第二十九話 最強の陰陽師、黒森人の王都へ向かう


 初めに向かったのは、黒森人ダークエルフの王都だった。


「事情はわかりました。しかし……到底協力はできませんな」


 長い長い卓を囲む、一人の年老いた黒森人ダークエルフが言った。


 巨大な神樹の根元にある王宮。

 その中の一室にて、議会が開かれていた。

 議題は無論、今回の事件について……そして、住民の避難に際して必要となる、人員の拠出についてだ。


「うむ、我らの兵を派遣するべき事態とは思えん。被害の範囲も限られたものとなるだろう。同胞を助けるための、最低限の対処のみすればよい」


 軍装をした、別の黒森人ダークエルフが言う。


 事情はすべて説明した。

 事件の経緯から、魔族全体の協力が必要なことに至るまで。

 楽観視されても困るので、噴火を止められる可能性については伏せたが……それ以外のことは、ぼくとシギル王とで誠心誠意話したつもりだった。


「ガラセラ将軍も同様の判断だったのなら、間違いない。わざわざ魔王様や他種族の王に同席していただく事柄でもなかったのでは?」


 また異なる黒森人ダークエルフが言う。


 やはりというべきか、ここでも協力を得られそうな雰囲気はなかった。


 説明のためという名目で、議会にぼくや他の王たちも同席していたが、だからといってぼくらの意思を尊重する様子も見られない。


「しかし……さすがに果ての大火山の噴火となるとただごとでは済まないのでは? 陛下のおっしゃるとおり、食糧生産にも影響が出る可能性もある。ここは他種族と足並みをそろえた方が……」

「ならばなおのこと、出費は抑えねばならぬ。貴殿はその方面に疎かろうが、兵を動かすのもタダではない。食糧が高騰するのなら、そのための資金を蓄えておかねば」


 議員の顔ぶれを見ていて気づいたのは、やはり軍の派閥が多そうだということだった。

 軍装の者こそ限られているが、それ以外にも体つきや立ち居振る舞いに武人の気配がある者が多い。おそらく、軍を退役した後に議員となった者だろう。


 そういった者たちが議席の過半数を占めている。そのせいか、文人議員の立場は弱いようだった。


「……」


 卓の最奥に着くシギル王は、ずっと静かなままだ。

 初めに事情を説明したきり、沈黙を保っている。


 だが……不意に、席を立って言った。


「悪い、ちょっといいか」


 場の全員が、シギル王を見る。


「この議会は、対応の是非を決めるために開いたわけじゃない。先に説明したとおり、他種族との協力は必須だ。今はそういう事態なんだ」

「……」

「魔王様と、黒森人ダークエルフの王であるおれが決めたこの方針について、具体的な方策を考えてほしい。今日みんなを集めたのはそのためだ」


 議場から、失笑の声が上がった。


「しかしながら陛下。それにはまずその方針の是非を問わねば。議会とはそういう場ですぞ」

「我らがいるのもそのため。それとも陛下は、専制君主として君臨されたいのですかな?」

「これ、さすがに言葉が過ぎるぞ。陛下はまだ幼いゆえ、まつりごとに疎いのだ。我らが支えつつ、これから学べばよい」


 取り付く島もない議員たちに、シギル王の目が細められる。


「おれがここまで言っても……まだ聞き入れようという気はないのか」


 長い卓のどこからも、言葉は返ってこない。


「そうか……なら、もうたくさんだ」


 どこか芝居がかった口調で言いながら、シギル王は目を鋭くする。


「お前らにはもう愛想が尽きた。おれはここを出て行くことにする」


 議員の間から、先ほどよりも強い失笑の声が上がった。


「おっと、また家出なさるおつもりですかな」

「さすがに勘弁してもらいたいものだ……先には我らがどれほど混乱したことか」

「して、次は誰のもとへ?」


 どこか呆れたように笑う議員たち。

 だが次に発せられたシギル王の言葉により、その表情が凍り付く。


森人エルフ矮人ドワーフの独立領だ」

「……は?」

「それは……どういうことですかな」

「どういうことも何もない、そのままの意味だ。おれはこの王宮を出て行き、以後は独立領に居をかまえることにする。森人エルフたちはかつての同胞をきっと歓迎してくれるだろう。おれと共に行こうという奴はついてこい」


 議場がざわめき出す。

 そんな中、一人の年老いた黒森人ダークエルフがシギル王に問う。


「どういうおつもりですかな、陛下。もしや……王位を捨て、市井に下られると?」

「いいや。おれは王位は捨てない」


 シギル王が、強い口調で言う。


「だからおれがいる場所が王宮、おれが住む街が王都だ。これから黒森人ダークエルフの王都は、森人エルフ矮人ドワーフの独立領に移る。この街はただの一集落に成り下がる」

「なっ……!」

「だから言っただろ。おれと共に行こうという奴はついてこいと」


 議員たちが、そろって動揺の声を上げる。


「独立領の中に王都だと!?」

「それでは……まるで亡命政府ではないか! 陛下は神樹と我らを捨てるおつもりか!」

「そんな大げさなものじゃない。ただの遷都だよ。何をそんなに騒ぐことがある」


 シギル王が、口の端を吊り上げて言う。


「お前らも満足だろ。これで森人エルフ黒森人ダークエルフは、また同胞に戻れるんだ」


 議員たちは絶句していた。


 満足なわけがない。

 黒森人ダークエルフは元々、人間との交流の差により森人エルフと袂を分かった。それを踏襲する者たちは、だからこそ戦争に際し独立領を武力で併合することで、かつての関係を取り戻そうとしていた。

 つまり……森人エルフの側に歩み寄ろうというつもりなど、まるでなかったのだ。


 シギル王は逆に、黒森人ダークエルフ森人エルフに歩み寄るのだと言っている。独立領の中に王都を築くとは、そういうことだ。

 王の考えに賛同し、共に行こうという者もいるだろう。だが、決して譲れない者もいるはずだ。

 だから下手をすれば……今度は黒森人ダークエルフという種族が、真っ二つに割れかねない。

 シギル王は、そのような事態を引き起こすと言っているに等しかった。


 ぼくも驚いていた。

 どこか苦労人のような雰囲気で、それでも大勢の者たちのことを考えていた少年王が、まさかこんなことを言い出すなんて。


「陛下……ご自分が何をおっしゃっているか、理解されているのですかな」


 年老いた黒森人ダークエルフが、表情を硬くしながら言う。


「そのようなこと……我らが認めると?」

「認めなかったらどうするんだ? また軟禁でもするか?」


 それを真っ向から見返しながら、シギル王は言う。


「だけどな、それもいい加減にしておかないと他の者が黙ってないぞ。やりすぎだ・・・・・ってな」


 軍派閥の議員たちが、苦い表情で押し黙る。


 当然だろう。

 軍以外の派閥の者だっているのだ。軍の専横が目に余れば、反発の動きだって出てくるに決まっている。どこまでも好き放題にして、今の秩序を維持できるわけがない。


「それに聞くが、お前ら今何歳だ? 二百か? 三百か?」


 今や聞かされるばかりの議員たちに向け、シギル王は話し続ける。


「おれはまだ十五だ。お前らは未熟だと笑うが、いいことだってある。おれはこれから、お前らよりずっと長い時を生きるんだ」

「……」

「おれをいつまで軟禁していられる? 二百年か? 三百年か? いいぜ、いつまでも付き合ってやるよ。お前らが死に絶え、その意思が途絶えたその時に、おれはここを出て独立領に王都を築く。そしてお前らは、せいぜい子孫に恨まれればいいさ。問題を先送りにして、自分たちに混乱をもたらした愚かな父祖だってな!」


 議場はすっかり静まり返っていた。


 そんな中、シギル王は静かに席に着く。


「兵を出せよ。それくらいわけないだろ」

「……」

「金のことは心配しなくていい。物資も食糧も、きっとみんながなんとかしてくれる。おれたちが一番貢献できるのは、統制の取れた人員の手配だ」

「……」

「おれたちの兵を自慢してやろうぜ。人間を殺す時なんかじゃなく、誰かを助けるこの機会にさ」


 沈黙は続く。

 だが、確実に流れは変わりつつあった。


 その時シギル王が、小さく溜息をついて言った。


「もし協力してくれるなら、多少は軍に歩み寄ってやってもいい」


 何人かの議員が顔を上げた。

 シギル王は続ける。


「お前らおれが文人ばっかり目にかけるから、すねてたとこあっただろ。だからいくらかは、お前らの言うことを素直に聞いてやってもいいって言ってるんだ。今回苦労かけるわけだしな」

「……それは、本当ですかな。陛下」


 古びた眼帯を直しながら、年老いた黒森人ダークエルフが言った。

 シギル王は、微かに笑って答える。


「ああ。おれは約束を守る」

「……。先王陛下には似られませんでしたな。あの方ならば、このような手は使われなかった」

「おれはおれだよ。だからおれの思うとおりにやる」

「……よいでしょう。それならば――――――――」



****



「いやぁー、なんとかなってよかったぁー。ははっ」


 数刻後。

 ぼくらは再び蛟の上にいた。


 あの後は無事話がまとまり、避難場所の設営などにあたって黒森人ダークエルフ軍の派遣が決まったのだ。

 軍には工兵もいる。きっと大いに役立ってくれるだろう。


 まさか、本当に成し遂げるとは思わなかった。


「あの手、なんとなく考えてはいたんだけど、言ってる間はほんとドキドキだったよ。どうぞどうぞ出て行ってくださいなんて言われたらどうしようかと思った。まさかあんなにうまくいくなんてなぁ……まあもうこれで、同じ手は使えなくなったけど」

「そうだったのか……それは悪かった。議会を動かす貴重な手段を使わせてしまって」


 ぼくが言うと、シギル王は笑って答える。


「何言ってんだよ。こんな時のために考えてたんだ。むしろおれの役目を果たせてほっとしてるよ」

「そうか……。だが、よかったのか?」


 ぼくはためらいがちに問う。


「軍の便宜を図るような約束をしてしまって……。軍の方針に、君は反対だったはずじゃ……」

「あー、まあ大丈夫だろ」


 頭を掻きながら、シギル王が答える。


「あいつらだって、おれの大切な臣下なんだ。軍はなくてはならない以上、あんまり無下にもできないさ。特に今回は苦労をかける分、多少はいい目を見せてやらないと」

「そうか……」

「それに……あれ、ただの口約束だしな」


 シギル王は、そう言っていたずらっぽく笑った。


「まあこれからもうまくやるよ。バランス取りつつな。なんだっけあれ、『中庸の徳たるや、其れ至れるかな』ってやつ」

「……ああ」


 ぼくは小さく笑う。

 極端さのない、ほどほどの調和こそが最も望ましい形である。

 そんな孔子の言葉の通り、彼はうまくやっていくのだろう。


「で、次はプルシェだけど……お前のとこは大丈夫なのか?」

「余を甘く見るでない」


 プルシェ王が、シギル王につんと答える。


「そなたよりもうまくやってやるわ」

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