重んじるもの
背中に城行きの面々を乗せる準備をしていく。
景色を楽しみたいというライカが一番前で、背中というよりも首に跨って角を握り、待ち遠しそうにそわそわとしている。
騎手は乗り慣れているアンナに任せ、手綱も取り付けてもらった。
アンナの後ろに、王女が座れるよう敷物を結わえ付け、イーリアスは王女を抱えるようにその後ろに乗ってもらう。
準備する様子を王女と居残る面々が不安気に見守っていた。
「う、竜に乗るなんて初めてで……さすがに、き、緊張しますね」
王女は手を胸の前で握りながら特に緊張した様子だ。
ここまで乗せてきたのだが、気を失っている状態ではわかろうはずもない。
「僕の竜語魔法で落ちないようにしてあるから、心配しなくてもいいですよ」
「セリス様。私がしっかり支えますので」
「は、はい。た、躊躇っている猶予はありませんものね」
荷物はほぼ全てメリエとポロに任せるので、持っていく物は殆ど無い。
しかし、使うことは無いと思うが念のためアンナには武器を持ってもらう。
武装解除していたイーリアスにも剣を返した。
一通りの用意が終わって全員が背に乗り、準備は万端だ。
「クロ。昨夜も言ったが、無理はしないでくれよ……」
メリエは不安半分、信頼半分という感じで声をかけてくる。
「絶対大丈夫、とは言い切れないけど、油断はしないよ」
「ん……アンナもな。無事に戻って来るんだぞ。まだ教えていないことが山ほどあるんだ」
「はい。メリエさんも気を付けて下さい」
メリエは返した言葉に微笑を浮かべると、こちらに歩み寄りポンポンと優しく首を叩いた。
「クロさん……後は……お願いします」
「セリス様も……御気を付けて……」
スイ達の言葉に視線だけを返す。
言うまでもない……そのためにここまできたのだから。
「スイ、レア、貴女達には感謝の言葉もないわ……本当にありがとう。後は私の仕事……身命に代えても、止めて見せるわね」
もう出発するだけだったのだが、王女がスイ達に声をかけたことで、王女に言っておかなければならないことを思い出した。
「……行く前に言っておかなくちゃいけないことがある。
僕は開戦を止めるために城に行く。だから、その障害は排除する。
もしも王女様の説得にも話し合いにも応じず、邪魔するようなら、僕は相手がどんな人間であっても容赦しない……殺すつもりでいる。必要とあらば城ごとでも……それが例え、王女様の父親である王であったとしても」
行くメンバーを背に乗せたところで、全員に聞こえるように宣言する。
国という拠り所を、場合に因っては破壊すると。
ライカと王女以外の全員が、その言葉に息を飲む。
わかっていたとはいえ、もしかしたらヴェルタ王国滅亡の引き金となるかもしれないということを再認識したのだろう。
しかし王女だけは違った。
王女は逡巡することなく、即座に答える。
「はい。それで構いません。もしも私の予想に反し、私のことを抜きにして本当に父王が乱心したのであれば、その責は負わねばなりません。
そうでなくても王を焚きつけ、民を戦禍に追いやろうとしたこの件の首謀者や主犯格の負った罪は重い……民の痛み、その身を以って味わってもらわなければ、民は納得しないでしょう。
身分のあるものだからこそ、厳しく重罰に処す必要がある。抵抗したのならもう酌量の余地はない……情けなど一切無用、どうぞ御遠慮なく……」
場合に因っては自身を愛してくれている父親を殺すと宣言したのに、迷い無い声だった。
さっきも自分の命を躊躇い無く使うと言ってのけた。
その時と同じ、覚悟の強さ。
自分と同じ、優先順位を決めている者の気概。
だが、王女の最優先は自分と同じではない。
自身の命よりも、国よりも、友よりも、そして家族よりも……民を守ること。
シェリアと同じ、自分や自分の大切な者を犠牲にしてでも、何も知らない人々を守ろうとする決意。
自分は仲間の命が最優先。
言い換えれば、他人は二の次ということだ。
王女やシェリアの民を想う気持ちと比べると狭量と思われるかもしれない。
自己中心的、自分勝手と思われるのかもしれない。
……でも、この件に関しては自分はそうは思っていない。
ただ一人を想うことと、多くの人を想うこと。
どちらがいいのか、正しいのかなんて、他者が決められることじゃない。
個を犠牲にして多数を選ぶことを尊いと言う人もいれば、
結局はそれぞれが培ってきた価値観の違いなのだ。
一概にどれが正しいと断ずることなど出来はしない。
正しいと思うもの、大切なものの価値、そうしたものはその人にしか決められないのだから。
だから、自分は自分の思うようにやる。
母上が教えてくれた、自分は自分でいていいという言葉の通りに。
王女の決意はわかった。
その強さも。
これ以上言う必要は無いだろう。
「ふむ。幻術は問題なさそうだな。今回はかなりの強度で掛けておいたから、私と同等以上の能力が無ければ、ここにいる人間以外は看破できんはずだ」
「……よし。じゃあ行くよ」
ライカが幻術をかけたことを確認すると、不安そうな表情の残り組みに見送られながら上昇を始める。
森の木々の高さを一気に越え、夜とはガラリと表情を変えた大空に飛び立つ。
空を覆っていた雲は夜が明けた頃に疎らになり、明くなった空は青と白の美しいコントラストで一面を塗られている。
陽光は強さを増し、人間なら少し暑く感じるくらいだろうか。
夜には暗景だけで何も見えなかった森だが、飛び上がったことでその全貌が明らかとなる。
既に日は中天近くまで昇っており、辺りは陽光に照らし出されている。
鬱蒼とした森ではなく、適度に光が大地にまで届く程度の木の密度だった。
ハイキングするには最適だろう。
母上といた山の麓に広がる森とは違い、そこまでの広さも無く、上空から見るとすぐに森の切れ目がわかるくらいの大きさだ。
背後には森の先になだらかな山があり、その山の頂上まで木々が茂っている。
こんな状況じゃなければ、とても爽やかで気分の良い眺めだった。
高く昇った陽光の強さに、背に乗る面々が目を細める。
地上からの監視も考慮して雲の高さまで高度を上げる。
王女の体調を考え速度はやや控えめにし、防護膜も万全だ。
羽ばたく必要は無いので、翼は水平に広げたままバランスを取るように重心の微調整に使う。
「うーはー! 明るい空! 静かな夜空も良かったがこっちもいいぞ! 私も翼が欲しくなるな! 見ろ! 空から見る大地! ものが豆粒のように見えるぞ!」
今日は風も穏やかで飛行は順調。
まぁ余程の大嵐でもなければ防護膜で風はどうにでもなるのだが、防護膜のせいで風を感じられず味気ないと感じてしまう部分もあった。
やはり風を切って空を飛ぶ方が空を飛んでいると実感できるものだが、こればかりは安全第一なので仕方が無い。
「ライカー。首で足をバタバタしないでよー。浮かれるのもいいけど、メリエ達に掛けてきた幻術の方は大丈夫なの?」
ライカの大きさでも激しく足を動かすと、首が振動で揺れて視界が震える……。
酔いはしないが目が疲れるし、平衡感覚が狂ってくる。
「心配するな。集中を切らすようなヘマはせんぞ。それよりも! 今度は速度を上げて急降下や急上昇をしてくれ! 一回転もいいな!」
「他にも人が乗ってるんだから、今は無理だよ。今度ね」
「むぅ。仕方が無いな。また楽しみが増えたと思っておこう」
幻術の集中を切らしていないかと心配したが、そんなことは無いようだ。
その辺はしっかりやってくれているらしい。
自分の首に跨り、角に掴まって声を張り上げるライカは相変わらずだった。
暗景の空の時もはしゃいでいたが、昼間の空の様子にテンションだだ上がりである。
小さな子供のように無茶な要求をしてきたのだが、さすがに体調の悪い王女も乗っているのに負担をかけるようなことはできない。
……自分はジェットコースターじゃないよ……。
神妙な面持ちで乗っていた王女も、ライカの様子には苦笑を禁じえないようである。
そんなキャッキャとはしゃぐライカの様子を、手綱を握るアンナは微笑ましそうに、少し誇らしげに、眺めている。
その眼差しは幼い妹を見守る姉のようだ。
自分もライカのはしゃぐ声に、初めてアンナを乗せて空を飛んだ時のことを重ねていた。
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