魔女の恋文【宛先知れず】

寄賀あける

1

ミルタスの花が咲き、芳香を放つ。ドアを開け放しておけば甘い香りが店の中まで漂ってくる。ロファーの好きな季節だ。


大通りに面したロファーの店の目隠しに植えられたミルタスは、毎年盛んに花を咲かせ、前を通る人ともどもロファーの目を楽しませた。


純白の控えめな花びらの中心から飛び出す無数の長いしべ。何とも可愛らしい花だ。


花を食べる事もできるが、花のない季節でも、葉を肉の香りづけやお茶として利用することもできる。バスに浮かべてもいい。


枝の伸びが早いので、こまめに剪定せんていしなくてはならないが、その時、出た枝葉を乾燥させてロファーは保存していた。


そのことを何の気なしに魔導士に話したら、欲しいというので分けたところ、ごっそりリンゴジャムのびんが送られてきて、ロファーを苦笑させた。


収穫を手伝った時にもらったリンゴジャムが仕舞しまい所に困るほどまだ残っていた。


魔導士のところにも、増築した倉庫に山積みの、リンゴのジャムとジュースがあったはずだ。『あいつ、押し付けてきた』と、ロファーは思った。


魔導士は、ミルタスの実も欲しいと言う。


収穫が面倒とロファーが断ると、採りに行くというので、その時期になったら教えると約束した。


半年は先の話だ。


あの忘れっぽい魔導士は、その頃まで覚えちゃいないと、ロファーは踏んでいる。


「まいど!」

伝令屋の下遣したづかいのカールが店に入ってくる。


「よぉ、ご苦労さん」

「今日は少なめ。十三通」


ロファーの横のカウンターに手紙の束を置く。


ロファーの生業なりわいは代書屋だ。


カールが持ってきた手紙はどれも外国便で、外国語が扱えるこの街唯一の代書屋ロファーに宛先をやくして貰うために持ってきたのだ。


外国便を扱っている伝令屋もカールが働いているシスの店しかないのだから、この街ではシスとロファーが居なければ、外国とのやり取りができなくなる。


「こっちは十五通だ」

とロファーが取り出したのは国内向けの封書だ。


頼まれた代書のうち、配達が必要な分はいつもシスの伝令屋にロファーは頼んでいた。


ロファーの父親がこの街で代書屋を始めた時から、シスは商売の相棒だった。


さっそく手紙の束を取り、一通一通、宛先をロファーが書き込み始める。それを見ながらカールが一度 かがみ込んで、もう一通、カウンターに置く。


「それとこれ、なんか、ここに落ちていた」


うん? とロファーが見ると、裏表、何も書かれていない。


うっすら桃色の染色が施され、百合の花を浮かせた加工がある、高価な封筒だ。


「落とし物かな?」

ロファーが呟くと


「代書屋の店の中に? 道で落としたのが舞い込んだにしても偶然過ぎる。ロファーが落としたんじゃないの?」

と、カールが笑う。


「ふむ・・・あとで見ておくよ。ほい、できた。確認してくれ」


宛先を書き終えた封筒と、記録簿をカールに渡すと、カールは記録簿と照らし合わせてから、サインを書き込んだ。


「今月の請求はいくらぐらいか、親方シスが気にしていた」

と、カールが言うので、


「そっちの取り分と差し引きで、八百・・・行くか行かないか、ってとこだ。シスによろしくな」


と、言いながら、もう一度、何も書かれていない封筒を眺めて、ロファーは机の引き出しに仕舞った。


一通り、予定していた仕事を終え、そろそろ今日はしまいかな、とロファーが思うころ、開け放したドアからスズメが飛び込み、グルリと店の中を巡って出ていく。


途中、ロファーの手元にポトリと何か落とした。魔導士ジゼェーラから、何やら言ってきたようだ。


スズメが落としたのは一本のわらだ。中が空洞になっていて、いつもその中に手紙が仕込まれている。


手紙の端が少しだけき出しになっていて、そこを引っ張ると取り出せるが、毎回、どうやって入れているのだろうと感心する。


どうせ魔導術だ、考えるだけ無駄だ、とやはり毎回ロファーは思う。


「なになに・・・ゴジックの店が羊肉を仕入れた、買ってきて、って、俺は使いっ走りか!」


呆れるが笑ってしまう。ジゼェールもとい、ジゼルにそんなつもりがないことをロファーは判っている。


きっと、会いにきて欲しいんだ、それで口実に羊肉を使ったんだ、可愛いヤツだ、と実は騙されているかもと感じつつも、そう思ってしまう。


店の戸締りをしているときに、カールが拾い上げた封筒を思い出した。あんな高価な封筒を街人が使うはずがない。ジゼルの悪戯か、と、引き出しから出して開封する。


中には封筒と同じ素材の便箋が一枚、

(ミルタスの花束を下さい)

と、書いてある。


ジゼルの字ではないし、文面もジゼルらしくない。


何かに落ちないが、悪ふざけが過ぎることもあるあの魔導士の仕業と決めつけて、ロファーは店先のミルタスの枝を数本、持参する事にした。


羊肉の匂い付けにでも使うのだろう。


「ほい、羊肉、十八シリンに負けとくよ。そうそう、珈琲豆も今日はあるんだ、持ってくかい?」


ゴジックに勧められて、ついロファーは珈琲豆も買ってしまった。珈琲なんて、この街じゃ知っている人間は少ない。


以前、仕入れたはいいが売れなくて困っているというゴジックを気の毒に思って、ロファーが買ったことがある。


それをゴジックは覚えていて、滅多に仕入れられない珈琲豆を入手すると、ロファーのために取っていてくれるのをロファーは気付いていた。


高価なものだが、つい買ってしまうロファーだ。


魔導士の果樹園では、リンゴとミカンの花が満開を迎えたところだった。


住処の平屋と果樹園との境にフェンス代わりに植えられたバラが咲き誇っている。


建屋を縁取る色とりどりのポピー、ドアの横にはシャクヤク、建屋の前に新設されたテラスはウィステリアの天井になっている。


少し来ないと、魔導師の住処はあちこち変わってしまう。


中に入ると、ジゼルは本棚の前のソファーで昼寝中、いや夕寝か、だったようで、目をこすりながら上体を起こした。


「やぁ、ロファー、うっかり寝てしまって、サッフォを迎えにやるのを忘れてしまった」


サッフォとは、ジゼルの馬小屋にいる雌馬だ。ロファーを迎えに、よく寄越す。


ロファーがミルタスを持っているのに気が付くとジゼルは


「ミルタスを持ってくるとは、あなたにしては気がいているね」


とクスリと笑った。


「何を言うんだか、おまえが持ってこいと言ったんだろうが」


ロファーが笑いながらキッチンへ向かう。


その背中を眺めながら


「頼んだ覚えがない。そんな夢を見た覚えもないけれど、忘れてしまったかな」


と、ジゼルが首をひねる。


「夢を見ながら、魔導術とやらを使うこともあるんだ?」


「たまぁにね。まぁ、たいてい不完全燃焼になるみたいだけど」


と、ジゼルがニヤリと笑う。


「不完全燃焼、って?」


「たとえば、夢の中で私がどうしてもロファーをウサギに変えたいと思って、そんな術をロファーに掛ける」


「で、掛けたらどうなる?」


「巧く行けば、ロファーはウサギになるが、うまくいかないと、ウサ耳とか、ウサ尾のロファーが誕生する、かもね」


ジゼルがケラケラ笑った。

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