夢の中のピアニスト
はぬろ〜
第1話 謎編
これは、実際に私が見た夢の話である。
あまりに出来すぎているため、作り話だと思われる方もいらっしゃるかもしれない。
だが、このお話は「見た夢をもとに創作した」ものではなく、夢で見たままの話であることを注意書きしておきたい。
それは今から25年ほど前のこと。
当時の私は、サラリーマンとして毎日会社に通勤し、退屈な毎日を過ごしていた。
憂鬱な日常生活から、唯一解放されたのが、夢の中だったのかもしれない。
目の前には美しい森が広がっていた。
ちょうど腰の高さに生け垣が築かれ、丁寧に手入れされた並木が門の役割を果たし、そこに立つものを深い木々の中へと誘いこんでいる。
そこはどうやら公園らしい。
私は生き生きとした木々から溢れだす、冷たくおいしい空気にひきこまれ、ためらいなくその門をくぐった。
青々としたアーチの奥へ、一本の小道が続き、小鳥のさえずりにまぎれて、ポロンポロンと何とも優しいピアノの音が聞こえてくる。
力いっぱい鍵盤を打ち付けるフォルテシモの音色ではなく、指を鍵盤に優しく載せる程度で奏でられる「出るか出ないか」のピアニッシモの音色だ。
私はその音色に耳をそばだてながら、小道の両側に広がっている森の景色を堪能していた。
やがて、正面に大きな池が現れ、小道は池を囲うように二手に分かれる。
左には小さいが上品な洋館が見え、右手には中世ヨーロッパの城を思わせるような大豪邸がそびえていた。
池の周りにはあちらこちらに不揃いな花が咲き、その不揃いさがかえって賑やかに池を飾っている。
ピアノの音色を目指し、私は左に進んだ。
どうやら、ピアノの音色はあの小さいが上品な洋館から聞こえてくるらしい。
ここからみると、時計台風の三角の屋根のついたエントランス以外は平屋となっている。
近づくに連れ、その造りがはっきりと見えてきた。
縁側の前は芝生の庭があり小道をはさんで池に面し、一面ガラスの引き戸でできていて日当たりがよさそうだ。
中には大きなグランドピアノがあり、春の優しい陽を浴びながら、美しい女性がピアノを奏でているのが見えた。
私は心を躍らせながら、その洋館へと急ぐ。
洋館の入口には小さな立札があり、「午前、午後」とピアノの演奏の時間が示されていた。
「なるほど。ここで毎日演奏会があるんだな」
なんの疑問も持たずにそう思って室内のピアノに目を向ける。
そこではじめて、私は大きな違和感を覚えた。
ピアノを演奏している美しい女性の右手の人差し指に、包帯がまかれているのだ。
それだけではなかった。
てっきり人間だと思っていたその女性は、蝋でできた精巧な人形だった。
そして、ピアノは自動演奏になっていて、ピアノの曲調に併せて人形が動くようになっている。
いわゆるロボットだった。
先ほどまでの「ドビッシー」の「夢」はいつの間にか終わっていて、「ショパン」の「幻想即興曲」が流れている。
(もちろん、曲の名前など私が知るはずもなく、夢から覚めた後に調べたのだが。)
その激しい音色が、先ほどまでのあたたかな気分を、なにか切羽詰まった追われるような気分へと変貌させた。
「どうして、人形の右手の人差し指に包帯がまかれているんだろう?」
それが、まずどこか恐怖を抱かせる疑問の一つだ。
人間が演奏するのであれば、右手の人差し指にあのように包帯がまかれていては、とてもうまくは演奏できないだろう。
ましてや、自動で演奏する人形の右手の人差し指に、どうして包帯をまく必要があるだろうか。
私は、さらなる違和感の正体を突き止めようと、人形を凝視した。
長い黒髪は馬の尾にまとめられ、純白のドレスを身にまとっている。それも、レースでギラギラと飾れたものではなく、とてもシンプルで品がある。
しかし、人形のためにあつらえたものにしては明らかにおかしい。
人形は、今完成したかのように新しく見えるが、ドレスはどう見てもお古といった、独特の生地のゆるみや色のくすみが見て取れた。
もっとよく見ると、ドレスにはガラス戸からは見えないようにしてあるが、何やら茶色いシミの跡がところどころに残っているのが見えた。
いや、ワクワクとした私の心を、いっぺんに恐怖の疑念で埋め尽くしたのは、なによりも彼女の表情だった。
もし、公園を通る人のためにピアノを演奏会をしてくれるロボットであるなら、なにもこんなに悲しい顔をしている必要がないではないか。
彼女の表情は、今にもその珠のような黒い瞳から、大きな涙が零れ落ちんばかりの悲しい表情をしていたのだ。
彼女がその曲を弾き終えるまで、私はずっと一人思案の中にいた。
いったいこの建物はなんなのか?
この人形はなにを表しているのか?
どうして右手の人差し指に包帯を巻いているのか?
彼女のドレスについたシミはなんなのか?
なによりも、お客様を楽しませるはずの演奏会なのに、彼女のこのなんとも悲しげな表情はどういうことなのか?
その答えを求めて、私は池の向かい側に見える城のような屋敷を尋ねることにした。
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