第三十四話 最強の陰陽師、悪魔の王都へ向かう


「ん~、まったくもって……くだらないわねぇ」


 悪魔の王都についた頃、すでに議会は始まって二日目となっていた。

 主たる議題はもちろん、今回の事件についてだ。

 ただどちらかといえば、噴火よりも王宮内部に潜んでいた間者についての話し合いに時間が割かれていた。噴火の議論は一日目に済んでおり、やはり火山の近辺に集落がないこともあってか、対処は行わない方針に決まったようだった。


 だからアトス王が戻ってきた時、議場には冷めたような空気が流れた。

 喋らないアトス王に代わり、議長である宰相が、彼から手渡された支援の必要性を説く書面を読み上げる。すると議員たちはあからさまに溜息をついたり、馬鹿にするように鼻を鳴らしたりしていた。

 今さら戻ってきて何を言っているんだ、その話は昨日終わっている――――そんな空気が漂っていた。


「他種族のための支援だなんて」


 赤茶の毛並みを持つ悪魔が、口元に手を当てながら言う。


「まったくもってくだらない。魔族は仲良しこよしの集まりではないのよ。我らが王は魔王様に、いったい何を吹き込まれてきたのかしら」

女咬爵じょこうしゃく、さすがに言葉が過ぎるぞ」


 灰色の毛並みを持つ、大柄な悪魔が言う。


「だが、利がないことは確かだ。必要性は感じられない」

「議論はすでに昨日、出尽くしたましたからねぇ」


 漆黒の毛並みを持つ、眼帯をした老いた悪魔が、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら言う。


「これ以上の審議は無意味かと思いますが……どうでしょうねぇ、宰相殿」

「待て、我は賛成だ。他種族が軒並み支援を決定し、陛下のご意志も同様であるならば、それらを踏まえた再審議が必要だろう」


 銀の毛並みを持つ若い悪魔の弁に、先ほどの赤茶の悪魔が口元を歪めて言う。


「あら。話題を逸らすよいとっかかりを見つけたわねぇ、狛爵。これ以上『銀』の部族への追及が厳しくなれば、あなたの立場も危うくなってしまうもの」

「これは異な事を言う。王宮人事の責任者は他でもない、『赤』の部族の出身者が務めていたはずだが。本来追及されるべきはそちらではないのか? 女咬爵」

「おい、話が逸れているぞ。本題は他種族への支援をどうするかだろう」

「すでに行わないということで決したはずだ。これ以上の審議は時間の無駄だ」

「いや、新たな情報がもたらされたからには再審議を……」


 議場に言葉が飛び交い始める。

 幸いなことに、支援に賛成の議員もいるようだった。ただ明らかに数が少なく、劣勢の様子だ。

 議論が乱れ始めた頃、議長であり宰相でもある肥えた悪魔が、収拾をつける声を上げる。


「皆さん、一度静粛に。どうでしょう、ここはあらためて……陛下にお話しいただくというのは」


 一度静まった議場が、わずかにざわめいた。

 肥えた悪魔は口元に笑みを浮かべながら続ける。


「私も書面を読むばかりでは、詳細までは掴めませんでした。陛下もこのようにおっしゃる以上は、我々の考えを変えさせるだけの論拠をお持ちなのでしょう。あらためて口頭にてご説明いただき……それをもって判断するというのはいかがでしょう、皆さん」

「私は賛成。その方が早く済みそうね」

「我もそれで構わない。好きなようにするといい、議長」


 赤茶と灰の悪魔が賛同する声を上げる。

 その後も続くように、議場からは同じような声がぽつぽつと上がっていく。


 ぼくは内心で歯がみする。宰相の狙いははっきりしていた。

 アトス王に恥をかかせ、この議題を手早く切り上げるつもりなのだ。

 アトス王は、このような場で満足に話すことができない。これまで代弁していた従者には裏切られ、今はただ一人だ。たどたどしい喋りに皆が呆れれば、それで審議が終わると考えたのだろう。

 かといってそれを指摘すれば不敬となり、攻撃材料を与えてしまうことになる。だから支援派も苦い顔をするばかりで、異議の声を上げられない。


 議場の隅に座っていたぼくは、思わず腰を上げかけた。

 その時。


「……っ」


 アトス王が、こちらを見た。

 その目に、焦りはない。まるで穏やかに制されたかのように、ぼくは自然と腰を戻してしまう。


「では陛下、お願いいたします」


 宰相が意地の悪い笑みと共に、アトス王へ促す。

 悪魔の少年は一度議場をゆっくりと見回すと、やがて静かに口を開いた。


「――――情けないことだ」


 その一言で。

 まだ微かにざわめいていた議員たちは、不思議と静まり返った。

 少年王の声が、議場に響き渡る。


「これが悪魔の議会なのか。このような妄言をわめき立てる者たちが、我が種族を支える有志たちだというのか」


 陛下、言葉が……。

 そんな声がどこからか小さく上がった。

 アトス王はまるで歌うように・・・・・、言葉を続ける。


「今の状況を理解できぬ愚か者は、さすがにこの場にいないと信じる。したがってここからは、我が自身の考えを整理するために話そう。諸君――――今は戦時である」

「……」

「十六年前、勇者と共に魔王様がご誕生なされた。この度には、我らが地へのご帰還も果たされた。そんな今、人間どもがこの地に破壊的な工作をもたらし、民の暮らしをおびやかそうとしている……。これを戦時と言わずしてなんと言うか」

「……」

「このような状況で、諸君らは何をやっている? 人間どもからの攻撃を見て見ぬ振りをするかのごとく捨て置き、助けを求める他種族の声にも耳を塞いで、身内の責任追及にばかり終始する。これが果たして、悪魔を統べる者たちのあるべき姿なのか。まるで戦争というものを理解していないかのようだ」


 今や少年王の言葉に、耳を傾けていない者はいなかった。

 アトス王は議員たちを示すように、大仰な身振りを伴って続ける。


「諸君らの中には、我の言葉に異を唱えたい者もいることだろう。否、戦争など嫌というほどに理解している。今ばかりではない、我らは常に戦時であった……と。その通りだ。前回の大戦以後の五百年間。魔族と人間の衝突が一切なかったこの百年間ですらも、我らは常に人間どもと戦っていた。それは戦場で行われる武人たちの戦いではない。種族としての力を溜める内政の戦い、諸君ら文人の戦いだ」

「……」

「議場では血は流れず、命を失うこともない。常に体を張り同胞を守ってきた武人と比較され、口ばかり達者な文人風情がと軽んじられたこともあっただろう。だが我は知っている。兵や兵站は無から湧き出てくるわけではない。豊かさこそが戦場での強さに繋がるのだ。それを支える諸君らの戦いは熾烈を極めていた。我は諸君らの勇姿を、戦功を、傷痍を知っている」


 アトス王は、老いた黒の悪魔に目を向ける。


「ダル・ダヴィル咬爵。そなたはこの議場での歴史を誰よりも知るふるつわものだ。齢四十にも満たぬ若さで議席を掴み取り、その後の実に二百年間、悪魔族のまつりごとを支えてきた。幼い頃にここでそなたから聞かされた、面白可笑しい議員たちの逸話はすべて覚えている。だが何より我の心を熱くしたのはそのどれでもない、母から聞かされたそなた自身の逸話だ。反対派の議員と掴み合いになり、その際の怪我が元で片目の光を失いながらも、傷痍軍人に対する支援制度を打ち立てた。そなたような臣下がいることを誇りに思う」


 老いた悪魔は、開きかけた口からなんの言葉も出せないまま、ただ少年王を見つめる。

 アトス王は次いで、大柄な灰の悪魔に目を向ける。


「ネル・ネウドロス大荒爵。そなたは食糧供給に関する法を実に十六も成立させた。急激な人口増加による飢餓の危機から、我ら悪魔族を救ったのは紛れもなくそなただ。大農園の主でもあったことから、自らの権益のためではないかと心ない言葉をかけられたこともあっただろう。だが我は知っている。そなたが自らの農園を四つも王宮へ寄進したことを。貧者への配給が初めて行われた際には、自らもその場に立ち会い、法の効力をその目で確かめていたことを。権益程度の目的では決して達成しえぬ、高い志を持っていたからこその偉業であった」


 大柄な悪魔は少年王から視線を逸らし、まるで恥じ入るように目を伏せた。

 アトス王は続いて、赤茶の悪魔へと目を向ける。


「ロル・ローガ女咬爵。そなたはまさしく女傑だ。夫であるテル・テオロス咬爵を病で亡くし、まだ幼かった息子に代わって爵位を継ぐと、議会において瞬く間に頭角を現した。法を四つも成立させ、不正を行った議員の糾弾をも主導した。さらには激務をこなしながら、子を五人も立派に育て上げた。息子の一人は後継者として力を付け、二人の息子は軍人として現在も軍務に就き、二人の娘は大荒爵と狛爵に嫁いで家督を支えている。我が母はそなたに憧れ、先王である父ですらもそなたには一目置いていた。幼心にも、これからの悪魔族を支えるのはそなたのような女性だと思った」


 赤茶の悪魔は、いつのまにか目を見開き、少年王の言葉に聞き入っている。

 アトス王は、議員たち一人一人に目を向けていく。


「ソル・ソートラス狛爵、オル・オギリス咬爵、キル・キニーゼ女狛爵、ヘル・ヘリク刺爵……」


 彼らの名前を呼んでいく。

 名が呼ばれるたびに、彼らの纏う空気が変わっていくようだった。

 やがてすべての者を呼び終え、アトス王はもう一度議場を見回す。


「今一度言おう。我は諸君らの勇姿を、戦功を、傷痍を知っている。このような英雄たちが戦友ならば、我に不安はない。戦っていける。魔王と勇者の誕生した此度の大戦を、共に戦い抜けられる。人間どもに打ち勝ち、我が種族のみならず魔族すべての繁栄を掴み取り、そして子孫へとこの志を繋ぐことができる、と…………そう、信じていた」


 そこで、アトス王は一度言葉を切った。

 物音一つなく静まり返る議場を見渡し、わずかに間を開けて告げる。


「この先も、そう信じたい――――決を採る!」


 アトス王は席を立った。

 議場すべてに、よく響く声で呼びかける。


「我と志を共にしようという者は、起立し手を打ち鳴らすがいい! 我はその者を、此度の戦友として迎えよう!!」


 耳が痛くなるような静寂。

 それは――――一瞬で打ち破られた。


「賛成だ!」


 声と同時に、銀の悪魔が立ち上がった。

 拍手と共に感極まったように叫ぶ。


「陛下、我もあなた様と共に!」

「……私も」

「我もだ!」


 議員たちが次々に立ち上がり、手を打ち鳴らす。

 その流れは、止まらなかった。

 今や反対していたはずの赤茶や灰や黒の悪魔すらも、立ち上がって賛同の拍手を送っている。


「賛成だ!」「戦友たちに手を差し伸べよう!」「人間どもに我らの地を好きにさせてなるものか!」「王よ、我も共に!」「陛下!」「我が王!」「アル・アトス陛下!」「真なる王よ!」


 ぼくは、思わず圧倒されていた。

 アトス王は、紛れもなく彼らの心を変えていた。

 シギル王のような交渉でも、プルシェ王のような根回しでも、ヴィル王のような暴力でも、ガウス王のような説理でも、フィリ・ネア王のような利益でもなく――――ただ一度の演説によって、アトス王は王としての実権を掴み取っていた。


 まるで新たな王が誕生したかのような万雷の拍手の中、アトス王は堂々と立つ。

 そして傍らで目を見開いている肥えた悪魔へと向かい、ぽつりと言う。


「ベル・ベグローズ宰相。そなたはどうする? 混血でありながら宰相にまで上り詰めたそなたの手腕、借り受けられるのなら心強いが」


 肥えた悪魔はおもむろに、アトス王の下へと跪いた。

 そして、震える声で答える。


「私も……あなた様と共に、行かせてください。アル・アトス陛下」

「ならば、我らが意は決した」


 アトス王が大仰に告げる。


「支援の具体的な内容は、種々の事情に通じている諸君らに任せよう。きっと我が意に沿うものになることだろう。我は魔王様と共に、最後の始末をつけに行かねばならない――――頼んだぞ、諸君」


 アトス王が踵を返す。

 そしてこちらに目配せをすると、議場の扉を開けて出ていく。

 ぼくもそれに続いた。



****



 議場を出て少し歩いた時、アトス王がまるで崩れ落ちるかのように膝をついた。


「っ、大丈夫か?」

「え、ええ……」


 アトス王が、力なく笑って答える。


「少し、疲れました」


 ぼくは少年王と目線を合わせるように膝をつくと、気になっていたことを問いかける。


「いったい君は……どうしてあの場で、吃りもなく……」

「魔王様に教えていただいた方法ですよ」


 アトス王は照れたように言う。


「歌うようにふしをつけて話すという、あれです。実はずっと、こっそり練習していたんですよ」

「そうだったのか……。自分で言っておいてなんだけど、あんなにうまくいくとは思わなかったよ」

「少しうまくいきすぎたくらいです。ちょっと焚きつけすぎてしまいました。人間とは和平を結ぶはずだったのに、後で苦労しそうです」


 苦笑するアトス王の顔に、ふと憂いが差す。


「もしセネクルが、今の我を見たら……どう思うでしょうか」

「それは……悔やむかもしれないな」


 アトス王は、議員たちの心を掴んだ。

 もうエル・エーデントラーダ大荒爵のような者の専横は許されなくなり、悪魔の議会は力を取り戻すだろう。

 せめて生きていれば、まだ支配する方法はあっただろうに……と、そう考える気がする。


 しかし、アトス王は穏やかな笑みと共に言う。


「そうでしょうか。我は……喜んでくれるのではないかと思います」


 そしてアトス王は、立ち上がってぼくに告げる。


「魔王様。あとは……頼みます」

「……」

「我らの領土を、どうか」

「……ああ」


 静かにうなずく。

 この子らが、ここまでがんばってくれたのだ。

 ぼくも相応に応えなければならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る