百華繚乱
白カギ
寅の巻 壱
降りしきる白雪は、勢いを落とすことを知らない。僅かな灯りに照らされ、舞い散る雪は、なるほど端から見れば綺麗なのかも知れない。しかし、墜ちた天女が俗世に混じれば凡人へと墜ちるように、雪もまた地面に積もれば害となる。
くしゅん、と後ろを歩く影が小さく
ここは山奥にある村への一本道。舗装された、とは言いがたい道があるとは聞いてはいたが……降り積もった雪が道のすべてを覆い隠している。ただでさえ敬遠しがちな険しい山道だが、道が見えぬとなれば、地元の物ですら歩こうとしない。しかし、この吹雪の中を二人の影が歩んでいる。頼りない、たった一つの灯りを頼りにしながら、ゆっくりと山道を登っている。
その一つが、ふと足を止めると、空を仰ぎ見た。
真っ黒な夜空に降りしきる雪。ぼんやりと眺めるその相貌は、紛れもなく女、それも特段の美女の物であった。
女の名は
顔を上げたのは僅かな時間だが、長い
大きく見開かれた目は、綺麗な茶色の瞳。無感情を彩りながらも、硝子玉のごとく透き通っている。
白い吐息を吐き出す唇は、あでやかな肉つき。僅かに塗った口紅が、その色っぽさを更に増している。
日に当たっていないのか、絹を思わせる純白の白い肌。頬には、寒さ故の紅潮がはっきりと見て取れる。
「
漏れ出た声は
年の頃は三十代か四十代か。
「前者にゃ同感だ。しっかし、後者にゃ同意しかねる。見ろよ、この
「
「こいつのお陰よぉ。ほら、こないだの港町で一騒動あったろ? そん時の戦利品さ」
慈照が得意げに見せるのは、無地の黒い外套だった。繚華には与り知らぬ事ではあるが、ここから遠く離れた諸外国で流行っている「サックコート」と言われる物であった。繚華が纏う
何も言わずに睥睨する繚華。その訝しむ目に、慈照は「あらら?」と表情を崩しながら話を続ける。
「おれだって金さえあれば、正々堂々と買うよ? だがよぉ、あんときゃ手持ちは素寒貧」
「丁半博打で全部すってたもんな」
「
「こけ……なんだって?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。簡単に言やぁ、危険を冒さなければ、大きな成功にはならないっつー意味だよ。まぁ、別口でお前さんがあいつらと殺り合ってる横で、おれも激戦を繰り広げてたのさ」
「そうか。難しい言葉だが、ためになるたとえ話だな」
「そりゃ重畳」
にへら、と表情筋がないかのような朗らかな微笑みの後、慈照は前を向いて歩み始める。
「まぁ、これ着てても寒いもんは寒い。おれの体内時計を信じるならば、もうじき村に着く。さぁ、一踏ん張り頑張ろうぜ」
「あぁ。なんと言ったか、あの料理……もみじ、じゃなくて、はぎ、でもなくて……」
「
「そうだ、ぼたん鍋だ」
「ご名答。
「それは、上がるな!!」
それまでの無表情な顔つきに、喜色の色が灯る。彼女の胸の裡に呼応するように、その足取りは弾んでいる。
「ぼたん、ぼたん、ぼたん鍋。桃色? 白色? 何色だろう!」
高く綺麗な声色。即興ながらも一流の遊女顔負けの美声で紡がれるその歌は、舞台も相まって雪女の誘惑とも取れるかも知れない。その内容は童歌にも劣る幼稚さであるが……。
高揚しながら進む繚華は、気づくと慈照の先を行く。口から漏れるは白い吐息と、ぼたん鍋の歌を歌いながら。先とは打って変わって、楽しそうに雪と
「つったく。食いしん坊なお嬢様だこと。あー、おれも酒が恋しいや。猪肉ってのはなんの酒が合うのかねぇ」
雪兎の如くとび跳ねる彼女を追いかけながら慈照もまた独り言つ。それぞれの独り言は、豪風に掻き消されて届かない。
それでも、声を出すことがそれぞれの命綱のように、呟き続ける二人旅。
やがて、先頭を歩く繚華の目には、舞い散る雪の中に僅かながらな灯りが届く。どうやら、件の村が近づいてきたみたいであった。
「ぼたん、ぼたん、ぼたん鍋。紫? 黄色? それとも――」
軽い足取りで進んでいた繚華の歌が止まる。
それは、彼女の嗅覚に直接訴えかけてきた。
急に立ち止まった繚華の肩を、慈照が優しく叩く。息を僅かに切らして、
「それとも、なんだ?
繚華の見つめる先に灯りを点した慈照は、鼻を覆い隠しながらその軽口を潜める。
降りしきる雪が覆い隠すは無惨な死体。腕だけ、脚だけが見えているのは果たして雪が隠しているからか、はたまた本当にそれだけしか残っていないのか……。
雪の積もり具合から察するに、事切れてから相応の時間は経っている。顔が残った死骸を見れば、その表情は恐怖や苦悶に染まっていた。見開かれた目が
そして、合掌造りの茅葺きの家の壁。所々には切り裂かれたような切り裂かれた後が残り、塗料をまき散らしたかのように、真白の壁に塗りたくられた色は――
「――赤色?」
塗料などではない。
つんと僅かに漂う匂いは鉄の匂い。真っ赤な鮮血に他ならない。
雪の山すら隠しきれぬ、夥しいまでの血の臭いとヒトだった物の亡骸。
吹きすさぶ風が雪を飛ばし、倒れ伏す偉丈夫だった姿を映し出す。
所々には、男達の腹から
凍える吹雪と、蹂躙されて物言わぬ身となった男達。
それはまるで、絵巻物で見た地獄の一つ。八寒地獄そのものだった。
「つったく、三途の川なら渡ってねぇつもりなんだがな?」
「その方が、幾分か気が楽だろうな」
「違いねぇ。地獄の刑罰の方が、まだ慈悲があるってもんさ」
眉を潜めて二人はぼやく。
吹きすさぶ雪が、この地獄を覆い隠すまでにはまだまだ時間はかかるであろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます