第12話 咄嗟の判断

 翌朝、礼音がゴミ出しをするために外廊下へ出ると、101号室からほぼ同時にスーツ姿の果林さんが扉を開けて出てきた。

 果林さんが礼音の姿に気付くと、にこりとした微笑みを向けてくる。


「あら、おはよう恭平くん」

「お、おはようございます」


 果林さんは至っていつも通りに挨拶してきてくれるが、恭平の挙動はぎこちないものになってしまう。

 無理もない、昨日あんなことがあったのだから、果林さん自身は気づいていないのだろうけれど、聞いてしまった恭平の身としては気まずいにも程がある。

 そんな恭平の異変に気付いたのか、果林さんがきょとんと首を傾げた。


「どうしたの恭平くん?」

「へっ⁉ あぁ、いやっ、何でもないですよ! ただ、今日も果林さんはスーツがお似合いだなと思いまして!」

「あら本当? お世辞でもそんな朝からおだててくれたら嬉しくなっちゃうわよ?」


 満更でもなさそうに頬に手を当ててにやにやする果林さん。

 今は無邪気に微笑んでいるけど、昨夜はあんなに激しく……。

 とそこで、恭平は思考を振り払うようにぶんぶんと首を横に振る。


「それじゃあ、今日もお仕事頑張ってください」

「ありがとう。頑張ってくるわね」


 恭平が素早く話を切り上げると、果林さんも長話をするつもりはないらしく、ひらひらと手を振って駅へと歩きだしていく。

 その後を追うようにして、恭平も手に持っているゴミ袋を集積箱へと運ぶ。

 アパート前の道路にある集積箱へたどり着くと、数歩先を歩いていた果林さんがくるりと振り返った。


「行ってくるね、恭平くん♪」

「はい、行ってらっしゃい」


 きらんとウインクして踵を返すと、果林さんは今度こそ駅へと歩いて行った。

 何とか誤魔化せたと恭平は額を拭い、ゴミを集積箱へと入れて部屋へと戻る。

 カッ、カッ、カッ……。

 すると、二階の外階段から、水玉模様のルームウェア姿に身を包んだ鳴海ちゃんが、恭平と同じようにゴミ袋を持って階段を降りてきた。

 サイドテールの髪は解かれており、普段より少し垢抜けた雰囲気を纏っている。


「げっ……」


 階段を下りている途中で鳴海ちゃんが恭平の姿に気付くと、あからさまに嫌そうな声を上げ、顔をひきつらせた。

 恭平は平静を装うようにして、にっこりと笑みを浮かべて手を上げる。


「おはよう鳴海ちゃん」

「……ふんっ!」


 恭平の挨拶に対し、鳴海ちゃんはぷぃっと顔を逸らすと、そのまま階段を下りようとする。

 その時、鳴海ちゃんがズルっと足を階段から踏み外し、バランスを崩してしまう。


「危ないっ!」


 恭平は咄嗟に反応して、階段から落ちそうになる鳴海ちゃんの元へ慌てて駆け寄る。

 鳴海ちゃんが宙に浮く中、何とか恭平は鳴海ちゃんの身体を抱き留めた。

 刹那、恭平もバランスを崩し、二人はそのまま階段下へと転がり落ちてしまう。

 必死に鳴海ちゃんを抱き留めつつ、ぐるぐると視界が回る中、ドスンと背中に衝撃が走る。

 恭平は思わずぐっと歯を食いしばった。

 だが、今は自分の心配をしている場合ではない。

 慌てて抱き留めていた鳴海ちゃんへ声を掛ける。


「鳴海ちゃん、大丈夫⁉」


 痛みを堪えつつ、恭平は鳴海ちゃんへ問いかける。


「え、えぇ……大丈夫」


 鳴海ちゃんは放心状態といった様子で、恭平の胸元にうずくまっていたものの、ようやく状況が理解できたのか、おもむろにすっと起き上がる。

 見た感じ、鳴海ちゃんに大きな外傷は見当たらない。


「どこか痛い所とかない? 平気?」

「うん、平気」


 ひとまず、鳴海ちゃんが無事で一安心したのも束の間、恭平が立ち上がろうとすると、背中にピキっと激しい痛みが襲う。


「うっ……」


 恭平は、思わず顔を顰めて背中を押さえてしまった。


「ちょ、アンタ大丈夫?」

「平気、平気。ちょっと背中を打っちゃっただけだから」


 恭平は背中をさすりながら、にっと無理やり笑みを作って見せる。


「それじゃ、俺は部屋に戻るね」

「あっ……うん……」


 ズキズキと痛む背中を押さえながら、恭平は102号室へと戻った。

 玄関の扉を閉めて一人になると、恭平はその場でしゃがみ込んでうすくってしまう。

 しばらく痛みが引くのを待ってからシャツを脱ぎ、洗面台の鏡で背中を確認すると、壁に打った辺りを周辺にして、大きな青あざが出来ていた。


「大分腫れてるな……。一応湿布でも貼っとくか」


 にしても、あれだけ階段から転がり落ちたにも関わらず、鳴海ちゃんにケガがなくて良かったと恭平は安堵する。

 そもそも、鳴海ちゃんが階段を踏み外してしまったのは、朝からばったり出くわしてしまったことが元々の原因ではなく、視界にいれたくないほど毛嫌いされてしまっている恭平のせいであるのだから。

 もし、あと数分前後して恭平がゴミ捨てに出ていれば、こんな事態にはならなかったはずなのだ。

 まあでも、起こってしまったことは仕方のないので、恭平は切り替えることにした。

 今回の件で、少しでも鳴海ちゃんとの距離を縮められればいいなと願いつつ。

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