第21話 水は任せるびば

 チハルの入った穴の下は水路になっていて、壁際が一段高くなっており水に濡れず歩くことができる。

 水路は幅1メートルと少しほどで、深さはそれなりにありそうだ。一方壁際の「路」は30センチくらいだろうか。

 小さなチハルでも路を歩くに少し窮屈なくらいである。

 

「びば」


 どぼーんとビーバーが水路に飛び込む。彼にとっては地上より水中の方が動きやすく、濁った水ではあったが気持ちよさそうに泳いでいる。

 あっという間に水しぶきが遠ざかって行き、チハルの視界から消えてしまった。


『おいおい、はしゃぎ過ぎだろ』

「おうちの近くに池か川はなかったかな?」

『ちいと距離があるな。飛べばすぐだが』

「ビバくんは飛べないもん」

『そうだった。ソルに乗せてもらって移動すりゃ、そう時間はかからないさ』

「そうしよう!」


 チハルはビーバーが広い湖を泳ぐ姿を想像してにこっと微笑む。

 あ、ビバくんを追いかけないと。

 とてとてと走る彼女であったが、路が狭く思うように進むことができないでいた。

 ぬかるみに足を取られそうになるものの、カラスが背中を押してくれたので倒れずに済む。

 わたわたしながら進んで行くと行き止まりになっていて、右に水路が折れていた。

 

「びば」


 ビーバーが正面の壁の辺りでひょっこりと顔を出す。

 そこで彼は顔を上下させて水面をバシャバシャと叩き始めた。

 

「クラーロ。あの奥かな?」

『奥って壁じゃねえのか? いや、水の中からなら奥へ行けるのかもしれねえ』

「じゃあ、行くね」

『おおおい。待て。水を介すると俺じゃあ測れねえ。無いとは思うがモンスターがいるかもしれねえだろ』

「そうなの? ビバくん」


 チハルの問いにビーバーは首をぶんぶんと左右に振る。

 平らな尻尾を水面に出し、ばっしゃんばっしゃんやるおまけ付きで。


「いないって」

『俺もついて行きてえんだが、息が続くか分からん』

「クラーロはここで待ってて」

『いや、俺も行く。息が持ちそうになかった戻る』

 

 うんしょと壁にリュートを立てかけたチハルは、自分の服をぱんぱんと叩く。

 特に落としそうなものはないかな?

 彼女は服を着たまま躊躇せず濁った水に向け足を踏み出す。

 どぷんと彼女の全身が水の中に浸かり、綺麗に洗濯されたワンピースが一瞬にして汚れてしまった。

 

「底に足がつくよ」

 

 彼女は空から様子を窺うクラーロに顔を向ける。

 足がつくといっても、彼女の首元まで水が来ており少し顔を下げると顎に水面が触れそうなほどだった。


『ランタンは持っていけねえな……』

「やっぱり、クラーロはそこで待っていて」


 珍しく助言する立場のクラーロが抜けていて、チハルがリュートを指さす。

 「すまん」と悔しそうに口走ったカラスはリュートの隣にランタンを置き、その場に留まった。

 真っ暗闇になると、クラーロは一切の視界が利かなくなってしまう。水で濡れたランタンに再び火を灯すことは相当に厳しい。

 彼としては、ランタンと共にここへ留まる以外の選択肢はなかった。

 それでも彼はチハルを案じる。

 

『何か気配がしたら、伝える。チハルも何かあれば俺に伝えてくれ』

「うん!」


 カラスとチハルは離れていても頭の中で意思を伝えあうことができた。

 条件は目をつぶって相手の姿を思い浮かべること。

 「聞く」だけなら、目をつぶる必要もないというお手軽なものなのだ。

 

「びばば」

「うん!」


 ビーバーがどぷんと潜水する。チハルも彼に続いてその場でしゃがみ込む。

 彼女の目には底部に開いた隙間がハッキリと確認できた。

 この隙間はチハルの体で何とか通ることができるくらいだろうか。

 よく見てみると、床に何かが擦ったような跡がある。

 ここから向こう側に行けそう。

 とチハルが考えた時、隙間がすごい勢いで水を吸い込み、彼女の体も巻き込まれてしまう。

 

 彼女は自分の服を引っ張るビーバーに導かれて水面に出た。


「滝?」


 数十メートル先で水の流れが変わっているようだった。奥の方から水の落ちる音が聞こえてくる。

 一方でビーバーは水面に顔を出し、バシャバシャと平たい尻尾で彼女に「こっちだ」と言っている様子。


「うん!」

「びばば」


 壁の向こう側の右手壁際にも路があり、チハルは路に手をかけた。

 多少手間取ったものの、彼女は路に降り立つ。

 

 真っ直ぐ進み、水の流れの変わったところまで来たら、彼女の予想通り滝になっていた。

 滝の高さは10メートルくらいといったところか。

 どうやって下に降りようかな?

 チハルは「うーん」と首を捻る。


「そうだ。ロープを使えばいいのかな?」


 目を瞑ったチハルはクラーロに呼び掛ける。


《クラーロ》

《おう》

《奥に滝があって、降りることができないの》

《ロープに楔ならすぐ持ってこれるが、チハルの力じゃ楔を打ち付けることは、この床だとしんどいな》

《わたしじゃ、ダメ?》

《ロープを結ぶことができそうなでっぱりとかないか探してくれ。とりあえず俺はロープを取りに行く》


 パチリと目を開いたチハルは周囲を見渡す。


「びばば」

「そうだね!」

 

 ビーバーがペタンペタンと床を叩き、前脚を右手に向ける。

 そこには梯子の後なのか、別の何かだったのかもはや分からなくなっているが、鉄の楔らしきものが床に突き刺さっていた。

 

 ◇◇◇

 

 無事、ロープを伝って滝の下に降りることができたチハル。

 路は続いていて、少し進むと横穴を発見する。

 そこにはずぶ濡れになって小さな肩を震わせる少年がうずくまって泣いていた。

 

「ローランくん?」

「う、うん。キミも迷子に?」

「ううん。ローランくんを探しにきたんだよ」

「そ、そうなの!? ぼく、そこの滝から落ちちゃって」


 ローランは堰を切ったように喋りはじめる。

 友達に臆病だと馬鹿にされて一人で地下に来た彼は、ぬかるんだ路に足を取られて水路に落ちてしまった。

 立てば顔が出るほどの深さだったのだが、落ちたことで動揺した彼はその場でもがきチハルが通った隙間に吸い込まれそのまま滝の下まで落ちたのだと言う。

 幸い、滝の下の水深がそれなりにあったことと、彼自身が子供で体が小さいことが幸いし落下時に怪我をすることもなかった。

 水路から出た彼は元の路へ戻ろうとするものの、10メートルもある壁をよじ登ることなんてできようはずもなくここでうずくまって泣いていたそうだ。

 

「帰ろう。ローランくん」

「うん」


 彼の手を取り、にっこりと微笑むチハル。

 そんな彼女の最高の笑顔にローランが頬を染める。

 

 わたし、ワタシに頼らずに冒険できたよ。えへへ。

 チハルはそんなことを考えながら、ローランがロープをよじ登る手伝いをして、隙間を抜けクラーロの待つところまで戻ってくる。

 こうして人探しから始まったチハルの小さな旅は無事終わりを告げたのだった。

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