1-8

 その日は、お母さんが商店街の人達と、一泊旅行に出掛けると言って、帰らないのだった。私、近くの駅まで帰って来たのだけど、ふと、魔がさしたのか、この春オープンした小さなビストロ美浜に入った。前から、オープンしたのは知っていたし、お店の名前も気にはなっていたのだけど、ひとりで入る勇気なかったのだ。だから、お父さんにここに居るよって、連絡はしておいたのだ。


 今日は、プチが一緒じゃぁ無いのだけど、思い切って、重い木の扉を開けた。中はカウンターの前に椅子が並んで、二人掛けのテーブル席が二つ。お客は、女の子の二人連れが一組、カウンター席に座っていた。中には、オーナーらしき人が独りだけで、キャスケットをかぶって、若い人だった。


 私は、女の子達とは反対側の方に座った。


「いらっしゃいませ お久しぶりです」と、オーナーが声を掛けてきて、コースターを用意してきた。


「えぇー お会いしたことあります?」と私は返したが、何にも答えず、メニューを出してきた。


「お肉は三田牛を仕入れています。魚介は明石のものが多いですね」


「じゃぁ このランプ肉のわさびソースとサラダのごまソースで」


「かしこまりました お飲み物はいかが」


「グラスワインがありましたら・・」


「僕のお勧めは シュワルツ カッツです。甘めなんですが、おいしいです。高くないので・・そのあとに、苦めのビールでどうですか」


「じゃぁ お勧めで、お願いします。どこかで・・お会いして・・」続けようとしたが、又、無視された。


 向こうの席の女の子達が、オーナーの手が空くと、呼び寄せて、話掛けている。どうやら、成人式の時の同窓会から5年になるので、又、同窓会を計画しているらしい。近くの高校の卒業らしく、私は、面識がない。だから、オーナーとも会ったことがないはずなんだけど・・。


 私は、シラスとチーズを和えた突き出しと、サラダでワインを飲んでいたんだけど、お肉を料理し始めてくれていた。厚い鉄のスノコ状になったもので焼いてくれているみたい。お肉の焼ける匂いがしてきた。私は、この匂いが好きなんだ。


 白いお皿にお肉を切って、ソースをかけて、焼いたトマトと椎茸が添えてあった。お皿を出してくれた時に


「ビールは如何ですか」と、聞かれたので、小さな声で「お願いします」と言った。


「おいしい」と、一口食べて言うと、向こうで、オーナーは微笑みながら頭を下げていた。この時、なんかを感じてしまった。


 お父さんが、お店に入ってきた時に、女の子達は出て行った。


「よく、独りで入れたな いい店だろう」と、お父さんは隣に座ってきた。


「えぇ とっても、お料理おいしいの」


 その時、オーナーがおしぼりを出しながら


「いらっしゃいませ 左近様のお知り合いでしか」


「あぁ うちの娘だよ」


「あっ そうなんですか すごく、きれいなお嬢様ですね」


「そうか ありがとう 君達は同じ中学じゃぁないのかなー あっ 僕には、ビールとレンコ鯛のオイル漬けをくれよ」


 早速、オーナーはビールとお料理を出しながら


「髪の毛を切られたみたいで、最初、ちょっと躊躇しましたが、実は 僕は、お顔を知っていました。3年の時、かわいい女の子が1年にいるのを もっとも、お嬢様のほうは、僕のことなんか、知らないでしょうが・・」


「あー もしかして  石積いしづみ先輩ですかー 思いだした! 恰好よくて、女の子に人気あったんですよー」


「そーですか 実は、僕は、あなたを時々見かけていました。中学卒業した後も、同じ高校で会えると思っていたら、あなたは紺のセーラー服で別の高校でした。僕等と違って、優秀な学校だし、話しかける機会も無かったしね。でも、僕はその後、調理学校に行ったんですけど、電車の中でも、時々、あなたを見かけました。ストーカーじゃぁないですよ」


「あっ あの時、自転車 困っていた私を 直してくれたの あなたなんですねー」


「そうだよ 困っている様子だったからね 何かが、絡まっていただけなんだけどね」


「あー ごめんなさい あの時、ちゃんとお礼も言えないで・・ なんにも、言わないで、黙って、あなた去って行ったから あの時、助かりました」


「あの時は、緊張していたし、ずーと気になっていた人だったから、恥ずかしくて、何に言えずに、さっさと逃げ出したんだね あれから、会えることが無くなって、後悔しましたよ 店に入って来られた時は、夢かと思いましたよ」と、笑っていた。


 私も「そんなー」と、恥ずかしくなって、下を向いていた。お父さんが


「そうか 君達は、そんな間柄なのかー そりゃぁ良かった。 修一君 すずりは、まだ、誰とも付き合っていないみたいだょ 今のうちだょ」


「お父さん そんなー、なんてことを、品物みたいにー 何で、知ってるの このお店」


「あぁ 何回か来ているよ あそこの酒屋の親父と昔から仲良いからな 息子が店をオープンするから寄ってくれって言うんでな」


「そうなの 初めてか思ってた こんなとこで浮気してたんだ ねぇ お父さん もう一杯ビールいただいて良い? 酔っぱらうかも オーナーも良いかな?」


「あぁ 今日は、お母さんも居ないし、叱られないだろう 修一君 頼む あと、牛タン焼いてくれ 塩で」


 私、少し、酔ったみたい。出る時、立ち上がるとよろけてしまって、お父さんに掴まっていた。


「車で、送りましょうか? もう、店は閉めますから」とオーナーが言ってくれた。


「大丈夫だ 娘とこうやって、歩けるのも、嬉しいもんだよ」


「そうですね うちの親父なんか、うらやましがりますよ お気を付けて」


「じゃぁね 修一君 おいしかったよー」と、私、少し浮き浮きしてたし、完全に酔っぱらっていた。


 帰り道、私は、お父さんの腕に掴まって歩いていた。お父さんも機嫌が良かった。近くの坂道の途中で、プチ(チッチ)が居るのに気付いた。後ろから、トットとついて来る。


「すずり チッチが迎えに来ているぞ 珍しいことがあるもんだな」


 家に入ると、プチが私の中に来て


「心配したぞー 帰り遅いから 途中まで、出て行ってしまった 公園には、行けなかったけど」


「ごめんね プチ でもね 私、ビビット来てしまったかも」


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