的は温泉でのんびりリラックスする事だ。火狩が特出しているだけで、谺も今まで働き詰めなのは間違いない。


 温泉街の活気は少ないが、それでもぼちぼちは人が居る。せっかくの温泉をそのまま廃れさせるのは勿体ないと、営業を続けてくれている場所が多いのだ。勿論生活に困らないだけの支援もあるので従業員のお財布に変化は少ない。ただお客さんは減っているので、楽になったと思うか寂しくなったと思うかは其々だろう。客層が“魔法少女”という若い女の子に偏ったので、それに合わせたサービスの変化も多々見受けられる。


 そうして、2人は目的の温泉旅館に到着し、はいる の運転する車は去っていった。

 はいる はついでだと言ったが、本当のところは火狩の様子を確認したかったらしい。長期に渡って働かせ続けたのだ、せめて顔くらいは見ておきたかった。言葉を交わして精神の疲弊を確認したかった。火狩程高い能力を持つ“魔法少女”が少ないのも事実、使い潰す訳にいかないのだ。後、数少ない古株の“魔法少女”である彼女には、それなりに気心を許している。自分で働かせておいて、結構心配していたのだった。

 

 部屋に通され、そこで軽く荷物を広げると2人はそのまま床に突っ伏して寝転がる。



「あ゛ぁ~づかれだぁ〜」


「本当に…このまま寝てしまいたい…」



 この2人、今朝までそれぞれ“怪物”退治に駆り出されていたらしく、かなりお疲れの様だ。本来であれば今頃は既にこの温泉旅館を楽しんでいるハズだったのだ。それがどうだ、目的地に到着した安心感からか温泉とかどうでも良くなっている。

 


「おぉいまだ寝るな~、温泉だ行くぞ!」


「ちょっ、引き摺らないで下さい」



 気怠げに立ち上がった火狩はお風呂セットと谺の足首を掴み、歩き出す。彼女は意外とオフロスキーである。髪の手入れも乾燥も適当だが、風呂に浸かる事は大好きだ。

 せっかく来たのだから取り敢えず温泉には入りたい。諸々はその後だ、疲れた体も何のその。気持ちは既に回復を始めている。


 ジタバタジタバタと暴れる活きのいい谺を引っさげて、いざ風呂に行かん!



「もう!なにしてくれるんですか!先行ってて下さい、荷物取ってきます!」



 足首に手形を残した谺は何とか抜け出して、来た廊下を引き返していく。引き摺られたまま旅館の廊下を進んでいたのだ、雑な運び方と晒してしまった醜態に気分を害した谺は語気を荒げて自分の荷物を取りに行く。

 怒っていても火狩にはついて行く。だって火狩の事が大好きだもの、この程度の怒りでは越えられない壁がある。


 それに、自分がいなければ火狩の手入れは誰がやるのだ。せっかく綺麗な見た目をしているのだから、手入れはしっかりと行わなければ。何より、火狩の長くサラサラした髪の毛が雑な処理をされるのが気に食わない。本人は良いかもしれないが、谺が気に入らない。ていうか何でまともなケアもされていないのにあんな髪質を維持できているのだ、おかしいだろ。

 谺は、自分よりも他人を飾るの事が好きなのだ。


 2人の休暇は3日、ここには一泊二日。明日の昼前には自分達の[魔法院]へ帰る事になっている。そして火狩の日用品等を買いに出掛ける予定だ。やっと腰を据えて休める場所が出来たのだから、自分好みの部屋を作ろう。と、谺に言われている。火狩には特にこだわりは無い。使いやすければそれで良いらしい。



「お待たせしました」


「遅かったな、何かあった?」


「軽食や飲み物を買ってました。どうせ部屋から出ないですよね?」


「うぇっぷ!…さんくす」



 貸し切り状態の温泉で仰向けに浮かんでいた火狩に、話しかけながら冷水を掛ける。さっきの仕返しだ。まぁそこまで腹を立てていた訳でもない、ちょっとしたイタズラである。


 

「はぁ〜…いい湯ですね〜」


「だな〜」



 並んで湯に浸かる2人は、気を緩めていた。



「にゃっはー!温泉だぁー」



 そこへ、闖入者が現れた。

 我等お馴染みの不埒者。谺の天敵、淀である。


 

「ぁ――あ…あれ?」


「な、なっ、なんで!」


「んな、脱兎ぉ!」



 目が合ってすぐに出ていった。



「なんで淀さんが!?」


「まー落ち着けって」



 追っ掛けて出ていこうとする谺を止め、肩まで湯に沈めた火狩は呑気にリラックスしている。

 それを見て追うのは諦めるが、聞くだけ聞いておかなくては。



「何故止めるんですか」


「んー、あいつにゃ世話んなったからな。せっかくの温泉だから呼んだ」



 せっかく、楽しい旅行だったのに。谺のテンションはダダ下がりしている。

 谺は淀が好きでない。あの適当でいい加減な性格が、どうしても許容出来ない。


 その小憎たらしいあんちくしょうが、今目の前に現れたのだ。穏やかでは居られない。



「呼んだって…なんあっ、待って!」


「よっし!暖まったし、出るぞ」



 長く湯に浸かっていたのだ、そろそろ逆上せしまう。1度体を冷まして、夜にまた来るらしい。温泉には、何度入ったって良いのだから。


 雑に水気を拭きとって、後は全て谺におまかせ。乾かしきれていない髪のまま、火狩は部屋に戻る。そしてその後を、ドライヤーを抱えた谺がついて行く。機嫌は良くない。面倒がってドライヤーを拒否する火狩にも、何故か居る淀にも、色々納得がいかない。


 部屋に戻った2人は、私服に戻っている淀と対峙した。淀は自前で用意したであろうコーヒーを飲んでいる。荷物は見渡す限り置いていない。本当に、何しに来たんだ。

 

 

「よう流々川。遅かったな」


「そりゃ昨日の今日じゃ予定はずらせないからねぇ。誘ってくれてありがとうね」


「私は、貴女を誘っていないのですが?」


「あはっ、来ちゃった」

 

「来ちゃった、じゃあないですよ…」



 ひとまず、互いに争う意思はなさそうだ。

 入口で固まっている谺を余所に、火狩と淀は雑談を始めている。

 やれやれと、谺は火狩の髪の毛を乾かす事にしたようだ。優しく髪を梳き、何やら液体を馴染ませていき、話を遮る音量でドライヤーを轟かせる。こんな奴と話すことなど無いという態度だ。


 

「流々川はさ、谺に何処まで話したんだ?」


「なーんにも。話したのは はいるちゃんだからねぇ」


「えっ、じゃあ“大敵”が繭になる時は?」


「わざわざ話す内容でもないだろうよ」


「ゴリゴリの武勇伝じゃん」



 火狩が谺をチラチラ見ながら勿体ぶる。火狩は、かつて目にしたハックルベリーの大立ち回りを話したい様子だ。本人も居るし、少し遠慮しているのだろうか。

 まさか、火狩も淀の性格を知っている。遠慮など無駄である。礼には礼で返ってくるが、恩も善意も配慮もあまり考慮はしてくれはしない。なにせ“魔女”だから。だからコイツに対して必要以上に気を配ってやる意味がないのだ、手間だし。



「じゃあアタシが話してやろう。でもその前に、谺は流々川か嫌いなのか?」



 純粋な疑問だ。態度から察することは出来るが、直接聞いてない。本当に嫌ならコイツには帰ってもらうつもりだ。



「はい!嫌いです!」


「それは普通に傷付くんだけど…」



 もう真っ直ぐ目を見て、指まで差して嫌いだと宣言する。


 そして淀は傷付いた。

 こんなだが、別にメンタル無敵な訳ではない。人並みには柔らかいのだ、傷付かないように守るのが上手いだけである。


 

「そっか…ごめんね、帰る…」


「悪いな」



 見たこともない悲しげな表情で、淀は立ち上がり出ていこうとする。のを、谺は慌てて止めた。確かに、間違いなく、好きか嫌いかなら嫌いだ。だが嫌いにも種類があるだろう。顔を見るのも嫌、殺したい程憎い、そこまではいってない。

 谺の言っている嫌いとは、からかわれたくない、負けたくない、言動の節々にイラッとする程度のもの。端から見れば、一方的なライバル意識を持っている様にしか見えない。


 それに、淀は谺が大好きだ。頑張る“魔法少女”が大好きだと普段から公言している。谺は淀が好きではないが、淀に嫌われたくはないらしい。贅沢な話だ。



「少し言い過ぎました、すみません。大体、そんなに嫌いだとしたら一緒に食事をしたりしませんし、貴女が居る事を知っていて遊びにも行きませんよ」


「…そうかい?じゃあ好き?」


「いえ、その性格を変えてもらわないと好きにはなれません。が、淀さんがしおらしくしていても調子が狂うので変えなくても結構です」


「つまり?」


「好意的に解釈してもらって構いません」



 なんだ、ただのツンデレか。見事なまでの嫌よ嫌よも好きのうちである。淀の軽薄な態度が嫌なのは本心であるが、淀の役割と覚悟を聞いてしまっている以上嫌いにはなれないのだ。

 もし【あの魔女】達の役割を知るのがもっと遅ければ、きっと本当に嫌いになっていたかも知れない。逆に早ければ、もう少しマシになっていたかも知れない。

 けれど谺は、今の関係くらいが丁度いいと思っている。まだ何も知らなかった当時でさえも、この厄介な“魔女”の存在は、ある意味心の拠り所として支えになっていた。調子に乗るから絶対に教えないが、火狩への想いを尊敬と敬愛と呼ぶのなら、淀には畏怖と憧憬を持っていると言える。絶対に教えないが、谺にとって淀は火狩とは違うベクトルで信じるに足る人物なのだ。絶対に教えてはやらないが、居なくなっては困る人なのである。絶対に教えないが。


 そんじゃあ淀の事好きじゃん。と思ってはいけないのが人間の難しい所だ。好きと嫌いは両立しうるのだ、その天秤がどちらかに傾けばよし。均衡を保てば好きとも嫌いとも呼べるのではないだろうか。

 現在、淀への好感度を量る天秤は、その時の気分で揺れ動くほどぴったりと釣り合っている。


 先の悲しげな表情を見てしまった谺は、罪悪感という第三の重石により嫌悪が軽くなってしまったのである。



「もー谺ちゃんは素直じゃないなぁ。んじゃ温泉入ってくる」


「さっき入ればよかったじゃないですか…」


「お風呂は1人で入りたい派なのさ」



 実はこの旅館、現在はほぼ貸し切り状態になっている。元々宿泊客の少ない日であり、淀はそれに加えて空き部屋の全部屋を借り切った。他の宿泊客は全員“魔法少女”であることも調査済だ、普段からちょくちょく此処に泊まりに来ている様な子らしい。今、温泉には誰も入っていない。後から入られるのは仕方がないが、自分が入る時は誰も居てほしくない。だって、淀は他人に肌を晒すのが苦手だから。

 

 淀が温泉に行っている間、2人は特にすることが無い。たとえ帰って来たとしても、遊べる様な物はせいぜいゲームアプリ程度だろう。どちらもソシャゲはやらないけれど。


 

「で、火狩先輩。淀さんの武勇伝ってなんなんですか?」



 勿体ぶられたからには気になってしまう。話したそうな様子からして、別に聞いてはいけない類の話でもないのだろう。本人に聞けば多分答えてはくれるだろうが、そこまでして聞き出したい訳でもないのだ。



「んんーっとな、あれば“怪物”に心核コアができるちょっと前の頃だったな。『連盟』が出来た直後ぐらいの時期だ。富士山の麓にバカ強い“怪物”が出てきたんだよ。たしか、“怪物”の元締め、【悪意ある災害】ってアーモンが言ってたな。そう言えば最近アーモン見てないな」


「普段は刑部さんのオフィスで一緒に居ますよ」


「ふーん。で、その親玉をぶっ倒す為に『連盟』が把握してる強い奴を上から呼べるだけ呼んだのが、アタシ含めて8人。当時の最高戦力だな。それに加えて刑部も前線に出たから9人で討伐に向かったんだよ。この時点で“魔法少女”は勿論、一般人にも、周辺地区の街にも結構な被害が出ててな、割と猶予のない状態だったんだ」


「刑部さんが出たんですか?」


「まあ戦闘能力は無いけど、視覚に頼る“怪物”相手にはそれなりに刺さる魔法だからな。効いたらラッキーって感じだ。お、ありがと」



 谺が差し出したお茶を受け取った。そういえば風呂上がりから何も飲んでないな、気付いたら喉が乾いてきた。

 

 そして淀は、いつまで経っても戻って来ず。谺が連絡をしたところ急用で帰ったという。それはそれは名残惜しそうに電話口で恨み言を溢した淀は、結局温泉に入れなかったらしい。流石に可哀想だと思った谺だが、それもこれも日頃の行いが悪いせいだろうと結論付け、建前ですがと前置きをしてから慰めの言葉を送った。



「お前、そんなに流々川が嫌いなのかよ…まあいいや、話の続きだが―――」



 時々脱線しながらも、夕餉ゆうげの支度の知らせまで淀の話で盛り上がっていた。アイツに関しての話題は事欠かない。互いに見てきたハックルベリーの活躍は、好きや嫌いの贔屓が無くとも印象深いものばかり。それら自体は普通に普通じゃない。

 それから今まで何してたか、どんな事があったか、変わった事はあるか等、久しぶりの再会では定番の話をしていれば1日は終わってしまった。


 数日後には、東海地方に新たな“魔法少女”が正式に配属された。彼女は[魔法院]最古参と言える“魔法少女”であり、海外遠征も多くこなしてきた歴戦の“魔法少女”だ。未だに少し話しかけにくい『最強』とは違い、比較的フレンドリーな態度であることも相まって一躍人気者になった。


 そして、しばらく谺が不貞腐れていたのは言うまでもない。だって火狩との時間が取られてしまうもの、私の方がずっと、誰よりもずっと彼女の事が好きなのに。

 でも谺の調子はすこぶる良かった。今後もそれは続くのだろう。



 


 

 

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