遠くの文集
祭屋 銃銃太郎
武器マン
暗い、暗い夜の闇の底に、石つぶてを積み上げたような、何もない山があった。
崖の際に半裸の男が立っている。いくつもの松明の灯りが、背後から男を照らした。
振り向いた男の体には埃と汗が張り付いていた。呼吸が荒い。深い疲労にあるのだろうが、その肉体は強烈な殺傷能力の残存を周囲の者達に感じさせた。
「惜しかったな」
低い声だった。まるで古戦場に捨てられた、錆び付いた鉄の鎧が発したかのような。
「まだ死ぬつもりはないんでな。出直させてもらうぞ」
松明の群が駆け寄ろうとした時にはもう、男は地面を蹴り、崖の底へと飛び出していた。暗い、暗い闇の底へと。
落下。斜面から岩が突き出している。
「ガハッ!」
弾かれた。身体が弓なりに反って跳ね、落下へと続く。
斜面を跳ねるように転がっては体を削り、垂直に落ちては岩に体を打ちつける。
何度目かで偶然、岩場に引っかかった。その姿は砂浜に打ち上げられ、ただ死を待つのみの魚に似ていた。幸運なのだろうか。
「オオッ!」
短い雄叫びを上げ、横たわった体を岩場から宙に投げ出す。その後は、どこかに引っかかることもなく、体を削り、打ちつけながら落ちていった。
それでもなお男は死ななかった。肉が飛び散ろうが、骨が砕けようが、内臓が破裂しようが、突き抜けるような痛みを残して癒えていく。血液も減った分だけ新たに湧いた。
いつの間にか地獄にいたのだろうか。
否。それは男の脳髄からの呼びかけに、身体に宿る霊魂かそれに近い何かが応えた結果だった。
一際長い落下。衝撃。身体がいくらか圧縮された。
死ねない男は、凄惨な墜落を受け止めてくれた物体を見た。そこにはぼんやりと燐光を放つ一人分の人骨があった。朽ちた衣服は、魔術師たちが好んで着るものに似ていた。
立ち上がり、散らばった骨の中から長いものを二つ拾い、擦り合わせる。燐光が一条の線となって闇の奥へと漂い、それを追うように男は歩きだした。
涸れた川の跡を下っていくその姿は、どこか楽しげですらあった。
「残機が、三は減ったな……」
まるで自分の命がいくつもあるかのような、冗談めいた言葉。
残機。そのような言葉は、男が口にするまでこの世界に存在しなかった。またそれに似た現象も存在しない。
命は一つだ。たしかに、傷ついた肉体を癒すことも、老いた肉体を若返らせることも、適した手段を用いれば可能ではある。
だがそれでも、命は一つだ。
ひたすらに生物を食らい、山脈をまたぐ程に肥満した一頭の獣。
疫病で滅びた国の都を守り続けた奴隷巨人たち。
戦場として、多くの血を吸い続けた平原が宿した赤子の群れ。
そして人間、人間、人間。
皆、死んだ。命は一つしかない。男はそれを知っている。他ならぬ彼の手によって、その者たちの命は絶たれたのだから。
冷えた夜風に体温は持ち去られ、雲を貫く月光は隠密を妨げる。
それでも、男の歩みは続く。
またどこかで、生命を絶つ機会を得るまでは。
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