第三十三話 最強の陰陽師、獣人の王都へ向かう


 事前に文を出していたおかげか、獣人の王都に着いた頃には議会の準備が整っていた。


 議場の席には、様々な種族の獣人が着いている。

 ただやはり経済力の差なのか、猫人が多いようだった。


「ニクル・ノラの帰還は間に合わなかったが、結論に変わりはないだろう」


 長い毛を持つ、老いた猫人が言う。


「果ての大火山周辺に住む同胞へ報せを出し、避難を促す。段取りはどうなっている?」

「もう進めてるよ」


 官僚でもあるのだろう黒毛の若い猫人が、軽薄そうに答える。


「受け入れ先の集落にも目途を付けて、すでに報せも出した。噴火までには余裕で間に合うね」

「住まいを追われるのだ。十分な金銭的支援も必要だと思うが、その辺りはどうかね」


 片眼鏡をかけた別の猫人が問うと、若い猫人が当然のように答える。


「もちろん、それは国庫から支出しよう。こんな時だから仕方ない。あの辺の人口を多めに見積もっても、十分まかなえると思うよ。僕ら猫人は、魔族の中でもお金持ちだからね」

「猫人は、ね」


 鋭い目つきをした犬人が、重厚な声音で呟く。


「ここが獣人の寄り合いであることを忘れてはいないかね。税収に貢献の少ない種族はいないも同然か?」

「まさか! ごめんごめん、僕の失言だったね」

「……一つ、要望を申し立てたいのだが」


 長い耳を垂らした老いた兎人の男が、手を上げて言った。


「家畜を多く持つ者への配慮を願いたい。あれらは避難に時間がかかり、受け入れ先で餌場を見つけるのも苦労するはずだ。できるならば、人員と飼料の援助を……」

「できないね、それは」


 目を見開く兎人の男に、若い猫人がそっけない調子で続ける。


「要するに特別扱いしろってことでしょ? そんなの不公平だよ。他の資産、たとえば家や土地を持っていた人はそのまま失うことになるのに、どうしてそいつらだけ助けなきゃいけないの? 最初から何も持ってない人だって不満に思わない?」

「っ、だが……」

「家畜なんて、売ればいいんだよ」


 若い猫人が目を細めて言う。


「資産が負債になる前に、お金に換えちゃおう。こんな時なんだから身軽にならなくちゃ。なんなら僕の商会で見積もり出してあげようか?」

「っ、ふざけるな! 非常時だからと買い叩くつもりだろう! 何より……牧畜は我ら兎人の伝統的産業だ! 先祖から受け継いできた暮らしを、そのように軽く手放せるものではない!」

「ふーん、じゃあ好きにしたら」


 頬杖をつき、若い猫人が気だるげに言う。


「国庫のお金だっていくらでもあるわけじゃない。できる支援も限られる。守りたいものがあるなら、自分でがんばらないとね」


 一見、公平な意見にも思える。だが実際のところは、猫人にばかり都合のいい理屈だった。

 商業種族である彼らが抱える資産は、貨幣や貴金属、それに商品だ。物にもよるが、少なくとも家畜よりはずっと持ち運びしやすく、避難先でも活用しやすい。


 ここの議員たちもまつりごとに関わる身だ。この事実に気づかない者はいないだろう。

 それでも異議が上がらないのは、猫人の発言権が強いからなのかもしれなかった。


「そういうわけだから、お嬢もあんまりわがまま言わないでね」


 若い猫人がフィリ・ネア王に顔を向け、半笑いで言う。


「同胞に施せるお金さえも限られるんだ。他種族のための支出なんて、民の理解が得られない。そうだよね? みんな」


 賛同の声は特に上がらない。

 だが、議場の空気はそれを認めるようなものだった。


 まずい流れだ。

 しかし、それでも――――。


「……あの、フィリは」


 フィリ・ネア王は議場を見渡し、おずおずと口を開いた。


「あなたたちを説得したくて一生懸命考えたんだけど、でもフィリ、他のみんなと違ってちゃんとした王様じゃないから、全然思いつかなくて……。だから代わりに、儲け話を持ってきたの。フィリが得意なの、お金だけだから」


 議場の空気が、微かに変わる。


「みんながたくさん儲かるなら、フィリの言うことも聞いてくれるよね?」


 議場がざわつく。

 それは奇妙な騒々しさだった。


 半分は、年端もいかない小娘が何を言っているのかというものだ。

 しかしもう半分には、何かを期待するような薄暗い興奮がある。


「わしは聞きたいね」


 片眼鏡をかけた猫人が言う。


「あの商王の娘が持ってきた儲け話だ。商人として気にならんわけがない」

「ふーん、なんなの? 儲け話って」


 若い猫人も、試すような声音で言う。


 議場の落ち着きを待って、フィリ・ネア王は話し始める。


「フィリは、獣人のみんなもだけど、できれば他の種族も助けてあげたいなって思うんだ。でもお金は限られてる。だから代わりに商品券を発行して、それを貸し付けるようにしたらいいかなって思うの。復興できたら返してねって言って」

「その、商品券……とは?」


 老いた猫人の問いに、フィリ・ネア王が答える。


「商品を買うことができる、お金の代わりになる紙の券だよ。額面には人間のお金を基準に、額を書き入れるの。銀貨何枚分、銅貨何枚分って。それで必要な物資や食糧を買ってもらう」

「……要するに、人間の銀行が発行する預かり証のようなものですかな」


 片眼鏡をかけた猫人が言う。

 預かり証とは要するに、貴金属などの保管を請け負った商人などが、所有者に発行する保管証のことだ。

 保管品と引き換えられるために、預かり証そのものが価値を持ち、売買されることもある。


「担保には国庫の貨幣を?」

「うん。希望する人には、商品券と額面に書かれた分の貨幣を交換してあげるの。それならみんな、安心して使えるよね?」

「あー、わかるわかる。いいよね預かり証。紙だから軽くてかさばらないし、何より預かってる以上の量を発行することもできる。僕の商会でも作ったことあるよ。でもさ……それのどこが儲け話なの?」


 若い猫人が、笑みを消して問う。


「他種族は避難民への支援のために、それを使う。使われた商人は僕らに貨幣との交換を求めてくる。商品券が戻ってくる代わりに、国庫からお金が出ていく。それだけだ。多少の時間差はできるけど、結局のところ返せるかもわからない連中にお金を貸してやっただけなんじゃないの?」


 議場には、同意するかのような沈黙が流れていた。

 実のところ、ぼくにもそうとしか思えない。


 しかし、フィリ・ネア王は首を横に振る。


「ううん。お金を貸すんじゃなくて、商品券を貸すの。だから、返済の時も商品券で返してもらうの」


 一瞬の沈黙の後、議場がざわめき出した。


「どういうことだ、それで何が起こる?」「復興後に他種族が買い戻すことになるのか?」「ならば額面よりも高値で売りつけられるな」「値上がりが見込めるなら、貨幣と交換する意味はない。商品券は市中に留まり続ける」「待て、値上がりの保証はない。商品券はいくらでも発行できるのだぞ」「私がお嬢ならば、高騰した時点で再度商品券を発行し、額面以上の貨幣を買い集めるな」「そうなれば価値が暴落するのでは?」「いや貨幣との交換が約束されている以上、額面以下には……」


「ああ、そうか」


 若い猫人が、小さく呟く。


「お嬢はこれを、貨幣代わりにしたいんだね」

「うん」


 フィリ・ネア王がうなずく。


「最終的に他種族が必要とすることはわかってる。だから、みんな焦ってお金に代えたりしない。軽くて便利な紙の貨幣……紙幣として使われ続ける、と思う」


 ぼくはふと、前世を思い返す。

 そういえば、宋にも似たような仕組みがあった。

 重たく使いにくい金属の貨幣の代わりに流通していた、紙の金が。


「……お嬢のやりたいことはわかった。だがこれは、結局のところただの預かり証に過ぎないのではないか?」


 老いた猫人が、難しい顔をして問いかける。


「確かにそうしようと思えば、国庫にある以上の額も発行できよう。ただしそれは、破綻の危険と引き換えだ。何らかのきっかけで一斉に交換に走られれば対応しきれんぞ」

「しばらくはね。でも、いずれ大丈夫になる」


 フィリ・ネア王の返答に、老いた猫人が困惑したように問い返す。


「いずれ……とは?」

「フィリの紙幣が普通の預かり証と違うのは、それがすごく広い範囲で、お金の代わりに使われるようになること。すべての種族に貸してあげるから、結果的にそうなるの」

「それは理解しているが……」

「そのおかげで、貨幣との交換は将来、打ち切っちゃってもよくなる」

「……は?」


 老いた猫人が、目を丸くして問い返す。


「それは……どういうことか。そんなことをすれば、紙幣の価値は瞬く間に地に落ちることになる」

「急いでやるとそうなるけど、少しずつなら大丈夫。初めは金額に制限をかけて、交換できる期間も限定しちゃう。それをだんだん小さくしていく。最後には完全に打ち切っちゃっても、誰もそれを気にしなくなるよ。それができる頃にはフィリ、たぶんおばあちゃんになってると思うけど」

「……まさか」


 老いた猫人が首を横に振る。


「そうなった紙幣には、なんの裏付けもなくなるではないか。いったい何が、お嬢が作る紙切れの価値を担保し続けるというのだ」

「信用だよ」


 猫人の少女は、当たり前のことのように言う。


「お金の価値は、中身の金や銀が作るわけじゃない。みんながそれに価値があると信じることが、お金に価値を生むの。……王様と似てるよね。フィリがここに座っていられるのも、みんながフィリの王位に価値があると信じてるからだもん」

「……」

「いろんな種族が広く使っている信用。長い間使われてきた信用。そういうのが積み重なった頃なら、交換を打ち切っても大丈夫。フィリの紙幣はお金として独り立ちできているはずだから」


 それは異なる世界で生まれ、長い時を生きてきたぼくでも初めて聞く理屈だった。

 そんなことが、本当に成立するとは信じがたい。現に最後に宋を訪れた時には、紙の金はずいぶんと価値を落としてしまっていた。

 しかしフィリ・ネア王の言葉には、それを信じさせる何かがある。


 若い猫人が問いかける。


「……普通、お金を作るには金や銀や銅が必要になるよね。でもお嬢の仕組みが成立したなら、その時には……」

「うん」


 フィリ・ネア王がうなずく。


「紙さえあれば、いつでも好きなだけ、フィリたちはお金を作れるようになるよ。どう? 儲かりそうだよね?」


 それは、儲け話といった次元の話ではなかった。

 議場は騒然となる。


「まさか、そんな都合のいいことが」「さすがにいくらでも発行できるということはないはずだ。暴落が起こる」「だが経済圏の広がり次第では近いことができるのでは?」「人間社会に依存しない金はいずれ必要となる」「これは流通量も容易に調整できるな」「価値が下落すれば買い戻し、高騰すれば新たに発行すればいいわけか。ならば……」「場合によっては、人間の経済圏すらも……」


「おもしろいね、僕は賛成!」


 若い猫人がはしゃいだように言った。


「印刷の道具が必要だよね? 僕の商会から寄贈してもいいよ」

「偽造を防ぐ意匠はどうする? 職人の手配が入り用かな?」

「紙質も急ぎ、検討せねば。いくつか見本を用意させるか? お嬢」


 世紀の事業に一枚噛もうと、商人たちが盛り上がり出す。

 明らかに、先ほどまでと雰囲気は一変していた。


 しかし、その時。


「いい加減にしてほしい!」


 唐突に声を上げたのは、先ほどの兎人の男だった。


「黙って聞いていれば、この非常時に金の話ばかり。フィリ・ネア王は、ご自分が獣人の王であることをお忘れか!」

「え、で、でも……」

「この場にいるのは商人だけではないのですぞ!」


 冷静に見てみると、議場の空気には温度差があった。

 色めき立っているのは、商業種族である猫人が中心だ。それ以外の種族には、冷ややかな目を向けている者もいる。


「恩恵を受ける猫人はいいでしょう。だが他の種族は? その儲け話のために、借金漬けにされる被災者たちは、それを喜ぶとでも?」

「……」

「我らには我らの守ってきた暮らしがある。誰もが猫人のような生き方をできるわけではない。失礼する」


 そう言って、兎人の男は席を立つ。

 男に賛同したのか、同じように席を立つ者も現れ始める。


「待って!」


 それをフィリ・ネア王は、大きな声で引き留めた。


「あなたが守ってきた生き方って……そんなに安いものなの?」

「は……?」

「お金も払わず手に入るような、価値のないもの? その辺の石ころみたいに、拾えばそれだけで得られるようなものなの?」


 兎人の男が目を鋭くする。


「王とはいえ、それ以上は……っ」

「違うんでしょ?」


 男の言を遮るように、フィリ・ネア王が言う。


「一度失えば簡単には手に入らないから、大切なものなんでしょ? ただそれを続けるだけでは、守り続けられないようなものなんでしょ?」

「……」

「フィリ、知ってるよ。生活に困って、家畜を売っちゃう兎人がだんだん増えてきてること。本当は、それを買い戻したがっていることも」

「……」

「兎人だけじゃない。どの種族にも、守りたいもの、手に入れたいものがある。それぞれにとってすごく価値のある、大切なものが」

「……だから、なんだと言うおつもりか」

「フィリがそれ、助けてあげる」


 目を見開く兎人の男を、フィリ・ネア王は正面から見据えて言う。


「フィリ、王様だから。他のみんなみたいには、ちょっとできないけど……でも、お金には詳しいから。お金に困ってるなら、きっとフィリが助けてあげられる」

「……信用しても、よいのですかな。そのような都合のいいことを」

「まかせて!」


 フィリ・ネア王は、初めて出会った時からは考えられないような表情で、堂々と言って見せた。


「フィリがみんなのこと、たくさん儲けさせてあげるから!」



****



「はあ~、疲れたぁ……」


 蛟の上で、フィリ・ネア王がぐったりと言う。

 日はすでに傾きかけていた。


「フィリ、あんなに喋ったのはじめて……」

「本当に……よくやったと思うよ」


 ぼくは猫人の少女へ、小さくねぎらいの言葉をかける。


 あれからほどなくして、獣人族からの金銭的支援が正式に決まった。

 時間もないので最初は簡単な意匠の紙片になるようだが、ほとんどフィリ・ネア王の案が通った形だ。


「君の言ったようなことが、本当に実現できるのか?」

「んー……? わかんない」


 フィリ・ネア王はぐったりしたまま、そんな不安になるような答えを返してくる。


「えっ」

「だって誰もやったことないことだもん。ぜったいうまくいくなんて言えないよ。でも、フィリの思った通りになれば……大丈夫じゃないかなぁ。それには信用され続けないといけないけど」

「それは……君の紙幣が?」

「紙幣もだし、フィリ自身も」


 フィリ・ネア王は憂鬱そうに言う。


「王様だって、信用されてないといけないのは同じだよ。フィリじゃダメってみんなが思ったら、王位を取り上げられて次の競りが始まっちゃうもん。獣人族ってそういう仕組みだから」

「……」

「でもフィリ……がんばる」


 フィリ・ネア王が、意気込むように小さく言った。


「パパががんばってくれてたおかげで、今みんながフィリの言うこと聞いてくれてるんだもん。だから、フィリもがんばらないと」

「……君は、ずいぶんと変わったな」


 ぼくは思わず呟く。


「初めて会った時とは別人のようだよ」


 ここにいる誰もが、この短い期間で見違えた。

 だが一番変わったのは、おそらく彼女だろう。


「……えへ。フィリもそう思う」


 白い猫人の少女は、はにかむように笑って答えた。

 他の王たちも口々に話し始める。


「実はオレ、何回聞いても理解できなかったぜ……!」

「君はそうだろうね。僕もちょっと信じがたい内容だったよ」

「フィリ・ネアは昔から算術とか得意だったよなー」

「今のうちに、獣人族には媚びを売っておいた方がいいかもしれんの……」

「えー? じゃあプルシェまたなんかちょうだい。フィリ、今度は絨毯がいいな」


 ……ふと。

 ぼくは一人黙って森の果てを見つめる、悪魔の少年に目を向けた。


「……」


 アトス王は、あれ以来ぼくらの前で一言も言葉を発していなかった。

 うなずいたり首を振ったりはするので、最低限の意思はわかる。だが、それ以上の交流は避けているふしがあった。


「アトス王……大丈夫なの?」


 その時リゾレラが、静かに問いかける。


「無理しなくてもいいの。一種族くらいなら、協力を得られなくてもなんとかなると思うの」


 アトス王は目を閉じ、静かに首を横に振った。

 その様子を見て、ぼくはリゾレラに告げる。


「……いや、行こう」


 沈黙を保つアトス王は――――しかし塞ぎ込んでいる様子はなかった。

 親密だった従者を最悪の形で失いながらも、彼の目には静かな決意が宿っていた。

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