星の大海

 水平飛行をしながら周囲を確認する。

 見える範囲で異常はなさそうだ。


「(……これで撒けたと思っていいかな。ライカ、何か怪しい気配とかはある?)」


「(いいや。何かに見られていたり、付けられているような気配は無い……今のところはな)」


 追いかけっこをして大分時間が過ぎている。

 まだ空が白み始めるには少し早いが、もう間もなくすると遥かに見える遠くの空から明るくなってくるだろう。

 その前にメリエ達と合流しなければならない。


「(じゃあこっちも移動しようか。メリエ達のところに行かなくちゃ)」


「(クロ様。クロ様にしがみ付いている近衛の騎士はどうするのです?)」


「(あー……どうしよっか。がっちりしがみ付いてるんだよね)」


「(叩き落とせばよかろう。私がやってやろうか?)」


「(今は防護膜を出してるから無理だよ。ここで膜を張る術を解除したら乗ってる皆が耐えられない)」


 高山の登山では、長い時間をかけて過酷な環境に身体を慣らしてから登山にチャンレンジするものだ。

 だから低酸素や低温にも耐えて登山が行なえる。

 身体が慣れていない状態では、急激な気圧と酸素濃度の低下に身体がついていかない。

 その変化は普通の人間なら高山病を発症し、死にも値するものだろう。

 今防護膜の術を解除したら、それが起こってしまう。

 確かめることは出来ないが、巨体の飛竜に乗っていた人間も高山病のような症状が発症したために慌てていたのかもしれない。


 竜の自分なら少しくらいは耐えられるだろうが、生身のスイやフィズは勿論、ライカでも危険なはず。

 そしてそれ以前に、弱っている王女が間違い無く持たない。

 解除しても星術で気圧を元に戻すことはできるだろうが、空気を圧縮するにも少し時間がかかってしまう。


「(それにさっきの様子だと推進派の人間ではなさそうだし、ちゃんと説明すれば協力してくれるかもよ)」


 さっき飛竜に攻撃された際、女騎士は王女を無視して攻撃してきた事に困惑していた。

 ということは戦争推進派の人間ではないということだろう。


「(成程。確かに王女の解毒に成功すれば話を聞いてくれるかもしれませんね)」


「(とりあえず安全な場所まで移動するから、もし何かしようとしたらライカが押さえて)」


「(放っておけば攻撃してくるかもしれんぞ?)」


「(地上に降りるまでは何も出来ないよ。もしも僕を殺したりしたら護衛対象の王女もろとも墜落死だからね)」


 上空で自分を傷付けてしまえば、王女もろとも落下することになるということくらいはわかっているはずだ。

 王女が安全に下りられるまでは大人しくしているしかない。

 下りてから何かしようとしてきたら、ライカの幻術で無力化してもらうことにする。


「(……ふむ。まぁいい)」


「(ライカ、メリエ達のいる方角わかる?)」


「(無茶を言うな。こんな場所ではわからん。もう少し下りてくれ)」


 さすがに上空10000mもの場所から、遥か下にある地上の気配を探るのは無理か。

 確か地球で利用されているGPSは地上21000kmの宇宙にある衛星から、誤差1cmの範囲で地上の対象物の位置を測定できるんだったか……。

 それが当たり前のように日常で利用されていた人間の頃の感覚のまま聞いてしまった。


「(ん。じゃあまずは飛竜から離れて、そしたら下りよう)」


 視界から消えたとはいえ、まだ飛竜は近くにいるはずだ。

 こちらが下りようとしたところを狙われても面倒なので、まずは距離を取ることにする。

 高度を維持したまま、少しの間、皆で普段は見ることなど出来ない高空の夜空の遊覧飛行を楽しむ。

 さっきまでの切迫した状況ではなく、いくらか心に余裕のある状況で夜空を眺め、それぞれが感想を漏らした。


「(うわぁー……夢を見てるみたい……)」


「(美しい……それ以外の言葉が浮かびません)」


「(……200年生きた私でも初めてのことだ。魂が震えるというのはこういうことなのかもしれない)」


 三人とも見渡す限りの星々の大海に魅入っている。

 高空の夜空を飛ぶのは自分も初めてだ。

 空気が薄く、地上よりも星の光がより鮮明に見える。


 視界を埋め尽くす無数の星、遮るもののない広大な夜空、遥か眼下に広がる雲の海。

 有名な宮沢賢治の著である「銀河鉄道の夜」を読んだ時も、こんな星の世界を旅する自分を想像したものだった。

 気分はさながら、鉄道に乗ったばかりのジョバンニだろうか。


 人間だった頃に何度も夢見た世界。

 その絶景に自分も、背に乗ってる面々も、暫しの間、時を忘れた。

 一口に満点の星空と言っても、これだけの高さから見ると星の集まっているところと少ないところがあるのもわかるし、地上からでは見えないような極小さな星も鮮明に見える。

 望遠鏡でしかみることができない星雲のような影や星団、星一つ一つの色の違いなども見ることが出来た。


 ちょっと視点を動かさずにいれば、地上からでは空気の揺らぎで殆ど見えないような小さな流星までもが、いくつも視界を横切っていく。

 やはり空を飛ぶのは心が躍るものだ。


「な、なんだ……これは、こんなことが……夢……? それとも私は死んだのか……? これが天上の世界……?」


 自分の足にしがみ付いている、一応今はまだ敵対しているはずの女騎士までもが現状を忘れ、宇宙を漂っているような光景に驚いているようだ。

 万人の心の琴線に触れる無限の空。

 そんな空を自由に飛ぶことが出来ることの素晴らしさを、改めて実感しながら夜空を飛び続けた。


 ◆


「(さーて。じゃあそろそろ下りようかね)」


「(名残惜しい気もしますけど、やるべきことは他にありますからね)」


「(まぁいいさ。また乗せて飛んでくれるという約束も取り付けたしな。次は明るい空がいいぞ)」


 そう言いながら、ライカは嬉しそうに足をパタパタと振っている。

 飛竜が見えなくなってから十数分ほど空の散歩を楽しんだ後、頃合を見て高度を下げ始める。

 一応ライカの指示で北よりの方向に進路を取っていたので、メリエ達から離れすぎているということはないはずだ。

 まだ眼下には雲海が広がっているので、下から見られているということも無いだろう。


 そのまま高度を下げ続け、様子を伺いながら雲の層に近付く。

 さすがに雲の中の様子はわからないが、ライカは特に何かを言うことはなかったので怪しい気配などは無いと判断していいという事だろう。

 問題は無いと判断して更に高度を下げ、雲海の中を抜けた。


 どんよりとした雲の層の下ということは、高さは500mを切るくらいだろうか。

 雲の下は光が無く、真っ暗な世界だった。

 素敵な星空とは随分と対照的だ。


「(うーん。何も見えないね)」


「(結構王都からも離れましたし、曇り空で月明かりもありませんからね)」


 夜目の術は使っているが、さすがに深淵のような暗黒ではあまり効果が無い。

 一応下が森なのか草原なのかや、山があるか無いかくらいならわかるが、明かりも持っていない魔物や人の影などはわかりそうもない。


「(どう? ライカ。方向はわかる?)」


「(ああ。やや左だな)」


 ライカの指示で少し左に進路を変える。

 飛んでいる真下あたりは草原のようだが、その先遠くには森らしい影が見えるので恐らくはそこだろう。

 雲の層のやや下を森の方に向かって飛ぶ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る