第96話

 「ここなんか、新婚さんにピッタリだよぉ! 家賃もそんなに高くないし」


 「いいえ、あの。俺たち、実は家を探しに来たんじゃないんです。聞きたいことがあって」


 「あ、そうなんだ」


 ギシ、とキャスター付きの椅子に寄り掛かった。急速に興味を失って、面倒くさいと思っていることを隠そうともしない。早く帰れ、という心の声が聞こえてくるようで焦る。


 「俺の友達が、以前にこちらでマンションを借りまして」

 「ああ、そうなんですか?」

 「天母てんも南由なゆっていう子なんですけど」


 「あー」眉をしかめ、「あの部屋の子か」と言うと押し黙ってしまった。


 「何か、あのマンションって、ええっと」


 質問しようと口を開くと、男はそれを遮って被せて話し出した。


 「天母南由さんだっけ? あの方、苦情が多くてね。ストーカーが入ってくるから、防犯カメラを付けてくれとか。

 一度なんか、蜂が出るって言ってきてね。虫なんか自分で何とかする範囲のことでしょう。どういうことかって聞いたら、雨戸の中に蜂が巣を作ってるってさ。もう大騒ぎ。まあ、虫なんか自分でなんとかして、って突っぱねたけど。君たちもまともに取り合わない方がいいんじゃない」


 「でも、ストーカーは実際に……」


 「あのね! 放火事件の後、警察にも言ったけど、ストーカーなんてマンションのせいじゃないでしょ? 個人の問題じゃないの。そんなことまで責任負えないんだよ。用件はそれだけ? それならもう帰ってくれないかな。この後、物件の案内が入ってるし」と、腕時計を見て、ため息をつく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る