夜明けの森にて
「……まぁ当の本人であるクロがそう言うなら、そういうことにしておくか。で、この後はどうするんだ?」
「王女が目覚めるのを待つよ。今は動かさない方がいいし。そしたら現状を説明して、戦争を止める為に協力してもらう」
問題はいつ目覚めるかだ。
できれば早く目覚めて欲しいが、身体の状態を考えると今すぐとはいかないだろう。
アンナの時も、治療後に目覚めるまでかなり時間を費やした。
だがあまり悠長に待っている時間はない。
最悪の場合は、身体への負担が気になるが星術で強制的に覚醒させる方法も視野に入れておかなければならない。
「……シラル将軍が慎重に動いていたにも係わらず、それを察知して先手を打ってきた推進派の手際を考えるとあまり時間は無さそうだな。一刻も早く王城に戻らないと何が起こるかわからない」
「そうだね。竜騎士の追手をあんなに早く動かしたりできるということは、予めこうなること……というよりも何かが起こるだろうと準備していたってことだと思うし、かなり先まで考えて動く用意周到な人間がいるんだと思う。となると、ボヤボヤしてるとまた何かしてきそうだ」
相手の何手も先を見据え、常に不測の事態に備えているような策謀家が相手では、素人の集まりである自分達が同じ土俵に立ったら勝ち目は無い。
手の読み合いに勝てないのであれば、あとはもうその手を払い退ける力押しだ。
「ふむ、動けるようになるまでは暫しの休憩か」
「警戒は解かないでね。もうすぐ夜も明けそうだし追手が来るかもしれない」
「無論だ。監視者のこともある。では、この人間はどうする?」
ライカが幻術で動きを封じている女騎士に視線が集まる。
「んー。王女が目覚めるまではそのままでいいよ」
「クロ様、事情を説明しないのですか?」
「王女が目覚めたら説明しないといけないし、二度手間になっちゃうからその時に一緒に聞かせればいいんじゃない?」
こちらの会話や王女を解毒する一部始終を見ていた女騎士からは、敵対的な雰囲気は消えている。
瀕死の状態だった先程と比べ、素人目にも明らかなほど王女の状態や呼吸が落ち着いているので、事情がわからなくても治療したということはわかったのだろう。
今なら話くらいは聞いてくれそうだが、結局は王女の付き人だ。
今までの様子から忠誠心も高いようだし、そんな人間が個人の一存で自身の立場を変える判断などするだろうか。
少なくとも内情をぺらぺらと喋ってくれることは無いなと思った。
それなら王女の協力を得て、主従共に納得してからでもいいだろう。
そんなことを考えていたら、森から聞こえてくる小さな音が耳に入った。
すぐさま長い首を持ち上げて視線を巡らせる。
視線の先から確かに聞こえる。
風の音や小さな動物が動く音とは違う、何かが動く音。
……二度手間ということもそうだが、それよりも───悠長に説明している時間は無さそうだった。
未だ夜の闇を纏う雲に覆われ陽は姿を見せないが、遠方の空から白さを増してきている。
それに伴い森に掛けられていた夜の帳が少しずつ剥がされ、空を覆う黒い雲も朝日に近い方からその光が透けて黒から白へと装いを変え始める。
間もなく夜明けだ。
だが、穏やかに明けてゆく空をみんなで眺めている時間は、残念ながらありそうもない。
朝の薄明かりが忍び寄る森の、ある一点。
視線の先は森の木々で見通せないが、幽かな音は確実に大きくなり、近付いてきていた。
ポロも今までぐっすり眠っていたのが嘘だったかのようにパッと飛び起き、音が聞こえてくる方向を凝視して威嚇の低い唸り声を出す。
そして同じく気付いているライカも警戒感を露わに鋭い視線を投げかけていた。
「(クロ殿……)」
「(……お客だぞ。クロ)」
「(わかってる……)」
「(気を付けろ。突然気配が現れた。ただの獣などではないぞ)」
「(大丈夫。油断はしない。ポロはみんなの護衛を)」
明るくなる空とは対照的に、未だ濃い夜の影が剥がれていない森の奥から、それはやってきた。
足音を隠す事もなく、堂々と、草木を踏み分けて姿を現す。
「ク、クロさん」
ポロやライカの様子から異常を感じ取ったアンナは、不安そうに自分の背に隠れ、スイとレアは横たわる王女と一緒にフィズに庇われる。
メリエとポロはいつでも動けるように体勢を整えた。
ライカは現れた者が発する気配を感じ取り、既に警戒態勢。
ライカに動きを制限されている女騎士も何事かと自由になる視線だけを動かしている。
自分も只ならぬ気配を隠す事なく接近してきた存在に身体を向け、いつでも動けるように四肢に力を入れて身構えていた。
薄暗い森の中から現れたのは人間。
二人の男だ。
一人は逞しく鍛え抜かれ、引き絞られた筋肉を纏う30代くらいに見える大男。
190cm近くありそうな長身に、肩口で切りそろえられた金髪のロングヘアーを中分けにした美丈夫だった。
切れ長の目には獲物を狙う鷹のような鋭さがある。
上半身は裸で、筋肉で盛り上がった胸板を惜しげもなく晒し、腰から下には道着のようなやや汚れた白い布製のズボンに革のブーツ。
その肩には長い柄に銀色の平たい金属塊を取り付けたスレッジハンマーのようなものを担ぎ、腰には簡素で装飾の無い長剣が揺れる。
大男が持つと小さく見えるが、
しかし武器は持っているが守りに使えそうな装備は見当たらない。
もう一人は同じく30前後くらいの顔立ちで、全身を金属鎧で固めている。
やや黒い光沢を放つ甲冑に首から下の身体を包んでいるが、首から上だけは何も無く、やや縮れた短髪が湿った早朝の森の風に晒されている。
身長は大男よりも小柄で170cmくらいだろうか。
やや釣り上がった目元と犬歯の覗く口元には意地悪そうな笑みが浮かんでいる。
武器らしいものは見当たらず、代わりに背中に巨大なタワーシールドを背負い、手にも身体が隠れるほどのカイトシールドのような大盾を持っていた。
こちらは大男の方とは逆に武器になりそうなものを持っていない。
「まさか……」
フィズとメリエは二人を見て目を見張った。
まるで現れた二人を知っているかのような反応だ。
そんな二人の反応とほぼ同時に、こちらを見た男二人も声を発した。
「……あれらが標的だ。……報告に無い存在。……脅威度を上方修正。疾竜もいる。抜かるなよ。カラム」
「ハハッ! 小型とは言え飛竜の相手なんてメンドクサイだけかと思ってたけど、凄い美人揃いじゃん! 摘み食いもできるかもしれないし、これは張り切らないとね! 兄さん!」
「目的を履き違えるな。任務が第一だ」
「チェッ。わかってるよ。でも少しくらいはさぁ?」
「……」
「……わーかったよ。ちゃんとやるから、そんな睨まないでよ兄さん」
大男の方はその鷹のような目でこちらを一通り眺めると、ボソボソとした声でもう一人に話しかけている。
そんなちょっと暗い感じの大男とは対照的に、鎧を着た方は嬉しそうに声を張り上げる。
しかしそんな態度を大男の方に窘められ、しょげた様子を見せていた。
会話をしながらも視線に油断は無く、草木を踏み分けながらゆっくりとこちらに近付いてきている。
「(あれは……ミクラ兄弟だ)」
「(え? メリエの知ってる人?)」
「(知っている……と言うか、ヴェルタでは有名というだけで、知人というわけではない。上半身裸の大男の方は見覚えがある。以前話したランカーで、確か上位入賞者だ)」
「(御前試合で勝ち上がった上位者に与えられる称号だっけ?)」
メリエが真剣な顔で意思を飛ばしてくる一方で、フィズも彼らのことを知っているらしく補足してくれた。
「(ミクラ兄弟はヴェルタでは名の知られた、凄腕の傭兵です。軽装の大男が兄、バーダミラ・ミクラ、重装備でやや小柄なのが弟のカラム・ミクラ。兄弟というのは彼らの自称で、実際に血縁なのか義兄弟のような関係なのかは定かではありません。
騎士団に入団した事は一度もありませんが、その実力を買われ、客員騎士として幾度か騎士団の作戦に参加した記録があります。兄のバーダミラは近衛クラスの精鋭部隊と模擬戦をして、一人で壊滅させた事もあるらしいです。
バーダミラが昨年の御前試合で9位、一昨年も8位に入賞しています)」
傭兵……。
てっきりライカが城で警戒が必要だと言っていた騎士団や軍の実力者が追ってきたのかと思っていたが、違ったようだ。
「(彼らは傭兵ギルドに籍を移す前はハンターギルド所属だったそうだ。僅か一年足らずで傭兵ギルドに転向したらしいんだが、転籍前のハンターギルドでのランクはB、戦闘能力評価も7。
傭兵ギルドの方のランクはわからんが、転向して既に何年か経過している。騎士団への参加や傭兵稼業の方が主だとすると、魔物の相手よりも対人の方が専門なのだろう。とすれば最高ランクの可能性もある)」
かなり多方面に名前と実力が知られているということか。
にしても一年足らずで上位ランクのBまで昇り詰め、戦闘能力評価も7ということは上から三番目のはず。
メリエの半分の期間でメリエの数段上を行く程の実力を備えているということは、フィズが言うようにかなりの実力者ということは間違い無さそうだ。
ライカが警戒感を露わにするのも頷ける。
二人は今までに出会った人間種の戦闘従事者とは少し違う雰囲気を纏っていた。
ギルドなどで見かける者達の多くは生きる為、糧を得る為に仕事をするといった感じの者が多かった気がするのだが、この二人は何というか、仕事が全てで他は必要ないと言い切るような冷たい感じがする。
現代日本で会社勤めをしていた時にもそうした人間に出会ったことはあった。
対人関係が希薄で、ひたすら自分の仕事にのめり込み、自分の仕事を邪魔されるのが何よりも嫌いといった人間に近い気がする。
そんなことを考えていると、フィズが渋い表情で追加の情報をくれた。
「(実力もそうですが、ミクラ兄弟は別の方面でも色々と有名なんです)」
「(別の方面?)」
「(ええ……色々と黒い噂が絶えないんですよ。
依頼とあらば暗殺も厭わない。ギルドを通さない非正規依頼で汚い仕事を請け負っている。賞金首として名が挙がった事がある。などなど、枚挙に暇がありません。
ですがどれも信憑性に乏しく、あくまでも噂止まりで、ギルド連合もこれらの噂話に関して特に調査しているといった様子はありません。しかし、火の無い所に煙は立たないとも言います)」
実力は申し分ないが、真っ当な仕事だけをしているのではないらしい。
報酬の為なら何でもやる、ある意味傭兵らしい傭兵だ。
さっき自分がなんとなく感じた雰囲気とも合致する。
だが、それらの尻尾をつかませない、或いは隠し通せるという周到さも持ち合わせているようだ。
「(そして何よりも、彼らは飛竜殺しを為したことがあるハンターだったそうだ。彼らは他人とは組まないし、今までに彼らを知る者と関わったことが無いから詳しくは知らないが、中型の飛竜を倒した経験があるらしい)」
「(ええ、それは本当です。以前貴族が指名依頼で、彼らにはぐれ飛竜の討伐を打診し、見事成し遂げたそうです。それ以来一部の貴族からの信頼は高く、ギルドを通さないで直接貴族からの高額依頼を受ける、私兵まがいのこともやっているとか)」
「(へぇ……)」
改めてゆっくりとした歩みで徐々に近付いてくる二人に視線を向ける。
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