四章(アスティリアのドラゴン編)
第一話 最強の陰陽師、依頼される
波乱の帝都総合武術大会から三ヶ月。
この国にも夏が訪れていた。
窓が開け放たれた寮の自室。
ぼくはベッドに腰掛け、届いた手紙に目を走らせる。
「あの屋敷の人間からですか? セイカさま」
肩に乗ったユキが、手紙を見下ろしてそう訊ねてきた。
こちらの文字はまだ読めないらしい。
「ああ」
ぼくはうなずく。
「父上からだよ」
「……セイカさまがあの若輩を父と呼ぶのは、なんだか違和感がありますね」
「そう言うなって。ブレーズには一応恩もあるんだ」
特に、寮で貴族用の個室をもらえたこととかね。
ユキと話せて、呪術の道具を広げられるのは本当にありがたい。
ユキは気を取り直したように言う。
「して、どのような内容だったので?
ユキの言った通り、学園はちょうど夏休みに入っていた。
この時期を利用して実家に帰る生徒は多い。
しかしぼくは、去年なんやかんや理由をつけて寮に残っていた。帰る意味がないし、馬車での長旅も嫌だったから。
今はあの揺れにもだいぶ慣れたが、疲れることに変わりはない。
ただこの手紙の内容は、帰省を促すものではなかった。
ぼくは首を横に振って答える。
「いや。なんか、ドラゴンの調査に行ってほしいんだってさ」
「ドラゴン、でございますか?」
「ああ」
怪訝そうなユキに、ぼくは説明する。
「帝国の持つ属国の一つにアスティリアという王国があるんだけど、そこの旧王都は、人とドラゴンが共に生きる街らしいんだ。なんでも近くの山に一匹の巨大なドラゴンが巣くっていて、その縄張りの中に街がすっぽり入っているらしい。だけど住民を襲うことは決してなく、むしろ過去には衛兵と一緒に、野盗や敵国の軍を撃退していたそうだよ」
「ほう」
ユキが珍しく興味深げに答える。
「思えばユキも人と共に生きる
「なんでも、最近様子がおかしいらしい」
「おかしい、とは?」
「人間を攻撃したり、たまに家畜を襲うようになったそうなんだ」
「む……」
ユキが首をひねるような仕草をする。
「……おかしいと言いますか、それが普通な気もしますが。ドラゴンとて腹が減れば、手近な肥えた獣を襲いましょう」
「いや、こちらのモンスターはだいぶ動物に近いが、それでも化生の類だ。土地の魔力さえ十分なら、妖と同じく食事をせずともちゃんと生きながらえるはずなんだよ」
いろいろな文献を読んだ限りでは、どうやらそのようだった。
ぼくは続ける。
「アスティリアのドラゴンも、きっとこれまでは滅多に獣を襲うことなんてなかったんだ。人間に敵意を向けることも。だからこそ、街の住民が戸惑っているんだろう」
「はあ……」
ユキが気の抜けた返事をする。
もっとも、飼い慣らしたつもりの猛獣が牙を剥いてくることなどは、普通によくある話だ。
それがドラゴンだったとしても、ぼくとしては特に不思議はない。
「して、なにゆえセイカさまがその調査を?」
「簡単に言えば、飼っている猛獣をちゃんと管理できているかの確認かな」
ぼくは言う。
「ドラゴンは、この世界ではほぼ最強のモンスターだ。そんな存在が不穏な気配を見せているとなれば、事はアスティリアだけの問題ではなくなる。もしこちらに飛んできたりでもしたら、帝国も大きな被害を受けかねないからね。現地を確認して、脅威を見定めるための調査というわけだ」
「……いつからセイカさまは、官僚の使い走りをされるようになったので?」
「そうじゃない。ブレーズからの頼みだよ」
ぼくは説明する。
「そもそも今回の調査は、帝国官僚ではなくアスティリアの議員が直接、父上に依頼したものなんだ。帝国議会からつつかれる前に、自分たちの方から調査使節を迎えてしまった方がいいと判断したんだろうな。そして向こうが目を付けたのが、研究者として名の通っていた父上だった」
「研究者ではなく、普通は政治家を呼ぶものでは?」
「政治家に借りを作れば、後に議会で重い見返りを要求されかねない。それにアスティリアに常駐している総督としても、政敵に来られるのは嫌だろう。その点、父上は政治から距離を置いているし、さらに報告書には学術的な説得力が生まれる。何かと都合がよかったんだよ。学会でよく帝都にいるから声もかけやすいしね」
「人の
ユキがうんざりしたように呟く。
ぼくも前世では政治になんて無頓着で、こんな話はしたことなかったからな。
ついでに、もう少しアスティリア側の考えを読むならば。
向こうはおそらく、ドラゴンの問題を解決する策をすでに用意している。
そうでなければ、調査依頼なんてただ墓穴を掘るだけだ。
それから、ユキは何やら釈然としない様子で言う。
「ただユキにはやはり、あの若輩がセイカさまにこんなことを頼んでくる理由がわからないのですが……。今のセイカさまは、立場上はただの学生でございますよね?」
「それは……きっと暇なのがぼくだけだったからだな」
「はい?」
「考えてもみろ。父上自身は多忙だし、ルフトも領主の仕事を覚えるので手一杯。グライは駐屯地から動けないし、親戚もどうせ皆自分の仕事や領地経営で忙しい。一方で学生のぼくは夏休み。実家に帰る気配もない一ヶ月の暇人ときている」
「ええ……そんな理由でございますかぁ……」
「理由はそんなでも、優秀な息子に任せたと言えば聞こえはいいはずさ。学園で成績上位、さらには武術大会の優勝経験まであるわけだからね」
ちょっと優秀すぎるくらいだ。
いい加減、少し抑えた方がいいかもな。
「して、どうされるのですか? 目立たぬように生きるのなら、こんな要請は断った方がよろしいかと存じますが」
「いや、行くよ」
抑えた方がいいとか考えていたにもかかわらず、ぼくは即答した。
「お前の言うことももっともだが、他国は一度見ておきたかったんだ。領地に帰省しろと言われるよりはずっといい。あとドラゴンも気になるし」
「……最後の理由がすべてでは?」
ユキが半眼になって言う。
「セイカさま……ほどほどになさってくださいね」
「何がだよ」
「ご趣味も結構ですが、節度を守られますよう。前世のように丸三日地下室にこもって実験に没頭した挙げ句、失踪したと勘違いされ騒がれるようなことはもうお控えください」
「わかってるわかってる」
ぼくは手をひらひらと振って答える。
呪術の研究はともかく、自然科学や生物学の実験は、どうもユキにはぼくの趣味に見えているらしかった。
確かに趣味みたいなものだけど……結構役に立つんだけどなぁ。
****
「というわけでぼく、夏休み中はアスティリア王国に行くことになったから」
昼時の食堂。
同じテーブルに座るイーファ、アミュ、メイベルに、ぼくはそう告げた。
「ふうん、ドラゴンの調査ね……おもしろそうじゃない。あたしもさすがにドラゴンは見たことないわね。ついてっていい?」
普通に言うアミュに、ぼくは呆れて返す。
「何言ってんだ。君、明日から実家に帰ることになってただろ」
「あたしの場合ロドネアから近いから、別に春でも帰れるし」
「そんなこと言うなって。家族には会える時に会っておいた方がいい」
「あんたが言うと、重いのか軽いのかわからないわね……。まあそうするわ。もう馬車も頼んじゃったしね」
「はい」
と、メイベルが小さく手を上げた。
「私は、予定ない。重い物も持てる。護衛もまかせて」
と言って、行きたそうな目を向けてくる。
意外と言えば意外だが……最近は明るくなって学園生活にも慣れてきているようだから、ちょっと冒険したい気持ちがあるのかもしれない。
ただ、ぼくは言わなければならない。
「予定、あるだろ」
「……?」
「勉強」
「……!」
「君、ぼくの課題ちゃんとやってるか? 新学期から授業について行けないとまた勉強漬けだぞ」
「え、鋭意消化中……」
全力で目を逸らすメイベルに、ぼくは付け加える。
「それと……君も今の家に帰ったらいいんじゃないか? たぶん両親は待ってると思うよ」
「ん……じゃあ、そうする」
うなずくメイベルを見て、ぼくはそれから、何やらうずうずしている様子のイーファに目を向けた。
「イーファ……一緒に来るか?」
「えっ!」
「長い旅程になるから休みいっぱいかかるだろうし、無理にとは言わないけど」
「い、行くよ! 行く! ……あはは、わたしもだめって言われるかと思った」
「従者の一人くらいは向こうも許してくれるよ」
言ってから、ぼくは少し申し訳なく思う。
ぼくが帰らないのに、イーファだけ帰るわけにもいかない。この子も父親に会いたいだろうに、それを妨げているのは罪悪感があった。
まあイーファの父親はブレーズ以上に多忙だから、帰ったところで会えるかはわからないんだけど。
「それで、出発はいつなわけ?」
「予定では明後日だな」
「ずいぶん急ね」
「移動に時間がかかるんだ。夏休みは一ヶ月しかないし、急ぎもするよ」
「もう馬車はとったの?」
「いや、向こうが手配してくれることになってる」
「向こう?」
「アスティリアの偉い人だよ」
ぼくは説明する。
「ちょうど帝都に来ていたみたいで、帰る時にロドネアに寄ってくれるんだってさ。だから護衛隊付きでアスティリアまで行ける」
「護衛隊、って」
アミュが眉をひそめる。
「ずいぶん大げさね。街道を行くなら野盗もモンスターも心配ないはずだけど」
確かにアミュの言う通り、主要路を行くだけなら
遠くの都市を結ぶ帝国の街道は、本質的には軍を効率的に移動させるための軍用路となっている。安全確保のためにモンスターは定期的に排除されるし、野盗は近寄らない。
ただ、今回は少し事情が違った。
「仕方ないよ。その人の立場が立場だからね」
「……?」
「アスティリアの偉い人っていうのが、実は……」
そのとき、食堂の後方からざわめきが聞こえてきた。
一際声のでかい人物の話し声が耳に入る。
「――――ほう、ここがそうなのだな。案内ご苦労。しかし、なんとも質素であるな……む、そうなのか。しかし建物が古いならば建て替えればよいだろうに」
「若」
「いや失敬。今言ったことは気にしないでくれたまえ。して? ……おお、彼がそうか。感謝するぞ。もうよい。後は我々だけで行こうか、リゼ。……ん? どうした? 早く来ないか」
ざわめきと気配が近づいてきて、ぼくは振り返る。
そこにいたのは、豪奢な礼服を着た一人の少年だった。
年の頃は十代後半くらい。整った容姿と気品ある佇まいと相まって、高貴な血筋の人間であることが否応なく伝わってくる。
護衛を兼ねているのだろう。そばに控えている長身で耳の尖った亜人種の女性は、相当な使い手であるようだった。
ざわめきの原因は、明らかに人目を引くこの二人だろう。
え、まさか……。
呆気にとられるぼくへ、少年が微笑と共に口を開く。
「やぁ。そなたがセイカ卿で間違いはないか?」
しばし固まるぼく。
しかし、やがて気を取り直して立ち上がると、笑顔と共に貴族用の敬語を吐き出す。
「いかにも。お初にお目にかかります。予定よりも早いお着きでしたね、セシリオ・アスティリア王子殿下」
後ろの方では少女たちのささやき声が聞こえてくる。
「……誰よ、あれ」
「王子、って言ってた」
ぼくは笑みを引きつらせながら言う。
「何もこのような場に来られなくても、こちらから出向きましたのに。アスティリア王国の第一王子たる殿下を迎えるには、いささか不適当な場所で申し訳ない」
「よい。ボクが学園の者に無理を言って案内させたのだ」
そう言うと、王子は快活な笑みを浮かべる。
「ことが急を要するわけではないのだが、そなたに会うついでに帝国の魔法学園を一度見ておきたかったのだ。なんとも歴史を感じさせる建物であるな。生徒たちも皆優秀そう、に…………おお、これは……!」
と、セシリオ王子が言葉を切った。
その目は、ぼくの隣の席でかしこまるイーファに向けられている。
「そなた……名は?」
「えっ!? ええええと……イーファ、です……」
ガチガチのイーファの前に王子は膝を突くと、少女の手を取り、熱に浮かされたような目で言った。
「なんと美しい……そなた、ボクの
は?
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