第九話 最強の陰陽師、ドラゴンの生態を解明する
「どういうことでしょう、セイカさま」
ユキが、困惑したように呟く。
どういうことなのかは明らかだ。
このドラゴンは、子育ての真っ最中だった。
おそらく、飛ぶ頻度が減ったというここ数日の間に卵を産んだのだろう。
一年前から様子がおかしくなっていたのも、産卵の準備をするため。はぐれた家畜を襲っていたのも、土地の魔力だけでは体力を蓄えられなかったから。
それですべて説明がつく。
問題は。
なぜ、このドラゴンが子育てをしているかだが……。
「あの物の怪は雄なのですよね……? ではやはりもう一頭、
「いや、さすがにそれはないだろう」
あんなドラゴンがもう一頭いて、誰も気づかないなんてことがあるわけない。
「では、なぜ……」
ぼくは、一つの可能性を口にする。
「……性転換だ」
「え?」
「このドラゴンは、雌になったんだよ」
理解していないだろうユキに、ぼくは説明してやる。
「魚の中には、環境によって性を変えるものが多くいる。雄が雌になることも、雌が雄にもなることもあるそうなんだ」
かつて生け簀を邸宅に持つことがステータスであり、魚の飼育が盛んだったローマにおいて、高名な博物学者が詳しい記録を残していた。
「性転換が起こる条件の一つには、周囲に異性がいないことというのもあった。おそらくこのドラゴンは、
陸上の獣が性転換を行う例は聞かないが、生まれる時期の気温などで雌雄の割合が変わるものは多い。生き物の性は、その実かなり流動的だ。
「で、ですがセイカさま」
ユキが食い下がる。
「たとえ雌になっていたとしても、
「雌だけで殖える生き物は、実は珍しくないんだよ」
ぼくはまたまた説明する。
「人が飼っていたヘビやトカゲが、
「そ、そんなものが?」
「ぼく、屋敷の池にフナを泳がせていただろう。あれがそうだよ。最初は一匹だったんだ」
偶然の発見だったが、ぼくも気づいた時は驚いたものだ。
「あれ、食べるためではなかったのですか」
「最初はそのつもりだったけどね。まあだから、雌だけで殖えても不思議はないってことだ。
「ほへ~……」
ユキが気の抜けた相づちを打つ。
「セイカさまの趣味が役に立ちましたねぇ」
「趣味……まあいいけど。さて、どうしようかな」
様子がおかしかった理由は、これで判った。
だけど、問題が解決したとは言いがたい。
仔が巣立つまで待てばいいとも言えるが、過去の記録では、産卵は何回かに分けて行われていた。
すべての仔が巣立つまでどれだけかかることか。
さらには、巣立った仔の問題もある。
独立していた百五十年前ならともかく、属国となった今、危険なドラゴンの子供がそのまま巣立つのを、帝国はよしとするだろうか。
図らずも、ドラゴンの討伐という王子の案が一番マシに思えてくるが……あの傭兵団では無理だろうしなぁ。
かと言ってぼくが手を出すのもなんか違う。
うーん……。
卵を眺めながら悩んでいると……ふと、砂の上についている跡に気づいた。
どうやら、卵が転がった跡のようだ。
ぼくは思いつく。
「……王子が、ドラゴンの卵を人が孵した例はないって言ってたけど……理由がわかったぞ」
「え、なんですか?」
「転卵だ。ドラゴンの卵は、転がしてやらないといけないんだよ」
ぼくはまたまたまた説明する。
「ニワトリとか、鳥はだいたいそうなんだけど、時々卵の向きを変えてやらないと、卵殻の内側に仔が貼り付いて死んでしまうんだ。反対に、トカゲやカメの卵は動かしたらダメなんだけど……子育てをするドラゴンの場合、卵はトカゲよりも鳥に近いみたいだな。だから、こんな感じで……」
ぼくは、砂の跡に沿って大きな卵をゆっくりと転がす。
「定期的に転がしてるんだろう。市場に出回るドラゴンの卵が孵らないのは、これを怠っていたからに違いない。どう考えても輸送中にこんなことしないしな」
「……」
「ドラゴンを孵し育てたというアスティリア王妃の伝説も、これで信憑性を帯びてきたな。方法を知っているだけでよかったんだ。もっとも、適当に転がすだけじゃたぶんダメだから、偶然の要素も大きかっただろうけど……」
「セイカさま……夢中で喋りますねぇ……」
「うるさいな」
呆れたように呟くユキに、ぼくは真顔で言い返す。
いいだろ別に。夢中で喋ってもっ!
「……あ、そうだ。ついでに……」
《火の相――――
数枚のヒトガタから炎が吹き出し、巣となっている岩の山を熱し始めた。
火にさらされた部分が次第に赤熱していく。
「えええっ、セイカさま、蒸し卵にでもするおつもりですかっ?」
「違うよ、よく見ろ。岩を温めてるだけだ。砂が敷かれてるおかげで卵はそれほど熱くならない。岩山をこうして炎で熱しておけば、巣を離れてもしばらく温度を保てる。これがドラゴンにとっての抱卵なんだ」
「な、なんでそんなことがわかるのですか」
「一部に脆くなって割れている石があった。赤熱を何度も繰り返した証拠だよ。というか、まだ少し温かかったしね」
それに、クメール(※カンボジア)やチャンパ(※ベトナム)のはるか南方の島々には、大地の熱で卵を温める鳥がいると聞いたことがあった。
これも似たようなものだ。
ふと、ドラゴンがずっと静かなことに気づいた。
思わずそちらを見ると、ドラゴンは厳めしい鱗の奥の瞳で、ぼくをじっと見つめている。
そこに敵意はもう感じられない。
ぼくはヒトガタを飛ばす。
「セ、セイカさまっ!? なにをっ……」
解呪の術を付したヒトガタで、石綿の網を情報の塵へと還す。
解き放たれたドラゴンは、わずかに体を震わせたが、暴れる気配も襲いかかってくる気配もなかった。
ただこちらを見つめている。
「……グルルッ!」
「えっ?」
突然唸ったかと思えば、ドラゴンは翼を大きく広げた。
そしてまたあの気圧の魔法を使い、空へと羽ばたく。
そのままどこかへ飛んでいくドラゴンを、ぼくもユキも呆然と見つめていた。
「……なんだったのでしょう?」
「さあ、わからないけど……」
なんとなくだが。
卵をちゃんと見とけ、と言われた気がした。
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※焔の術
火の気で火炎を生み出す術。燃焼物がないので効率が悪い。
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