第120話

 「ひどいよ……」

 「え?」聞き覚えのある声に、思わず声をあげていた。


 この声は……………………………、いや、違う。そんな訳ない。否定しても、その名前が浮かび上がってくる。


 ……まさか……。南由? なぜこんなところに、南由が……。しかし姿は見えない。 


 悪霊と対峙している異常な事態なのに、浮気現場に踏み込まれたような焦りがまさる。


 「なっ、南由、違うんだ。これは……」と、思わず空間に向かって、テレビドラマで聞いたようなセリフを言おうとすると、永里の叫び声が俺の言い訳をかき消した。


 「きゃああああ! 痛っ、やめて!」

 「南由? 嘘だろ? やめてくれ。永里は友達なんだろ?」


 「信じていたのに……。二人とも、信じていたのに……」


 南由のすすり泣く声が部屋の空気を震わせると、「ぎゃあっ!」と、永里が椅子から転げ落ち、床でのたうち回った。頬から流れる血がフローリングにこすり付けられる。肌色の床に、子供が不揃いな刷毛で描いたような赤黒い模様がうねうねと伸びていく。永里は出血している頬を、ガリガリと爪を立ててかきむしり始めた。


 「やめろ、永里っ! 傷がひどくなる。今度こそ直らなくなる!」と腕にしがみつく。しかし渾身の力で抑え込んでいるのに、掻きむしる手を止められない。

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