第十四話 最強の陰陽師、決勝に臨む


『皆様、長らくお待たせいたしました! 記念すべき第一回帝都総合武術大会、いよいよ、いよいよ決勝の時がやって参りましたァ!』


 司会の声が響き渡る。


『栄えある決勝戦に臨む精強なる戦士、その一人目は――――ランプローグの家名は伊達じゃなかった! 未だ底を見せないこの少年は、いったいどれだけの引き出しを持っているのか!? 帝立魔法学園の俊英、セイカ・ランプローグ!!』


 湧き上がる歓声の中、ぼくはステージに上る。

 午前にあれだけ派手に壊したのに、ステージの上はきれいなものだった。

 きっと興行的にこれ以上の遅延は許されなかったんだろう。基礎が叩き割られた以上応急処置でしかないだろうが、少なくとも今は支障なさそうだ。


『続いて二人目は――――異色、異質、異端にして最も異彩を放つこの剣士! 彼はいったいなんなのか!? こんなのどこから連れてきたぁ! ルグローク商会の隠し球、邪眼の殺戮者カイル!!』


 灰色の髪の少年が、階段を上ってステージに姿を現した。

 右手にはだらりと提げた抜き身の剣。半開きにした左右異色の瞳。幽鬼のような雰囲気は変わらない。

 ぼくの姿を認めているかもよくわからなかった。


「やあ」


 ぼくは笑みを浮かべながらカイルに話しかける。


「悪いね、君の妹じゃないんだ。メイベルは準決勝で、ぼくに負けてしまったから」

「メイベル……?」


 存外に高い声で、少年が呟いた。


「メイベル、メイベル……ああ、」

 

 両の瞳をほんの少しだけ見開き……そして言う。


「困ったな……予定と違う。あの子は、生きているのかい?」

「ああ」

「そうか。よかった」


 カイルは、夢うつつのような声で言う。


「それなら、ちゃんとあの子を殺すことができる」


 ぼくは一つ息を吐いて言う。


「君の妹だぞ」

「ああ、最後に残った仲間で、大切な家族だ」


 カイルは、なんの感情もこもらない声で告げる。


「大切な人を殺せと、僕は言われているんだよ」

「……君の事情は知っているが、やはり理解できないな」


 ぼくは問う。


「君はなんのために生きている? 幸せになるためじゃないのか? 大切な妹を殺すことが、その目的の達成に寄与するのか? 兵として使うために、手術で論理的思考まで奪っているとは思えないが」

「幸せのために生きるとは、どういうことだい?」

「……」

「幸せとは、生きることだろう? 明日へ命を繋ぐこと。僕にとって、いや育成所のみんなにとってはそうだった。強くなるのも、より強い者に従うのも、すべてはそのため。僕は一番強かったおかげで手術を受けられた。でも商会は僕よりも強いから、今も彼らに従っている。生きるために。何かおかしいかな?」

「……生きるために、大事な家族を犠牲にするのか」

「そうだよ。幸せとは生きることだからね。家族と言えど、所詮は他人さ」

「かつての君はそうじゃなかったはずだ。そのことはもう忘れてしまったのか?」

「もちろん、覚えているよ。でも今は、この方が正しいと思えるんだ」

「なお悪いな。メイベルが悲しむ」

「……わからないな」


 カイルが重さのない声で、ぼくに問う。


「僕のこともメイベルのことも、キミにはなんの関係もないはずだ。さっきからなぜ、キミは僕らの事情に口を出すんだい?」

「なぜ……? そんなの、決まっているじゃないか」


 ぼくは微笑しながら告げる。


このぼくが・・・・・気に入らないから・・・・・・・・だよ。たった一人の妹くらい大事にしろ。強い者には従うそうだな? ならこの試合に負けた後、メイベルに一言謝ってもらおうか」

「……やっぱり、わからないな」


 カイルが、微かに右手の剣を鳴らした。


「――――どうして、僕がキミに負けると?」


『さぁ、決着の時だ! 第一回帝都総合武術大会決勝戦――――試合開始です!!』


 笛が響き渡った。


 カイルが、その両の目を見開く。


 だが邪眼がその効果を発揮する前に。

 ぼくはすでに扉を開き終えていた。


《召命――――御坊之夜簾オンボノヤス


 位相から引き出された濃霧が、瞬く間に闘技場を覆っていく。


『おーっとこれはセイカ選手の魔法かァ!? ステージの様子がまったく見えません!』


「これは……」

「その目に頼ろうとしても無駄だよ」


 霧にぼやけたカイルを正面から捉え、ぼくは笑って見せる。


 御坊之夜簾オンボノヤスは、蝦夷えみしの山奥で捕まえた霧のあやかしだ。

 山に入り込んだ者を迷わせ、遭難させるこの妖は、内部に取り込んだ者の認識能力そのものに阻害デバフをかける。効果は帰り道がわからなくなったり、近くにいる者の顔が判別できなくなったりする程度だが、視覚で呪術を行使する邪視使いには邪魔で仕方ないだろう。


 まあ、こいつを出したのは観客の目から隠れるためなんだけど。

 あの程度の邪視なら普通に抵抗できそうだし。


 みしり、という音。

 カイルが一歩、足を踏み出したようだった。

 一歩、また一歩と歩く度に刻まれる足跡は、不自然なほど深い。


「ふうん」

《火土の相――――鬼火の術》


 青白い火球がカイルへとぶち当たるが、少年は意に介す様子もない。周囲で弾ける燐の炎は服にすら燃え移らない。

 やっぱり、重力の魔法で相当な重量になっているみたいだな。


「じゃあこれは?」

《木金の相――――みずがね蔓縛つるしばりの術》


 黒みを帯びた蔓がカイルの足下から噴出する。

 水銀を含んだ重たい蔓は、まったく無抵抗の少年に巻き付き、拘束していく。


 一瞬、これで終わったかと思った。

 だがそのとき。

 霧で薄れていたカイルの影が、突然黒みを増してグネグネと動き出した。

 影が少年の体へと這い上っていく。

 そして次の瞬間、拘束する蔓を内側から切り裂いた。

 地面へと舞い戻った影は次いで枝分かれし、地を這ってぼくへと殺到する。


 その先端が、鎌首をもたげた。ぼくを貫こうと襲いかかる。

 が、そこまでだった。襲いかかる影は結界を貫けず、あっけなく途絶し消えていく――――。


 と。

 そんな攻防などまるでないかのように。

 カイルは無言のまま、また一歩、歩みを進めた。

 そこに感情の色はない。


 ぼくは溜息をつく。

 ここまでなんの反応もないと寂しいな。


 カイルにはもう、戦いの高揚も、緊張も、恐怖も残っていないんだろう。

 仕方ない、当初の予定通りに行くか。


 一枚のヒトガタを取り出し、位相への扉を開く。


《召命――――牛鬼うしおに


 空間の歪みから現れたのは――――牛の頭を持った鬼だった。

 黒い肌をした筋骨隆々の体躯。見上げるほどの高さにある牛頭には鋭い角が生え、この世すべてを恨むかのような凶相が貼り付いている。


 ぼくはカイルに向けて問う。


「感情を失った今の君が、果たして完璧な兵士だろうか?」


 太い金棒を引きずりながら、牛鬼が一歩、カイルへと歩みを寄せた。

 そこで、少年の足が止まる。


「ミノタウロス……?」


 カイルが虚ろに呟いた。

 足下の影がグネグネとうごめき出すと、牛鬼に襲いかかる。


 牛鬼は何もしなかった。

 だがそれにもかかわらず、影は牛鬼を貫けない。目に見えない何かに阻まれ、黒い体の表面を這うばかり。


「……!」

「恐怖を感じるのが悪いことだとは、ぼくは思わない」


 牛鬼がまた一歩、少年に迫る。

 そのとき、カイルが初めて大きく踏み込んだ。


 抜き身の片手剣を振りかぶり、牛鬼へと斬りかかる。

 おそらくその剣も、重力の魔法で相当な重量となっていたのだろう。


 だが。


 牛鬼は、ただの腕の一振りで。

 その剣を叩き折った。


 霧の向こうで、カイルが息をのむ気配があった。

 それはこの大会で初めて見せた、微かな動揺の仕草。


 牛鬼が、無造作に金棒を振り上げる。


「そいつを見て、何も感じなかったか?」


 そして金棒が横薙ぎに振られ――――カイルを吹き飛ばした。

 少年はステージの外にまで転がり、動かなくなる。

 攻防も何もない、圧倒的な力の差だった。


「そいつは、君なんかとは格が違うんだ。重力の魔法とか影の魔法とか、そんな小細工が通じる相手じゃない」


 ぼくは、倒れ伏すカイルを眺めて呟く。


「もし恐怖が残っていれば、こんな無謀な戦いなど挑まなかっただろうに」



****



 のしのしと戻ってきた牛鬼に向かい、ぼくは言う。


「おい、ちゃんと手加減しただろうな」


 牛頭が寡黙にうなずいた。

 相変わらず無愛想なやつ。


 牛鬼はみずちほどではないものの、今持っている中では強力な方の妖だ。

 その割に扱いやすくて前世では頻繁に使っていたのだが、今回もよくやってくれた。ちなみに顔は怖いが別に怒っているわけではない。


 牛鬼を位相に戻すと、ぼくは仰向けに倒れるカイルへと駆け寄った。

 気絶しているようだが、息はある。どうやら大した怪我もなさそうだ。


「……ほんとうに生かしておくのでございますね」


 ユキの声に、ぼくはうなずく。


「まあね。甘いか?」

「甘いです。でも……ユキも、これでいいと思えてきました」


 さてと、ここからどうするかだな。

 とりあえずこっそり連れ出すとして……それからは実際のところ、本人の意思次第だ。どうしても商会に戻ると言うのなら止められない。

 ただ、もし自由になりたい気持ちがあるのなら……それはきっと叶うだろう。カイルほどの強さがあれば、冒険者や、どこかの商隊キャラバンに護衛として潜り込み、身分を隠して生活することくらい難しくない。


 感情だって、戻る可能性はある。

 めしいた者が音に鋭敏になるように、人間の体は失った機能を補おうとするものだ。感情が求められるような普通の暮らしを送れば、脳の違う箇所がそれを補うこともあるだろう。


 まあ先のことよりも。

 まずはメイベルに会わせてやるところからかな――――、


「――――セイカさまっ!!」


 ユキの鋭い声に、ぼくははっとした。

 カイルの頭。

 そこから放射状に、黒い紋様が顔や体へと浸食していく。


 これは……呪印か!?


「っ……!」


 即座にヒトガタを引き寄せて結界を張る。

 紋様の浸食が止まり、やがて薄れ消えていく。


 ほっとしたのも束の間――――カイルの体が、激しく震えだした。

 ぼくは目を見開く。結界は効いているはずだ。となると……浸食が始まった時点で、もう肉体に損傷が加えられていたのか。


 だが……詳しい損傷箇所がわからない。今から身代みのしろのヒトガタを用意するには時間が足りなさすぎる。

 間に合わない。


「……メイ、ベルに……」


 カイルが、薄く目を開いていた。

 掠れた声で告げる。


「……謝れと、言って、い、たね…………伝え、て、ほしい……」


 そしてぼくは、少年の最期の言葉を聞いた。


「――――、――――」


 カイルの全身から力が抜ける。

 息はない。左右異色のその瞳からも、すでに光が失われている。

 邪眼の剣士は事切れていた。


「セイカ、さま。これは……」


 ユキが愕然と呟く。


 呪いの正体には、見当がついていた。

 おそらく、これはルグローク商会が手術の際に施したものだ。

 捕虜になり、情報を吐くことがないように。あるいは手術の詳細を知られないように。

 敗北した際に発動する、口封じの呪い。


「……まじないで、」


 ひとりでに、声に呪力が滲んだ。

 周囲に飛ばしていた、ありったけのヒトガタを引き寄せる。


まじないで、このぼくを出し抜くか……? 舐めた真似をしてくれる……」


 カイルの死体。その周りに、ヒトガタが立体的に配置されていく。

 それぞれが呪力の線で結ばれ、やがて秘術の魔法陣が完成する。


「ओम् अपाकरोति पदार्थ समुद्दिशति आधुनिक इष्टका――――」 


 真言を唱え、両手で印を組み、術を組み上げていく。


 人を呪わば穴二つ。

 これを施した術者はただでは死なせない。

 呪った際周囲数丈にいた人間と、直系血族全員の命くらいは覚悟してもらおう。


 だが先にこちらだ。


 大丈夫。間に合う。

 こいつはまだ死んだばかりだ。

 直近のタイムスタンプから魂の構造を参照すれば、それを読み込むだけで事足りる。


 そう。

 前世で最強となったぼくなら。

 ぼくならこんなこと、造作もないんだ。


 死人を蘇らせるくらい――――っ、


「――――っ!! ダメですセイカさまっ! それはやり過ぎです!!」


 ユキの切羽詰まった声に。

 ぼくは、まじないの手が止まった。


 ユキはなおも言い募る。


「ご自分でおっしゃっていたではないですかっ! それは危ないと! なぜ転生することになったのかをお忘れですか!?」

「っ……」

「どうか今一度お考え直しを! その者は、セイカさまがそこまでしなければならないほど、恩や義理のある相手なのですかっ!?」

「…………」


 ぼくは――――印を組んでいた手を下ろした。

 ヒトガタが周囲に散っていく。

 呪力の線が切れ、魔法陣が崩壊する。


 ぼくは少年の死体を前に、声もなく立ち尽くす。


「…………お気持ちは、わかります」


 ユキの気遣うような声だけが響く。


「ユキは知っておりますから。セイカさまが、誰よりもやさしい方であることを――――」

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