八章(七人の王編)
第一話 最強の陰陽師、馬車をそろえる
北へ向かう帝国式街道を、馬車が走る。
ぼくは御者台の上で、手綱を握ったまま曇った空を見上げた。
季節はもうすっかり春だが、この辺りは天候も相まってか少し肌寒い。
「ねえ、セイカ。後ろは大丈夫かしら」
隣でルルムが、後方を気にしながら言った。
ぼくは上空を飛ばしているヒトガタの視界を確認する。
今乗る馬車に続く形で、四台の馬車が列を作っていた。
平坦な口調でルルムに答える。
「まだ大丈夫だが、一番後ろが少し遅れ気味かもしれない。これ以上離れるようなら休憩をいれよう」
「……わかったわ」
ルルムもまた、平坦な口調で返してきた。
神魔の奴隷たちを、エルマンたちから奪還した後。
ここからどうしようかと悩んだぼくたちは、移動のためにとりあえず馬車を五台買うことにした。
比較的人間に近いとは言え、神魔の容姿はどうしても目立つ。体力が落ちている者もいたので、衆目に触れないまま楽に移動できる手段が必要だった。
馬車五台分もの大金はどうしたのかというと、依頼をこなして得た金を当てた。
ヒュドラの報酬はエルマンにやってしまったものの、それまで稼いでいた分は手つかずのまま残っていたからだ。それをほとんどつぎ込んだことで、なんとか全員が乗れるだけの馬車を買うことができた。
先頭の馬車はぼくが、後ろの馬車はそれぞれ、アミュ、メイベル、ノズロ、そしてたまたま馬車の動かし方を知っていた神魔の一人が駆っている。
今はイーファがメイベルに動かし方を教わっているようなので、すぐに彼女も覚えることだろう。
ただ急いで買い求めたために、馬車は大きさも頭立てもバラバラだった。
動かしているのも素人なので、どうしても歩調が乱れる。
結局一番遅い馬車に合わせざるを得ず、進みは遅くなってしまっていた。
こういう馬車は、きっと野盗にとっては格好の獲物に見えるだろう。ルルムもそれを心配しているようだった。
しかし、それはまったくの杞憂だ。
暴力の比べあいで、ぼくが負けることは決してないのだから。
「セイカ」
ふと、ルルムが小さな声で言った。
「私の言ったこと……まだ、信じられない?」
ぼくは溜息と共に答える。
「いきなりお前は魔王だなんて言われて、そう簡単に信じられるわけがないだろ」
ルルムに魔王と呼ばれ、
しかし彼女の様子からそれが本気であることを察すると、さすがに動揺した。
とりあえず、まるで家臣がするようなへりくだった口調だけはなんとかやめさせると、今はまずこちらだと言って元奴隷たちの世話に集中させ、それ以上の話を避けていた状態だ。
しかし、それはただ問題を先送りしているだけに過ぎないことは、ぼくもわかっていた。
言葉を選んで口を開く。
「だいたい、根拠が薄すぎないか? 魔王の父親だという元冒険者が、ただランプローグの姓を名乗っていただけじゃないか。初めに君らに捕まった時、身分が高ければ殺されないと思って、偶然知っていた貴族の名前を口走っただけの可能性もある」
「ギルベルトは以前、自分には兄がいるのだと話していたわ。そして……彼は金色の髪に青い目を持っていた。あなたのお父上はどう?」
「……同じだ。だけど……この国では金髪碧眼なんて珍しくない。それに父からは弟がいるなんて話、一度も聞いたことがないぞ」
「本当に? ただ話されなかっただけではなくて? 何か少しでも、その可能性を感じたことはなかった?」
「……。それは……」
心当たりは、実はないでもなかった。
初めて会った時に、学園長が言っていたのだ。
ぼくには叔父がいると。
ぼくは軽く頭を振って言う。
「……だが、ぼくは物心ついた時から本家の屋敷で暮らしていたんだぞ。仮にも魔族の子が、いったいどんな経緯で貴族の家で育てられるなんてことになるんだ」
「それは……わからないわ。魔族であることを隠して、メローザが必死で頼み込んだから、とか……。死んだ弟の子と聞けば、哀れに思って引き取ることもあるのではないかしら」
「まさか、貴族だぞ。自分の庶子ですら引き取ることはまれなのに、弟の子なんて……」
「あなたのお父上は、そんなに貴族らしい人なの? 自分の兄弟に対しても、なんとも思わないような冷たい人?」
ぼくは口ごもる。
政争や領地経営には興味を示さず、ひたすら魔法研究ばかりなブレーズは、少なくとも貴族らしくはまったくない。
弟に対してどんな思いを抱いていたのかは想像もできないが……自分の子や、妻や、離島に隠居している両親や、使用人たちとの関係を見る限りでは、冷たい人間とは思わなかった。
というよりも……ルルムの言を否定できるほど、ぼくはブレーズのことをよく知らない。
「前にも言ったけれど、あなたの髪や眼の色はメローザの子と同じなの。それに……セイカ、あなた自身ではどう?」
「……ぼく自身?」
訊き返すと、ルルムは静かに続ける。
「それほどの力を持っていることに、疑問を覚えたりはしなかった? 普通の人間たちの中で普通に過ごすことに、違和感はなかった? 自分は特別で、他人を導く存在なのだと……そんな風に感じることはなかった?」
「……」
ぼくは答えられない。
特別な力を持っていて、普通の人間と違うのは当たり前のことだ。
異世界からの転生者なのだから。
無数の
異質でないわけがない。
だがそれは、直接的には魔王と関係ない。
「……少なくとも、自分をそんな指導者のように思ったことはないな」
「そう?」
否定するぼくに、ルルムは食い下がる。
「あなたも、心のどこかで魔王かもしれないと思っているから、私たちと魔族領にまで来てくれるのではないの?」
「いや、あのな……」
ルルムの言葉に、ぼくは呆れ半分に答える。
「それは君らがあんなに頼んできたからじゃないか」
具体的には、ルルムとアミュとイーファとメイベルだ。
ぼくを魔王と信じるルルムはぜひにと言って聞かなかったし、小さい子もいるのにこのまま放り出せないからと、アミュたちもついていくと言い張っていた。
そこで仕方なく、わざわざ馬車を一台余計に買ってまで、ルルムの故郷まで同行することになったわけだ。
しかし、ルルムはなおも言う。
「でも、あなたは断ることもできた」
「単なる親切心を、そんな風に捉えられてはたまらないな」
「……」
沈黙してしまったルルムに、ぼくは少し迷って付け加える。
「まあ……完全に否定しきることはできない、かもしれない」
「……」
「何せ、自分が生まれてすぐの話だ。その頃の記憶があるわけもないし、結局憶測でしか語れない」
「……」
「もっとも、荒唐無稽な話だという印象は変わらないが」
「……私は、そうは思わないわ」
ルルムはそう言ったきり、口を閉ざしてしまった。
ぼくも無言のまま、思考を巡らせる。
彼女に言ったことは、実は嘘になる。
ぼくが魔王であるという話が、荒唐無稽だとは思わない。
それどころか、仮にそうだとすると一つ納得できることがある。
この転生体のことだ。
ぼくは、当初見込んでいた同世界内での転生に失敗し、この世界に来た。
あれから何度か
見つからなかったのだ――――あの世界の未来で、ぼくの魂の構造を再現できる肉体が。
まさかとは思うが、考えられない話ではない。
神の子孫だのが生きていた古代と比べれば、ぼくがいた時代の人間はずっと弱い。文献を紐解く限り、かつてはぼく以上の術士も何人かいたようなのだ。だからあのまま時代が進み、人間がさらに弱くなれば、ぼくのように呪術に長けた者が生まれなくなっていても不思議はない。
では異世界にて条件に合致した、この体はなんなのか。
こちらの世界の人間は、元の世界の人間よりもさらに弱いように思える。数百年前にいた
勇者と、魔王を除いては。
特筆するところのない一貴族の家に、条件を満たす者が生まれるとは考えにくい。
勇者は、別に存在している。
ならば――――この肉体は、魔王のものなのではないか。
ルルムの言う通り、いろいろな状況証拠もそろっている。
信じがたい部分はあるが、否定しきれるほどの材料もない。
だからひとまずは……自分が魔王だと考えておいた方が、いいのかもしれない。
「……」
しかし、ぼくにとってはこの上なく都合の悪い話だった。
権力者とはなるべく関わらずに生きたかったのに……魔王だなんて、それが許される立場ではなくなってしまった。
下手を打てば、前世以上の政争に巻き込まれかねない。
だが……そもそもぼくの転生体に、何も特別な要素のない普通の人間を望むこと自体、都合がよすぎたのかもしれない。
前世であれほどの力を持ったのだ。
その辺の人間に生まれ変わるなんて、無理だったに決まっている。
受け入れるしかない。
覚悟を決めて、自身を取り巻く思惑の中に身を投じる必要がある。
ルルムの故郷へ同行することにしたのも、そのように考えたからだった。
たとえ断ったとしても、問題が解決するわけではない。それどころかさらに大事になって、魔族の側がぼくの
それで揉め事でも起こったら最悪だ。帝国の宮廷に察知され、ぼくが魔王であると知れれば、事態はいよいよ手に負えないものになってしまう。
だからもうこの際、一度魔族領に行ってしまった方がいいと考えたのだ。
少なくとも、帝国へやって来て揉め事を起こされる心配はなくなる。
それに……ぼくはあまりにも、魔族のことを知らなかった。
これまで出会った魔族は、ルルムたちを除けばすべて敵で、さしたる言葉も交わさないうちに葬ってしまっている。
文献にも、見た目や能力のことばかりで、彼らの文化や風俗のことはほとんど記されていない。
だから、知っておきたかったのだ。
もしかしたら彼らとの話し合いで、状況を改善できることもあるかもしれないから。
「……はあ」
とはいえ……落胆を禁じ得ない。
もう、今生での目論見がいろいろと破綻してしまった。
まさか勇者の対となる存在である魔王が、自分だったとは。
この間まで魔王は今どこで何をしているのかとか考えていたことが馬鹿みたいだ。ここまでくると笑えてくる。
どうしたらよかったのか、と思う。
魔王に生まれてしまったのはある種の必然だし、ルルムと出会ったのはただの偶然だ。ぼくの選択が悪かったわけではない。
しいて言えば、一年前にアミュを帝城から助け出し、学園を去ってしまったことが遠因と言えなくもなかったが……あらためて考えても、そうしない選択肢はなかった。
そんな生き方ができるのなら、あの時人質に取られていた弟子たちを無視して、あの子の襲撃も軽くいなし、すべてを捨ててどこか別の地に逃げていただろう。
それによくよく考えると、ルルムたちはランプローグの名は知っていたのだ。
だから結局のところ、いつかは魔王を探す魔族が、ぼくの下へたどり着いていたに違いない……。
とまで考えた時、ぼくはふと気づいた。
「あれっ、そういえば」
「……? どうしたの、セイカ」
眉をひそめるルルムに、ぼくは問いかける。
「ルルムは、ランプローグの名は知っていたんだよな。どうして最初からぼくの家を訪ねなかったんだ? そうしたらすぐに出会えていただろうに」
「……ランプローグの家なら、何度も調べたわ。でもどこの家にも、あなたのような子供はいなかった」
「いやそんなはずは……ん? どこの家にも……?」
首を傾げるぼくに、ルルムはやや不機嫌そうに続ける。
「最初は、帝国議員のランプローグ家だったかしら。次は将軍のランプローグ家で、次が官吏のランプローグ家で……。大きな街へ行ってランプローグの名前を聞くたびに、屋敷を訪ねたり、そこの領民に訊いたりして調べたわ。でも、一度もあなたには出会えなかった。そのうちあきらめて、神魔の子がいないか探すようになったのだけれど……むしろ教えてくれないかしら。あなた、いったいどこにいたの?」
「……ルルムが訪ねた家の当主の名前、教えてくれないか?」
「ええと、最初がガストン・ランプローグと言ったかしら。次がペトルス・ランプローグで、次がベルナール・ランプローグ……」
ぼくは頭を抱えて言った。
「それ全部親戚だ……」
ランプローグ家は伝統的に、兄弟に異なる進路を選ばせている。
だから帝国のあちこちにランプローグの名を持つ者がいて、中には本家以上に出世している分家筋もあった。
だから、間違えるのもわからなくはなかったが……。
「ぼくがいたのは本家だよ、本家」
「知らないわよ、そんなの。まったく、人間の国って面倒くさいんだから」
ルルムが不機嫌そうにぼやく。
まあ、貴族の家のややこしさは置いておくとして……ルルムはどうやら、ランプローグの名から魔王を追うことは、一度あきらめていたらしい。
それでも、こうして出会ってしまった。
運命の存在はありえないと思っていたが、転生してからはどうも、数奇な巡り合わせが続いているような気がする。
さすがに持論が揺らぎそうだ。
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