放たれた矢 ~セリス・ヴェルタ・アガウール~
未だクロ様の放った竜語魔法の余韻が瞼に残ります。
黒という黒を全て凝縮したかのような、漆黒の巨体から放たれた眩い光。
破壊の権化とも言うべき力の本流であるはずなのに、神々しささえ覚える一瞬の
「(王女様。まだ終わってないよ。戻ってきて)」
それに我を忘れていると、ヴェルタ最高峰の戦士を一蹴したクロ様が、先程までと変わらぬ落ち着いた声で私を現実に引き戻しました。
クロ様は傷付いた幻獣ライカ様の治療を終え、こちらに歩いてくるところでした。
「え!? あ、えっと、す、すみません……」
すぐさま現状を確認し、やってきた近衛隊の方々に指示を出します。
今は私が全ての責を預かる者……クロ様の言う通り、気を抜いている暇はありません。
近衛隊の方々が手際よく捕縛を進める中、私は険しい表情のまま、椅子に腰掛けて背筋を伸ばす宰相ドゥネイル卿の元に歩を進めます。
その後に続き、クロ様とアンナさんが進みます。
正直、心強かった。私の双肩にかかる責任が、少し和らいだ気がします。
ついさっき話していた時と同じ、堂々とした威厳を纏う老人と静かに向かい合いました。
「……これまでです。ドゥネイル卿」
「……そのようですな。見事……と、申しておきましょうか……まさか、契約者を従えて舞い戻るとは……運命を司ると言われる精霊は、殿下に微笑んだようだ」
「……それは違います。卿の言う通り、奇蹟的な出会いがあったのは事実ですが、運が良い……その一言で片付けられては困りますね。
これは卿らの野心を……民を顧みぬ横暴を憂いた多くの者が、全てを投げ打ってまで変えようと行動した結果です。奇蹟的な出会いも、そうした行動が無ければ有り得なかった。決して運だけに救われたのではありません」
「……左様ですか。今更何を言うものでもありませんな。……この勝負は殿下の勝ちです」
ドゥネイル卿は静かに席から立ち上がると、私の目を真っ向から見据えます。
堂々と、そして静かに。
その瞳には些かの恐怖も、絶望も見えません。
渇望した願いが潰えるというのに、その佇まいから放たれる気迫……、これが本物の貴族というものなのでしょうか。
「……イリアさん、お願いします」
立ち上がったドゥネイル卿の鋭い視線から目を離すことなく、私は控えるイリアさんに頼みました。
意を察したイリアさんがすぐさまドゥネイル卿の背後に回ろうとした、その時……。
「殿下、一つ申し上げましょう」
「……何か?」
「我々を捕縛したところで、すぐにそれは撤回せざるを得なくなる。もしも本当に我々を排斥しようとお考えならば、今、この場で、首を刎ねるべきだ」
一瞬、何を言っているのかわかりませんでした。
これでもう後など無いはず。
誰もがそう思う状況での言葉とは思えなかったからです。
「……何を馬鹿なことを。卿らには此度の罪を償ってもらいます。それは軽いものではありませんよ。卿には厳しい査問と、厳罰が待っているでしょう」
「……確かにこの場での勝負は殿下が勝利を収めました。……が、私が申し上げたことを覚えておいでですかな?」
「……?」
「我々は常に、最悪の事態を見越して準備をしてきました。今回も、当然このような事態に陥ることも考えておりましたとも……」
「ここにきてまだそんなことを……!」
言葉とは裏腹に、背筋に嫌な物が流れた気がしました。
胃の中に鉛を流し込まれたかのように、圧迫感と息苦しさを覚えます。
私の精神を蝕むに足るだけのモノを、ドゥネイル卿の言葉は含んでいました。
「殿下の死による民の鼓舞は得られなくなり、確実な勝利からは遠退きましたが、まだこの国の優勢は変わりませぬ。教会の支援があれば、少なくとも国境を押し戻し、領土を奪還することは可能でしょう」
「……!?」
「開戦が成れば、もう後には退けませぬ。そうなれば我々を遠ざけておく余裕など無くなるでしょう。我々の中には国政の中枢を
今まで各部門の筆頭として取り纏めていた重鎮達……そんな者達が席を空ける……戦時に重要な席を空けたままで国が回ると御思いですかな?
未熟な代わりを立てても、手足の隅々にまで血を巡らせることなどできませぬ。もしこのままならば、僅か数日でこの国は喰い尽くされ、分解するでしょう」
先程の最悪の事態……つまり、計画半ばで自分が捕まることを予見したということ。
それを見越して……。
「卿は……まさか……!」
「ええ、そうですとも。既に矢は放たれている。
睨み合いが続くフォルオ平原の国境に、先発したロスロ将軍率いる速獣隊や魔術師隊が間もなく到着するでしょう。それを追い、第六、第七師団も現在進軍中です。
双子山近辺の飛竜討伐に派遣された師団も既に転進して向かっている。もう数日も経てばそちらも到着するでしょうな。
そして昨夜に、アルドレッドを含む竜騎士三騎も出立しました。竜騎士の足ならもうそろそろ到着する頃ですかな」
静かでいながら、確固たる意思を感じさせる声。
その声音と内容が耳に、脳に染み込むと、暗い未来が現実となりつつあるという焦燥が這い寄って来ました。
「攻撃命令などは一切出しておりません。が、既に展開している師団、間もなく合流する師団、竜騎士……ヴェルタが保有する戦力の半分、そして教会の神殿騎士隊が集結する。当然国境を挟んで睨み合うドナルカは、こう思うことでしょう。〝攻めてくる〟と。
後は坂道を転がり落ちるが如く。こちらが仕掛けずとも、焦りに負けて向こうが手を出すのは時間の問題。
もしくは、目と鼻の先に敵がいるという緊張の中、前線の兵達は
いずれにせよ、私達が命令を下さずとも、その瞬間はやってくるでしょう」
「……まさか……そんなこと……」
否定を口にしようとしましたが、それが真実だということを、私は理解していました。
目の前に危機が迫った状況で、拠り所も無いまま踏み止まるのがどれだけ難しいか、想像に難くありません。
人の心は解り易い方へと流れるもの。
それを肯定するように、ドゥネイル卿が続けます。
「万を超える大規模な軍同士、一度火がついたものを止めるのは容易ではありませんぞ。例え王族の号令であっても、今正に斬りかかってくる敵を前に、兵達は剣を引けますかな? 無理でしょう。
ドナルカを止めるにしても、使者を立て、会談を開くには相応の時間もかかる。その間には、もう後には引けぬ状況に陥る。
果たして、殿下に止められるでしょうか……」
笑いも、威張りもせず、ただただ現実を語る老人。
そうか……私達の捜索に大規模に軍を動かさなかったのは、穏健派への対策だけではなく、既に王都を発った後だったから。
シラル将軍を強行に軟禁したのも、穏健派の力を削ぐためだけではなく、師団規模の軍を動かしたことを悟らせぬため……。
真の策謀家は一手でいくつもの効果を狙うものだとは聞いていましたが、まさかこれ程の……。
「……っ。……イリアさん、牢へ」
私はイリアさんにそう指示を出しました。
周囲からは現実を突きつけられることを拒んだように見えたことでしょう。
正にその通りでした。
命を受けたイリアさんはドゥネイル卿を促しました。
それに抵抗する様子も無く、表情も変えず、ドゥネイル卿は静かに足を前に出します。
二人が扉の前にいた近衛隊の方々と合流し、イリアさんが近衛隊の方にドゥネイル卿を引き渡して合議の大広間を出て行くまで、私はその背中を見詰めながら、唇を噛んでいました。
私達が考えもしない先までに渡り、手を回している周到さ。
やはり未熟な私では謀略で歴戦の猛者たる彼を上回ることはできなかった。
今から事を収める為にはどうすればいいのか……頭が闇の中の答えを求めて悲鳴を上げています。
残った竜騎士を駆って前線に赴く……?
いえ、途中で先行した推進派の竜騎士達に撃墜されるでしょう。
最も速さのある竜騎士が使えないとなると、動き出した軍より先に国境に到着するのは無理……。
仮にそれを退けて間に合ったとしても、ドゥネイル卿の言ったように、私だけでほぼ推進派に掌握されている軍を止めることは不可能に近い。
なら、父王かシラル将軍に助力を請う……?
これも現実的とは思えない。
父はすぐに指示を出せる状態かもわからず、ヴェルウォード夫妻にしてもすぐさま現状を打開できる手段など持ち合わせていないでしょう。
では、手を貸して下さるかはわかりませんが、再度クロ様に助けを求める……?
それも、どうなのでしょうか。
最早人の手では止める事は不可能と判断できる状況。
例え英雄の竜の姫に古竜種の力を借りたとて、戦争を回避できるのでしょうか。
クロ様の想像を絶する竜語魔法……その助力があればヴェルタの軍が勝利を収めることはできるのかもしれません。
しかしそれは望んだ結末とは違う未来。
戦争を回避し、多くの人の命を守りたい。私が、友が、皆が望んだこと。
これでは戦いに勝ったとしても多くの人が斃れることは明白。
やはり、それは出来ない……。
「……これまで……なのでしょうか……」
誰に言うでもなく、言葉が零れました。
ドゥネイル卿の言ったことが重く、重く肩にのしかかり、無力感が震える私の膝を折ろうとします。
皆と交わした約束、別れ際に友が見せた表情、そして多くの人々の命運。
「(じゃあ約束通り、僕が戦いが始まるのを止めれば全部終わりかな)」
悲壮に沈む私とは対照的に、何でもないことのように、クロ様が言いました。
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