猫耳

 会話をしながら歩いていると、不意にポロが足を止めた。


「(すみません、ご主人。私の目ではもう道が見えません)」


 既に空は夕方を通り越して星空に変わっている。

 辛うじて日が沈んだ方角の空に残り火のような茜色があるだけで、空の殆どが暗く神秘的な星々の海に変身していた。

 人間の目でももう殆ど道は見えていないので、足元に注意してなければ転んでしまうだろう。


「ん。わかった。今回はまだ足を止める訳にいかないからランタンを使って進むとしよう。しかし強行軍でも休息は必要だから深夜になる前には休める場所を探そう」


 そう言いながらメリエがランタンを荷物袋から取り出そうとしたのでストップをかけた。


「あ、メリエちょっと待って。こんな時のためのアーティファクトを作ってあるから」


 リュックから作っておいたアーティファクトを二人に渡す。

 作ったのは夜目が利くようにするアーティファクトだ。

 夜間活動する動物は多く、僅かな光でも物の輪郭を捉えはっきりと見えるようにするための目を持っている動物はたくさんいる。


 それと同じように僅かな光を増幅して認識できるようにするためのものだ。

 さすがに僅かな光も無い真っ暗闇ではどうしようもないが満天の星が空にあるこの状況なら明かりは必要なくなる。

 真っ暗でもランタン一つあれば昼間のように周囲を見ることができるだろう。


「これは、首飾りか?」


「うん。夜目が利くようになるアーティファクトだよ。ポロ用に大きな首輪タイプのものを用意してるから全員夜目が利くようになるよ」


 早速皆で身に着け、効果を確認している。

 ポロにも首に取り付けてやり、見えるようになったかを確認する。


「(なんと。こんなに暗いのに周囲が見えます)」


「……これがあれば夜間の奇襲が容易になるから軍や暗殺者に知られたら一大事だな……」


「わぁ。夜じゃないみたい。不思議な感じがしますね」


 どうやら問題ないようだ。

 でもメリエが言うように物騒な用途での利用価値は高いので人に知られないようにしなければならない。

 どのアーティファクトでも注意しているのでその点は他と同じ扱いでいいだろう。


 地球でもそうだったが、軍事関連の技術から便利な物が開発されることは多い。

 暗視装置も軍事技術が発祥であり、そこから天文や航空の分野で利用されるようになったのだ。

 他国に先んじて有利に立とうとするために技術を追求するというのは考えられなくは無いのだが、どうも人間の暗い面を見せ付けられているようで好きになれない。

 最初から軍事目的に開発するのではなく、できるのなら万人の利便性のために技術を作りたいものだ。

 まぁ竜になった自分が考えることではないのかもしれないけど。


「丁度いいからついでにメリエとポロ用に作ったアーティファクトも渡しておくね。今から使ってみて慣れておかないと実戦でいきなり使うのは危ないからね」


 夜目のアーティファクトと一緒に作っておいたアーティファクトを渡す。

 ポロには癒しと身体強化の首輪型のアーティファクト。

 メリエには癒し、身体強化、防壁、そして攻撃用の電撃のアーティファクトを作っておいた。

 メリエ用に作った電撃のアーティファクトは、アンナの時のように相手を無力化するのが目的ではなく、場合によっては命を奪う程の威力が出せるものだ。


 電撃で相手に怪我を負わせるのは電圧ではなく電流である。

 一般家庭のコンセントの電圧は雷よりも圧倒的に低い100ボルトだが死亡事故は多い。

 しかし、数百万ボルト、場合によっては数億ボルトもの電圧がある雷で撃たれた場合の致死率は世界統計で30%ほどしかない。

 電圧とは電気を流す力であって高いほど危険だが、実際に体などに電気が流れた場合には電流が傷害を起こしている。


 注射器に例えてみよう。

 薬液を入れる注射筒シリンジが大きく押し出すピストンの力も強いが中に入っている薬液がほんの少しの注射器と、注射筒シリンジは小さく押し出す力も弱いが中の薬液がたっぷりと入った注射器ではどちらが人体に大きな影響を与えるだろうか。

 この場合、注射筒シリンジの大きさや押し出す力が電圧、中身の薬液の量が電流ということになる。

 当然たくさんの薬液が入っている方が人体に大きな影響を与えるだろう。


 電圧が高いということは、電気を流そうとする力が強いということなので以前に触れた雷はその強い電圧で流れ難い空気の中を無理矢理流れているのだ。

 電圧が高くても体に流れる電流が小さければ死に至らずに済む場合が多いということになる。

 実際には電流が流れた時間や抵抗値、濡れているなどの状態の変化でもっと複雑になるのではあるがここでは触れないでおく。


 ややこしい話だが、かいつまんで言うと、電気を流そうとする電圧ボルトと電気が流れ傷害を負う原因となる電流アンペアの両方が高い場合が最も危険ということになる。

 雷のような威力を出してしまうと、いくら低いとはいえ30%の確率で死亡するし、死亡しなくても重度の火傷や神経障害を負うのだから決して安全ではない。


 自分が使う相手を無力化する電撃や、アンナ用のものはスタンガン程度の威力で死に至る危険をなるべく減らしている。

 しかしメリエのものは剣で突き刺した時などに相手に電流を流して攻撃できるようにしているため、命を奪うこともできる。


 実はまだ他にも色々と用意してはいるのだが、あまり一度に渡しても使いこなすことが難しいだろうと考え、筋肉や脂肪で堅く守られていても相手に有効な攻撃を加えられる電撃を選んで渡すことにした。

 この先必要になったときにでも渡していけばいいだろう。


「身体強化と癒しのアーティファクトもつければ疲れることも減るから目的地までずっと走り続けることもできるようになるよ。メリエ用の攻撃用アーティファクトは剣とかで攻撃した際に電撃の追加効果を与えられるようになるから後で試してみてね」


「……もう何が出ても驚かないぞ……。これがあれば移動技術革命が起こせるな。まぁさっきと同じような理由で無理だろうが、あまり早く着きすぎるのも怪しまれる原因になるだろうから程々にするべきかもな。

 しかし、夜目で明かりが必要なくても少しは明かりを点けていないと、もし他に人がいた場合に魔物などに間違われて攻撃されるかもしれんぞ」


「それもそうか。じゃあ一応一つはランタンを点けて移動しよう」


 確かに真っ暗闇の中を移動してきたら普通の人は魔物が移動してると思ってしまうだろう。

 それでなくても自分達は竜が二匹もいるパーティだ。

 それにいくら疲れないといっても睡眠は必要になる。

 適当なところで休息する必要はあるだろう。


「アンナも変身のアーティファクトをつけて変身してみてくれる? こっちはうまく使えるかどうか試してないからダメだったら調整しないといけないしね」


「はい。わかりました」


 【転身】を込めた腕輪をアンナに渡し、実際に使ってもらう。

 アンナに使ってもらう【転身】は竜が使うもの程高性能ではなく、体の一部分を変化させるくらいしかできないものだ。

 肉体そのものを大きく作り変える術はアーティファクトに込めることはできなかった。

 体全体に星素の親和性が無いと無理なのかもしれない。


 今は暗くなっているし周囲の目を気にする必要もないので堂々と使うことができる。

 腕輪をつけ、アンナが集中すると髪の色が金髪から赤毛に変わり、肉厚で可愛らしい三角の猫耳がニョッキリと生えてきた。


 人間の時の耳はそのまま残っているので耳が4つだ。

 そういえば猫種族の人は人間の耳はあるのだろうか。今度細部まで見てみよう。

 今回、アンナは髪が長めだから髪で隠してもいいかな。


「ど、どうですか? 変わりましたか?」


 自分では変わっている様子が見えないのでこちらに確認を取ってくる。

 一応手で触ればモフモフの猫耳に気がつくだろう。


「すごい……。すごく似合っている……」


 メリエがスゴイ目つきでアンナを見ている。

 確かに凝視する程可愛らしいのだが、メリエの目つきが怖い。

 そして鼻息も荒い。獲物を狙う肉食獣のように今にも飛び掛りそうだ。


「うん。上手く変身できてるね。アンナすごく似合ってるよ」


「そ、そうですか? エヘヘ。嬉しいです」


 やはり予想通りの可愛さになった。

 面立ちは殆ど変わっていないが、髪色と猫耳で十分別人に見えるので問題は無いだろう。

 これは尻尾まで生えるようにするべきかもしれない。


「す、すまんアンナ。よかったら『にゃーん』と言ってくれないか? 可愛いポーズ付だとなお良い」


 メリエがアンナに詰め寄る。

 手をわきわきとさせながら……。


「え、ええ? それは、ちょっと恥ずかしいというか……」


 メリエの変化にアンナもたじたじになっている。

 面白いのでここは黙って見ていよう。


「頼む! 一度だけでいいから!」


「え、えっと。にゃ、にゃーん?」


「もっと笑顔で!」


 食い気味にアンナに詰め寄っているメリエの目が怖い……。

 ギラギラしている。

 その雰囲気にアンナも圧倒され若干引き気味だ。


「にゃーん」


 可愛らしく猫のポーズをしながら笑顔で猫のマネをしたアンナを見た瞬間、メリエが体をビクンと痙攣させ硬直する。

 バックに『ピシャーン』という雷のSEとエフェクトが似合いそうだ。

 その次の瞬間、アンナに飛び掛った。


「え! ちょ! メリエさん!?」


「かっわいぃぃぃ! クロ! この可愛い生き物をもらっていいか!? いいよな!」


 猫耳アンナに飛びついて頬ずりしながらわけのわからんことを申し出る。

 いいわけないでしょう。

 この可愛い生き物は自分のもの……じゃない。

 そうじゃなくて。


「メリエ、アンナ困ってるから。持ち帰りたいくらい可愛いのはわかるけどそのくらいにしてあげて」


「……ハッ! す、すまん、つい我を忘れてしまった」


 メリエは可愛いもの好きか。

 いや、メリエでなくても今のアンナの可愛さに目を見張るものが在るのは認めざるを得ない。

 竜使いで目立つことは無くてもこの可愛さで目立ってしまうかもしれない。

 それ程に愛らしい。今後変な虫がつかないように注意する必要があるな。


「可愛い……クロさんが可愛いって……エヘヘ」


 アンナはアンナで両手で頬を押さえ顔をニヤつかせて身悶えている。

 そんな仕草をしているとまたメリエに飛び掛られるよアンナ君。


 これから大変な戦いになるかもしれない場所に赴くというのにこの緊張感の無さは良いのか悪いのか……。

 緊張しすぎて失敗するよりはいいのかもしれないけど、油断しすぎて墓穴を掘るのは避けたいところだ。


「じゃあ人間の姿でやるべきことはやったから、僕も変身しておくね」


 アーティファクトの説明に装備、そして必要事項の確認を済ませたので今度は自分の準備だ。

 以前と同じ失敗はしないようにポロの後ろに隠れさせてもらって裸になる。

 またあの怖いアンナに説教されるのは御免被りたい。

 あの恐怖を味わったら同じ失敗はできないだろう。


 しかし、今回はちゃんと裸が見えないように配慮したのに、女性二人が若干残念そうな表情をしてこちらを窺っていたのは気のせいだろうか。

 見せたら怒るクセに見せなかったら残念がるってどういうことなの。


 身につけてる物を外し終え、【元身】で元の姿に戻る。

 昨日脱皮で鱗が剥がれたため、まだ新しい鱗に生え変わり切っていないがこれもアスィ村に着く頃には全て生えてきているだろう。


 以前の脱皮の時に比べてまた少し自分の体が大きくなったかもしれない。

 全長5mは超えたかな。

 このままだといつか母上くらいの大きさにまでなるのだろうか。

 あまり大きくなりすぎるとそれはそれで不便な気がする。

 人間の状態でいる時間が増えそうだ。


 無事竜の姿に戻ったところでポロの影から出る。

 もう何度か見ているのでアンナもメリエも特に驚いたりといったことはなかった。


「お待たせ。じゃあポロみたいに僕にも手綱代わりの紐をつけてくれる?」


 町を出る前に雑貨屋で革紐を買っておいたのはこのためだ。

 あぶみや鞍があった方がいいのだろうが今回は応急的な事態なので買うのはやめておいた。

 もし今後竜の姿でアンナを乗せることが増えるのなら揃えてもいいかもしれない。


 メリエに手伝ってもらいながら首に紐をつけてもらう。

 くつわは邪魔なので首紐だけにしてもらった。

 別に轡が無くても方向転換などの意思疎通は問題ないので必要ない。

 あとはポロと同じように背中の左右に分けて荷物を括り付け、準備完了だ。


「よし、これで大丈夫だろう。長時間乗るのに鞍がないのはきついかもしれないな。もし尻が痛くなったら着替えなどを敷くといい」


「メリエありがとう。じゃあアンナ乗ってー」


「はい。またお願いします」


 アンナが乗りやすいように、犬で言うところの『伏せ』の姿勢でペタリと寝そべる。

 アンナが跨ったのを確認し、体を起こす。

 特に問題はなさそうだが折り畳んだ翼が少し邪魔かもしれない。

 これは取り外せないので我慢してもらうしかない。


 空を飛んだ時に比べると手綱があるため少しは乗り心地がいいだろう。

 ただアンナを乗せて地面を走るのは初めてなのであまり揺れないように配慮してあげる必要がありそうだ。


 こちらの準備が整ったのを確認して、メリエもポロに跨る。

 さすがに乗り慣れており、軽やかに飛び乗っている。格好いい。


「クロ、色を変えておかなくていいのか?」


「あ、そうだった。ちょいと待ってね」


 忘れていたので色を変えておく。

 【転身】を使い、鉛色の体をイメージする。

 暗くてよく見えないので、頭上数mに火の玉を出して術を使うと、姿はそのままに、色だけが絵の具で塗りつぶしていくかのように変化した。

 どうやら問題無さそうだ。炎の明かりに照らされ、鈍い鉛色に鱗が輝いている。


「……この火の術があればランタンもいらんな……」


「まぁそうかもしれないけど、何も無い空中に火が浮いていたら怪しまれちゃうよ」


 人魂ひとだまの様に頭上に火が浮いていたら見た人は驚くだろう。

 人間の魔法に同じようなものがあれば平気かもしれないが、ここはランタンの方が注目を集めなくて安全だ。


「これで大丈夫かな。じゃあ行こうか」


「はい」


「睡眠の時間を考えるとあまり移動はできないだろうが、距離を稼いでおくに越したことは無いしな。夜行性の魔物が出るかもしれないから周囲に注意を払うことも忘れないでくれ」


「了解」


 夜目が利くため周囲の状況を見落とすことはないだろう。

 そんなわけで出発する。

 メリエたちに状況説明をしつつ歩を進めていたが、何の代わり映えもない田舎道が続いている。


 夜風に草が靡く夜の草原と、上空を埋め尽くす星の海で見たことも無いような幻想的な世界だった。

 夜の空を飛ぶのもいいが、こうやって地を駆けるのも悪くない。


 ドッスドッスドッスと鈍い音を立てながら体を揺らさないように走る。

 自分は四速歩行だがポロはティラノサウルスを小さくしたような体格のため二足歩行だ。

 例えるならダチョウが走るように安定して走っている。

 走りの軽やかさではポロに劣るが、速度は自分も引けをとっていない。

 母上と巣穴で過ごしていた際に走り回って練習していたのは伊達ではないのだ。


「アンナ大丈夫? 揺れない?」


「はい。快適です。以前に乗った走車とは全然違いますね」


 そりゃあサスペンションもついていない木の車輪であの凸凹道を走っている走車に比べたらマシだろう。

 街道で走っているのを見かけたが凄まじく揺れていたのを思い出した。


 人間が乗っても辛いだろうが、荷物を積んでいるものは積荷がぐちゃぐちゃになるのではないかと心配になるレベルだ。

 恐らく何か対策はしているのだろうとは思うけど、それでも悲惨な揺れ方だったのだ。


「空を飛ぶのもいいけど夜風に吹かれながら走るのも悪くないねー」


「ですね。気持ちいいです」


 アンナとそんなことを話しながら走り続ける。

 癒しの星術の効果と竜の体力のお陰で疲れもしなければ息切れもしない。

 ポロもアーティファクトのお陰か走り慣れているからかはわからないが疲れた様子も無い。

 暫く順調に夜の道を駆け抜けていく。

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