風 ~アリカナージ・ヘリクスク~

 ……退屈。


 学ぶことが楽しくないわけではない。

 しかしここでの座学の多くは、既に実家で家庭教師から学んだこと。

 講義の多くはそれに知識の補足をしたり、自分なりの考えを付け足したりするくらい。

 真新しいことは多くは無かった。


 切磋琢磨するはずの学友達の多くは家格に囚われ、学の修得ではなく社交界と同じ醜い権力争いに御執心。

 身分の高い貴族の子弟が派閥を作り、それを持ち上げ自分もあやかろうとする者達が囲う。

 そして学院の中でどちらが上かを主張しあい、対立し、いがみ合う。

 身分を問わず開かれている学の門という王立研究院付属学院の謳い文句は、彼らの心にはただの文字の羅列でしかないのでしょう。


 当事者たちは制止も聞かず、禁じられている魔法を使い、私闘でどちらも痛い目を見る。

 派閥の長たる者は、それを高みの見物。

 自らの名を正義に置き換え、その正義を翳して傷つく者を愉悦に浸った目で見降ろす。

 上が上なら下も下だ。

 私から見ればどちらもただの醜いケダモノ。


 大貴族の子弟に強く言う者は少ない。

 言って処分しても、親からの圧力で揉み消される。

 下手を打てば自分の経歴に瑕がつくことになる。

 それもあって見て見ぬふりをする者も多い。


 でも、そんな中であっても、問答無用で鉄槌を下す勇ある者も稀にいる。

 だが、派閥争いをするバカ共にも学ぶ脳はあるようだった。

 そうした者が前に立つ時は大人しい。

 そうでない者の前でだけ威勢を張るのだ。

 なんて薄汚い性根なんでしょう。

 そんなのと行き先が同じだと考えるだけで、また一つ溜息が漏れる。

 下らない人間関係を冷めた目で、遠巻きに眺める時間が続く。

 恐らく、この先も。


 学びの徒である学院で甘い汁など何を考えているのか、とは思わない。

 卒業する貴族達の多くはそのまま王国の重要職に就くからだ。

 軍閥の貴族なら士官、そうでなくても法衣貴族として文官や外交官、魔術の才があれば宮殿魔術師や魔術研究師といった具合に。


 下に付く者達もそれを知っている。

 だから必死なのだ。

 親密になれればそれだけ自分の立場も上になる。

 取り立ててもらえる。

 それはすなわち、将来への約束。

 汚職と権力、そして我欲にまみれた偽りの栄光。


 国外から来た少数の留学生でさえ、母国と王国に軋轢を生むことを恐れて派閥に参加する。

 学や才能、忠義ではなく、無能と虚栄とで王国を染めようという連中。

 別にこの国に思い入れなどありはしないが、それでも吐き気を催すほどの嫌悪を感じる。


 そんな連中が今日もまた、耳障りな声を上げる。

 そこが私の居場所。

 王立研究院付属学院、士官養成学部、竜騎士養成科、上級クラス。

 今日何度目かもわからない溜息が肺から押し出された。


 私のように無関心を装っていても、いらぬ波は押し寄せる。

 長たる者は他者より少しでも優位であろうと、下僕を増やすために言い寄ってくる。

 自分にかしずけ。

 そうすれば甘い汁を吸わせてやる、と。

 今日もまた……。


「これはこれは、今日も深窓の令嬢ですか? 貴殿もお父上のことで大変なのでしょう? 今後のことを考えれば社交も必要だと思いませんか?」


「……」


 バカが懲りずに私に声をかける。

 父が将軍補佐の任を解かれると連絡があったのは数日前。

 コイツの言うことは事実だが、正直私にはどうでもよかった。

 元々親の威光を笠に着るつもりも、親族の特権を利用して軍上層部に招待される気も更々無い。


 私は私を見てほしい。

 誰かの影という存在価値しかない人間になるなら、名前を捨てた方がましとさえ思える。

 私はいつも通り視線を動かすこともなく、机に頬杖をついたままそよ風が窓を揺らした音のように無視を決め込む。


「……チッ。後悔するのはそちらだと思いますがね」


「……」


 無視されたバカもいつも通り、舌打ちを一つ残して自分の席へ戻っていく。

 あのバカもそれなりの家格を持つ派閥の長だ。

 本来であればこうした態度を取ると報復が待っているのだろう。

 しかし、私に嫌がらせの類は、一切ない。

 ヘリクスク侯爵家三女。

 それが私の名の前につく肩書。


 家格に囚われることを嫌ってはいるが、この時ばかりは有難く思う。

 余計な虫が寄り付いたり、厄介事がやってくることを防いでくれるからだ。

 ……まあ、やってきたらやってきたで自分の力でどうにかするのも悪くはないと思っている。

 退屈しのぎにはなるのだから。


 一度やったことをなぞるだけの講義が終わり、演習のために訓練場に移動する。

 座学と違い、演習や実技は学べることが多くて好き。

 そして何よりも、心許せる友と互いに高め合える喜びがある。

 退屈だった気分が上向くが、追い抜いていく喧騒がせっかくの気持ちを台無しにした。

 こんな時でさえバカな連中は取り巻きを引き連れて、どちらがより多くの人間を従えているかを競っている。


 昼前の訓練は騎竜訓練。

 私は竜騎士を目指している。

 何者にも縛られず、ただあるがままの私を評価し、対等に向き合ってくれる存在。

 飛竜。


 私は幼少のころから、飛竜に憧れを抱いていた。

 父に連れられて見に行った竜騎士の訓練。

 恐怖の象徴とも言うべき飛竜と、人が対等に向き合っているのだ。

 幼いながらに衝撃を受けたのを、今も覚えている。

 飛竜には人間の全てが関係ない。

 ただ己と対等足り得る存在かだけを見るという。


 飛竜は、私を私として見てくれる。

 全てのしがらみを取り去った、ありのままの私を。

 国家ですら危機を抱く強大な存在でありながら、私という個をぶつけあえる相手。

 人間にはいなかった、私の望んだ友。

 そんな友と生きていきたいと思ったのだ。


「全員、集合! 飛竜は落ち着かせ、隣へ!」


 広大な訓練場で、号令がかかる。

 私の友、飛竜ラカスも、今日はどこか落ち着かない様子だった。

 手綱をゆっくりと引き、私の隣に座らせる。

 周囲を見ると、やはり竜が落ち着かない様子の者達が多い。

 何とか座らせようと四苦八苦している者もいる。


 まだ幼いラカスだが、大きさは軽く私の三倍以上。

 しっかりと指示をしてやらねば、私が危険となる。

 訓練は緊張が続くが、とても楽しかった。

 私が私のままでいられるのだから。


「聞け! 今日から編入する者が来ている。ここで皆に紹介することになっている」


 数人いる騎士団から派遣されている教官が、よく通る声で告げる。

 編入? ここに?

 基本的にこの竜騎士養成科には編入という制度は存在していない。

 どんな者も、必ず過程の一番最初から学ぶことになっている。

 教官はこちらの反応をよそに続ける。


「アラミルド主任教官が間もなく連れてくる。暫くそのまま待つように」


 竜騎士養成科の主任教官、アラミルド先生。

 熟練の竜騎士であり、万一の時には私達の飛竜を鎮める役を国王から仰せつかっているという。

 実際に暴走した飛竜を、アラミルド教官は幾度となく止めてきた。


 それはアラミルド教官の相棒、ダナの威厳があればこそ。

 成体の飛竜の実力は、幼竜とは比べ物にならない。

 幼い竜たちも、ダナに逆らう愚を理解しているようで、よほどのことが無ければダナを見るだけで落ち着きを取り戻す。

 そんな飛竜と心を通わせ、手足のように操れるのがアラミルド・バーノス。

 一般教官を見下し、派閥にうるさいバカどもですら、一目置いている。


 教官が言ったように、アラミルド教官はすぐに現れた。

 初めて見る少女と、少し変わった飛竜を連れて。

 全員の注目が教官と少女、そして新しい飛竜に集まった。


 見た目からして貴族ではない。

 服装も立ち振る舞いもおよそ貴人のものとは違った。

 様子からして普通の市民や村民なのではないだろうか。

 だが、彼女は一切飛竜を恐れていないように見えた。


 私達の幼竜はもちろん、自らのすぐ隣にいる飛竜にも。

 普通、例え自分の相棒だったとしても、完全に恐怖心を拭い去り、心許せる存在に昇華するまでには長い時間がかかる。

 それ程飛竜という存在は、人間にとって畏怖の対象なのだ。

 ラカスを友として信頼する私だって、完全に危機意識を無くしているわけではない。

 もしかしたら何かの拍子にラカスが暴走する事だってないわけではない。


 アラミルド教官とダナほどの関係とまでは言えないが、学生の中では一番と言っていいくらいの信頼関係をラカスと築いた私でさえそれなのだ。

 そんな私から見るあの少女とやや黒い鱗の飛竜の距離感は……私とラカス以上に近く感じた。

 確信があるわけでもないし、彼女と飛竜のことを知りもしないけど……ただ、私の中にある何かが、〝羨ましい〟と訴えている気がする。


 私は少しだけ興味が湧いた。

 級友にうんざりしてばかりだった私の学院生活に、新たな風が吹き込んだのかもしれない。

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