第十八話 最強の陰陽師、愚痴を聞く
泉のほとりに、ルルムが腰を下ろしていた。
ちなみに、もう服は着ている。魔道具で乾かしたらしい黒髪が、夜風に揺れていた。
傍らに立つぼくではなく、二つの月が映る水面を見つめながら、ルルムが口を開く。
「メローザは、神殿の巫女だったの」
まるで泉に向かって語りかけるように、ルルムは続ける。
「生まれはほんの数年しか違わなかったのだけれど、私よりもずっと小さな頃から神殿で働いていたわ。後から来たのに、家柄がいいからって偉そうにしていた私に対しても、たくさんいろんなことを教えてくれた。中には本当にくだらない遊びもあったけど、あの頃は一緒になって笑っていたっけ」
「……」
神魔の文化や風習は、よく知らない。
だが、人間の社会とそう変わらないであろうことは想像がついた。
「私が神殿の仕事をすっかり覚えた頃……メローザが、森で人間を拾ってきたの。目覚めたあの男は、冒険者だって言ってたわ。仲間を逃がすためにモンスターと戦っていたら、崖から落ちて気を失ったんだって。私は怖くて、大人たちを呼んだのだけれど……あの男、口が上手かったのよね。縛り上げられたまま調子のいいことを言って、大人たちを丸め込んで縄を解かせていたわ。メローザが必死に庇っていたせいも、あったと思うけど」
「話を聞く限りでは、うさんくさい男だな」
ぼくがそう言うと、ルルムは笑声を上げる。
「そうね。でも、悪い人じゃなかったのよ。いつも調子のいいことばかり言っていたけど、仲間を庇って崖から落ちたのは、たぶん本当だったのだと思う。だから、メローザも好きになったんじゃないかしら」
「……」
「人間だったから、いろいろ揉めたりもしたけれど……最終的には里の仲間たちからも受け入れられていたわ。彼をいつまでも目の敵にしていたのは、たぶん私だけだったわね。なんだか……彼女をとられてしまった気がして」
そう言って、自嘲するような笑みを浮かべる。
ルルムの口調は、完全に遠い過去を語るそれだった。
「それから……何年くらい経った頃だったかしら? 身籠もったことがわかって、メローザは神殿を去ったわ。その頃にはあの男の怪我もすっかり治っていて、仕事も家も持っていたから、そこで一緒に暮らすことになった。皆が祝福していたわ。もちろん私も。子供の名前だって、きっと考えていたと思う。だけど……」
口元をひき結び、ルルムは自らの腕を抱く。
「私が……視てしまったから」
「……何?」
「全部、台無しにしてしまった。黙っていればよかったのよ。せめて、誰かに言う前に……もう少し、考えていれば……っ」
「なんだ? 君は……何を視た?」
「……未来よ。世界を破滅に導く未来――――勇者と魔王の誕生を、他にどう言い表せばいい?」
「は……?」
ぼくは、思わず目を見開く。
「それじゃあ、君は……」
「そうよ。私が――――託宣の巫女。神魔族のね」
ルルムは、どこか恥じ入るように言い切った。
驚愕に、ぼくは言葉が継げなくなる。
勇者と魔王の誕生を世界に知らしめる、託宣の巫女。
魔族側が勇者の誕生を把握していた以上、それは存在していて当たり前だ。
だがまさか、彼女がそうだとは……。
「あら……あっさり信じるのね。こちらの国では勇者も魔王も、とっくにお伽噺になっていたと聞いていたけれど」
こちらを見るルルムの口調は軽いが、どこか訝しんでいる様子だった。
ぼくは目を伏せて言う。
「……まだ信じたわけじゃない。口を挟みたくなかっただけだ。続けてくれ」
ルルムは泉に視線を戻し、話を続ける。
「私に視えたのは、二人の赤子の姿だったわ。一人は、髪の赤い人間の女の子。それからもう一人が……黒髪の、神魔の男の子」
「……」
「勇者の女の子の方は、何者なのかよくわからなかったわ。裕福な家に住んでいたようだけど、周りの人間の身なりがあまり貴族らしくなかった気もする。人間の国は広いから、これだけでは手がかりにもならない。でも……魔王の、男の子は……誰なのかがはっきりわかった。あの家も、両親の声も、全部……知っていたから」
「……」
「混乱していた私は、すぐに神殿の長へこのことを伝えたわ。それからほとんど時間の経たないうちに、メローザの子が無事に生まれたことを知った。だけど……喜んでいる余裕なんてなかった」
ルルムは表情を険しくする。
「皆が騒然としたわ。里長も、長老たちも……。まさか自分たちの世代で、自分たちの里に魔王が誕生するとは思わなかったのでしょうね。それから四半月もしないうちに、もっと大きな里に住む神魔の長たちが私たちのところにやって来たわ。その後には、悪魔に、獣人、巨人、
「魔族の巫女は、君だけじゃないのか」
「ほとんどの種族にいるはずよ。血が途絶えていなければ。もちろん、前回の戦争で魔王軍から離反した、
「……。彼らは君の里で、いったい何を話し合ったんだ?」
口にしてから、訊くまでもない疑問だったかと思った。
ルルムは力なく首を横に振る。
「何も……。話し合いになんてならなかったわ。神魔の長たちは、とにかく魔王を自分たちの種族が抱えているという優位を保ちたがった。人間との開戦を望む者は、指導者としての教育を幼い頃から施すべきだと主張して、逆に今人間と交流を持っている種族は、魔王など力の無いうちに始末するべきだと言い張ったわ。同盟関係にある種族の主張を支持する者もいれば、今から魔王に取り入ろうとする者もいた。巫女である私も、一応会合には参加していたけれど……誰も、私の話なんて聞こうともしなかった」
「……」
「でもね、彼らは皆……一つの事柄だけは、確信しているようだったわ」
「それは……」
「このままでは、大戦が起こる」
思わず口をつぐむぼくへ、ルルムは続ける。
「魔王と勇者の戦い……人間と魔族の戦争よ。彼らが生まれた時、必ずそれは起きた。だから、今回も――――きっと同じことになる」
話しぶりからするに、ルルム自身もそれを確信しているようだった。
「メローザの子が生まれて二月が経とうとした頃、ようやく当面の方針が決まったわ。魔王を、魔族領の奥地にある神魔の城塞へ連れて行き、そこで育てるということに……。どうするにせよ、人間の国から離れた地で、自分たちが魔王を支配下に置かなければならないと考えたのでしょう。その決定に、あの子の両親の意思は介在しなかったわ」
それから、ルルムは悔やむように言う。
「私が長に隠れて、メローザたちにそのことを伝えたのは……親切のつもりだった。事態は、もう私たちがどうすることもできないほどに大きくなっている。だから、せめて……お別れの時まで、大事に時間を過ごさせてあげたかった。またきっと会えるはずだから、それまで待つことができるように……って」
「…………それで、どうなったんだ」
「二人は逃げ出したわ。幼い魔王を……彼らの宝物を、連れて」
ルルムは唇を噛む。
「私がそのことを知ったのは、すべてが終わった後だった」
「……」
「あの日のことはよく覚えてる。長たちの追っ手かあの男か、どちらかが放った魔法で森が燃えていたわ。あの男は追っ手と戦って死に、メローザと小さな魔王は行方不明。逃げた方角からするに、おそらくは人間の国へ向かった……そう聞いたわ」
ルルムは目を閉じて続ける。
「各種族の指導者たちは、箝口令を敷くことに決めた。すでに広まり始めていた勇者と魔王の誕生の予言だけは隠しきれない。だから魔王だけが、まだ生まれていないということにした。これなら、魔王が連れ去られたという危機を隠し、混乱を抑えることができる……と」
「……なるほど」
ぼくは小さく呟く。
ガレオスは、魔王の誕生を知らないようだった。
グライが言うには、フィオナの母親が勇者と魔王双方の誕生を予言した一方で、魔族側は魔王の誕生を把握していないらしい。それがなぜなのか、ずっと気になっていたのだが……理由がわかった。
指導者階級以外には伏せられていたのだ。
魔王が魔族の元から去ったという、途方もないほどの醜聞が。
ルルムは続ける。
「元々、早いうちに探し出すつもりだったのでしょうね……。でも、メローザは逃げ切った。今でも二人の行方はわかっていないわ。一向に魔王が誕生しないことから、最近では危機感を覚える魔族も出始めているみたい」
「……だろうな」
そのことだけは、ぼくも三年前からよくわかっていた。
「私は、それからずっと塞ぎ込んでいたわ」
ルルムは言う。
「でも、ある時神殿の長に、メローザのことはもう忘れるよう言われて……それではダメだと思ったの。このままメローザたちのことを忘れてしまったら、本当にすべてが終わってしまう。私も彼女も……そして、世界も。そう思ったから――――旅立つことにしたのよ。あの男の故郷である、人間の国へ。逃げ延びたメローザと、彼女の子を探しに」
「……」
「あの男のことだから、死んだと思わせて生きているかもしれない。そうでなくても、本当に貴族の生まれだったなら、メローザが彼の実家を頼ったかもしれない。希望はあると思ったわ。彼女は、きっと元気に生きてる。生きているなら、絶対に見つけ出せる……。知らない土地に行くことにも、迷いはなかった」
それから、神魔の巫女は微かに笑みを浮かべた。
「ただ、ノズロがついてくるなんて言い出すとは思わなかったけどね。神殿の戦士として、将来を期待される立場になっていたから……というより、小さな頃の印象が残っていたせいね。驚いたわ。あの怖がりが、まさか里を離れる決断をするなんて」
「…………ん? もしかしてノズロって……君より年下なのか?」
「そうよ。少しだけだけど」
「きょ、今日一番の衝撃かもしれない……」
「ええっ、こんなことが? もっと大変なことをたくさん喋ったと思うけど」
ルルムが少し笑って言う。
「だけど、本当に助かったわ。まさかこんなに長い旅になるとは思わなかったから……。一人だったら、途中で行き倒れていたかもしれないわね」
「……どのくらいになるんだ?」
「もう十五年よ」
十五年。
それは長命な神魔にとっても、決して短い歳月ではないはずだ。
「帝国のあちこちを回ったけど、神魔の母子がいるなんて話は一度も聞かなかった。ようやく聞きつけた奴隷の中にもいないし、貴族の生まれで神魔の血を引く男の子も、結局は人違い。はーあ……参るわね」
そう呟いたルルムの横顔は、どこか疲れているようにも見えた。
「……君らのように、正体を隠して生活しているのかもしれない」
「もしそうなら、この広い国で見つけ出すのは難しそうね。でも……もう最近では、そうであってほしいと思い始めているわ。今も無事に、生きてくれているのなら……」
ぼくは、少し置いて訊ねる。
「どうしてそれを、ぼくに話した」
「どうしてかしらね……。たぶん、巻き込んでもよさそうに思えたからじゃないかしら」
「巻き込む……?」
「実はこれまでにも、人間に親切にされたことはあったわ。明らかに怪しい私たちにも、事情を聞かないでいてくれたりね。だけど……所詮は人間だから。下級モンスターにもやられてしまうような弱い者たちを、私たちの事情に巻き込めなかった。恩を仇で返すような真似はしたくなかったの。ただでさえ、彼らの一生は短いのに」
「だが、ぼくを巻き込むのはかまわないと?」
「ええ。だってあなたは――――強いから」
ルルムは、はっきりとそう言い切った。
「どんな目に遭おうと、きっとなんとかしてしまうでしょう?」
「……ぼくにだってできないことはある。人間だからな」
嘆息と共に言う。
「それより、君の話を聞いたぼくが、君らを領主や軍に突き出すとは考えなかったのか? もし魔王を見つけられれば、今一方的に勇者を抱える人間側の有利が失われることになる。ぼくがそれを許すように見えたか?」
「あなたはそんなことしないわ。お人好しだから。義理や縁があれば、助けてくれるのでしょう?」
「あのな……」
「それに……あなたもきっと、私の考えに賛同してくれるはず」
「考え?」
「ねえ……セイカは争いが好き? 戦争を望んでいるかしら」
ぼくは、少し置いて答える。
「……いや。そんなものは、無いに越したことはない」
「ええ、私もそう思うわ。魔族も人間も、戦争のたびに豊かになってきた。でも、もう十分……。あなたも同じ考えなら、私たちに協力する理由があるはずよ」
「どういうことだ?」
「もし、セイカが私たちの立場だとしたら、どうする? この状況から、どうやって戦争を止める?」
「……。ぼくが魔族なら…………勇者を倒そうとするだろうな」
ぼくは、かつて
「この先戦争が起こるとすれば、原因は戦力の不均衡になるだろう。ならば、それを正せばいい」
「そうね。そう考える魔族は他にもいて、中には勇者を討つために旅立った者もいたわ。戦力の不均衡が原因になるのは、その通りだと思う。でも……それでは駄目。戦争は防げないわ。だってまだ――――魔王が残っているから」
「……」
「勇者が死ねば、今度は魔王の取り合いが始まる。決着がつけば、また戦力の不均衡よ。魔王を手にして力に驕った側か、相手の力に怯えた側が剣を向けて、戦争が始まってしまう。これまでにないほどの戦力を向けあう、最悪の大戦が」
「……」
ルルムの言い分には、筋が通っているように思えた。
魔王がすでに誕生しており、人間側にも魔族側にも属していない浮いた駒になっているのなら、自ずとそうなるだろう。
「それに、勇者を討つことは簡単ではないわ。見つけることすら難しいはず」
「……どうしてだ? 君も託宣の巫女なら、勇者の容姿は知っているはずだろう。人間は数が多いが、外見の特徴だけでもそれなりに絞り込める。赤髪で、十代の半ばの少女。そう、たとえば――――」
ぼくは、踏み込んだ言葉を口にする。
「――――アミュのような」
「そうね。綺麗な赤い髪で、きっと年齢も近い。剣も魔法も上手だと思うわ。だけど……違う。あの子は勇者ではない」
「……。どうしてそう言い切れる? もしかしたらということも……」
「弱いからよ」
ルルムはそう、迷いなく言い切った。
「勇者は、たった一人でドラゴンすら倒すのよ。たとえまだ全盛に達していないとしても、生まれて十六年も経ってイビルトレントにも苦戦するなんてありえない。本当なら、もう人間の頂点に立つほどの剣士になっていてもおかしくないもの」
「だが……そんな条件に合う人物なんて、ぼくも思い当たらないぞ」
「そう、ありえないのよ。こんなに経って、未だ世に出てきていないなんて……何か強力な存在に、庇護されてでもいない限りはね」
「……」
「たとえば、国のような」
「……ただ剣を振るう機会に恵まれなかっただけとは、考えないのか?」
「それこそありえないわ。勇者がそんな、平凡な運命に見舞われるはずがない。これまでにすべての勇者が、幼い頃から剣を抜き、力を振るった。だから、今回もきっとそう」
そうとは限らないんじゃないか……とは言えなかった。
なぜならぼくがいなければ、アミュはもっとずっと、強大な敵と戦ってきたはずだからだ。
ガレオスに、魔族パーティーの一行。あるいは帝都の武術大会に出場し、アスティリアでドラゴンや召喚獣と戦ったのも、アミュだったかもしれない。
「今になっても名が上がっていないということは、人間の国が勇者を秘匿している可能性が高いわ。精強な魔族の戦士であっても、どこにいるのかわからなければ勇者に挑みようがない」
「……。勇者を狙っても仕方のないことはわかったが、なら君は……どうやって戦争を止めようと言うんだ?」
「私は、魔王を探し出して連れ帰る」
ルルムは、決意を秘めた声音で言う。
「そして各種族と同盟を結び、魔王軍を結成するわ。これまでと同じように。そのうえで――――人間の国と、和平を結ぶの」
「……!」
「平時にはバラバラの魔族も、魔王の君臨する時だけは一つにまとまることができる。人間の政府相手に、交渉の席につくことができるのよ」
「君は、魔王を……外交特使にするつもりなのか」
「戦争は避けられなくても、一戦も交えず終戦させることはできると思わない?」
それはきっと、誰もが思いも寄らない策だったことだろう。
魔族の指導者も、人間の指導者も、誰も。
魔王に、平和の使者をさせようだなんて。
「塞ぎ込んでいた頃、私はどうすればよかったのかをずっと考えていたわ。それで、気づいたの。絶望の始まりだった、勇者と魔王の誕生――――実はあの時が、これまで以上の平和を得る、この上ない機会だったことを」
ルルムはただ続ける。
「勇者も魔王も絶対に必要よ。人間が勇者を、魔族が魔王を抱える対等な立場であって、初めて対等な交渉になる」
「……」
「もしも和平を結べれば、それが続く限り戦争は起こらない。たとえまた数百年後に、次の勇者と魔王が誕生したとしても……私たちは、争うことなく共に生きられるの。ねえ、セイカ。だからこれは――――きっと、世界を救う旅なのよ」
それは、夢物語に近い目論見なのだろう。
託宣の巫女とはいえ、十分な地位にないルルムが、それを成し遂げるのは困難だ。帝国がどのような意思で交渉に臨むかもわからない。
だが少しでも見込みがあるならば……それは本当に、世界を救う旅であるようにも思えた。
しかし。
「さっき君は……普通ならば、勇者はすでに世に名を馳せているはずだと言った。だが……」
どうしても、訊かなければならない問いだった。
「それは……魔王も同じじゃないのか?」
「……」
「魔族に庇護されていない魔王の存在が、未だ世に出ていないことは、どう説明する? 魔王は、本当に今も……」
「それはきっと、メローザがきちんと育てているからよ」
ルルムが、どこか困ったように笑って言った。
「あんなに生意気だった私にも、あれほどよくしてくれたのだもの……。きっと優しくて、賢い子に育っているに違いないわ」
自分が言った言葉を、自分で信じたがっているように見えた。
信じるしかないのだろう。
魔王がすでに死亡している。
あるいは、すでに帝国の庇護下にあり、匿われている。
いずれの場合でも、ルルムの目論見は破綻するのだから。
神魔の巫女は、その時ふと小さく笑った。
「でも、そう考えたら……あなたが魔王かもしれないなんて、疑う意味はなかったわね」
「どうしてだよ。こんなひねくれた性格に育ったわけがないって言いたいのか?」
「そうじゃないわ。魔王ならきっと、もっと途方もない力を持っているはずだもの」
ルルムは苦笑しながら言う。
「あなたもすごい冒険者のようだけど、でも一級の冒険者って他にもいるんでしょう?」
「まあ、あちこちにいるようだな」
「伝承によれば、魔王は勇者よりもずっと早くから強大な力を得るそうよ。たぶん、今はもう人間なんて誰も敵わないほど強くなっているんじゃないかしら」
「うーん……」
勇者がドラゴン一匹をやっと倒せる程度なら、それといい勝負をする魔王も大したことはない気がする。
「勇者はなんとなく想像がつくんだが……魔王にはいったいどんな能力があるんだ? 人間の国に伝わるお伽噺は、なんというか今ひとつ曖昧で参考にならないんだ」
「ものすごい魔力量を持っていて、ありとあらゆる魔法が使えたと言われているわ。強力な配下を従えて自由に召喚したり、神器と呼べるような魔剣を作って山を斬ったり……誰も見たことがない、鉄を腐らせる魔法を使って、敵の剣や鎧をぼろぼろにしたとも言われているわね。あとは闇属性が複合した巨大な
「ふうん」
やっぱりそんなものか。
「なんだか拍子抜けって感じね」
「聞く限りでは、頑張ればぼくでもできそうだと思って」
「そうね……言葉にすれば、どうしても陳腐になってしまうわ。けれどきっと目の当たりにすれば、その強さがわかるのよ。バラバラのはずの魔族が、一つにまとまってしまうくらいだもの」
ルルムはぼくの言うことを本気にとらず、そんな言葉でまとめた。
穏やかな沈黙が流れる。
それは決して、居心地の悪いものではなかったが……それを破ってでも、ぼくには伝えておくべきことがあった。
「悪いが……君の目論見には協力できない」
「……」
「たとえそれが、うまくいけば人間と魔族の大戦を阻止できるものでも……成功の見込みが薄すぎる。勇者と魔王の存在を信じるにしても、とても力を貸せるものじゃない」
「……」
「君らの旅には付き合えない。ぼくはぼくで、やるべきことがある」
「ふふ」
意外にも、ルルムは大したことではないかのように笑った。
「あなたは、ずいぶん律儀なのね。大丈夫、最初からそこまで期待していないわ。これは私たちのするべきことだもの」
「……」
「ヒュドラの討伐は、手伝ってくれるのよね?」
「……ああ」
「もしもメローザか、彼女の息子に出会ったら、私たちのことを伝えてくれるかしら?」
「……そのくらいはかまわない」
「よかった。十分よ」
ルルムは泉のほとりから立ち上がり、ぼくを振り返る。
「ありがとう、セイカ」
「……礼を言われるようなことはしていない。ただ話を聞いただけだ」
「それでいいのよ。私はただ、愚痴を聞いてほしかっただけだもの」
ルルムは、微笑と共に言う。
「その相手を見つけるだけで、十五年もかかってしまったけれどね」
それはどこか、泣き笑いのようにも見えた。
****
泉のほとりに一人立つぼくは、黙って月明かりの反射する水面を見つめる。
ルルムの姿はすでにない。もうとっくに野営の場所へ戻っていることだろう。
「あの、セイカさま……」
「悪い。少し考えさせてくれ」
「は、はい……」
頭を出したユキにそう言うと、ぼくは無言で思考に沈む。
まさかルルムが、託宣の巫女だとは思わなかった。
こんな巡り合わせがあるだろうか。
運命の存在は信じていないが、それを感じざるを得ないような出会いだ。
彼女の話で、わかったことはいくつかある。
勇者と共に、魔王が誕生していたこと。
魔王は人間と神魔の混血であり、帝国にいる可能性が高いこと。
それと、強いて言えば……アミュが弱いままである原因は、やはりぼくのせいだろうということもか。
「強力な存在に、庇護されてでもいない限りは……か」
本当なら、アミュはすでに帝国に名を轟かせていたかもしれない。
何度も死線をくぐり、そのたびに力をつけて……魔王へ挑めるほどになっていた可能性もある。
運命めいた巡り合わせと言うなら、あの子もそうだろう。
ぼくが何もしなければ、もっとたくさんの強敵と剣を交わしてきたはずなのだ。
もちろん、勝てたとは限らない。むしろあの子が、ガレオスや魔族の一行を倒せた可能性は低いように思える。
だから、アミュを守ってきたことに後悔はない。
しかしそれでも、かつての勇者たちも同じような命運に見舞われてきたのだとすれば、あるいは……と考えてしまう。
「はあ……」
ぼくは頭を振った。
今、それはどうでもいい。
最大の問題は――――魔王が今、どこにいるのかということだ。
生まれているのだかいないのだかはっきりせず、いたとしても魔族領の奥地だろうと思っていた魔王のことは、これまであまり気にしたことはなかった。当面は関わることもないだろうから、と。
しかしルルムの話が確かなら、魔王はやはり誕生していて、しかも帝国にいるのだという。
ならば、今後は名も知らぬ彼のことも、多少は警戒する必要がある。
だが彼は、勇者と同様、未だ世間にその存在を知られてはいない。
フィオナの話しぶりや、官吏や議員の動向を思い出すに、帝国が手中に収めているということはないだろう。
すでに死亡しているなどという、都合のいいことも考えづらい。
あるいはルルムの言うとおり、メローザという神魔か、もしくは別の誰かによって慎重に匿われているのか……。
わからない。
魔王は今どこで、何をしているのだろう?
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