第七話 最強の陰陽師、入山する


「殿下。昨夜ぼくの従者を呼び出されたようですが、何かご用でもありましたか」


 その日の午前。

 公務の合間にテラスへ出ていた王子に、ぼくは声をかけた。


 王子はふっと笑って答える。


「少し話をしたかったものでな。フラれてしまったが」

「戸惑っている様子だったので、ぼくが行く必要はないと伝えました。以後あのような呼び出しは控えていただけますか、殿下。あの子はまだ後宮入りを決めたわけでもなければ、あなたの侍女でもないのですから」


 真顔で告げるぼくへ、王子は向き直って言う。


「……何か誤解させてしまったようだ。ボクは本当に、茶でも淹れながら、ただ話がしたかっただけなのだが」

「あのような時間にですか?」

「公務の都合、どうしても夜が遅くなってしまう。皆普段からボクの時間に合わせてくれるせいで、少々感覚がずれていたようだ。申し訳ない」


 王子はそう、素直に謝る。

 だけど、怪しいもんだ。


「イーファにも謝っておいてはもらえないだろうか」

「……それはご自分でどうぞ。本気で後宮に誘うつもりならば、ですが」


 ぼくの答えに、王子は驚いたように目を見開いて言う。


「意外だな。てっきりそなたは、イーファの後宮入りを拒むと思っていたのだが」

「……そもそも殿下は、本当にあの子を後宮に入れる気があるのですか?」

「無論だとも」


 王子は大きくうなずく。


「どこがそんなに気に入ったので?」

「見た目、ということになるだろうか」

「……」

「美しさのことだけを言っているのではないぞ。あの聡明そうな雰囲気に惹かれたのだ」


 と、王子は少し照れくさそうに言う。


「おそらくだが……イーファはあの学園でも、優秀な生徒なのではないか?」

「まあ、筆記試験はだいたい一位か二位とってますね」

「やはりか!」


 王子がうれしそうに言う。


「アスティリアは、王妃もまた政務に大きく携わることが慣例となっている。ボクの妻となる女性は、聡明な者でなければならないのだ」

「はあ」

「加えて……イーファはとても美しく、可憐だ。国の顔となるにふさわしい華がある。さらに言えば、ボクの好みでもあるということだが……」


 王子は、一度咳払いして続ける。


「帝国の属国となってからは、経済の発展から平民でも力を持つ者が増え、昨今では血統もそれほど重要視されなくなってきている。ボクとしては、できるならば第一王妃に迎え、王の政務を支えてもらいたいと思っている」


 王子は真剣な口調でそう告げた。

 それから、ぼくを微妙な表情で見やる。


「もっとも……あの美しさで、奴隷という身分だ。セイカ殿とは深い仲であったこともあるのだろうが……ボクは気にしない。彼女の過去も、表向きには隠し通そう」

「……ぼくとイーファはそういう関係ではありませんよ」

「む、そうか。しかし、従者と主人という間柄にしては、いささか距離が近いように感じたが……」

「彼女は、いわゆる家内出生奴隷でしてね。ぼくとは屋敷で幼い頃から一緒に育ったものですから。ぼくにとってはまあ、妹みたいなものですよ。ぼくの方が年下ですけど」

「なるほど、腑に落ちた。であるならば……セイカ殿。あらためてお願いしたい。彼女を譲ってはもらえないだろうか」

「……」

「金ならどれだけでも払おう。アスティリアの後宮に入ることは、イーファにとっても幸せであるはずだ。兄としての立場から、彼女の幸せを願ってもらえないか」

「売れという話ならお断りします」


 ぼくは言う。


「ただ、あの子が自分で後宮入りを望むなら……その時はこの国で、奴隷身分から解放してやりますよ。それで問題ないでしょう」

「む、そ、そうか……。ときに……」


 王子は、やや言いづらそうに言う。


「セイカ殿から、彼女を説得してもらうことはできないだろうか」


 は?


「どうも、ボクは避けられているようなのだ……」

「あのですね」


 ぼくは顔を引きつらせながら言う。


「女の一人くらいご自分で口説いてください。殿下、あなた王子様でしょ? 容姿だっていいんだし、おそらくあなたほど恵まれた人間はそういませんよ。だいたい……」


 と、ここでぼくは口を閉じる。

 まずいまずい、思わず説教に入るところだった。


「とにかく、ぼくはイーファの意思を尊重するだけです。余計なことをするつもりはありません」

「そうか、いやもっともだ。セイカ殿は本当に、イーファのことを考えているのだな……」


 それから、王子は静かに問う。


「ときに……彼女は、奴隷身分から解放されることを望んでいるだろうか」


 ぼくは少し眉をひそめて答える。


「それはまあ、奴隷でいていいことなんてないでしょうからね。ぼくだって解放してやりたいんですが、帝国では成人の後見人が必要でしてね。学園では少々肩身の狭い思いをさせています」

「そうか……わかった」


 何がわかったのか、王子はしっかりとうなずいた。


 そこでぼくは、もう一つの用件を思い出す。


「ところで殿下。ぼくは明日から、ドラゴンの棲む山に入ってみようと思います」

「なっ……あの山へか? 無謀だぞ、いくらなんでも危険すぎる」

「大丈夫です。ただ、いくらか物資の手配をしたく。頼んでもよろしいですか?」

「あ、ああ、それは部下に用意させるが……しかし、手配というほど必要なものがあるのか?」

「何日かかかるかもしれませんので、食糧や着替えなどを」

「確かに、入山して調べるとなれば一日では済まないだろうが……なるほど、何日かかかるか……」


 王子は何やら呟いた後、大きくうなずいた。


「わかった。そなたの調査に必要なものは、すべて手配しよう」


 ぼくはその様子を見て、目を眇めながら思う。


「……ええ、お願いします」


 こいつ……。

 何か、余計なこと考えてないだろうな。



****



 そして翌日。

 ぼくは背嚢を背に、プロトアスタの後方にそびえる山を登っていた。


 王子はぼくの言ったものをきちんと用意してくれたが、さすがに急だったのか、揃ったのは今朝になってだった。

 おかげで、予定よりも少々出発が遅れてしまった。


 頭の上でユキが訊ねる。


「ドラゴンの巣は遠いのでございますか?」

「遠いな。しかも、多少回り道をしないといけない。夜に相対することは避けたいから、どこかで野宿する必要があるな」


 普通、鳥は夜に飛ばない。

 しかしモンスターは、ダンジョンで遭遇した時に迷わず襲ってきたことからわかるように、暗闇を問題にしない。

 夜の空をドラゴンが飛んだという記録もある。

 あまり暗い中で相手をしたくはなかった。


 普通だったら山で野宿なんて命取りだが、獣も雑魚モンスターも、結界や式神でなんとでもなる。

 なんならフクロウや灯りの術で夜通し進むこともできるが、初日から疲れるのはいやだった。

 無理することもない。


 目的地や現在地、周囲の地形は、タカやカラスですべて把握できている。

 獣やモンスターが近くにいれば、ネズミやメジロですぐにわかる。

 人の踏み入らぬ山も、ぼくからしてみれば庭園のようなものだ。


「……」


 ただ……見送りに来てくれたイーファは、ずいぶん心配そうにしていた。

 なるべく早く帰ってやろう。

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