第十二話 最強の陰陽師、話を聞く


 帝都の端にある、小さな広場。

 昼でもあまり賑わいのないこの場所で、メイベルは足を止めた。

 こぢんまりとした噴水の縁に腰掛けると、溜息と共に星空を見上げる。


 その少し寂しそうな姿に、ぼくは声をかけた。


「やあ」


 メイベルは弾かれたように立ち上がると、こちらを見据えて投剣の収納具ホルダーに手を伸ばす。

 それに、ぼくは両手を振って見せた。


「待て待て。戦いに来たんじゃないよ。決着は明日つけよう。それでいいだろ」


 メイベルはぼくを睨んで言う。


「私には、明日も今も関係ない」

「でも君、短剣はあまり得意じゃないだろ」


 メイベルが目を見開く。


「なんで」

「なんだか戦ってて物足りなさそうだったから。本当はあの両手剣よりも重たい武器が君の得物なんじゃないか?」


 言いながら、ぼくは噴水の縁に腰を下ろした。

 そして空を見上げる。


「ここは静かでいいな。ただ快晴なのが残念だ」

「……晴れの、なにが悪いの」

「月に雲の一つでもかかっていた方がぼくは好きだな。明るすぎる月は風情がない。二つもあると尚更ね」

「風情……? 月が二つあるのは、あたり前。へんなの」


 そう言って、メイベルがぼくから離れて腰を下ろした。

 涼やかな夜風が、小さな広場を流れていく。


「戦わないんなら……なんで、追いかけてきたの」

「話をしに来たんだよ」

「話……?」

「君は、どうしても勝ち残りたいんだろう? ぼくはただ頼まれても譲る気はないし、力で迫られても同じだ。だけど……君の抱える事情を話してくれたら、もしかしたら気が変わるかもしれない」

「……あんなことがあった後に話合いだなんて、どうかしてる」

「でも君は、ぼくを殺そうとまではしていなかっただろ?」

「……」

「あの闖入者の男に対してもそう……ぼくが何かする前に、逃がそうとしたんじゃないか?」


 メイベルはしばらく押し黙った後、小さく溜息をついて言う。


「あのときは、あなたが……あの目撃者を消そうとしているように見えた」

「別にそんなつもりはなかったけどね」


 危ないから追い払おうとしただけだ。ちょっと殺気は出てたかもしれないけど。


 メイベルは続ける。


「私は、あなたが怪我をして、明日試合を棄権してくれればそれでよかった」

「それにしてはずいぶん過激だったけど」

「腕か足の二、三本もらうつもりだった。それくらいで行かないと、怪我も負わせられないと思ったから」

「……」

「実際には、それも無理だったけど……。ひょっとして、もし怪我しても、あなたなら自分で治せた?」

「……さてね」


 死んでも復活できたとは言いにくいな。


 メイベルは、ぼくを見て言う。


「ただ、それでも……本気で戦ったら、私は負けない。私には、負けられない理由があるの。お願い、棄権して。あなた相手では、手加減できない。これ以上、誰かに死んでほしくないから……」

「言ったはずだよ。ぼくはただ頼まれても、勝ちを譲る気はないと」

「……」


 沈黙が夜の広場に降り積もる。

 メイベルは、やはり自分から話す気はないようだった。

 仕方ないな。


「じゃあ、ぼくが勝手に予想を喋ろう」

「え……?」

「君はアミュの身代わりだ」

「……!」

「この大会で優勝して勇者になりすまし、魔族側の注意を引くことが君の使命。クレイン男爵家の養子になって学園に来たのもそのため」

「し、知ってたの?」

「いや、ただの予想だよ。違った?」

「違わない、けど……どうして、あいつが勇者ってことまで」

「その辺はいろいろね」


 ぼくは苦笑する。


「でも、それだけじゃなさそうだね」

「……」

「君がそこまで必死になるのは、何か別の理由がありそうだ。それ次第では棄権を考えてあげてもいいよ」

「……」


 長い長い沈黙の後。

 メイベルは、重々しく口を開いた。


「あなたの予想には、一カ所だけ、違うところがある」

「違うところ?」

「私に求められているのは……決勝で負けること」

「は……?」

「決勝で、あの邪眼の剣士に殺されること。それが、私の役割。魔族側に、勇者は死んだと思わせるために」


 ぼくは、一呼吸置いて口を開く。


「やっぱりカイルも、送り込まれた人間だったってことか……。理解できないな。そんなずさんな計画を立てた奴の頭も、君のことも。まず魔族側は、おそらく君のことを勇者だなんてそれほど考えていないぞ。普通に考えて、どこかの村で自覚もなしに暮らしているか、帝国が秘匿している可能性の方がずっと高いんだ」

「……うん」

「こんな大会に出てくる状況自体都合が良すぎる。それなのに……優勝するならまだしも、決勝で負ける? それで勇者が死んだと偽れるなんて思っているなら、宮廷の連中は相当頭がおめでたいみたいだな」

「……仕方なかったの」

「仕方ない? 何が」

「私を貸し出す条件がそもそも、決勝戦で、カイルに殺させることだったから」

「はあ……?」

「学園とその上は、飲むしかなかった。勇者と年が同じで、女で、確実に大会を勝ち進めるような人材なんて、たぶん、私しかいなかったから。優勝させて影武者にすることは諦めて、死んだと見せかけることにした。多少、その意味が薄れるとしても」

「……悪いが、何が何だかわからない。貸し出す条件……? 君はいったい、どこから遣わされた人間なんだ?」

「――――ルグローク商会」


 メイベルは、ぼくに向き直って問う。


「聞いたことある?」

「ああ……カイルがそこの護衛部隊出身だと、司会が喋ってたな。表向きの身分だと思ってたけど」

「表向きじゃない。事実。護衛部隊は、まだ『商品』じゃない予備人員を置いておく組織の名前」

「商品?」


 メイベルは一拍置いて言う。


「ルグローク商会は、人を商品にしてるの。奴隷の売買と、傭兵の派遣。それが、ルグロークの商い」


 メイベルが続ける。


「あの商会が他の奴隷商と違うのは……才能のある奴隷を見つけ出して、自分たちで傭兵に育て上げるところ。特に、魔法の資質がある子供を。カイルも、そして私も、その一人だった」

「……」

「帝国も、もちろんそれを知ってる。だから今回の計画が立てられた時、真っ先にルグロークへ話を持って行った。勇者に仕立て上げられそうな、強い子供はいないかって。それで、私が選ばれたの。私は髪の色こそ違うものの、年齢と性別が合ってたから。でも……」

「……でも?」

「……私は、本来別の用途に使われるはずだったの。カイルの、最後の試験の相手、っていう用途に。だから、商会は私を貸し出す代わりに、条件を付けた。それが、大会にカイルを出場させ、決勝で私と当たらせること。そして、私の試合・・・・結果に・・・一切の・・・責任を・・・負わない・・・・こと……。私が決勝でカイルに負けてしまっても、それは商会の知るところではないというわけ。帝国側もその意味がわかってたのか、私を優勝させることは初めから諦めてた」

「……」

「でもきっと、ルグロークにとっては、今回の件はいいことずくめだったと思う。使い捨てるはずだった私で利益を得られて、大会では試験を済ませられるうえに、カイルという自信作の宣伝までできるから」


 ぼくは、少し考えてから口を開く。


「その、試験というのはいったいなんなんだ? 君だって商品である傭兵の一人なんだろ? どうしてそれを使い潰すような真似なんか」


 メイベルが首を横に振る。


「私は、正式な『商品』じゃない。ルグロークの、正式な傭兵になるためには……手術が、必要だから」

「手術だって?」


 ぼくは問い返す。


「なぜわざわざそんなことを。身体に何か埋め込むのか?」

「ううん、違う……頭を、開くの」

「……頭?」

「そう」


 メイベルは、自分の額のさらに上辺りを、指でなぞる。


「皮を切って、頭蓋骨に穴を開けて……脳に、刃を入れる」

「それは……なんのために」

「そうすると、完璧な兵士になれる。恐れや、怒りや、ためらいを一切覚えず、あらゆる命令に従う完璧な兵士に。代わりに、喜びや悲しみのような感情も失われて、別人になってしまうけど」

「……」


 そこで、メイベルはこちらを見た。


「信じられない?」

「いや……信じるよ」


 似た事例を知らないわけじゃなかった。

 ぼくは続けて問いかける。


「君はそれを受けていないが、カイルは受けたということだな。どうりで人間離れしてると思ったよ……。それで、試験というのは?」

「手術が成功したかどうかを確かめるの。仲間を……殺させることで」


 メイベルは続ける。


「奴隷の中で魔法や剣の才能を見込まれた子供は、育成所に送られる。そこで、四人一組で育てられるの。四人は、いつも一緒。寝る時も、ご飯を食べる時も、厳しい訓練の時も。喧嘩することもあったけど、身寄りのない奴隷の子たちにとっては、家族みたいなものだった。一緒にがんばろうって、いつかきっと自由になれるからって励まし合って、育成所の大人たちからも、仲間同士助け合いなさいって言い聞かされて…………でもね、」


 メイベルは言う。


「手術を受けられるのは、四人のうちの一人だけ。一番強い一人」

「まさか……」

「試験の内容は、他の三人を殺すこと」


 言葉を失うぼくへ、メイベルは続ける。


「ためらいなく殺せて、初めてルグロークの傭兵になれる」

「それじゃあ、君は……」

「私はカイルの、三人の仲間のうちの一人。他の二人はもう殺された。あとは、勇者の身代わり候補になって、試験が延期された私だけ。私を殺すことが、カイルにとっての最後の試験なの」


 ぼくは、長い沈黙の後に口を開く。


「君は……そんなことのために勝ち残ろうとしていたのか。決勝に進んで、あいつに殺されるために……」

「違う」


 メイベルが即座に否定する。

 その声の奥には、初めて感情らしきものが見えた。


「勇者も、試験も、知らない。私が負けられない理由は……決勝戦で、カイルを殺さなきゃならないから。帝国や、商会の意図とは関係なく」

「それは、なぜ……」

「私には、兄がいたの。実の兄が」


 メイベルが言う。


「一緒に奴隷に売られた、たった一人の家族。たまたま私も兄も、魔法の才能があって、一緒に商会に拾われた。育成所でも一緒だった。いつもやさしくて、みんなを気遣って、辛い時もなぐさめてくれて…………そして一番最初に、あの人に殺された」

「……」

「仇を、討つの。それが私の理由」


 メイベルの言葉を聞いて。

 積み重なっていた違和感が、ようやく形になる。


「カイルが兄の仇というのは、嘘だろう」

「え……」

「カイルこそが……君の兄なんじゃないか?」

「なっ……なんで……」


 メイベルが愕然と呟く。

 ぼくは溜息をついて言う。


「なんでと言われると答えにくいな。ほとんど勘だよ。仇に対して語っているには違和感があったし、闘技場でカイルを見ていた君の視線もそう。それに、君の瞳の色と、カイルの邪眼じゃない方の瞳の色が同じなのも気になってた。顔立ちも少し似ているしね」

「……そう」

「ひょっとしてその髪も、染める前はあいつと同じ灰色だったんじゃないか?」


 メイベルがこくりとうなずいた。


 そのまま押し黙る少女を見て……ぼくは、さらに思い至ることがあった。

 思わず目を眇めながら訊ねる。


「まさか……カイル自身が望んだのか……? 君の手にかかって死ぬことを」


 メイベルが目を丸くした。

 それから顔をうつむかせ、ぽつりと呟く。


「なんでもわかるのね……。あなたも、ひどい世界を生きてきたの?」

「いや……君ほどじゃないよ」


 少なくとも今生ではそうだ。

 メイベルがぽつりぽつりと話し始める。


「手術を受けることになる少し前……兄さんが、私に言ったの。『もし僕が僕じゃなくなったら、そのときはメイベルが、僕を楽にしてほしい』って。言われたときは、なんのことかわからなかったけど……たぶん兄さんは、自分がああなることがわかってたんだと思う。『商品』の人たちは、みんなどこかおかしかったから。そして、その『商品』になる可能性が一番高かったのが兄さんだった。生まれつき邪眼を持っていた兄さんは、育成所の誰よりも強かったから」

「……」

「今のあの人は……もう、兄さんじゃない。兄さんならぜったいに、試合の相手を無闇に殺すことなんてしなかった。ましてや、仲間だった二人を手にかけるなんて……。今のあの人が、なにを考えているかはわからない。でも、もしあの人の中に、まだ兄さんが残っているのなら……きっと、苦しんでる。私は、それを楽にしてあげたい」


 ぼくは、沈黙の後に問いかける。


「君は、カイルに勝てるのか?」

「わからない……ううん。たぶん、無理」

「……」

「でも、やるしかないの。これはもう、私にしかできないこと。それに、」


 そこでメイベルは困ったように、小さく笑った。


「私は、もうどうなっても死ぬだけだから。決勝で負けても、勝っても、逃げ出しても。あの人に殺されなくても、商会に処分されるだけ。だったら……最後に、兄さんの頼みを、聞いてあげたい」


 ぼくは、メイベルの笑った顔を初めて見たことに気づいた。

 少女は言う。


「お願い。決勝で、兄さんと戦わせて。あなたに負ける気はない。でも、ただで勝てるとも思ってない。できれば万全の状態で、兄さんに向かい合いたいの。私の望みはもう、それだけだから……」

「……気が変わったよ」


 ぼくは目を伏せる。


「実は、準決勝はわざと負けるつもりだったんだ。優勝に興味はなかったし、この大会の意味も予想がついていたから。でも、やめた」


 ぼくは、静かに告げる。


「準決勝は君に勝つよ。そして決勝で、ぼくがカイルを倒そう」

「なっ……」


 一瞬後、メイベルが怒りの表情を作る。


「なんで! なんでそんな!」

「君は兄に殺される必要も、殺す必要もない。もうこんな大会から降りろ。たった一人の家族を手にかけるなんて間違ってる」

「あなたになにがわかるのっ!」


 メイベルが叫ぶ。


「私がどんな気持ちで戦ってきたと思ってるのっ! 学園なんかに入れられてっ、恵まれた人たちを見せつけられてっ、こんな大会で兄さんと再会させられてっ! 今さらそんなきれい事言わないで! 私は違うの! 能天気な貴族の子供とも、大事に守られる勇者とも、あなたともっ! 私の最後の役目まで奪わないでよ! あなたに負けて、なにもできないまま消える私はどうすればいいのっ!」

「どうすればいいかなんて決まってる。学園に帰るんだ。今の君は、男爵令嬢で学園の生徒なんだから」


 ぼくは言う。


「学園に帰って、準決勝まで進んだことを祝福される。それから、学園生活に戻る。能天気な生徒と一緒に勉強して、普通の試験を受けて、進級して、いずれは卒業する……そこから先は君次第かな」


 メイベルは目を見開き、唇を震わせる。


「やめて……そんなこと、あるわけない。失敗して用済みになった私を、学園が囲っておく理由がない」

「うーんぼくの予想だと、そこは心配ないんだけどな」

「百歩譲ってそんなことがあるとしても……商会が黙ってない。内情を知る私を、放っておくわけがない。絶対に刺客を送ってくる。兄さんより強い『商品』だって、ルグロークはたくさん抱えてる。無事に過ごせるわけ……」

「さすがにそのくらいの手は打ってると思うけどなぁ。まあでも、刺客程度ならなんの問題もないよ」


 ぼくは笑って言う。


「ぼくが学園にいる限り、誰も君に手出しなんてさせないから」

「そ……そんなこと、できるわけない」

「できるよ――――だってぼく、最強だからね」

「は、はぁ……!?」


 メイベルは呆気にとられたような顔をして言った。

 それから、なぜかこちらをうさんくさそうに睨んでくる。


「もしかして、口説いてる?」

「へっ!?」

「兄さんが言ってた。自分を大きく見せて気を引いてくる男には、注意しろって」

「い、いや……」


 ぼくはさすがに気まずくなる。

 変なこと言わなきゃよかったよ……。


「さ、さすがに最強は冗談だけど……腕には覚えがあるって言いたかっただけだよ。少なくともカイルやその上の『商品』とやらには負けない。だから、安心していい」

「……」

「それに……君の兄さんに願いがあるとしたら、それは自分を殺させることじゃない。たった一人の妹が自由になることだと、ぼくは思うな」


 夜風と共に、沈黙が舞い降りた。

 やがて――――、


「ありがと。でも……」


 メイベルは、静かに口を開く。


「……やっぱり、信じられない」


 メイベルがすっくと立ち上がった。

 そして、その空色の瞳でぼくを見据える。


「明日は、全力で行く。そして、あなたに勝つ」


 メイベルへ、ぼくは笑い返す。


「いいよ。それなら、ぼくはぼくで証明して見せよう。全力の君に余裕で勝ち、造作もなくカイルへ引導を渡してやるとしよう。まずはそこからだな」

「……わかった」


 うなずいて、メイベルは踵を返す。


 その姿を見つつ、ぼくはようやく気を抜いた。

 追いかけてきてよかったな。そうだ、優勝となれば賞金がもらえるんだっけ。どのくらいだろう――――。


 などと考えていると、メイベルがふと思い出したように、体半分だけ振り返る。


「その、宿のことはごめんなさい。あの女の人にも、怪我がなかったらよかったんだけど」

「いいよ……え、女の人?」

「うん。あの、白い髪の」

「っ!?」


 げっ……ユキを見られてた?

 ぼくはしらばっくれる。


「な……なんのこと?」

「……? あなたが連れ込んだ、その……じゃなくて? だってベッドで」

「はあ!? 違っ……い、いや、知らないな。何言ってるんだ?」

「……あなたの従者とあの勇者に黙っててほしいんなら、別に構わないけど」

「いやいやいやいや!」


 そういう気遣いはありがたいんだけど!


「待て、本当に知らないんだ。思い出してみてくれ。君とあの部屋でやり合ってた時、他に人がいたか?」

「……そういえば、いつの間にかいなくなってた、かも」

「ドアも閉まってたし、いなくなるとかあり得ないんだよ! そもそもぼくはずっと一人だったんだ。いったい君には何が見えてたんだ? やめてくれよ怖いなー……」

「……? アストラル系のモンスターだったってこと?」

「うー……ん」


 微妙に通じてない。

 この国って怪談の文化とかないのか……?


 ぼくが首をひねっているのを見て。

 メイベルは、少しだけおかしそうに口元を緩めた。


「……へんなの」



****



 メイベルと別れ、深夜の街を行く最中。


「ユキの予感は当たりそうですね。セイカさま」


 ユキが唐突に言い放った言葉に、ぼくは口ごもった。


「う……ああ、ユキはすごいな。成長したよ」

「そういうことではございませんっ! もう、なにを考えておられるのですか! 今生では力を誇示しないように生きると決めたのではっ?」

「……だって」


 ぼくは思わずすねたような口調になる。


「かわいそうだったし」

「……はぁ~~~」


 ユキが盛大に溜息をついた。


「セイカさまはいつもそうでした。犬か猫でも拾うように、不憫な子供を拾ってきては弟子に迎えて」

「いいだろ。皆ちゃんと立派になったんだから」

「……たしかに、どういうわけかセイカさまの拾ってくる童は、皆優秀だったんですよねぇ。まじないの才がなかった子でも、後に官僚や武者や商人として頭角を現していましたし」

「皆がそれぞれ頑張った結果だよ」


 それから、補足するように言う。


「一応真面目に答えると、こんな大会で優勝するくらいどうってことないよ。本当の強者はこんな場に出てこないし、それくらい誰でも見当がついている。メイベルだって言ってただろ? カイルより強い兵を、ルグロークは何人も抱えてるって」

「むむ……では、どのくらいから危ないので?」

「布陣してる軍を一人で壊滅させたり、災害を治めたり、死人を生き返らせたりするとやばいかな」

「それはそうでしょうねぇ」


 それからユキは、しばらく黙った後に言う。


「でも……あの娘の話は本当なのでしょうか。ユキは信じられません」

「どこか引っかかるところでもあったか?」

「……頭を開いて、人格を変えてしまうという手術のことです。そんなことが果たして可能なのでしょうか」

「ありえなくはないな」


 ぼくは説明する。


「西洋にあった癲狂院てんきょういん……気の触れた人間を入れておく施設だが、そこで過去に同じようなことが行われていたと聞いた。脳に刃を入れる手術をね。驚いたことに、ひどい発作や暴力衝動が収まり、日常生活を送れるようになった者もいたそうだ。ただ……大半は廃人のようになったり、手術の傷が元で死んだり、成功したように見えても、後に自ら命を絶ったりしていたようだけど」

「ならば、やはり手術で冷酷な兵を作るというのは……」

「いや、それでも不可能とは言い切れない」


 ぼくは言う。


「西洋の癲狂院で行われていた手術は、記録を見る限り明確な方法論などはなかった。刃の入れ方も医者によって違ったから、結果にばらつきがあったのも当然だ。だから、逆に……実験によって成功率の高い方法を確立できているならば、話は変わる」

「実験、でございますか」

「ああ」


 ぼくは続ける。


「ルグローク商会は奴隷を扱っている。実験材料なんて、自分たちでいくらでも調達できるんだよ。気が触れたり病を患ったりして、売り物にならなくなる商品はそれなりに出てくるはずだからね。それにこちらの世界には治癒の魔法があるから、手術の傷が元で死ぬなんてことも防げる」

「な、なるほど……」


 次いで、ユキがおそるおそる訊ねてくる。


「その……手術によって起こった変化を、セイカさまが元に戻してやることは、できないのですか?」

「無理だな」


 ぼくは即答する。


「魂の変質を戻すには、それこそ死人を蘇らせるような方法が必要になる。一日程度ならまだしも、何日も経ってしまっているとね」

「そうでございましたか……」

「それでも、カイルを殺すつもりはないけどね」

「えっ」


 ユキが驚いたような声を上げた。

 メイベルにはあえて言わなかったが、ぼくは最初からそのつもりだった。


「たとえ人格が変わってしまっても、また新たな関係を結び直すことはできるよ。今のカイルをメイベルが受け入れられるかはわからないけど、それはぼくが決めることじゃない。それに、」


 ぼくは付け加える。


「あいつも、人形のまま死ぬのではかわいそうだ」

「……はぁ~~~」


 ユキがまた盛大に溜息をつく。


「セイカさまは甘いですねぇ」

「そうかな」

「そうでございますよ。甘々です。その子供に甘いところは、前世からまったく変わられていないようで」

「そりゃあ百何十年と生きているわけだからな。転生したくらいで今さら変わらない」

「しかしながら」


 そこで、ユキの口調にわずかにとがめるような響きが混じる。


「セイカさまは今生では、狡猾に生きると自ら決められたはず。初志を軽んじられるような真似は、いかがなものかとユキは思います」

「ん……」


 ぼくは、わずかに口ごもった後に言う。


「……それは、あくまで前世と同じてつを踏まないためだ。その目的に支障のない範囲で、少し他人の世話を焼くくらいはいいじゃないか」

「む……」


 押し黙るユキに、ぼくは少し笑って付け加える。


「それに……いつもいつも周りをあざむくことばかり考えていたのでは、疲れてしまうからな」


 そして、ぼくは頭の上の妖をなだめるように小さく言った。


「なに、心配するな。せいぜいうまくやってやるさ」

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