第037話 ああ、主様!



「主様の望まれるように、わたくしをお楽しみください」



 ベッドの上。

 俺に覆いかぶさるナナが、その幼い顔に妖艶な笑みを浮かべて俺を見ている。


 わかりやすく言うと、俺、押し倒されそうになってる。



「は?」



 いや、今のどのタイミングで俺がここまで追い込まれる時間があった?

 気取られないでゆっくりと追い立てられていた?


 ナナはいつから、俺を潤んだ瞳で見ていた?



「無論、わたくしのつたない手であっても先導をお望みということでしたら、非才の身の全霊をもって、主様にご奉仕させていただくつもりにございます」


「いや、待て待て。話せばわかる」


「はい。たっぷりと時間をかけてお話しいたしましょう。主様」



 俺の上着の隙間にナナの小さな手が潜り込み、素肌を撫で上げる。

 吐息が届くほどの距離まで密着されて、押し返そうにも純粋にパワー負けしてしまう。


 これが、ライカンの種族特性か!?



「たくましいお体です、主様。道具に頼らず、自らを鍛え上げてこられたのですね?」



 お腹周りをさすさすされて、俺の体が無意識に震える。

 このまま何も考えず、垂れ犬耳っ娘のご奉仕を存分に体験していいんじゃないかと、流されそうになる。



「さぁ、お望みのまま、わたくしをお求めください……」


「くっ……」



 脳が警鐘を鳴らす。


 これは、あの時と同じだと。

 あの時と違って色香に薄いが、代わりに絶対的な力の差でごり押しされる状況だった。


 だから。



「……フッ!」


「むぐ」



 俺は先手を打ってナナの唇を手で塞いでから。



「《イクイップ》!!」



 『財宝図鑑』から『魅了耐性向上の指輪』を装備した。



(頭が冷える。これなら……!)



 流されそうになった意識を奮い立たせて、再び俺は声を張る。



「《イクイップ》!!」



 寝間着から外行きの、戦闘可能な装備一式に衣装チェンジ!

 それらの装備補正をフルで活用し、力関係を逆転させる!



「こらっ!」


「ふぎゅっ」



 装備した勢いそのままに、今度はこっちがナナをベッドに押さえつけ、動きを封じる。

 ワンピースのロリ少女にマウントをとるって絵面は非常にまずいが、今はそんなことを言っている場合じゃない。


 って。



「ふぅー……! ふぅー……!」



 なんかこっちを見るナナの目が、さっき以上にトロトロになってないか?



「……ぷぁっ、はぁ、はぁ、はぁー」



 思わず手を口から離してしまえば、荒く息を吐きつつも、彼女は一切の抵抗を示さない。

 どころか俺に、何かを期待しているかのような目を向けていて。


 そんなナナがとったのは、よくある犬が格上に取る……服従のポーズ。



「あ、あるじさまぁ……もっと、もっとわたくしを、屈服……させてくださいませ……」


「………」



 アウトーーーーーーーーーーーーーーーーー!!



(あー、ダメダメそれはエッチすぎる卑怯ズルい美少女がそういうこと言ってはいけない)



 瞬間最大風速のクリティカルヒットが、俺の『魅了耐性向上の指輪』てっぺきのまもりを貫通した。

 正直見た目に関しては俺の好みだしその補正あったから奴隷として買う判断になったことは否めない。だからこういう展開を期待していなかったかと言えばしていた方に分類されるのは間違いないことで明らかにこの状況は据え膳なんだから食べても――。



(待て。待て待て待て待て!!)



 いかに据え膳といえど、この状況下で手を出すのはご法度だと、ミリエラを乗り越えた俺のバッドエンドセンサーが訴えている。



(何より、この状況に流されてしまったら、なし崩しに救世の使徒って奴になってしまう!)



 それは、絶対に許容できない!!



(俺は、俺の道を阻む誰からの勝手も、押しつけられるつもりはない!!)



 叫べ俺。すべての理性を振り絞り、拒絶しろ!!



(……そうだ! そもそもこの子はどう見てもまだみせ――)



 その時。



「あるじさま」



 ナナが、真っ直ぐに俺を見つめて、微笑んでいた。



「わたくし、これでも故郷のしゅうらくで、すでに“せいじん”のぎしきは済ませております」



 そして、まるですべてを見透かしているかのように笑顔をはにかみに変え、告げた。



「つまりは、“ごーほー”……に、ございます」



 ………




      ※      ※      ※




 カァー……、カァー……。



「……遠くで、カーカが鳴いている」



 夕暮れが似合う町、ガイザン。

 高級宿の角部屋で、俺は心地よい疲労感と共に、ベッドに横になっていた。



「すぅー……、すぅー……」



 隣には、愛らしい寝顔を晒すライカンの少女、ナナがいる。



「むにゃ……あるじさまぁ……」



 シーツにしわを作る彼女の握りこぶしは、それだけ強く相手を求めている気持ちの表れだろうか。



「……どこまでも、ごいっしょに……」


「………」



 可愛らしくも切実な、儚げな印象すら与える寝言を聞きながら、俺は――。





(……手、出しちまったぁぁぁぁーーーーーーー!!!)





 両手で顔を覆い隠し、全力で後悔していた!



(やべーよどうすんだよこの子に手を出したら救世の使徒ルートのフラグ立つっつったろうがもふもふ最高マジでヤバイマジでヤバイ明らか高難易度ルート選択した気がするぷにぷにボディ気持ちよかったうおおおおおまだ挽回できるかあれ間違いなく初めて何とかここから軌道修正いっそこの子をどこか遠くにその最高の抱き枕を捨てるなんてもったいないわああああどうしたらいいんだあああ!!)



 取り返しのつかないフラグを、思いっきり踏んでしまった。


 これで俺は、彼女からよく知りもしない神話の登場人物と同一視されることになる。

 否、もうされていたかもしれないが“その上で”関係を持ってしまった。



(これで嘘でしたと口にしたら、どういう形であれ俺がナナを騙して関係を持ったことになる。天使さんお墨付きの狂信者がそれを知ったらどうなるかなんて、火を見るより明らかだろ)



 今でこそ最高に幸せそうな寝顔ですやすやしているこの垂れ犬耳ロリっ娘が、その顔を憎悪に染めて俺を睨みつけるところを想像して背筋が凍る。

 あるいは絶望の淵に落ち果てて、俺の見ている前で自害なんてされてみろ、一生モノのトラウマになるぞ!



(うぐぅ、俺のバカ野郎ー! 何が奴隷を装備できるか検証する、だ。合体してんじゃねぇ!)



 どうして、どうしてこうなったーーーー!?!?




「……はぁ」



 しばらく考えても、自業自得以外の言葉は出なかった。

 何をどう考えたところで、手を出した以上それはもう後の祭りである。



 そんな俺に残されている道なんて、ひとつしかなかった。



(……腹をくくれ、九頭龍千兆。お前の第二の人生に後悔する道なんてのはないだろう?)



 ゆっくりと体を起こし、隣で眠るナナの頭をよしよしと撫でまわす。

 ふわっとした感触が心地よくて、何より撫でられているナナが嬉しそうだったから、そのまましばらく撫で続けた。



「……やるか」



 第二の人生、ポジティブに行こう。


 ならばこれは逆に、チャンスだと捉える。 



「この子の前でだけは、俺は救世の使徒だ」



 まぁマジで世界救えとか言われたらケツまくって逃げるが、そうはならないだろう。

 聞いてる限りこの子はきっと、救世の使徒に仕える巫女ごっこがしたいだけなのだから。


 いっそその立場を上手に利用すれば、レアアイテム入手に繋がるかもしれない。



(……いいじゃん。上等、やってやらぁ!)



 騙したからには、上手に騙し続けてやるさ!



「んむぅ」


「おっと」



 気合を入れてたら撫でる手に力が入りすぎてたな。調整調整。



「ん、ふふ……おやさしい、れふ……」


「まったく、幸せそうな寝言だなぁ」



 そうさ、俺はレアアイテムの蒐集家にしてゴルドバチートをもらった男、センチョウ・クズリュウ。



「……まずは、変に目立たない言い訳を考えないとな」



 ナナが目覚めるまでに、俺は俺なりの救世の使徒の設定をでっちあげる。

 この選択が俺のバッドエンドへ繋がっているかもしれないという可能性から、全力で目をそらしながら。




 そう、今はただ、全力で祈るだけだ。



「んぅ……ああ、わたくしの……主様……むにゃむにゃ」



 彼女が俺にもたらされた、滅びの町からのプレゼントではありませんように、と。




 こうして俺の旅路に、道具ではなく、新たな仲間が加わった。


 俺を救世の使徒と信じて疑わないライカンの少女、ナナ。


 彼女が俺にもたらす影響は、未知数だった。


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