SideEpisode -the Past of Ayana-
「ねぇ、彩奈。一緒にアイドルやらない?」
大学に入って以降、穏やかでありながらも無為な日々を過ごしていた大学2年の折、2限を終え学食へと向かっていたところ、新垣に呼び止められる。
彼女の傍らに佇む種田の表情は、破顔一笑という言葉が似つかわしい。
「……え、どうしたの急に」
あまりにも突拍子のない発言に思考が追い付かず、ワンテンポおいて口をついて出たのは、陳腐な返答。
元々鈍臭くて人付き合いも下手な上、家では蝶よ花よと過保護に育てられた結果、今の自分が浮世離れしている自覚は十分にある。
顔立ちと歌唱力は確かに平均よりも秀でていると認識しているものの、ダンス力、トーク力、愛嬌……といった要素を持ち合わせているわけでもなく、新垣が自分を誘う理由は皆目見当がつかない。
「今度学祭があるじゃん。昨日優美と話していたんだけど、去年は何にもしないまま終わっちゃったし、今年は何かやりたいねーって話題になってさ。サークルに入っていない私たちが何かできるとすれば、有志で申し込みができるステージ参加かなって」
新垣の説明で、急にアイドルをやりたいと言い出した理由については合点がいく。
「あぁ、千里ちゃんも優美もアイドル好きだもんね。それをそのまま出し物のネタにしようってことになったのね」
「ご明察!昨日の段階ですっかり二人で盛り上がっちゃって。アレもコレもやりたい……なんて延々語り合ってさ」
種田が鼻息荒くして、揚々と捲し立てる。
「言いたいことは分かったけど、何で私?知ってのとおり、私ってトロいし、そういうのではあんまり貢献できないと思うよ」
「そりゃー、彩奈と一緒にやりたいから?所詮学祭のお遊びだし、より楽しくできる方がいいに決まってんじゃん。ってか、彩奈はビジュアルでも歌の上手さでも超絶戦力だって」
こういうグッとくることをサラッと言いのけるあたりが、新垣が男女問わず人気を博している理由なんだろうな……と、話を聞きながらとりとめのないことを考える。
「……分かったわ。せっかく誘ってもらったし」
逡巡ののち、了承の返事を二人へ打ち返す。
新垣の言葉に絆されたのもそうであるが、根底にあるのは自身が抱く劣等感を拂拭する機会たり得るのでは、との願望。
小学生から中学生にかけての時分に男子からドンくさいと揶揄われ続けて以降、心にはずっととげが刺さったままである。
恋愛に今のところ興味はないが、男性に恋慕の情を抱かせるようになれば、ようやく彼らを上の立場から見下ろすことができるのではないか。
そのために自ら動き始める勇気はなかったが、その契機を外生的に与えられるのであれば、それに乗っからない理由などありはしない。
尤も、新垣たちの軽いノリで始めた活動が、後々自分の身の振り方を大きく左右することになるなど、当時は思いもしなかった。
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あれやこれやと準備を進めるうちに、あっという間に大学祭当日を迎える。
「いやぁ、まさかあんなに盛り上がるとは思わなかったね」
某有名アイドルのコピーを披露したステージは存外盛り上がり、終了後は3人でささやかな祝勝会を敢行する。
会場は大学からは離れた居酒屋であるため、知り合いに余計な話を聞かれる心配もない。
「だよねー。ってか、あやちゃん相変わらず歌うますぎ。観てくれていた人たちがめっちゃ驚いていて、ステージ上なのに変な笑い声でちゃいそうだったよ。ってか、オリジナルの歌唱がそもそもレベル高くないのに、歌唱力で殴りつけるのは非道いよねー」
中ジョッキを早々に2杯空けた種田の口から、歯に衣着せぬ言葉がポンポンと飛び出す。
「ちょっとちょっとー。確かにあのグループの子たちは、みんな歌がちょっと苦手かもしれないけど、優美にそれを言われるとちょっとムカつくわー。私、あの子たちのことめっちゃ推してるんだからね。ま、彩奈が抜群に上手かったっていうのはたしかにその通りだけど」
憎まれ口をたたく新垣も、頬がやや赤らむ程度にはアルコールを摂取しており、相当にご機嫌な様相である。
「ふふん、歌だけは私の唯一の取り柄だから。……でもうれしいわね、こうして二人や観覧者の人たちに褒めてもらえるなんて。こんなノリなら、こういうのを続けてみるなんてのもアリかもしれないわね」
二人の饒舌さにあてられたせいで、ついつい口が軽くなってしまう。
「……ま、とにかく今日のパフォーマンスのMVPは彩奈ってことで。彩奈も楽しんでくれていたみたいだし、たしかに活動を続けていくのもいいかもね。もちろん、あくまで気楽に楽しく、が大前提だけどね」
「そうね、楽しいのが何よりよね。優美はどうなの?」
「私も賛成!なんだかワクワクしてきたね!」
新垣がまくし立てる論弁に、二人して賛同の意を示す。
桃園と呼ぶには幾分お粗末な場所であったが、KYUTE発足が誓われた瞬間であった。
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大学祭を終えて以降、大学内の小ホールやライブハウスを時折借用し、ライブ活動に奮励する。
有名アイドル達のコピーがパフォーマンスの主軸であることには変わりないものの、3人ともやや小慣れてきたこともあり、大半の楽曲においてオリジナルよりも質の高いパフォーマンスを披露できている自負はあった。
観客には大学祭時分からのファンもいれば、彼ら彼女らに布教をされ初めて観に来る人もおり、来訪者は漸次にその数を増していく。
「ねぇねぇ、だんだん来てくれるお客さん増えてきたよねー。といっても、まだまだほとんど身内だけどね。それで思ったんだけど、こうしてコピーをやり続けるだけでいいのかな、私たち」
3人で次のステージに向けての打ち合わせを始めた折、種田がふと呟く。
種田が口にした内容については、新垣、須川の両名ともに感じていたところであり、胸の内に漠然と積みあがっていたモヤモヤを白日の下にさらす。
「だってさ、私の希望でやったっていうのはあるんだけど、” アネモネの花は暁に消えゆく”みたいに、パフォーマンスがどんどんディープな方向に走っちゃっているわけじゃん。このままだと遠くないうちに行き詰まっちゃうよね」
「そうね、優美の言うことは私も思っていたわ」
「私もかな。今回は盛り上がってくれたけど、いつこのパターンが飽きられるのかって思うと油断はできないわね」
3人の意見はまとまっているものの、直ぐに打開策を思いつかず、3人で首を傾げる。
「ねぇ、彩奈、優美。そろそろオリジナルの曲とかやってみない?どう作っていくのかはこれから要相談だけど」
やや間をおいて新垣が打ち出したのは、アイドル活動を行う者であれば自然と至る着想であった。
「まぁ、そういう考えにやっぱり行きつくわよね。何かしら独自性でお客さんを引き付けなきゃいけないっていうのは尤も至極な発想だわ」
「うん、オリジナルいいじゃん!で、制作のあてはあるの?私たち誰も曲とか作れないよね?」
種田の疑問は至極尤もなものであるが、その答えを見つけるのは容易いものではない。
ピアノをかつて習っていた種田でさえ、コード進行のイロハやメロディーメイク、アレンジでの音色選びや楽曲構成の組み立てについては完全なる素人である。
よく小説や漫画では、「自分たちで曲を作ろう」などと言って商業レベルの楽曲をあっさり制作してしまう描写があるが、そんなことはフィクションでしかあり得ない。
衣装でさえも、服飾が得意な知人に頼み込んで既製品を一部加工してもらっている状況であるが、所詮はアマチュアだからこそ許されるような出来栄えである。
「私も今の段階では優美の疑問に持ち合わせる回答はないかな。とりあえず、何かしらの手がかりを探してみるから、二人も何かしらアイディアを考えてくれると嬉しいな」
新垣の一言で、一先ずこの問題は先送りと相成った。
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作戦会議から3日後、新垣から呼び出され、大学構内のカフェテリアへ種田と連れ立って向かう。
自動販売機で紅茶を購入してから辺りを見回すと、やや奥まった席で新垣が一人の女性と談笑しているのが見て取れる。
二人のもとへ近づくと、新垣が私たちに気づき手を大きく振りかぶる横で、羞月閉花という言葉を体現したかのような麗人が会釈をする。
戸惑いつつも座席に着くと、新垣が悪戯めいた笑みを浮かべる。
「はいはい、お疲れー。この前話していたことだけど、この子にヒントを貰おうかなって思ってさ。この子は香坂しずくちゃん。はい、自己紹介よろしく」
端的に説明を終えると、自分の語るべき内容は終わったとばかりに、ジェスチャーで香坂へ発言を促す。
「須川さん、種田さん、初めまして。香坂しずくです。お二人のことは大学祭のステージでしっかり観ていましたよ。すごくレベルが高くて吃驚しました。その後の活動での人気ぶりも含めて、お噂はかねがね」
凛と淀みなく繰り出させる発話は、美しい響きとなって胸に染み入り、返答すべき言葉を紡ぐための思考をストップさせる。
容姿、所作、口調全てが洗練されており、この人と気軽に話をすることが果たして許されるのだろうかという気後れすら感じさせられる。
「初めまして香坂さん。種田優美って言います!ステージ観てくれていたんですね、ありがとうございます!いやー、香坂さんみたいなキレイでカッコいい人に活動を見られていたと思うとなんだか緊張しちゃいますね」
種田の物怖じしない態度での挨拶で若干気分が解れ、改めて真正面から香坂の双眸に向き合う。
「こんにちは香坂さん、お会いできて光栄ですわ。私は須川彩奈と申します。今日はお付き合いいただきありがとうございます。おそらく千里ちゃんが無理やり引っ張ってきたんでしょうけど、ごめんなさいね」
普段から上品に振る舞うよう心掛けているが、この瞬間だけは殊更注意して優雅さを堅持するよう努める。
「仰るとおりで。千里にも困ったものです。何はともあれ、お二人ともよろしくお願いしますね。あ、皆同学年のようですし、敬語とか使わないで大丈夫ですよ。あと、是非しずくと呼んでください」
「はいはーい。改めてよろしくね、しずく。私のことも優美って呼んでね!」
「えぇ、よろしく、優美」
あっさり種田と打ち解け、今度はこちらを見やる。
その瞳は何もかも見透かしているようであり、若干の畏怖を覚える。
「よろしくね、しずく。私のことも彩奈って呼んでくれると嬉しいわ」
「彩奈もよろしくね」
香坂へ微笑むと、彼女も笑みを以て応じる。
顔に張り付いた笑みには一部の隙もなく、彼女の素顔を私たちに見せてくれるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだな、などと取り留めのないことを考える。
「はいはーい、挨拶も終わったところで、そろそろ本題に入ろっか」
挨拶が一段落したタイミングを見計らい、新垣が話を切り出す。
先ほどとは打って変わり、新垣の口調は真面目なものに変わる。
「とりあえず、目下の課題は曲をどうやって作るかだったよね。それに関して、しずくにアイデアがあるみたい」
新垣が香坂へ頷きかける。
「えぇ。実は、私の友達に音大の作曲家コースに通っている子がいてね。カラオケのMIDIの打ち込みもバイトでやっていて、曲作りは手慣れたものかなって。で、その子に制作を打診してみないかっていうのが私の提案。プロに頼むよりも安く上がるし、インディーズ仲間としてお互いいい刺激を与えられると思うんだけどどうかしら」
香坂の提案に3人で顔を見合わせる。
「んー、面白そうな提案だね。とりあえず、まずはその人と話してみたいよね。優美と彩奈はどう?」
新垣の言葉に種田と二人頷く。
種田は目をキラキラさせながら手をパタパタと振り、期待に胸を躍らせている。
「うん、それじゃあしずく、その子に会わせてもらっていい?」
「相分かったわ」
そう返事をするや否や、香坂が手際よく予定のすり合わせを行い、すぐに顔合わせの段取りが整う。
「いやぁ、あんなに容姿も整っていて、フットワークもめっちゃ軽くて、完璧超人っていうのはああいう人のことを指すのかなー。ちーちゃんもリーダーシップあふれるカリスマの塊だし、あんな子が友達な辺り、類は友を呼ぶって言葉って真理だね」
種田が小声で話しかけてくる。
「そうね。香坂さん……しずくにばっかり圧倒されっぱなしだったけど、こうして千里ちゃんと二人で並んでいるのを改めて見てみると、なんであの二人じゃなくて私がアイドル活動なんてしているんだろうって思っちゃうわね」
「うわぁ、あやちゃんがそれ言うと嫌味にしか聞こえないよー。しずくとの最初のやりとり、バチバチに気合入ってて、全然引けを取ってなかったよ」
「あら、急に梯子を外してきたわね。あの時はああでもしないと完全に雰囲気に飲まれそうだったし。ホントに必死だったのよ」
二人してあっけからんと笑い合う。
あの隙が全く見えない香坂とも、こんな風に他愛のない話をすることがあり得るのだろうか……と、頭の片隅ではくだらない思考が渦巻いていた。
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香坂による迅速な調整に加え、それぞれのスケジュールがかみ合ったことが奏功し、香坂との対面から3時間後には、件の作曲家の卵と相見えることとなった。
落ち合う喫茶店にて、彼女が来るまでの間、暫し雑談に興じる。
「ねぇねぇ、しずくってちーちゃんとどこで知り合ったの?」
臆することなくズケズケと質問をする種田に苦笑いしつつも、興味がある内容ではあるため、諌めることはしない。
「普通に語学の授業で一緒になっただけよ。ペアワークの相手が千里になって、そこから関係が続いている感じね」
香坂が新垣と目を合わせ、その瞳に和らげな灯が浮かぶ。
「そうなのね。だったら、今回こんな話を急に持ち掛けられてびっくりしたんじゃない?千里ちゃんって、こんな風に見えて人のこと振り回すタイプだし」
私の問いに、そうね、と香坂が微笑を浮かべる。
「確かに、千里といるとホント退屈する暇もないっていうのはその通りよね。そういう彩奈も実際のところ同じなんじゃない?」
微笑を浮かべる香坂はこちらの全てを見透かしているようにも伺え、やはり食えない人っぽいわね……と心の中で感想を述べる。
「そうね。特に最近はあの子に振り回されてばっかりよね。私はこの活動も流されるまま始めただけだし。でも、そのおかげで楽しい日々を送れているわ」
香坂へ微笑み返すと、そうね、と呟き、彼女との会話が途切れる。
「そうそう、これから会う作曲家の卵の子のこと詳しく教えてよ。そんな知り合いがいるって、私もさっき教えてもらったばかりだし。ってか、2人に話す前に私に相談する機会あったじゃん」
会話が一段落ついたところで、新垣が拗ねたような口調で香坂を問いただす。
「だって、千里に前もって丁寧に話をして、二人に話をするときに変なフォローされたら断りにくくなっちゃうじゃん。ああいう風に話を展開すれば、ちゃんと作曲家の卵ちゃん……香苗っていうんだけど、フラットに話を聞いてもらえるでしょ。そんなわけだし、私からの事前情報の提供はこれ以上はなし。あとは直接本人にいろいろと聞いてみて」
「うわぁ、確かにそうかもだけど、なんか見透かされているようで悔しいなぁ」
新垣が歯噛みする素振りを見せ、香坂が彼女の肩を小突く。
「とにかく、香苗はかなり個性的で面白い子だけど、あの子なりの音楽への向き合い方や哲学はしっかりと聞いてくれると嬉しいかな」
そう告げた途端、喫茶店のドアベルが鳴り響く。
4人が視線を向けた先では、クラシックロリータに身を包んだ小柄な女性が、オドオドした様相で店内を見回していた。
「香苗、こっちよ」
入ってきた彼女に、控えめな声量ながらよく通る声で香坂が呼びかける。
その声を聞いた彼女は、安堵したような表情を浮かべながらトテトテと駆け寄ってくる。
「紹介するわ、こちらが四方田香苗。私の家の隣に住んでいる千住音楽大の学生よ」
四方田が着席するタイミングを見計らい、香坂がアイスブレイクにかかる。
香坂の言葉に合わせ四方田は不安がちに会釈してきたため、ミラーリングをするかの如く3人でお辞儀を返す。
個性的な服を着ているため、四方田の性格も尖っているのかという先入観があったものの、むしろ想像とは真逆の立ち居振る舞いに若干の困惑を抱く。
「で、香苗、こちらにいる3人が以前話したアイドル活動している子たちね。奥から新垣千里さん、種田優美さん、須川彩奈さん。……とりあえず、詳細な自己紹介はそれぞれ自分からしてもらっていい?はい、まずは千里どうぞ」
香坂が新垣へ向かって手をひらひらとさせ、発言を促す。
「初めまして四方田さん。新垣千里っていいます。しずくも含めた4人とも東樫塚女子大生です。で、この3人でアイドル活動をボチボチやっています。よろしくお願いしますね」
以降、それぞれ簡潔に自己紹介をし、今度は四方田の番となる。
「……どうも、四方田香苗です。すみません、初めてお会いする方に話をするのは緊張してしまって……」
か細く掻き消えてしまいそうな声で呟く彼女の背中は丸まっており、個性的な風体とのアンバランスさが際立つ。
「ごめんね。見てのとおり、香苗ってかなりの人見知りなの。とりあえず、さっきチラッと話したとおり、香苗は千住音大に通っていてね。専攻が現代音楽なんだけど、これまた私みたいな素人には難しすぎるジャンルなのよ。香苗、分かりやすく解説をしてもらっていい?」
香坂のあからさまなアシストを受け、四方田がポツポツと説明しはじめるが、自分が熱を入れて学習している分野であるためか、次第に講釈は熱を帯びていく。
滔々と語られること5分、理解できたのは、とにかく前衛的なことにチャレンジする分野であること、そして、凡そアイドルソングのような大衆向けの楽曲とは対極に位置することだけであった。
四方田の方は、好きなことを語ることができ満足したのか、先ほどまでの顫動が嘘であったかのように晴れ晴れとした顔をしている。
「……さて、いい感じに場もあったまってきたところで、本題に入りましょうか」
香坂も頃合いかと判断したのか、曲作りへと話の軸足を移し、空気が一瞬にして引き締まる。
「大きく分けて2つ確認が必要ね。千里たちはどんな曲を作ってほしいのか。そして、香苗はそれに対応できるのか。そして出来上がったものに対して千里たちはどれほどの報酬を払うのか」
香坂によってすり合わせるべき課題が明確化され、長い長い打ち合わせが始まる。
2時間を超える話し合いを経て、両者の条件のすり合わせが終了した頃には、すっかり夜の帳が下りていた。
「いいね、私たちいいタッグになりそうじゃない!」
カフェを出て早々に伸びをする種田は晴れやかな表情をしている。
「そうね、みんなと話をして私もインスピレーションが湧いてきたわ。待っていてね、いい曲を頑張って作るから」
最初はオドオドしていた四方田も、長い打ち合わせの中ですっかり打ち解けた模様である。
「そうね、楽しみにしているわ。改めてよろしくね、四方田さん」
笑顔を向けると、四方田ははにかんだような笑顔で応じる。
「よかった。こうしてみんなを引き合わせたのがいい方向に作用しそうで」
香坂もホッとした表情を浮かべる。
そして、香坂の言葉通り、オリジナル曲も歌い始めた3人のユニットは瞬く間に人気が上昇していき、小規模のライブハウスであれば満員御礼となる程にまでファンが増加した。
「ねぇ、いい加減ユニット名決めようよ。こうして人気も出てきたんだし、いつまでも名無しって締まらないじゃん!」
ライブ活動に熱が入り忙しくも充実した日々を送るさなか、打ち合わせのため5人で集まったファミレスで種田が突如言い出す。
「たしかにユニット名はあった方がいいわね。なんとなしに始まった活動だけど、こうして活動頻度も増えてきた折、皆に親しんでもらうためには必要な要素よね。どんなのがいいかしら」
そう言いつつ、横を見やると香坂、四方田も共に思索にふけっており、キャッチーかつ覚えやすい名称を絞り出そうとしている。
「……あ、こんなのってどうかな。Cuteの単語を捩ってKYUTEっていうの。こうして私たちの人気が出てきたのって、しずくと香苗ちゃんのおかげじゃない?二人のイニシャルのKとYを貰ってKYUTEってね」
新垣がやや恥ずかしそうに発案する。
「うん、それいいと思う!かなちゃんとしずくは、私たちにとって最早なくてはならない存在だもんね」
「私も賛成よ。すごくいいと思う」
二人して諸手を上げて賛成すると、照れているのか、香坂と四方田の両者とも若干頬が紅潮している。
ユニット名も決定し、これからの活動に向けてモチベーションが高まるばかりであった。
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人気が上昇するにつれて、活動に割く時間も増加の一路をたどる。
KYUTEでの活動が親に露顕するのは極めて当然の帰結であった。
「おい、彩奈。どうも最近、お前はアイドルの真似事に現を抜かしているようだな」
ダンスの練習を終え帰宅して早々、父が低い声で私に叱責の声をあげる。
「そうだけど、真似事って何?私は真剣にやってるんだけど」
厳格な父に歯向かう経験は僅少であったが、この時ばかりはあまりの物言いに苛立ちを覚え、思わず反駁してしまう。
「なんだその態度は。お前に声楽とかを習わせていたのは、こんな下らない自己顕示欲を満たさせるためじゃないんだぞ?お前の今の本分は学業であって、他人に媚びを売ることじゃない」
父の言葉の刃物が私の心に無数の切り傷をつけ、内臓が抉られるような鈍痛が体を駆け巡る。
「ふざけないでよ。勉強は今でも疎かにしていないし、活動は真剣にやってるの。お父さんだって私の気持ちをろくに知らないくせに、何でも決めつけた物言いをしないでよ」
ダイニングテーブルに手を力任せに叩きつけると、父は呆気に取られた様相で私を見つめている。
一方、母もその場にはいるものの、相も変わらず私には無関心なようで、私たちの口論は意にも介さず、ソファで雑誌を読みふけっている。
そんな両親に嫌気がさし、勢いのまま家を飛び出す。
ヒリヒリする手を握りしめながら向かうは叔母である山本加奈の家。
厳格な父、私に無関心な母に嫌気がさしたときは、いつも彼女の家に駆けこんでいた。
あの父の妹とは思えない程に奔放な彼女は、自分が肩の力を抜いて接することが出来る唯一の親戚であった。
彼女の家に駆けこみ経緯を話すと、とうとう彩奈も爆発しちゃったか、と笑いながら私を受け入れてくれる。
「いいわ、とりあえず家には連絡しておくから。気持ちが落ち着くまでウチにいなさいな。なんなら、しばらくこっちに住んでもいいわよ」
彼女の度量の大きさに感謝しつつ、明日以降、自分はどうするべきかをひたすら考えていた。
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叔母の家に宿泊し、翌日はそのままKYUTEの打ち合わせへと向かう。
打ち合わせ場所である大学のカフェテリアに到着すると、既に香坂と四方田の2名は机にPCや書類を広げ話し込んでいた。
「おはようございます。お二人とも随分と早くにいらっしゃったのですね」
声をかけると、ちょっと歌詞について打ち合わせていてね、と香坂が首をすくめる。
私が席に着いて程なく、私に顔を近づけジッと覗き込んでくる。
「それより、彩奈……。ちょっと疲れた顔しているんじゃない?」
香坂の言葉に、隣の四方田もコクコクと頷く素振りを見せる。
「そう見えるかしら。私って結構顔に出やすいタイプなのね。心配かけてごめんなさいね」
「目元もちょっと腫れているみたいだし、何かあったの?言いにくい内容なら別に構わないけど」
アイシングやコンシーラーなどで隠したつもりであったが、やはり同性にはあっさりと見抜かれるものらしい。
遅かれ早かれメンバーには相談しなければならない内容であるため、経緯をかいつまんで説明すると、香坂はやや驚いた反応を見せる。
「ふーん、そんなことがあったのね。でも、正直意外だったわ。彩奈が親御さんと口論するほどにKYUTEに思い入れがあったなんて」
香坂の言葉に思わずハッとする。
「そうね。私も自覚していなかったけど、おそらく皆の想像以上に、私はKYUTEのことを大事に思っているのかも」
「確かに、あなたにとってKYUTEは自分の存在価値を高めてくれる場所だものね」
その意味をすぐに咀嚼できず軽く首をかしげると、香坂は言葉を続ける。
「私はまだ彩奈とは付き合いが浅いけど、その私ですら分かる程にあなたって自己肯定感が低いわよね。そんな容姿をしていながら不思議でしょうがないけど。まぁ、KYUTEにいることがレーゾンデートル足り得るのであれば、それにこしたことはないわよね」
そう口にする香坂の表情からは、彼女が何を考えているのかは伺い知れない。
一方で、自分が漠然と抱いていたKYUTEへの思いを的確に言語化され、その内容がストンと腹落ちする。
(そういうことだったのね。私がこうしてKYUTEに執着するのは、自分の存在価値を見出せるから。理由がこうしてハッキリすると、我ながら随分と情けないものね)
そう思いつつも、香坂の言葉を素直に認める姿勢を見せることは己のプライドが邪魔をする。
「ありがとう、しずく。とりあえず自分が何をしたいのかは見えてきたわ。望み薄ではあるけど、父ともう一度話してみるわ」
そう微笑みかけると、香坂は何やら考え込む素振りを見せる。
「ねぇ。お父さんへの説得、私にも協力させてもらえないかしら」
香坂が突如繰り出した提案は、私が想像だにしない内容。
「協力ってどういうことなん?」
突飛な申し出に、思わず口調が崩れる。
「そのまんまの意味よ。彩奈の現況にいろいろと思うところがあってね。……って、変に勘繰らなくても大丈夫よ。とにかく、一歩引いた立ち位置でありながら味方でもあるって、中々に魅力的なポジションだと思うけど?」
香坂の真意を測りかね彼女の顔をジッと見つめるも、その表情からは何も読み取ることはできない。
「……そうね。私だけで交渉しても冷静に話し合いなんてできそうにないし、協力してくれるとすごく助かるわ」
そう告げると、香坂が穏やかに笑みを浮かべる。
彼女の思考ロジックは自分の想像が及ばないところではあるが、少なくともその表情から自分に不利益をもたらす提案ではないことは見て取れる。
「そうと決まればなるべく早めに行動しましょうか。お父様は今家にいらっしゃるの?」
「土曜は基本的に家にいると思うわ。……って、まさか今から?」
香坂は不敵な笑みを浮かべる。
「こういうのは引っ張ってもしょうがないでしょ。で、彩奈はどこまで戦う覚悟はあるの?養ってもらっている身だし、大学を辞めさせられないレベルが限度かなとは思うけど。尤も、もっとバチバチに火花を散らすことも出来るわ」
「私が求めるのはしずくの言ったとおりの内容よ。KYUTEでの活動継続と大学の卒業。えぇ、自分でもわかっているわ。私が結局親の脛を齧ることはやめられない甘ちゃんだってことは」
自嘲気味に笑うと、香坂は面白くもない冗談を聞かされたような表情を見せる。
「まぁ、インディーズなんてそんなものでしょ。むしろ、今の段階でアイドル活動一本に注力するとか言われたらドン引きしちゃうわよ」
香坂の軽口に、至極ご尤もだと苦笑いする。
「彩奈の気持ちは分かったわ。とりあえず、彩奈はお父さんに自分の気持ちを正直に伝える感じで攻めていくのがいいかも。ただし、努めて冷静に。当然言い返されると思うけど私がフォローに回るわ。私、屁理屈勝負だけは負けるつもりはないから安心してて」
淀みなく方向性を示す香坂は頼もしくあるものの、彼女が私のために尽くしてくれる理由が全く思い当たらず、若干不気味にも感ぜられる。
「というわけで、今から私たちは彩奈の家にカチコミに行くから。他のみんなには適当に説明しておいて、香苗」
香坂のおざなりな依頼に、四方田が困り果てた顔を見せる。
そんな四方田の表情など意にも介さず、香坂は問答無用でその役割を押し付け、私の手を引っ張ってカフェテリアを飛び出す。
「よかったの?四方田さん困ってたみたいだけど」
勢いのまま家へと向かう道すがら、四方田を引き合いにしつつ香坂の拙速ぶりに言及すると、彼女は遠くを見つめるような目つきで乾いた笑いを発する。
「さっきも言ったけど、こういうのは時間が経つほど拗れてしまうものなのよ。そして、一旦拗れてしまったらそれを修復するのはすごく難しいの。まぁ、かの孫子も巧遅拙速を尊んでいるし、勢いって大事だわ」
含みのある言いまわしに、香坂へ返す言葉が思いつかない。
香坂も私の戸惑いを知ってか知らでか、内容を深掘りすることはなかった。
気を紛らせるためにとりとめのない話をしているうちに、家へとたどり着く。
予想通り父は在宅しており、香坂を簡単に紹介したところで、KYUTEを辞めたくない旨を申し伝える。
「お前は話を聞いていなかったのか?そんなの決して認めるわけがないだろう」
案の定父は猛反発し、結局は昨晩の応酬の再演となってしまう。
感情的にまくしたてた昨晩とは対照的に、努めて冷静かつ真摯に話をしたつもりであったが、その思いは全く伝わらず、今は寧ろ虚しさばかりがこみ上げてくる。
「しずくのお父様、ちょっとよろしいでしょうか」
意気消沈し挫けかけた折、香坂が話に割って入る。
改めて自己紹介をし、そのうえで、自身がKYUTEからは離れた立ち位置にいることも併せて伝える。
感情論で話をするつもりがないというニュアンスが伝わったのか、父の眉間に集まっていた皺が若干和らぐ。
「それで、先ほどのやり取りを見てふと思ったのですが、しずく達の活動って高々お遊びの延長線上にあるものですよね。大学生の本分たる勉強もきちんと熟しているのに、それでも活動を反対される理由は何でしょうか」
香坂の問いかけに父は押し黙る。
「正直なところ、彩奈も頭ごなしに否定されていると思っているからこそ、ここまで反発しているんだと思います。どうしてダメなのか、筋道立ててご説明いただければ彩奈も納得するのではないでしょうか」
なおも言葉を畳み掛け、父が私の活動を否定することに論理的な説明を求めていく。
語り口こそ父サイドへ立っているが、それがさらに厭らしさを煽っている。
「そんなの、アイドルみたいな活動はチャラチャラしているからに決まっているだろうが。枕営業とかが平気で横行するような世界に身を置くなんて、須川家の沽券にかかわるだろう」
ようやく父から繰り出されたのは、思い込みと偏見に満ちた物言いで論理性の欠片もない。
その内容に、私は思わず冷笑を口から零してしまう。
「……なるほど。彩奈たちの実際の活動内容と、お父様の認識でかなりズレがあるように思われます」
なおもフラットに言葉を打ち返す香坂がいてくれることに、頼もしさと感謝の念を抱かざるを得ない。
おそらく自分だけではあっという間に堪忍袋の緒が切れていたであろう。
香坂もそれが分かっているのか、自分に発言させる間もなく言葉を畳みかける。
「どちらかと言えば、あの子たちは部活動のノリでアイドルをやっています。アイドルということもあってへそ出し程度はしていますが、重きを置いているのは歌やダンスなので、テイストとしては軽音楽やチアリーディングの方が近いかもしれません」
「しかしだな……」
「それに、繰り返しになりますが、この活動は遊びの延長線上で行われています。人気や売り上げを求めていないので、いかがわしいことをするインセンティブがそもそも存在しえないんですよ」
「……」
父は言い返すことなく、むっつりと黙り込んでいる。
「そうだ、お父様も彼女たちの活動を一度ご覧になっては如何でしょう。ね、彩奈。やましいことなんて何にもないし見られても大丈夫でしょ?」
如何にもわざとらしい口ぶりで香坂が私に問いかけてきたため、つい頷きを返してしまう。
完全に言い負かすのではなく、活動状況を実地調査させるところに落としどころを見出すあたり、やはり香坂には敵いそうもない。
そして永遠とも思われる静寂が過ぎ、やがて、勝手にしろ、との台詞を口にしながら父が居間から立ち去る。
「あれ、意外とあっさり方がついたわね」
拍子抜けしたかのように香坂は肩をすくめる。
「……ありがとう、しずく」
香坂の言葉で現実をようやく認識でき、思わず彼女の手を握りしめる。
「全然大したことしていないわよ。なんだか拍子抜けしちゃったわ」
「そうは言っても私にはできないことよ。ねぇ、どうしてここまで私に肩入れしてくれたの?」
問題も片付いたため、当初からの疑念を香坂へとぶつける。
「……ちょっとした罪悪感からかしらね。実のところ、私は彩奈のことを流されるままに動くばかりで、自分の意志で立ち上がるなんてことはしないタイプだって勝手に認識していたの」
香坂の指摘は正鵠を得ており、決まりの悪い顔をしてしまう。
「そして、私はそんな風に見えていたあなたが正直好きではなかったわ。でも、あなたはこのアイドル活動に価値を見出して、親に反対されてもKYUTEに居続けるべく闘った。勝手に誤解してあなたに悪印象を抱いていたにもかかわらず、その間違いに気づくとその罪悪感を薄めるためにこうして出しゃばった……。本当に自分本位の理由よ。……そう、本当に私は自分勝手な人間なのよ」
最後の含みを持たせた言い回しは、彼女が触れてほしくてそうしたのか判別できず、そのまま聞き流すほかに選択肢はなかった。
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