第4話 レコーディング
「おはようございます」
最初の顔合わせから3日目の昼過ぎ、眠気をこらえつつ戸松はレコーディングスタジオへ入る。
夜を徹し朝方までラフアレンジの作成に取り組み、その後小一時間の仮眠しか取れなかった戸松の体は悲鳴を上げていた。
「おう、おはようさん。ラフアレンジをレコーディング前に作ってくれてありがとうね。何とか完成形をイメージしつつ歌入れできそうだよ」
先行して入室していた田中も疲れた表情で応じる。
「いえ、結局2番からラスサビにかけては丸々1コーラス目のコピペになっちゃいましたし、アレンジはこれからが佳境ですね。とりあえず、今回は作編曲作業に集中させてもらって助かりました。作詞や仮歌まわりも全部お任せしちゃってすみません」
「いやはや、現場を知らない人間が上に立つって本当に厄介だよなぁ。こちらこそ苦労をかけたね」
「自分もこんなハードなスケジュールは初めてですよ。あと、メロディやBPMを完全フィックスしてのアプローチなんていうのも初めての経験でしたし。いい経験にはなりましたけど、こんなのは最初で最後にしてほしいですよね」
二人して苦笑いをする。
「レコーディングで初めて歌詞を見る音楽プロデューサーっていうのも変な話ですけど、どんな仕上がりになっているんですか」
「あぁ、なかなかいい感じに仕上がったよ。実は香坂ちゃん……この前最後に挨拶していたクール系の子ね。彼女が作詞にチャレンジしてみたいって言ってね。彼女は経験もあるし、話題性も考えて起用してみたんだ。あ、もちろんタイトスケジュールだったこともあって、実績ある作詞家のサポートをつけようっていうことで、惟子ちゃんにも参加してもらったんだけどね」
途端、戸松の眠気が霧散し、毛穴から汗が吹き出る。
「……そうなんですね。歌詞を見たいんですけどいいですか?」
「はいよ、惟子ちゃんも筋がいいって褒めていた程ぐらい、彼女、作詞の才能あるかもね」
歌詞が印刷された紙を受け取ると、戸松の目に飛び込んできたのは”いつもの公園で告げた別れの言葉”や”君はあの二人の時間をなかったことにするのね”といったワードであった。
途端、当時の情景がフラッシュバックし、同時にこの詩が戸松への意趣返しであることを察知する。
(事情が事情とはいえ、二人の思い出が結果として作詞のネタになってしまった上、先日の対応も合わさると、こうなっても仕方ないよなあ……)
読んだ瞬間は動揺してしまったものの、香坂の行為を憎からず思ってしまう。
彼女がこうしてアンサーソングたりうる歌詞を書いてくるということは、どのような感情であれ、戸松を意識しているということに他ならないのだから。
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「おはようございます」
程なくして、KYUTEの面々がスタジオに入室する。
香坂は戸松へチラリと視線を向け、目が合うと勝気な微笑みを寄越す。
戸松は手を挙げて応じるにとどめ、レコーディング準備を再開する。
レコーディングエンジニアとのブリーフィングを終え、一息ついたところで種田と須川が駆け寄ってくる。
「どもー、戸松さん。今日はよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしくお願いします。ラフアレンジがぎりぎりになっちゃって申し訳ないです。問題なく歌えそうですか?」
「仮歌を何回も聞き込んだので大丈夫です。戸松さんが一晩でメロを作り上げたのもすごいですけど、しずく達もすぐに歌詞を仕上げてくれて、仮歌のデータは早い段階でいただけました。流石にちゃんとしたアレンジがついたバージョンを受け取ったのは2~3時間前ですけど、レコーディングには支障はないと思います。仮歌データを頂いた後、みんなでカラオケ行って練習とかもしましたし」
須川が今日に至るまでの経緯も含め詳しく解説してくれたことで、戸松もホッとする。
(今回のレコーディングでの一番の懸念材料は、メロディや歌詞を十分にインプットする余裕がなかったことだった。スムーズに歌うことさえできれば、AutoTuneとかでいくらでも音程修正はできるし、滞りなく今日の作業は進められそうだ)
思案しつつ、レコーディングに向けての準備を再開する。
「ありがとうございます。状況は大体分かりました。では時間もあまりないので、そろそろレコーディング作業に入りましょう。まずは新垣さんから行うので、彼女を呼んでもらっていいですか?」
「了解です!」
種田が威勢よく新垣の元へと向かう。
「騒がしくてごめんなさいね。優美は戸松さんをすごく尊敬していて、あなたの役に立ちたいと最近前のめりになっているの。迷惑をおかけしない限りは大目に見てくださるとうれしいです」
須川の言葉に思わず苦笑いをしてしまうが、自分を慕ってくれる妹分のような存在ができたことに悪い気がしなかった。
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「では新垣さん、まずはあなたからレコーディングを行います。念のため確認ですが、メロディや歌詞はもう覚えているということで間違いないでしょうか。大丈夫ならこのままディレクションに入っちゃいます」
「大丈夫です」
涼しげな顔で新垣が返答したため、ブレスの位置や強弱等、新垣に求める歌唱の方向性を一通り説明する。
「こちらから本番前に話すことは以上ですが、何か質問ありますか。特になければブースへ向かってください」
説明の中で新垣は顔色一つ変えなかったことから、特段不安もなさそうだと判断し、形だけの確認をとってレコーディング開始を促す。
「では1点だけ戸松さんにお聞きしたいことがあります。私の歌入れに直接関係するものではないので、後で休憩の時にでもお時間をいただいていいですか?」
「分かりました。全員の歌入れが一通り終わった後、エンジニアさんがチェック用に歌唱データをミックスしてくれることになっているから、その作業中なら」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」
新垣は優雅に一礼し、ブースへと入る。
質問の内容が全く想定できず大いに気になるところではあるものの、レコーディングに集中すべく意識を無理やり切り替える。
マイクに向かい彼女が歌い始めると、その芯の通った歌声に戸松は思わず感服する。
トークボックスを通じて修正指示を出しても即座に合わせてくるため、作業は淡々と進んでいく。
的確に自らの仕事を熟していくその姿は、職人かと見紛う様相である。
「いやあ、さすがの表現力ですね。この歌唱力に加えてあのビジュアルなら、センターというのも納得ですね」
トップバッターのレコーディングがすんなりと終了したところで、エンジニアも感嘆の声をあげる。
戸松も水を渡すべく、ブースから出てきた新垣へ歩み寄る。
「お疲れさまでした。いい感じに歌ってくださったおかげで円滑に録音を終えることができました。すいませんが、次は須川さんに歌入れしてもらうので、呼んできてもらっていいですか?」
「分かりました。では、また後程」
新垣が退室して程なく、須川が入室する。
「よろしくお願いしまーす。なんか千里ちゃんピリピリしてましたけど、結構レコーディングは厳しめな感じなんですか?お手柔らかにお願いしまーす」
新垣の録音ではリテイクもほとんどなく、万事順調に終えられたものと認識していたため、須川の言葉に面食らってしまう。
「いえいえ、新垣さんの歌唱は流石というべき内容だったので、リテイクも少なく順調に録ることができましたよ。須川さんもそんなに構えないでください」
戸松は慌てて取り繕う。
序盤の応酬で不安を覚えたものの、実際のところ、新垣よりも少ない時間で収録は滞りなく終了した。
須川の歌唱力はやはりメンバー内では突出しており、リテイクもほぼ行う必要がなかったのであった。
「いやー、何とか無事にレコーディングができてよかったです」
笑みを浮かべつつ、全く動じない様子で須川は感想を述べる。
その後、香坂と種田のレコーディングを実施したが、特段の波乱なく作業を終えられたことに驚きの念を抱く。
香坂の歌唱力については問題ないものの、ブリーフィングで一波乱あるかと身構えていたが、ディレクションに対して
「分かりました」
と素直に返答するだけであり、拍子抜けしてしまった。
種田は歌唱力に不安要素があったものの、時間がない状況でも懸命に事前練習をしていたようで、10テイクほどで必要なボーカルデータを採取することができた。
「あー、ようやく一段落したな。このまま終わりになってくれればいいんだがな」
共にレコーディングに立ち会っていた田中が溢す。
4人の歌入れが終了し、現在はエンジニアがボーカルデータを仮ミックスしている。
いくら個別での歌唱において問題がなかったとはいえ、声が合わさると汚い響きになる可能性があるため、ミックスデータのチェックは不可欠である。
(そういえば、新垣さんが何か聞きたいって言っていたな……。今後のKYUTEの方針に関する相談とかかな)
コントロールルームを出て休憩スペースに向かうと、4人が何やら会話をしている。
近づくのもためらわれ、やや離れた位置から新垣に呼びかける。
「すみません新垣さん、遅くなりました。先ほどお聞きになりたいことがあると仰っていましたが、今なら大丈夫ですよ」
「分かりました。では、少し外にでも出ませんか」
他のメンバーに聞かれたくない話のようで、それを察知した他のメンバーも不思議そうに戸松と新垣の両者を見比べる。
「分かりました。そんなに長く時間が取れるわけでもないので、すぐ行きましょう」
他メンバーからの視線に居心地の悪さを感じ、早々に退散する。
「すみません。内密な話と気づかず、あの場で話しかけてしまって」
「いえ、あまり聞かれたくない話だというのを私が伝えていなかったので……」
指をクルクルと弄び逡巡するあたり、よほど話しづらい内容なのかと戸松は訝しむ。
「とりあえず、あんまり長く席を外していても、他のメンバーのみなさんから変に思われるでしょうし、どういった内容かお聞きしていいでしょうか」
「……分かりました。では、単刀直入に。しずく……香坂しずくと戸松さんの間には何かあるんですか?」
「……どうしてそう思ったんですか?」
戸松の反応と返答内容に、これは何かあるな、と新垣は確信する。
「しずくと優美はもともと戸松さんの曲が好きだったんですけど、実際に戸松さんと会ってからしずくの様子がおかしいんですよね。優美も大概おかしなテンションですけど、あれは単なるファンとしての興奮ということで納得できます」
戸松が固く口を結ぶが、意に介さず新垣が言葉を続ける。
「ただ、しずくは元々冷静で地に足がついたタイプのはずなんですけど、今回の無茶なスケジュールで私たちに黙って作詞をしたり、練習も前のめりになったりして、様子が今までとかなり違うんですよね。あと、最初の顔合わせの時に廊下で二人で話し込んでいる姿が見えたので、以前からのお知り合いなのかなと」
新垣の指摘に、戸松は狼狽する。
「……鋭いですね。実は香坂さんとは中学時代の同級生なんですよ。香坂さんがアイドルをやっていて、しかもこんな形で再会するとは思わなかったんで、私も吃驚しています。私も中学での彼女しかよく知りませんし、そこまで深い付き合いがあったわけでもないので、様子が違う理由は残念ながら分かりません」
一息にまくし立てた後、後半部分は余計だったなと自省する。
「そうなんですね。一先ずは了解しました。話せることが増えたらまた教えてください。とりあえず連絡先を交換してもいいですか?」
(新垣さん、明らかに自分の話を信じていないよなあ……。連絡先交換するのは抵抗あるけど、拒否したら余計疑われるし、今後一緒に仕事をする上で支障も出るし、仕方ないか)
逡巡したのち、メッセージアプリで友達登録をしスタジオへ戻る。
「おーい、とまっちゃん。ボーカル仕上がったし確認に行くぞ」
二人で休憩スペースへ戻る道すがら、コントロールルームから出てきた田中が声をかけてくる。
「分かりました」
「なになに?もう新垣ちゃんと二人きりで話す仲になったの」
「いえ、ちょっと雑談していただけですよ」
「そう。とまっちゃんは問題を起こすような人でないのは分かっているけど、彼女たちの商品としての性質上、あらぬ誤解を受けるリスクが少なからずあることは意識してね」
いつになく真剣な表情で忠告するあたり、やはり過去のプロジェクト崩壊は田中の中で尾を引いているのだろうと戸松は思案する。
コントロールルームにて歌唱データに問題がないことを確認したのち、メンバーやスタッフのバラしが行われ、スタジオ内の空気も幾分緩やかなものへと変わる。
「とまっちゃん、一先ずお疲れさん。このあともアレンジ作業で忙しいとは思うけどよろしく頼みますわ」
田中も各種調整で忙しいようで、疲れた表情をしている。
「いやあ、レコーディングでゴッソリ体力持ってかれましたけど、この後も頑張んないとですね」
「すまんね。とりあえず腹も減ったし、飯でも食べに行かないか?今回はいろいろ迷惑かけちゃっているし、おごるぞ」
「いいですね、では、ゴチになります」
田中の誘いに嬉々として応じたところ、思わぬ横やりが入る。
「あっ、田中さんと戸松さんご飯行くんですか?」
種田の声が廊下に木霊する。
「せっかくなんで、私たちもご一緒していいですか」
そう告げる種田のそばにはKYUTEのメンバーが勢ぞろいしていた。
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