二章(ロドネア地下ダンジョン編)
第一話 最強の陰陽師、揉める
波乱の入学式が終わって。
ぼくの学園生活は、予定よりも十日ほど遅れてスタートした。
「セイカくーん、おはよう」
「おはよう、イーファ」
寮から学舎へ向かう道すがら。笑顔で駆け寄ってきたイーファに、ぼくは挨拶を返す。
こんな生活も、もう一月が経とうとしていた。
デーモン騒動の後、当たり前だが学園内部は対応に追われ大わらわだったようで、一時は学園を閉鎖し、安全が確認されるまで生徒を家に帰す意見も出ていたらしい。
デーモンを召喚した術者の正体がわからない以上(ぼくが
そこら辺はいろいろ事情があるんだろう。
まあ術者がわからなくても、学園内の魔法陣が見つかれば手口は知れるし、対策もとれるからね。
一応、今も学園内外を警備として雇った冒険者が見回っている。
学園側の対応は、そんな感じのようだ。
ふとそのとき。
学舎近くに、見知った赤い髪を見つけた。
ぼくは片手を上げ、笑顔で挨拶する。
「やあ。おはようアミュ」
勇者、アミュは足を止めると……ぼくへ、露骨に面倒くさそうな目を向ける。
「気安く話しかけないでくれる?」
アミュはそう言うと、赤い髪を翻してさっさと歩いて行く。
「セ、セイカくん……」
笑顔のまま固まるぼくに、イーファはかわいそうなものを見るような目を向けてくる。
が、大丈夫。
なんの問題もない。
ぼくが転生して立てた人生計画は、とてもシンプルなものだ。
強い奴の仲間になり、その傘の下で甘い蜜を吸う、という。
我ながらすばらしく小者くさくてナイスな計画だ。
こんな奴、誰も目をつけない。ぼくでも無視する。
だから、前世と同じ末路を辿ることもないだろう。
ネックとなるのは肝心の強い奴を見つけるところだったが、またとない幸運で早々に出会えた。
勇者などという逸材に。
しかも学友という立場だ。親しくなるのに、これほどうってつけのポジションもない。
学園生活は始まったばかり。時間はまだまだたっぷりある。
今嫌われているくらい、どうということもない。
ゆっくり友達になれればそれで……、
とまで考えて、ぼくは思考が硬直した。
あれ?
友達になるって、どうすればいいんだ?
よくよく思い出してみると、ぼくは前世で自分から友人を作ったことがない。
向こうから話しかけてきて親しくなることはあったが……そのパターンしかなかった。
いざ誰かと仲良くなりたくても、どうすればいいのか見当が付かない。
ひゃ、百年以上生きてたのに……。
冷や汗が流れる。
恐ろしい、あまりに恐ろしい可能性に気づいてしまった。
ぼくってもしかして……、
コミュ障?
****
午前の授業が終わった後。
ぼくは、イーファと食堂へと向かうべく、学舎の廊下を歩いていた。。
イーファが心配そうな顔で言う。
「セイカくん、顔色悪かったけど大丈夫?」
「あ、ああ。もう平気だよ」
ぼくは気を持ち直していた。
大丈夫。
ぼくだって友達がいなかったわけじゃないんだ。
今生でのぼくは家柄もいいし、ツラだってたぶん悪くない。
それに、どのような形であれ関わりが増えるほど、人間親しくなりやすいものだと前世で女たらしの貴族が言っていた。
積極的に話しかけていけばきっといける。
そう信じるしかない。
学園が始まって一ヶ月も経ったのに、仲の良い人間がイーファ以外にいないというぼくの厳しい現状がふと頭をよぎったが、無視することにした。
不安になるだけだから。
「君ィ! 失礼じゃないか!」
学園の廊下に、声が響いた。
周りにいた生徒たちが、何事かとそちらを見やる。
そこには四人の大柄な男子生徒に囲まれた、アミュの姿があった。
囲んでいるのは、どうやら上級生のようだ。
やれやれ。
また絡まれてるよ。
デーモンの一体を一人で倒したアミュは、一躍学園の英雄に……とはならなかった。
てっきり雑魚だと思っていたあのレッサーデーモンは、どうやら一般的な基準からすれば雑魚ではなかったらしい。
数人で倒したならば英雄で済んだだろう。
だが一人で倒したならば、それはもはや強すぎる化け物だ。
周りから向けられるのは畏怖の視線ばかり。
アミュは孤立していた。
さらに悪いことに、アミュの功績は、あの場にいなかった上級生たちの嫉妬を買った。
入学式に出ていた上級生は一部の成績優秀者だけだったようで、そうでない者はデーモンの恐ろしさは知らないままにアミュの名前だけが聞こえてくる状態だった。それがよくなかったらしい。
ただでさえ異様な成績で首席になったアミュは、あっという間に目を付けられた。
というわけで、あんな風に絡まれている様子はしょっちゅう見る。
そのくせアミュはどれだけ詰め寄られても毅然としているからか、嫌がらせは止む気配がなかった。
ぼくは溜息をつく。
まあ、強いとああなるんだよな。
周りの生徒も遠巻きに見るばかりだし。
あの上級生が怖いのもあるんだろうけど……。
仕方ない。
「あのー、どうかしました?」
声をかけると、四人の上級生が一斉に胡乱げな視線を向けてきた。
ぼくは笑顔のまま話す。
「彼女、この後ぼくと約束が……」
「なんだね君は?」
四人の中で中央にいた、一番ひょろい金髪が口を開く。
「消えたまえ。私は今この平民に教育を施しているところだ。このレグルス・シド・ゲイブルの声を無視する不届き者は、どうやら世の仕組みというものをわかっていないらしいのでね」
「あたしはひ弱なお貴族様の嫌みと自慢話なんて聴いているヒマはないの。わかったならどいてちょうだい」
アミュの挑発するような物言いに、上級生たちが怒りの目を向ける。
あーあ、もう……。
「アミュ、ちょっともうその辺で……」
「消えろと言ったのがわからないのかね? 君、家名は? まさか平民の分際でこの私に生意気な口をきいているのではあるまいね?」
「ぼくは……」
そのとき、右側にいた生徒がレグルスに耳打ちする。
「……レグルスさん。こいつ、ランプローグですよ。例の」
聞いたレグルスは、急に偽物っぽい笑みを浮かべた。
「これはこれは。今年はあの名門ランプローグ伯爵家からご子息が入学されたと聞いたが、君がそうだったとは。会えて光栄だよ、セイカ・ランプローグ君」
「はぁ。どうも」
「それにしても、ランプローグ伯爵家も思い切ったことをする――――まさか妾腹の魔力なしを、奴隷付きでこの魔法学園に入れるとは。どれだけの金を渡したのか知らないが、うまくやったものだね」
「……」
あらら。
そんな噂が立ってたのか。
貴族と言えば噂、噂と言えば貴族だし無理もないが……これはひょっとすると、ぼくもアミュと同じように敬遠されてた感じなのかな?
「まったく魔法学園の質も落ちたものだ。よもや首席が平民、次席が奴隷、三席が妾腹の魔力なしとはね。で、あらためて訊くが君……まさか落とし子の分際で、このゲイブル侯爵家たる私に生意気な口をきいているのではあるまいね?」
「……」
「ふ、そう萎縮せずともよい。詫び代わりに、そうだな」
と、レグルスがイーファに粘着質な視線を向ける。
「君の奴隷を一晩貸してもらえさえすれば、我々は寛容な心で許そうではないか。なあ、お前たち?」
取り巻きどもが下衆な笑い声を上げる。
その中の、一際大柄な男子生徒が、イーファの肩になれなれしく腕を回した。
「レグルスさん、一晩とは言わず買い取っちまいましょうよ。この奴隷……なかなかのもんですよ」
イーファが怯えたように顔を俯けた。
レグルスは大げさに言う。
「おお、それはいい考えだ。君、あの子はいくらだね? 言い値で買おう」
「……悪いですが、イーファを手放す気はありませんので」
「はぁ、それなら君は何を差し出せるのかね? ……おや」
レグルスはおもむろにぼくの胸ポケットへ手を伸ばすと、ルフトからもらったガラスペンを入れていた革の袋をつまみ上げる。
「ほう。これは」
「レグルスさん、そのペン帝都でももうなかなか手に入らないやつですよ」
「ふむ、落とし子には贅沢すぎる品だ。そう言えば、ちょうど羽ペンを買い換えたいところだったな」
「……それは大事な物なので、返してもらえませんか」
「わからないのかね? これで許すと言っているんだよ。それとも、奴隷を差し出すか?」
軽薄な笑みで言うレグルス。
ぼくは、はぁー、と特大の溜息をついた。
もういいや、めんどくさ。
ぼくは声に呪力を込める。
「レグルス・シド・ゲイブル」
「なんだね? いきなり敬称も付けずに。無礼な呼び方を私が許すと……」
「――――
その瞬間、レグルスは動きを止めた。
口を半開きにして、間抜けな彫像みたいになっている。
眼球が動いてなかったら見間違ってもおかしくないくらいだ。
ぼくは、その手から革袋とガラスペンを取り返す。
「返してくれて、どうもありがとうございます」
そしてぼくは、次にイーファの肩に手を回していたがたいのいい男子生徒に顔を向ける。
「君、名前は?」
「お……おれはプレング子爵家のマルクだ。伯爵家だろうが、落とし子ごときに指図される謂れはねーぞ!」
「ではマルク・プレング。そこで固まってる侯爵家の若様をぶん殴れ」
「え? あ、ああ」
ばきぃッ、という強烈な音がして、レグルスが吹っ飛んだ。
「レグルスさん!? お、おれは何を……」
床に伸びたレグルスへ、マルクを含めた取り巻きどもが慌てて駆け寄る。が、反応がないようだ。
気絶したみたいだな。
マルクよ、君は武闘家になれ。そっちの方が向いてる。
それにしても、こちらの魔術師はしょうもないな。
ちょっと名前で縛っただけでこれか。
前世ならド素人でももう少し抵抗したぞ。
「行こうかイーファ」
イーファの手を取って歩き出す。
その小さな手が微かに震えていて、ぼくは苦笑する。
「イーファも臆病だな。あんな連中、今の君ならあくびをする間に火だるまにできるだろうに」
「……そんなことできないよ」
消え入りそうな声。
そりゃ実際にはできないだろうけど、自分の方が強いんだからそう怖がることもないだろうに。
「だって……わたしはセイカくんの所有物なんだよ。わたしのしたことは全部、セイカくんと、ランプローグ家の責任になるのに……」
ぼくは足を止めた。
そういうことか。
「ごめん、そうだね。今度から気をつけるよ」
そう言ってイーファの頭を撫でてやると、くすんだ金髪の柔らかな感触が手に心地よかった。
それにしても、狡猾に生きるというのは難しい。
さっきだって揉め事を起こすつもりじゃなかったんだけど……。
やり返さなければ奪われ続け、やり返せば目を付けられる。
世の中ままならないな。
「イーファも、ぼくとか家とか気にせずやりたいようにしていいよ。なんとなく、ぼくの方がやらかしそうな気がするし……」
「ねえ」
背後から声。
振り返ると、腰に手を当てたアミュの姿があった。
「なに? さっきのあれ」
ぼくは微笑のまま答える。
「あの子分、侯爵家の若様によほど鬱憤が溜まってたみたいだね」
「ふざけないで。あんたがやったんでしょ」
「さあ」
アミュはつかつかとぼくへ詰め寄ると、その端正な顔を寄せ、脅すような声音で言う。
「答えなさい」
間近で見る若草色の瞳には、激情が宿っていた。
ぼくは一つ息を吐いて言う。
「訊いたら素直に教えてもらえると思った? 手の内はそうそう明かさないよ。誰だってね」
「……あっそ。ならいいわ」
隣を赤い髪が通り過ぎていく。
ふと余計なことを言いたくなった。
「てっきり、お礼を言われると思ったんだけどな」
「はあ?」
アミュが振り返る。
「もしかして助けたつもりだったわけ?」
「うん」
「余計なお世話。あんな連中なんでもないわよ」
「無闇に敵ばっかり作ってると、そのうち痛い目見ると思うよ」
「余計なお世話って言ってるでしょ。あんたなんなの? あたしに構わないで」
あー、まどろっこしいな。
ぼくは笑顔を作って言う。
「ぼくたち、友達にならないか?」
「はあ? なに、いきなり」
「お互い変な噂や偏見のせいで苦労してるだろ? だから助け合おうってことだよ」
「うわさ? 魔力なしとか奴隷侍らせてるとかはともかく、妾腹がどうこうはあたしさっき初めて聞いたんだけど。あんたは素で友達がいないだけなんじゃないの?」
精神攻撃にひるむぼくを、アミュは冷たい目で見つめる。
「あたしは友達ごっこをするために学園に来たんじゃない。強くなるために来たのよ。くだらない連中となれ合うつもりはないわ」
「……誰に対してもつんけんしてるのはそのせい?」
「だったらなに」
「下策だな。強くなりたいなら、なおのこと仲間を作らないと」
「はあ?」
「強さは数だよ。一人でできることなんて限られる。今の君は、この学園の誰よりも弱い」
アミュがぼくを睨みつける。
「だから成績優秀者同士でつるみましょうってわけ? ダッサ」
「ダサいかな」
「いずれにせよお断りよ。弱い仲間なんていない方がマシ。いくら名門伯爵家のお貴族様でも、魔力なしなんてね」
「ぼく魔力はないけど、別に魔法が使えないわけじゃないよ。魔法演習の授業同じの取ってるんだから知ってるだろ」
「使えるだけでしょ? 入試の実技では自分の従者にも点数負けてたくせに。あんたが三席だったのはあの嘘くさい筆記点数のおかげじゃない。なに満点って。逆に気持ち悪いんだけど」
「いやあれくらい……」
ぼくが言い返そうとしたとき。
隣で、イーファが一歩前に出た。
「じゃ、じゃあ、わたしの点数も嘘くさい? セイカくんより、十点低かっただけだけど」
アミュは、わずかに鼻白んだ様子で言う。
「あなたの点数を見て調整したんじゃないの? お貴族様が筆記まで奴隷に負けるわけにはいかなかったから」
「わたしに勉強を教えてくれたのはセイカくんだよ。魔法だってそう」
押し黙るアミュに、イーファが言う。
「ほんとはセイカくんの方が魔法だってずっと上手なの。でもセイカくんやさしいから……」
「……? やさしいのがなにか関係あるわけ?」
「的を傷つけないように、威力を抑えて魔法を使ったの! 試験官の人があんな演技しなかったら、三枚の的を壊して三属性分満点取れてたんだから!」
「……演技? 的を壊すとか壊さないとか、なに言ってるの? そんなの点数に関係なかったはずだけど」
「えっ……でもアミュちゃん、的を六枚壊して実技で満点取ったって聞いたよ」
「あのね……」
アミュがこめかみを押さえて言う。
「実技試験は、型どおりの魔法をどれだけ正確に出せるかが採点基準なのよ」
「えっ」
「えっ」
「もしかして、的を壊せば満点だと思ってたわけ? 呆れた……試験官が一度でもそんなこと言った? 常識的に考えてそんなわけないじゃない。ていうかあの的、消耗品じゃないんだから壊れて困るのは当たり前でしょ……あんたたち、やっぱり本当はバカなんじゃないの?」
ぼくとイーファは顔を見合わせる。
どうしよう。何も言い返せない。
「う……セ、セイカくん」
イーファが助けを求めるような視線を向けてくるが、ぼくは目を逸らす。
「いや、あれ最初に言いだしたのイーファだし……」
「!? セ、セイカくんだって納得してたじゃない!」
「なに低次元の言い争いしてるのよ。同レベルよ同レベル。てかあんたも従者のせいにしてんじゃないわよ。ちっさいわね」
アミュは大きな溜息をつく。
「バカ貴族にバカ奴隷。絡んでくる有象無象より、あんたたちの相手してる方がよっぽど疲れるわ……」
そう言って、アミュは踵を返す。
と、急にその体が傾いだ。
「っ……」
転びはしなかったものの、辛そうに目頭を押さえている。
え、そこまで疲れたのか?
「大丈夫か?」
「……なんでもないわよ」
そう言い残し、アミュは去って行った。
うーん?
なんかいやな感じするな。勘だけど。
「バカ貴族にバカ奴隷だって。セイカくん」
隣を見ると、イーファがうらみのこもった視線を向けてきていた。思わず笑みが引きつる。
「あ、あはは、で、でも……イーファも変なところで勇気があるよね」
「……なにが?」
「ア、アミュに突っかかっていくなんてさ……ぼくだったら、あの愉快な侯爵家若君よりもアミュを怒らせる方がずっと怖いな、って」
イーファは、少し口ごもってから言った。
「……わたしだって、怒っていいなら怒るもん」
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