オレの彼女は、魔法使い。

山本田口

第1話 魔法使いがやってきた。

 オレの名前は、諸星明17歳。青陵高校の二年生。

どこにでもいるようなただの男子生徒だ。勉強だってイマイチだし、スポーツ

も言うほど万能でもない。

女子の人気も微妙だ。いつもツルんでいるのは、クラスの仲のいい男子ばかり。

 オレの家族は、父さんと母さんに中学生の妹の四人家族のいたって普通の

サラリーマン家庭だ。

だけど、オレには、家族にも友だちにも秘密なことが一つある。

 それは、オレの彼女が魔法使いだと言うことだ。


 オレの家は、川崎市の真ん中へんにある、武蔵小杉という町だ。

最近は、タワーマンションがたくさん出来て、すっかり街も変貌している。

オレの家は、もちろんタワマンではなく、その下に広がる昔ながらの住宅街の

一角にある普通の一軒家だ。オレが幼稚園のころに父さんが建てたので、

今は、かなりボロい。

 そんなオレんちの隣は、しばらく空き家だった。

隣に住んでいた夫婦が引っ越してから、誰もいなかった。

家もまだ新しいので、壊すことなく、住人だけを募集していた。

 そんな時、隣に誰かが引っ越してきたのだ。

このときは、まさか、それが魔法の国からやってきた、魔法使いだとは、

夢にも思っていなかった。

 ある日の夕方に玄関のチャイムが鳴った。

「お兄ちゃん、ちょっと出てくれる。お母さん、ちょっと手が離せないのよ」

 夕飯の準備をしているらしい母さんが、台所からオレを呼んだ。

このとき、オレは、テレビでゲームの真っ最中だったから、聞こえない振りを

して、妹に行かせようと思った。

しかし、こんなときに限って、妹は自分の部屋にいていなかった。

父さんは、風呂に入っているし、居間にいるのは、オレしかいない。

 しかたなく、ゲームをセーブして玄関に向かった。

玄関の鍵を開けてドアを開けると、そこには、見知らぬ家族が三人立っていた。一瞬、誰だろうと思った。

「初めまして、今日から、隣に越してきた、神崎と申します。これから

よろしくお願いします」

 そう言ったのは、父さんより年上に見える、白髪が目立つ紳士風の男だった。

白い口ひげを生やし、黒のスーツで、まるで黒服のホストみたいだった。

しかし、見た目が強面で、見るからに怖かった。

 その隣にいる女性は、この男の奥さんらしい。母さんより年下に見えたけど、いくつなのかはわからない。

どっかのお嬢様なのか、ウチでは見たことがないきれいな服を着ている。

こりゃ、親を呼ばなきゃまずいと思って、母さんを呼んだ。

「母さん、お隣さんが挨拶に来たよ」

 少し大きな声で言うと、母さんがエプロンで手を拭きながらやってきた。

「初めまして、今日から隣に越してきた、神崎と申します。これからよろしく

お願い致します」

 さっきと同じことを男の方が言った。

「これは、ご丁寧に。私どもは、諸星といいます。こちらこそ、よろしく

どうぞ」

 そういって、母さんは頭を何度も下げる。

「何か、困ったことがあれば、何でも聞いてくださいね」

 母さんがそういうと、向こうの奥さんらしい人が、自分の後ろから少女を

前に引き出した。さっきから、チラチラ見えたのは、この女の子だった。

「初めまして。神崎マコといいます。よろしくお願いします」

 そういって、頭を下げると、ニコッとオレを見て笑った。

見た目は、普通の女の子だ。今は私服姿で、紺のジーパンに白いシャツを

着ているだけだった。

特に可愛いとか、美少女だなとか、そんな気持ちはこのときはまるでなかった。

「ほら、お兄ちゃんも挨拶しなさい」

 オレは、母さんに突き出されるような格好で、小さく頭を下げた。

「よろしく」

 すると、彼女は、オレを見て、さっきよりもはっきりと笑いかけた。

なんだか少し照れくさかった。オレだって、思春期だし、異性にも興味は

あった。だけど、身近にいるのは、母さんと妹だけなので、特に異性に

関して意識はしたことがない。 

もちろん、女子と付き合ったこともない。

「ウチは、主人とこの子の妹の四人家族なの。今後とも、よろしくお願いね」

「ハイ、こちらこそ」

「お嬢さんは、何年生なの?」

「高校二年生です」

「どこの学校?」

「青陵高校です」

「あら、それじゃ、ウチの子と同じじゃないの。お兄ちゃん、仲良くして

あげるのよ」

 いきなり、同い年の女子と仲良くしろといわれても、オレには、無理な

注文なのだ。

母さんとその女の子は、それから少し話をすると、改めて三人は、

深く頭を下げて、失礼しましたといって、

帰って行った。オレは、少しホッとして、居間に戻ってゲームの続きを始める。

もう、さっきの女の子のことは、頭になかった。

「なにしてんの。もう、ご飯よ。ゲームなんかしてないで、ゆきちゃん

呼んできて」

「面倒くせぇな……」

 オレはそういいながら、二階の妹の部屋に声をかけた。

「おーい、ゆき、メシだってよ。早く下りて来いよ」

「ハーイ、わかった。今行く」

 妹から返事が聞こえると、ドアが開いた。丁度、風呂のドアが開いて、

父さんが出てきた。父さんは、タオルで体を拭きながら、ダイニングに

出てくる。

「やだ、お父さん。なんか着てよ」

 階段から降りてきた妹が、バスタオル一つの父さんを見て露骨に嫌な

顔をする。それでも、父さんは、嫌そうな顔をしないで、当たり前のように

そのまま自分の部屋に入っていった。

 ダイニングに四人揃って夕飯を食べるのが、ウチの決まりだった。

家族は、みんな揃ってメシを食べるというのが、ウチの父さんの教育方針

らしい。父さんは、いつものようにビールで晩酌を始める。

「そうそう、お父さんとゆきちゃんは、いなかったけど、今、お隣さんが

挨拶に来たのよ」

「隣、引っ越してきたのか?」

「そうなのよ。三人家族みたいよ。女の子の方は、お兄ちゃんと同じ年なのよ」

「そりゃ、いいな。仲良くしてやれよ」

「どんな子? 可愛い子だった?」

 妹がオレに聞いてきたけど、特に印象的ではなかったので、こう答えた。

「別に、普通だったけど」

「ふぅ~ん」

 妹はそういって、ご飯を食べ始めた。

オレもいつものように夕飯に手をつけた。だけど、食べながら、何か運命的な

ものがあるのかもしれないと、漠然と思っていたけど、その予感が当たるとは

このときは思わなかった。


 翌日、いつものように妹と学校に行った。

歩いていると、クラスの友だちが声をかけてくる。

「おっす」

「おはよう」

 まずは、いつもオレとツルんでいるクラスの男子だ。

こいつは、野球部のエースで四番だ。スポーツ万能だが、勉強のほうは

イマイチだ。中学のころからの付き合いなので、気心が知れている、

オレの友だちだ。

「よぉ!」

 後ろから来て肩を叩いたのは、サッカー部のキャプテンで校内一の有名人でもある。なぜなら、イケメンだから、女子に人気があるのだ。

背も高くてスポーツ万能とくれば、女子が放っておくわけがない。

「うっす!」

 今度は、背中を思い切り叩かれて、思わずむせ返りそうになる。

この男は、柔道部で学園一の体格の持ち主で、卒業したら相撲部屋に

入るらしい。なぜか、オレの周りの友だちは、揃いも揃って体育会系で

活躍しているやつらばかりだ。

 ちなみに、オレは、文化部の中でも、もっともおとなしい、創作同好会に

属している。部でもクラブでもなく同好会だ。部に所属している生徒からは、

一段低く見られているのは同好会のメンバーが、たったの五人しか

いないからだ。学校の決まりで、七人以上じゃないと、部とは認めないらしい。

 オレたちは、いつものようにじゃれあったり、話をしながら教室に向かう。

教室に入ると、自分の席に座って、カバンから教科書やノートなどをしまう。

窓際の一番後ろの席が、オレの席だ。その隣は、転校して行った友だちの

席が開いている。

 クラスでは、男子は男子、女子は女子でそれぞれグループみたいなのが出来ていて気に入った友達同士で担任の先生が来るまで、わいわいおしゃべり

している。

 オレは、窓から外を見ながら、青い空をボーっと見ていた。

授業が始まるチャイムが鳴ると、少しして担任の先生が入ってきた。

「起立、礼」

「おはようございます」

「着席」

 日直の声で、生徒全員が挨拶する。

「おはよう」

 担任の先生が全員を見渡しながら言った。

ちなみに、オレの担任は、水原響子という女の先生だ。

どう見ても、体育の先生みたいだが、実は、数学の担当なのだ。

体格がよくて、背が高く、声が大きくて、はっきり言って、オレは苦手だった。

 元女子プロ野球のエースだったという話で、ウチの学校では、

女でありながら、野球部の監督をしている。

万年予選の一回戦コールド負けだったうちの野球部が、響子先生が就任してから

県大会でベストエイトまで行くようになった。

しかも、今年は、有力選手が入ったことで、甲子園も夢ではないという噂だ。

 出席を取ると、響子先生が口を開いた。

「今日は、授業に入る前に、みんなに転校生を紹介する。入りなさい」

 そう言われて、教室のドアが開いて、一人の女の子が入ってきた。

「あっ!」

 オレは、その子を見て、思わず立ち上がって、声が出てしまった。

なぜなら、その転校生という女の子は、昨日、ウチの隣に越して来たあいつ

だったのだ。

「こらぁ、明。いきなりなんだ」

「す、すみません」

 響子先生に怒られて、オレは、座り直した。

その時あいつは、笑っているのをオレは、見逃さなかった。

「まったく、転校生の女子に向かってすることか。もしかして、知り合い

なのか?」

 すると、あいつは、あっさりと白状した。

「初めまして。今日から、この学校に転校してきた、神崎マコです。

よろしくお願いします」

 そういって、深々と頭を下げる。そして、こうも言ったのだ。

「アソコに座っている、明くんの隣に越してきました」

「えーっ!」

「マジかよ」

「うっそぉ……」

 クラスのみんながオレとあいつを見比べている。オレは、顔を上げることも

出来ないのにあいつは、堂々と言ったのだ。

度胸があるというか、だから女子のことはわからない。

「そうか、明の隣に引っ越してきたのか。だったら、丁度隣の席が開いている

から、そこに座りなさい」

 響子先生は、そういって、オレの隣の空いている席を指差した。

そして、あいつは、通路を歩いてオレの隣に座った。

「学校でも隣ね。これからよろしく」

 オレの方を見て、ニコッと笑った。

「う、うん」

 オレは、そういうのが精一杯だった。女子には慣れてないんだから、

仕方がない。

「それと、まだ、教科書とかないから、今日一日、見せてやれ。

明、聞いてるのか」

「は、はい」

 響子先生は、どう見ても、女とは思えない。女なのに男のような話し方を

する。それがオレには、プレッシャーなのだ。

「それじゃ、授業を始める」

 そういって、響子先生は、数学の授業を始めた。

オレは、慌てて数学の教科書とノートを机に並べる。

「あたしにも見せてよ」

 あいつは、そういって、自分の机をオレの机につけてきた。

オレは、仕方なく、教科書を机の端に寄せて、見せてやった。

「ふぅ~ん、キミたちって、こういうのを勉強してるんだ」

「えっ、何を言ってんの? キミだって、同じでしょ」

「あたしの国では、こんなの勉強しないなぁ……」

「ハァ?」

 オレは、なにをいってるのか意味がわからなかった。

あたしの国って、どこから来たんだ? まさか外国から来たのか? でも、

日本語はペラペラだし……

「おもしろいのね。キミたちの授業って。それと、あたしのことは、

マコって呼んでね」

「えっ? イヤ、いきなり呼び捨てってまずくない」

「いいじゃない。どうせ隣り同士だし、もっと仲良くなりたいもん。

あたしもキミのことは、明って言うから」

 さっきから、馴れ馴れしいというか、こんなに積極的な女子は、初めてで

どう接したらいいかわからない。

軽いパニックになりかかって、授業どころではない。

だいたい、女子から名前を呼び捨てにされたことなんて、一度もない。

「おいっ、明。さっきから、転校生ばかり見てんじゃない。問三を答えろ」

 そういや、オレのことを呼び捨てにする女子は、いたな。響子先生だ。

その響子先生から、指名されて、オレは慌てて立ち上がった。

すると、クラスから、笑いが起きた。

「お前、なに見てんだよ」

「イヤね、諸星くんたら…… そんなにその子が気になるの?」

 男子からも女子からも、からかわれて、問題を解くどころではない。

「え、えーと……」

 オレが口篭っていると、あいつが、小さな声で囁いた。

「答えは、五よ」

「えっと、五です」

 オレは、あいつの言われたとおりに答えた。

「わかってるなら、早く答えろ。まさか、転校生に教えてもらったん

じゃないだろうな」

 響子先生には、何でもお見通しだ。でも、それは、認めるわけにはいかない。

「い、いえ、そうじゃありません」

「それなら、よろしい。それじゃ、次の問題は、……」

 なんかすごく冷や汗をかいた。オレは、力なく椅子に腰を下ろす。

「どう、助かったでしょ」

「あ、ありがとう……」

 オレは、小さくお礼を言った。あいつは、そんなオレに優しく微笑みかける。

そんな顔でオレを見ないで欲しい。なんだか恥ずかしくなる。

 その後の授業も、オレは、教科書を見せた。緊張の一日の始まりだ。

授業と授業の間の休み時間になると、女子があいつの回りにやってきて、

アレコレと質問攻めをする。それに対しても、あいつは、笑いながら

答えていた。

でも、オレが聞く限り、答えにはなってなかった。

なんとなく、はぐらかしているようにしか聞こえなかった。

 

 やっと、午前中の授業が終わり、昼休みになる。

ウチの学校は、給食ではなく、弁当持参なので、毎日、母さんの作る弁当を

持ってくる。

 オレは、他の男子たちと机をつけて、四人で食べるのが日課だ。

男子は、男子同士。女子は女子同士で食べるのだ。

だけど、あいつは、転校初日なのだ。

誰と食べるのか、興味があったし、そもそも弁当は持ってきているのか、

気になった。すると、あいつは、オレの隣に立つと、こういった。

「ふぅ~ん、人間て、そういうの食べるんだ」

 また、おかしなことを言い出した。何を言ってるんだ、こいつは……

「キミは、弁当は持ってきてないの?」

「キミじゃなくて、マコって呼んでって言ったでしょ。もう、忘れたの?」

「あっ、イヤ、そうじゃないけど……」

「ちなみに、お弁当は、持ってきてないの」

「それじゃ、購買でパンでも買ってこないと」

「購買? それ、どこなの?」

 そうか、転校初日だから、購買とか知らないんだ。

「おい明、教えてやれよ。お隣さんだろ」

 オレは、いっしょに食べている男子に言われて、仕方なく席を立った。

「こっちだよ」

 オレは、そういって、あいつを教室から連れ出した。

「ねぇ、あたしのことをマコって呼んでっていったじゃない」

「わかってるけど、付き合ってるわけでもないし、彼女でもないのに、

名前で呼ぶのは……」

「だったら、あたしと付き合ってよ」

「えっ! お前、なに言ってんの?」

「お前じゃなくて、マコよ」

「だから、そうじゃなくて……」

「なに、あたしじゃイヤなの? こう見えても、あたしは、お姫様なのよ」

 もう、開いた口が塞がらない。自分のことをお姫様なんていう奴なんて、

初めて見た。

「あのさ、お前何様なの? さっきから、へんなことばっかり言ってるけど、

全然わかんないよ」

 すると、あいつは、少し考えてから、こういった。

「そっか、明は人間だから、あたしの言うことを信じられないのね」

 またしても、意味不明なことを言い出した。もう、相手にしていられない。

「明、ちょっと待ってよ」

 とにかく購買部まで案内して、逃げようと思った。

しかし、あいつは、オレの腕を捕まえると、こう付け加えた。

「あたしの秘密を教えてあげるわ。だから明は、今日からあたしのお婿さんね」

「バカじゃないの。なに言ってんだよ」

 オレは、ちょっと強めの口調で言った。

なのに、あいつは、ニコニコしている。ちっとも応えていない様子だった。

「それよりさ、お腹が空いたんだけど……」

「わかってるよ」

 オレは、階段を早足で下りて、一階の購買に連れて行った。

売店では、おばちゃんたちが、パンやジュースなどを売っている。

「ほら、早く好きなの買えよ」

「話には聞いていたけど、余りおいしそうには見えないなぁ……」

 あいつは、ケースに入っているパンを見ながら感心していた。

いったい、あいつは、なに人だ? パンを見たことないのか?

「それじゃ、これでいいわ」

 カツサンドを手にすると、驚くことにそのまま立ち去ろうとしたのだ。

「ちょっと、あなた、お金、お金……」

 購買部のおばちゃんが慌ててあいつを追っていく。

「あなた、百八十円よ」

「なにが?」

「なにがじゃないでしょ。それのお金よ」

「あぁ…… この世界じゃ、お金が必要だったのよね。持ってないわ」

 口をポカンと開けているおばちゃんをよそに、あいつは、

平然と立ち去っていく。

周りの生徒たちも呆気に取られている様子で、誰もあいつを止める人は

いなかった。

 唯一、オレだけは、すぐに正気に戻った。そして、ポケットから、

カツサンドの代金をおばちゃんに払ってあいつの後を追った。

「待てよ。マコ」

「やっと、あたしの名前を呼んでくれたわね」

 あいつは、振り向くと、微笑み返した。オレは、あいつの名前を呼んだことに気が付いた。

「それより、それの代金、返してくれよ」

「だって、今、お金なんて持ってないもの。後で召し使いに言っておくから」

 また、へんなこと言ったぞ。召し使いって、もしかして、ホントにお姫様

なのか?

あいつは、ニコニコしながら、階段を登って教室に歩いていく。

オレは、あいつの後姿を見て、もしかして、オレは大変なことに巻き込まれたのではないかと思った。


 教室に戻ると、あいつは、オレの席に座って、カツサンドを頬張っていた。

「これ、おいしいわね。初めて食べたわ」

 初めて食べたって、それじゃ、今までなにを食ってたんだ……

そして、あっという間に食べ終わると、口の周りを制服の袖で拭いて

こういった。

「ご馳走様でした。て、言うのよね。明たちは……」

 周りの男子も、あいつの振舞いに、弁当を食べる箸が止まっていた。

オレは、仕方なくあいつの椅子に座って、弁当を急いで食べ始めた。

「明のお弁当って、おいしそうだね。お母さんが作ってるの?」

「そうだけど」

「今度、あたしにも作って欲しいな」

「お前の母ちゃんに作ってもらえばいいだろ」

「そうか…… でも、作れるかなぁ……」

 またまた、おかしなことを言い出した。もう、混乱するからやめて欲しい。

「それは、なに?」

「これは、お茶だよ」 

 オレは、水筒を見せた。水筒は、持って来るように言われている。

ただし、中身は、お茶か水だ。

「あたしにもちょうだい」

 そういって、オレの手から水筒を奪った。しかし、蓋を開けることが

出来ないらしい。

「こうやんだよ」

 オレは、そういって、蓋を開けて、それをコップ代わりにして、

お茶を注いでやった。

「ありがと」

 そういうと、あいつは、おいしそうにお茶を一気に飲み干した。

「苦いわね。余りおいしくないわ」

 そりゃ、そうだろ。お茶だからな。だけど、お茶を苦いというのは、

子供だなと思った。

「なによ?」

「べつに。お茶が苦いなんていうから」

「あっ、あたしを子ども扱いしたでしょ。そんなこというと、魔法かけるわよ」

 今度は、魔法とか言ったぞ。ますます子供だ。この年で、魔法とか笑える。

「なにがおかしいのよ?」

「だって、魔法かけるって、なんか、笑える」

「ふぅ~ん、本気にしてないんだ。あたしがウソをついていると思ってるん

でしょ」

 そういうと、あいつは、真面目な顔をして、こういった。

「後で、証拠を見せてあげるから、覚えてなさい」

 そういうと、あいつは、教室を出て行ってしまった。

なんなんだあいつは、急に怒り出したり、子供じみたことを言ったり、

だから女子のことはわからない。


午後の授業が始まった。4時間目は国語だった。担当の教師は、この学校では、

一番怖い男の先生だ。オレも毎回、緊張する。

 しかし、この日は、あいつの机と並べて、教科書を見せないといけない

ハンデがある。緊張感も二倍どころか、十倍だ。

「これが、明の言葉なのね。これって、なんて読むの?」

 と、漢字の読み仮名をを聞いてきた。『源氏物語』も読めないのか?

「これは、げんじものがたりって言うの。小説のタイトルだよ」

「難しいのね」

「ノートくらい取ったら」

 オレは、あいつの話を無視してそういった。ノートは開いているものの、

何も書こうとしていないのだ。

「わかった」

 隣のあいつは、そういうと、前を向いて先生の話を聞き始めた。

オレも黒板を見ながら、ノートにペンを走らせる。

以外に素直なところもあるなと思って、隣をみると、ビックリするものを見た。

 ペンが勝手にノートに文字を書いているのだ。ペンを持っていない。

両手は、机の上に置いたままだ。それなのに、ペンが一人で動いているのだ。

「な、なにしてるの?」

「明がノートを取れって言うから、取ってるのよ」

「イヤ、その……ペンが、」

「だって、持って書くの面倒でしょ」

「だから、それって……」

「魔法に決まってるじゃない」

 あいつはそういって、軽く笑った。

なんなんだ、あいつは…… ホントに魔法なのか。目を擦って、何度も

見たけど、確かにペンは勝手に動いている。何かのマジックか……

「なに見てるのよ?」

「イヤ、だから、その……」

「ふふふ、言ったでしょ。あたしは、魔法使いだから」

「バ、バカなこと言うな!

オレは、自分でも気がつかないくらいの声を上げて立ち上がっていた。

次の瞬間、オレの額に、チョークが飛んできた。

「明! なにがバカなことだ。今は、授業中だぞ」

 先生の怒鳴り声だ。

「す、すみません」

 オレは、そういって、静かに座った。クラスメートたちの小さな笑い声と

視線を感じる。

「明って、おもしろい」

 あいつもそういって笑った。誰のせいだよ。お前じゃないか。

なにを笑ってんだよ。

オレは、独り言のように言った。見ると、あいつは、ペンを手で握って

文字を書き始めた。 調子がいいやつだなと感心するより、なんか悔しかった。


 やっと授業が終わると、オレはホッとした。これであいつから解放される。

オレは、カバンに教科書とノートをしまうと、教室を出て行く。

「どこに行くの?」

 あいつが追いかけてきた。無視したいが、転校初日だけに、そうもいかない。

「部活だよ」

 オレは、軽いウソをついた。オレが所属している創作同好会は、

クラブでもなんでもない。同好会は、クラブより下のランクなのだ。

「あたしも連れて行ってよ」

「えっ……」

「ダメ?」

「ダメじゃないけど……」

「だったら、いいじゃない」

 そういって、あいつは勝手に俺についてきた。

「なに部なの? 野球部、サッカー部、陸上部……」

 何で、体育会系の部活ばかり聞いてくるんだ。オレは、スポーツは

苦手なんだ。

「文科系だよ」

「それじゃ、吹奏楽部、合唱部、演劇部……」

 全然違うから。てゆーか、部でもない。

「ついて来ればわかるよ」

 オレは、そういって、あいつの質問には答えずに歩き続けた。

階段を登って、三階の視聴覚室に行く。そこが、創作同好会の活動拠点の

部屋だ。同好会は、ちゃんとした部室がもらえないのだ。

ちなみに、同好会という名の付くのは、創作同好会だけだ。

 オレは、扉を開けて中に入ると、すでに他のメンバーが顔を揃えていた。

「失礼します」

 オレはそういって中に入る。

「オッス。遅かったな」

 と、最初に声をかけてきたのは、三年生の先輩で副会長だ。

「こんにちは、諸星先輩」

 次に声をかけてきたのは、一年生の男子と女子だ。

「アラ、その子は、どなた?」

 最後に声をかけたのが、三年生で会長の女の先輩だ。

「あの、その……」

 オレは、答えに詰まった。すると、あいつから挨拶をした。

「初めまして、今日から、ここに入る、神崎マコといいます。

明と同じクラスです」

「アラ、新入部員なの?」

「ハイ、よろしくお願いします。ところで、ここは、なにをするクラブですか?」

「諸星くんから聞いてないの?」

「ハイ、聞いていません」

 そういうと、女の会長先輩は、オレの方に近づいてくると、いつものきつい

口調でいった。

「キミのクラスでしょ? 何も言わないで連れてきたの?」

「すみません」

「まったく、しょうがないわね。それじゃ、私が説明するわね」

 同好会の会長に響子先生、そして学級委員長といい、オレの周りにいる女子は

いつも気が強くて、上から目線でものを言う命令口調なので苦手だ。

「私が、創作同好会の会長です。よろしく。こっちが、副会長ね」

 そういって、部員というか、会員を紹介していく。

ここは、オレをいれてもたったの五人しかいない。校則で、七人以上揃わないと

部とは認めてくれない決まりになので、ここは創作部ではなく、同好会なのだ。

 そして、創作同好会とはどんなところなのかというのも、懇切丁寧に

説明してくれる。やはり、会長は、頼りになる。

 会長の話によると、ここは、小説や漫画、俳句でもポエムでも、

自由に創作する場所であること。

それを月に一冊にまとめて、会報として発行している。

しかし、読むのは、オレたちだけで他の生徒たちは、ほとんど見てもくれない。

 あいつは、わかったのか、わかってないのか、会長の話を静かに聞いていた。

「それで、あなたはどうする?」

「ハイ、入部させてもらいます」

 なんと、あいつは、ここに入るというのだ。正直、オレは驚いた。

そして、放課後もあいつといっしょかと思うと、憂鬱になった。

「でも、これで、六人になったのね。あと一人で部になれるわね」

 一年生がうれしそうに言った。

「でも、まだ、一人たらないけどね」

「それでも、六人は六人だから、ぼくは、キミを歓迎するよ」

 と、副会長の先輩がうれしそうに言った。

「それじゃ、歓迎会でもしましょうか。あなたたち、いつもの用意して」

 会長が一年生に指示すると、二人は、準備を始めた。

大きな机に椅子を六脚向かい合って並べて、紙コップを人数分用意する。

近所の駄菓子屋で買って来てストックしてあるスナックを大皿に載せて、

オレンジジュースをコップに注ぐ。これで、準備完了だ。

「それじゃ、新入部員の神崎さんに、乾杯」

 会長の音頭で紙コップを掲げて、みんな一口飲んだ。

「遠慮しないで、食べてね」

「ハイ、ありがとうございます」

 あいつはそういって、ホントに遠慮なく、紙皿のスナックに手をつけた。

「甘くておいしい」

 あいつは、うれしそうに言って、砂糖がまぶされたコーンを食べた。

「ちょっと、同じクラスなんでしょ。ちゃんといろいろ教えてあげてよね」

 会長に言われて、返事に困った。

「今日が初日で、転校してきたばかりなんです」

「転校生なの? この時期に珍しいわね」

 会長も不思議そうだった。しかし、五分と立たずに、他の部員たちと、

すっかり打ち解けたのか、仲がよさそうに話を始めていた。

これなら、オレの出番はなさそうでちょっと安心した。

「どこから転校してきたの?」

「今は、どこに住んでるの?」

「もしかして、ハーフなの?」

 いろいろと、質問攻めされても、あいつはにこやかに笑って、

うまくかわしている。

でも、はっきりといった答えは、これだった。

「明の隣に住んでいるの」

 オレは、思わずジュースを噴出しそうになって、むせ返った。

「えーっ! 諸星先輩の隣なんですか」

「へぇー、やるじゃん」

 なんだかよくわからない反応だ。隣だからって、何がどうなんだ。

たまたまだろ。その後も、オレ以外で盛り上がって、おしゃべりが続いた。

全然活動とかしていない。これでいいのかと、オレは毎回思うが、

誰も疑問に思わないらしい。

 オレは、本が好きだ。趣味は読書と言ってもいい。だから、恥ずかしながら、小説家になりたい。

誰にも言ってないオレの夢だ。だから、ここに入ったのに、

ちっとも小説らしいものを書いてない。

てゆーか、書く時間がない。なぜなら、毎日、ここにきてもしゃべって

終わりなのだ。

ちっとも活動らしいことをしていない。これでいいのか、会長……

声を大にして言いたいが、会長本人を前にしては、とてもいえない。

  

 結局、五時になると、下校時間になって、何もしないままお開きとなった。

当然、帰りもあいつといっしょだ。帰る方向どころか、ウチが隣同士だからだ。

帰り道、あいつは、いろいろと今日の事を一方的に話しかけてくる。

オレは、ただうんとか、そうだなとか、それくらいのことしかいえなかった。

 何しろ、女子といっしょに帰るなんて、初めてのことだから、

緊張していたのだ。

すれ違ったり、追い越す生徒たちは、必ずあいつに目を止める。

目立つんだから仕方がない。ウチの学校にいる女子の中でも、

飛びぬけて可愛い。

しかも、赤く縮れた長い髪が、日本人離れしている。

 目はパッチリして、鼻筋が通り、白い足と細くてきれいな指は、

オレから見ても美少女だ。

それに引き換え、その隣にいるオレは、どうなんだ。

オレまでなんか目立つじゃないか。オレは、目立つのは嫌いだ。

 転校生の女子で、正直言って、かなり可愛いし、制服もオレたちとは違うので

なんだかこっちが恥ずかしくなってくる。無意識のうちに、いつもより早足に

なっている。

「ちょっと、明、歩くの早い」

 あいつは、そういって、オレについてくる。

オレは、足を緩めて、ゆっくり歩くが、早くウチに帰りたい気持ちのが強い。

そして、やっと、ウチまでたどり着いた。ホッとした。

 ところが、あいつは、ウチの前でこんなことを言い出した。

「ねぇ、ウチに寄ってってよ」

「なんで?」

「あたしの秘密を教えてあげるって、言ったの忘れたの?」

 そんなこといったっけ…… オレは、すっかり忘れていた。

あいつは、オレの手を取って、ウチに引き込もうとする。

「ちょ、ちょっと待てよ。着替えてくるから」

「わかった。でも、必ずきてよ。約束だからね」

 そういって、あいつはオレの手を離した。

「それじゃ、また、後で」

 オレは、あいつを見ないで言うと、ウチの玄関を開けた。

家の中に入ると、なぜか、ホッとした。緊張感が解けたと言う感じだった。

でも、まだ終わってない。オレは、あいつのウチに行かなきゃいけないのだ。

困ったぞ。何を着ていけばいいんだ。制服じゃまずいよな。

 オレは、そう思って、靴を脱いで中に入ると、まずは、自分の部屋に

向かった。

ウチは、両親ともに働いているので、まだ帰っていない。

妹は、中学の陸上部の練習で、いつも帰宅が誰よりも遅い。

いつも一番早く帰るのは、オレなのだ。

 部屋に入り、まずは、制服を脱ぐ。洋服ダンスからありったけの私服を

取り出す。アレコレ悩んでいるうちに、時間は刻々と過ぎていく。

早くしないと、あいつが迎えに来るかもしれない。

 結局、当たり障りのない、ジーパンにTシャツで行くことにした。

隣だからと思って、サンダルを引っ掛けて家を出た。

 あいつのうちの前に立つと、一度深呼吸してから、チャイムを押した。

すると、間髪いれずに、ドアが開いてあいつが出てきた。

「早かったじゃない」

 あいつが、笑っていた。その笑顔を見ると、オレは何も言えなくなる。

別に異性として意識しているわけではないが、そこまで近くで話させると

イヤでも意識してしまう。

「入って」

 あいつはそういって、玄関の扉を開けて、オレを招き入れる。

「お邪魔します」

 オレは、そういって、中に入った。

「それ、履いてね」

 言われて、足元にある白いスリッパに足を入れる。

「こっちよ」 

 そういって、二階に通じる階段に歩き始めた。

他人の家にあがるのは、滅多にあることじゃない。特に異性のウチは、

初めてだ。

引っ越ししたてのあいつの家は、とにかく殺風景だった。

 ダイニングらしいテーブルとキッチンがあるだけで、壁は一面真っ白だった。

家の中は、かなり広いみたいで、部屋もいくつかありそうだった。

片づけがまだなのか、とにかく、家具などもなくきれいだった。

 すると、あいつの両親が部屋から出てきた。

「すみません、お邪魔してます」

「ようこそ」

 母親の方が、そういった。ウチの母さんとは、まったく違う上品な大人の

女性に見えた。

「明様、お嬢様がお世話になります」

 父親までがオレに丁寧に挨拶する。その前に、オレのことを明様って言った。

一瞬、オレのことだとは、気がつかなかった。

「もう、カブは、いいから。それと、ポロン、お茶くらい入れてね」 

「ハイ、かしこまりました」

 母親らしい女性は、丁寧にお辞儀をしてキッチンに向かった。

オレは、言われるままに、階段を上がってあいつの部屋に向かった。

 中に入ると、女子とは思えないくらい、何もない部屋だった。

机とベッドがあるだけで、女子らしいぬいぐるみとか、ピンクや花柄で飾った

カーテンとか女の子を思わせるような部屋ではなかった。

これなら、妹の部屋のが女子らしいと思った。

「そこに座って」

 そういって、机の椅子に指差した。

オレは、言われたとおりに椅子に腰をかける。あいつは、自分のベッドに胡坐をかいて座った。

よく見ると、オレンジ色のミニスカートに水色のシャツを着ているだけだ。

そんな座り方をすると、スカートの中が見えそうで、オレは視線をそらした。

「なにキョロキョロしてるのよ」

「別に……」

 そういわれても、あいつの姿を視界に入れるのは、なんとなく

恥ずかしかった。

「言っとくけど、あの二人は、あたしの親じゃないから」

「えっ、それじゃ、誰なの?」

 予想してなかった話に、思わず返事をしてしまった。

「男のほうは、カブって言うの。あたしの執事よ」

「執事?」

 またしてもわけがわからない展開だ。

「女のほうは、ポロンていって、あたしの召し使いよ」

「め、召し使い……」

 いったいどういうことなんだ。執事とか召し使いとか、あいつは、ドンだけ

お嬢様なんだ。そこに、ドアがノックされて、召し使いが入ってきた。

「失礼します」

 そういって、机にお茶とお菓子を置いた。

「では、ごゆっくり」

 何がごゆっくりなんだ。そんなにゆっくりするつもりはオレにはない。

「まぁ、飲んでよ。ポロンの入れたお茶は、まあまあイケるから」

 そういって、オレは、カップに手を伸ばそうとした。その時、またしても

信じられないものを見た。

「シャランラァ~」

 あいつは、呪文のようなことを言うと、右手の人差し指をカップに向けた。

すると、お茶が入ったカップが、テーブルから浮いて、フワフワと宙を舞った。

そして、そのままカップが揺れながらあいつの手のほうにやってきた。

あいつはカップの持ち手に指をかけると、ゆっくりと飲んだ。

「うん、やっぱり、まあまあね。でも、さっきみんなと飲んだジュースのが

甘くておいしかったな」

 そういうと、また、カップの持ち手から指を離した。

それなのにカップは、床に落ちない。落ちるどころか宙に浮いている。

そのまま、元にあった場所までゆらゆらと舞いながらテーブルに置いた。

 オレは、夢を見ているのか。それとも、おかしなマジックか。

お茶を飲むどころか、目を見開いてあいつをじっと見つめていた。

「わかった。見たでしょ。これが魔法」

 そういわれても、まるでわからない。こんなのマンガの世界だけの

話だしなんといわれても信用することが出来ない。

「あたしね、魔法の国から来たの」

「ま、魔法の国……」

「そうよ。あたしは、魔法の国の時期女王になるの。今は、魔法の国の

お姫様ね」

 何がなんだかわからない。どう考えても、今のオレには理解不能な話だ。

「あたしのパパは、魔法の国の王様。ママは、女王様。あたしは、

その一人娘なの」

 そんなあっさり言われても、世界中のどこにそんな国があるんだ。

「次期女王になるためには、人間界で修行しなきゃいけないのよね。

女王になるためには人間界で暮らして、人間たちのことを理解しないと

ダメなのよね。ママも昔は、人間界に来たんだって」

 どこから突っ込んだらいいのか、わからないくらいで、頭がパンク

寸前だった。

「あたしは、来たくなかったんだけどね、仕方がないから人間界にきたって

わけ」

 あいつは、天井を見ながら、昔を思い出しているみたいだった。

「パパは、心配性だから、カブとポロンをお目付け役に付けたってわけ。

ちなみに、カブとポロンはママの弟と妹だから、あたしにとっても親戚に

なるのね。でも、いつもお嬢様って、鬱陶しいのよね」

 もしかしなくても、あいつは、本物のお姫様で、お嬢様らしい。

「このことは、明にしか言ってないから、ないしょにしてね。クラスの友だち

とか、明の家族にもないしょよ」

 あいつはそういって、ウィンクして見せた。

「どう、信じてくれた?」

「あっ、イヤ…… その、なんていうか……」

「う~ん、まだ、信じてくれないのね。しょうがないなぁ」

 あいつはそういうと、窓際に立つと、窓を開けた。風が部屋の中に入った。

長めの髪が風になびいて、一瞬ドキッとした。

 あいつは、壁の隅においてある、どこにでもありそうなほうきに向かって、

またしても呪文のようなことを言った。

「テクニクテクニカ、シャランラァ~」

 そういって、指を刺すと、そのほうきがまるで生き物のように独りでに

動いて、宙に浮いたままあいつの足元にくると、ほうきに横座りに腰を

下ろした。

「乗って」

「えっ?」

「乗って。早く」

 オレは言われるままに、ほうきを跨いだ。

「ちゃんと掴まって」

 そう言われても、どこを掴んだらいいのかわからなくて、おろおろしていると、あいつがオレの手を取っていった。

「ほら、しっかり掴まってないと、振り落とされるよ」

 そういって、あいつの腰にオレの両手を回した。まさかの急接近だ。

「言っとくけど、へんなとこ触ったら、落とすからね」

「い、いや、そんなこと……」

「それじゃ、行くわよ。シャランラァ~」

 そういうと、ほうきは、オレたちを乗せたまま浮き上がると、

窓から外に飛び出した。

「うわぁ~」

「なに、高いとこは苦手なの?」

「い、いや、そうじゃなくて、空を……」

「当たり前じゃない。これは、空飛ぶほうきだもん」

 オレは、あいつの腰に両手を回して、しっかり握り締めて、背中に体を

預けた。

「しっかりしてよ。男でしょ。大丈夫だから、見てよ。空がきれいよ」

 そういわれても、目を開けるどころじゃない。オレは、あいつにしがみ付く

ことで精一杯だった。風に煽られて今にも落ちそうで、下を見るどころでは

ない。

それなのに、あいつは、気持ちよさそうに楽しんでいるふうだった。

「ほら、月が取ってもきれいよ」

「何、言ってんだよ。それどころじゃないよ……」

「まったく、だらしがないわね。そんなことじゃ、あたしのお婿さんに

なれないわよ」

「バ、バカなこと、言ってんじゃないよ」

「ハイハイ、わかったわよ。ホウキよ、絨毯になれぇ~ シャランラァ~」

 あいつは、そう呪文を唱えると、オレの体を支えていた唯一のホウキが

消えた。一瞬にしてオレは、空に投げ出された。絶対に落ちる。そして、死ぬ。

 そう思った瞬間だった。オレの体が何かに落ちた。

恐る恐る目を開くと、オレは絨毯の上に乗っていた。

「な、なんだよ、これ……」

「決まってるじゃん。空飛ぶ絨毯よ」

「空飛ぶ絨毯?」

「明がうるさいから、これにしてあげたのよ。どう、これなら大丈夫でしょ」

 あいつは、オレを見て、ウィンクして見せた。

いったい、どうなってるんだ? 確かに、空飛ぶ絨毯は知ってる。

でも、それは、子供の頃に絵本で読んだだけで、架空のことじゃないか。

しかし、今オレは、絨毯に乗って空を飛んでいるのだ。

見るとあいつは、足を投げ出し、風に髪をなびかせながら、笑っている。

「なんか楽しいなぁ。ねぇ、明は、楽しくない?」

「楽しくない」

「ちぇっ、つまんないなぁ……」

 ホウキよりはましってだけで、いつ墜落するかわからない不安定な絨毯に

乗って楽しいわけがない。

「ねぇ、これで、あたしが魔法使いだってこと、わかったでしょ」

「わかった。わかりました」

「信じてくれた?」

「信じた、信じた。だから、もう、降ろしてくれよ」

「ハイハイ、わかったわよ」

 そういうと、空飛ぶ絨毯は、Uターンしてあいつのうちの方に飛んでいった。

ハンドルもないのに、どうやって操縦してるんだ? そんなことはどうでもいい。

とにかく今は、無事にウチに帰る事が優先だ。

 すると、空飛ぶ絨毯は、あいつの部屋の窓に飛び込んだ。

そして、絨毯は突然消えて、オレはそのまま床に落ちた。

「アイタタ……」

 オレは、腰を打って、思わず声を上げた。でも、あいつは、きちんと二本の

足で立っている。

「ほら、しっかりしなさい」

 あいつが差し出した手を反射的に握ると、そのまま体を起こしてもらった。

「どう、空の散歩は?」

「どうって言われても……」

 オレは、返事に困って、それしかいえなかった。

「でも、あたしが魔法を使えるの、これで信じてくれたでしょ」

 オレは、黙って何度も頷いた。これ以上、何を信じろというのだ。

間違いなく、オレは、目の前で魔法を見た。タネや仕掛けがあるマジックでは

なく、魔法だ。そして、目の前にいるあいつは、間違いなく魔法使いだ。

「なんだか、魔法を使ったら、お腹が空いちゃった」

 あいつは、そういうと、部屋を出て行った。

オレは、あいつの後を追って階段を下りる。なのに、あいつは、階段の手すりに腰を下ろしてそのまま下まで一気に滑り降りたのだ。

何をやってんだ、あいつは……

「お嬢様、なんてはしたないことをなさるんですか」

 召し使いのポロンがあいつに注意をする。でも、あいつは、まったく相手に

しない。

「お腹空いたんだけど。ご飯は、まだなの?」

「ハイ、ただいま、ご用意します」

「明も食べていく?」

「い、いや、母さんが作ってくれてるから、オレも戻らなきゃ」

「そう。それじゃ、また、明日ね」

 あいつは、そういって、ダイニングの方に手を振って消えていった。

やっと、ホッとしたのか、緊張が切れたように、肩の力もなくなってきた。

「お邪魔しました」

 オレは、奥にいる召し使いに向かって、少し大きめの声を出していった。

「お構いもしませんで。また、遊びに着てください」

 そういって、エプロンで手を拭きながらやってくると、オレに深々と頭を

下げた。

「ハ、ハイ」

 オレは、それだけ言って、玄関の戸を開けようとすると、執事がオレを

呼び止めた。

「明様、ちょっとお待ちいただけますか?」

 呼び止められたオレは、足を止めて振り向いた。

黒服の怖い顔をした、がたいのでかい執事が無理に作り笑いをしていた。

その顔が、妙に怖い。

「なんですか?」

「実は、明様にお願いがございます」

 オレは、なんだか嫌な予感がした。こんなときの悪い予感は、必ず当たる。

「私どもは、お嬢様をお守りするのが役目でございます。人間の世界で魔法を

使って悪戯したりしないか人前で魔法を使ったりしないか、それを監視するのでございます」

 確かに、そのとおりだ。あいつのことだから、魔法で悪戯するに決まってる。

「しかし、家ならともかく、学校まではお守りすることが出来ません。

そこで、明様にお願いです」

 ますます、嫌な予感がしてくる。

「学校では、明様が、お嬢様を監視してください」

「えっ、えーっ!」

「他にお頼みできるのは、明様だけなのです。何卒、よろしくお願い

申し上げます」

 そういって、執事は、また、深々と頭を下げる。

「無理無理、無理です。ぼくは、普通の人間ですよ。あいつ…… じゃなくて、マコさんの監視役なんて」

「いえ、明様なら出来ます。お嬢様のことを知ってるのは、明様だけなのです」

「しかし…… オレには、出来ないですよ」

「そこを何とか、お願いいたします」

 執事は、頭をあげようとしない。オレは、困った。ものすごく困った。

オレが承知するまで、執事は頭をあげようとしない。どうする、オレ……

「もし、承知していただけるのなら、お嬢様との縁談は無理としても、

お付き合いのことは、前向きに検討いたします」

「い、いや、別に、あいつ…… じゃなくて、マコさんと付き合うとか、

そういうのは考えてないし」

「しかし、お嬢様は、明様のことをお慕い申し上げております。

どうか、そこをわかっていただきたいのでございます」

 どうする…… ここで、返事をしないと、ウチにも帰れない。

かと言って、逃げ出すわけにもいかない。

「わかりました。学校の中だけですよ」

「ありがとう存じます。明様には、心から感謝申し上げます。

何卒、よろしくお願いいたします」

 執事は、一度顔を上げてそういうと、また、深々と頭を下げた。

「それと、お嬢様が魔法を使うことは、くれぐれも内密にお願いいたします」

「わかってますよ。誰にも言いません」

「ありがとう存じます」

 そういって、執事は、うれしそうな顔をしながらも、まだ、オレのことを信用してないような目をしていた。

「それじゃ、今日は、失礼します」

 そういって、オレは、あいつの家を後にした。自分の家の玄関を開けて中に

入って初めて一息ついた気がした。なんか、疲れた。

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