第16話 賢太郎がグイグイきて、キスの回

「いや、だから。男同士で付き合うって、どっちが彼氏役とか彼女役とかあるのかなって。配役は大事だろ」

「そりゃあ役割分担は大事だけど。……賢太郎、お前俺と付き合う気なのか?」


 そもそもそこまで具体的な事は考えてもいなかった。とにかく俺は自分の気持ちを賢太郎に伝えたくて、それを受け入れてくれるかだけを知りたかったのに。

 いつの間にか付き合うとか配役の話にまでなっていて、今度は俺が及び腰になる。


「違うのか? 俺はきちんと忠告したけど、それを聞き入れなかったのはヒカルだろ」

「忠告……」

「お前の思ってるような人間じゃないって言ったよな。それでもヒカルは俺の事が好きって事だよな?」


 何故だか急に賢太郎が強気になった気がするのは気のせいなのか。

 瞳は研ぎ澄まされたように細められ、口元は僅かに片側だけが弧を描くように上がっているように見える。


「す、す、好きだよ! だけど! 付き合うとかまで考えてなかったっていうか……ッ」


 賢太郎が余裕のある態度になればなるほど、俺のペースは掻き乱された。

 さっきまで俺は散々冷たい涙を流しながら啖呵たんかを切っていたはずだったのに。

 今ではその涙もすっかり止まって、耳までカーッと熱くなるくらいに顔面が火照っている。


「ヒカル」

「な、な、何だよっ!」


 低くいのに甘ささえ感じる声で俺の名前を呼ぶ賢太郎は、今までで一番優しい顔をしていた。

 頭の芯まで響く鼓動はうるさくて、それでも賢太郎の声だけはしっかりと耳に届いた。


「俺もヒカルのこと、好きだって言っても……いいのか?」


 膝に置いた俺の握り拳は、いつの間にか大きくて男らしい賢太郎の手に包み込まれている。

 温かくて優しいその感触に、俺はホッとすると同時にまだ状況がしっかりと掴みきれないでいた。

 そんなんだから、つい口をついて出る言葉は可愛げのないセリフだった。


「……好きだったら、別に好きだって言えばいいだろ」


 情けないけど声を震わせながらそう答えるのが精一杯で、だけど無駄に強がったセリフは賢太郎に対しては役に立たないみたいだ。

 気付けばさっきよりも近い距離にある賢太郎の顔は、ずっと嬉しそうで穏やかな笑みを浮かべているんだから。


「そっか。ヒカルがそう言うんなら、いいよな」

「え……っ、なん……」

 

 一瞬、俺と賢太郎の吐息が混じり合う。フニっと柔らかな感触を唇に感じると、それはあっさりとすぐに離れていった。


「俺も、ヒカルの事が好きだ」


 真面目な顔でこちらを見つめる賢太郎の涼やかな目元も、スッと通った鼻筋も、もしかしてついさっき俺に触れた薄めの唇だって、全部が全部いつもより綺麗に見えた。


(賢太郎も俺のことを好きだと言ったのか? いや、そもそも今さりげなくキス……しなかったか?)


「じ、じゃあ……」

「今から俺とヒカルは恋人同士だから。一応昔と同じで俺が男役、ヒカルが女役な。それでいいだろ?」

「賢太郎が……恋人」


 よく分からないうちに話が急展開を迎えて、痺れた頭の整理をしているうちに賢太郎がさっさと全てをまとめてしまう。


「いいか、俺はヒカルが好きだ。ヒカルも俺の事が好きだよな? だから付き合う。これからは友達じゃなくて、恋人同士って事だ」


(あ、やっぱり俺達の関係性って今までは友達だったんだ)


 なんていうことを何故かぼんやり考えてしまったけれど、結局これから俺と賢太郎は恋人同士になったらしい。

 まだポーッとする頭とだらしなく力の抜けた表情で固まっていると、突然賢太郎が俺をぎゅうっと抱き締めてきた。


「もう二度と手に入らないって諦めてたのに、ヒカルから飛び込んできたんだからな。後で色々思い出して、取り消しって言われても聞かないぞ」


 賢太郎が俺の耳元で囁く言葉は、とろけるように心地よい。

 戻ってない記憶なんて、もうどうでも良くなるくらいに。

 俺より随分と逞しい賢太郎の背中に手を回して、肯定の意味で抱き締め返した。


 他人の体温がこんなに心地よいなんて知らなかった。昨日はダイに思わず抱きついてしまったけど、あの時と俺の感じ方は全く違う。

 

「……落ち着く」


 思わず口からポツリと零れた言葉に、俺の髪に顔を埋めた賢太郎がフッと笑った気がした。

 地肌にかかる吐息がくすぐったくて、甘ったるい気持ちになる。


 どのくらいの時間だったか、しばらくじっとしていた賢太郎が何かを思い出したかのように、あっと声を上げて身体を離す。

 二人の間に隙間ができると、ちょっと肌寒く感じた。

 

「そういえばヒカル、お前山岳部辞めたのか? ダイとの話が終わって一応部活を覗いたら、一年の奴がそう聞いたって言ってた。退部したのか?」


 そう尋ねられて、さっきから感情を揺さぶられてばかりの俺はまた涙腺が緩んで膜を張り、溢れた雫が細く頬を伝った。

 だけどそれ以上溢れさせるのはグッとがまんして、賢太郎に事情を話す事にした。





 

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