第98話
男は、威圧するように大きく体を前に振ってから立ち上がると、カウンターを回って出てきた。
「さあさあ、帰った帰った」と言いながら永里の座っているスツールの背に手をかける。
永里が怯えて椅子から降りると、今度は体の正面に近寄ってくる。永里の腕を引き寄せて男から引き離す。これでは話を聞くどころではない。
「すみませんでした。もう帰ります」と永里が頭を下げると、「そう? 悪いね、役に立つ話ができなくて」と今度は急に機嫌の良い声で言う。
先ほどまでの身の危険を感じさせるほどの不機嫌は、すでに消え去っている。変わり身の早さにげんなりした。
押し出されるようにして自動ドアから出る。永里が怯えてうつむいているので、九枝不動産から早く離れようと手を取り、駅に向かう方へ足を向ける。
手を繋いだまま歩いていると、黙っていても少しずつ永里が落ち着いてくるのがわかった。
「ちょっと、お客さーん」
後ろから声がした。振り返ると、「忘れ物!」と言いながら、手に持った何かを振りながら、赤い縁のやや派手な眼鏡をかけた女の人が小走りに走ってきた。
中肉中背で、体型はストロー息子とは似ていないが、顔の輪郭と小さな口が似ている。エネルギッシュだが、実際には初老といったところか。年齢的に考えて、この女性が九枝不動産の女社長で、あのドラ息子の母親なのだろう。
「はい」と、消せるボールペンとメモパッドを差し出された。
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