「文体の舵をとれ」実習

理山 貞二

練習問題①

 砂漠あり。名をダナキル、塩のみ育つ地にして火山点在す。その一つ、エルタ・アレのふもとにて母なるズーラ生まれたり。姿美しく敏捷優雅、されど他者との契約なかりせば無力にして、寄る辺なく、かつえと魍魎もうりょうにおびやかされ獣に喰われては、再び蘇るものなり。荒地を彷徨さまよい、生き死にを繰り返すうち、人たる若者と行き逢いて、暖を求めんとす。かのものの覚えうるわしければ、寝食を共にし、いつしか無二の友となりぬ。

 若者の名はカッサ、猛々たけだけしき将にて、ズーラを従え軍を率いては敵を討ち滅ぼし、遂には王となりて、名をテオドロスと称す。

 一国の主テオドロス、されど無敵ならず、些細ささいいさかいからいたずらに戦禍を広げ、果ては強国イングランドと合戦を交え、マグダラの地にて敗戦明らかなれば、嗚呼ああ、我がことおわんぬ、とズーラを砦より連れ出で、今生こんじょうの別れを告げぬ。曰く、アレキサンドリアにて、我らまたまみえん、と。


 紅海を北上すること三月みつき、港町にて落ち着きたれば、四海からあまたの人つどう場所にて、ズーラの秀麗なる容姿たちまち耳目を集め、黒き人、白き人、黄色き人こぞりて此れを身請みうけせんとす。

 黒き農夫曰く、我と来たれ、限りなきかてを与えんと。ズーラ小麦を食さず此れを退しりぞけたり。黄色き商人曰く、我と来たれ、限りなき富を与えんと。ズーラ黄金きんまばゆさを嫌い此れを退しりぞけたり。白き盗賊、無言にてズーラをとらえんとす。

 陋巷ろうこうに逃げ延びれば、白き傷痍兵しょういへいあり、曰く、来るや、与え得るは愛のみなれど、と。そも、愛とはなんぞや、問えども兵士は答えず、微笑ほほえみて傷つきたる両の腕を差し伸べるのみ。

 彼の名はテオ、街の名はアレキサンドリア。


 此処ここよりズーラと白き人との契約は成立す。連れかれたる約束の地イングランドにて、ズーラは子を産み育て、一族はあまねく四海に拡がり栄ゆるなり。契約にて自らを産む力を得たれば、ズーラは己の肢体を磨きつつ、百代にわたり人の寵愛ちょうあいけたり。

 されど人は何事も無尽に与うることあたわず、時と共に黒き人そのかてを失い、黄色き人その富を失い、白き人その愛を失い、互いが互いから足りぬものを奪い合い殺し合いて、戦火は四海に広がり、遂にイングランドもまた劫火に包まるる。ズーラを連れたる白き貴族、おのが郎党を率いて大地より飛び立ち、小さき地にのがるるなり。


 小さき地、何事も限られた地にて、万物が百を超ゆるを許されず、百人ればかては一口、五十人れば糧は二口、わずかな飲食を巡りて蔵前くらまえにていさかいは絶えず、やがて一人二人と命絶え、争い止むといえども数の減ることとどまらず。かかる人々の有様をズーラ高所より眺めたり。


 何処いずこかより忍び入りたる鼠ども、その数さえも少なければ、ズーラ高所より大地に降りて狩りをすなり。すでにすでに人の姿は見えず、人骨あり、ひつぎ多くあり、そのひとつにて生き物の気配あり。此れを開けば娘でて、曰く、おなかすいた、と。ズーラ鼠を差し出せど娘此れを退しりぞけ、白骨の握りしめたる黄金きんを示せども此れをこばみ、ただ小舟の前に歩みでて、ズーラを呼ぶなり。曰く、


 いっしょにいてくれる?


 彼女の名はカッサンドラ、舟の名はアレキサンドリア。

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