第5話

 エルフとの魔法の修行に疲れ果てたエリスを支えて宿屋の扉を開けたリグルは、鼻腔を刺激する酒の匂いに思わずむせ込んだ。見れば酔っ払ったドワーフが五人ほど、テーブルに空いたコップを並べている。

「ようリグル、先にやってるぞ」

 その内のひとりがリグルに気付いてコップを掲げた。

「別にいいよ。今それどころじゃないし」

 ただでさえ疲れ果てているエリスは、酒の匂いに当てられて言葉もなくぐったりとリグルにもたれている。リグルとしては早く部屋で休ませてやりたい。

「お前、両親を亡くしたんだろう?」

 食堂を通過しようとした足が止まる。

「今日ガゼルに聞いてなあ。驚いたぞ、あのウュリアがなあ……」

「それで急いで儂らだけでも集まって乾杯しようってなってな」

 死者に乾杯。どういうことかとエリスがぎょっとして顔を上げる。

「すまねえな、人間はこういう時、静かに弔うんだろ?」

 ガゼルが苦笑しながら新しい酒を運んできた。

「俺達ドワーフはな、ドワーフの王が造った地底王国っていう伝説の国があって、死んだらそこに行くって言われてるんだ。だから死んだら、そこに行くための旅の始まりを祝って宴を開くんだよ」

 テーブルに置かれた酒に早速手をつけながら、酔っ払い達がそうそうと力強く頷く。

「何だかんだで理由をつけて飲みたいだけだろ」

「ま、それもあるわな」

 渋い顔をしたリグルを、ガゼルが笑い飛ばした。

「飲まなきゃやってらんねえことだってあるだろうよ」

 長く生きてりゃな、と厨房に戻るガゼルの背中を見送って、リグルは食堂の奥の階段へと向かう。

「そっちの嬢ちゃんがアープの子だろう? うちのが世話になったんだってな」

 エリスが力なく顔を上げてドワーフの顔を見つめるが、初対面の相手の顔をどれだけ見つめたところで心当たりがあるはずもない。困ったようにリグルを見上げると、

「ああ、剣の依頼のことかな。この人はね、ギズンの旦那さん」

「ギズンさん……鍛冶屋の……、えっ、旦那さん?」

 エリスの顔が困惑の色に染まる。昨日確かに剣を鍛えてくれと依頼した。だがその鍛冶屋は立派な髭を三つ編みにして──

「ドワーフはね、女性も髭があるんだよ」

 そっと耳元でリグルが囁いた。

 赤いリボン、帰り際にリグルに頬ずりをした仕草、女性的と言われればそんな気もしなくはないが、

「え……えええええ?」

 疲れも忘れて驚嘆が声になってこぼれ出た。

「がははは、リグル、お前わざと黙ってただろう!」

 笑いながらドワーフ達がコップの酒を空けていく。笑い声が響く度に食堂は酒の匂いが充満し、リグルがかすかに眉間に皺を寄せる。

「あんまり飲み過ぎるとまたギズンに怒られるよ。じゃあ、エリスを早く休ませたいから」

「あ~嬢ちゃん、その前にひとつだけ教えてくれや。あの粉、どこで手に入れたんだい? 一角獣の角なんてそうそう手に入るもんじゃねえ、ちいっとばかり、教えてもらえんかねえ」

 話を聞いているのかいないのか、がははと笑うドワーフ達とは裏腹に、エリスの表情が凍り付く。

「え……あの」

「一角獣の角じゃないし、そうだとしても酔っ払いには教えられないね」

 エリスの代わりにリグルが冷たくあしらって、今度こそ食堂の奥の階段を上る。

 無言で二階に上がり、部屋にエリスを送り届けると、リグルは食事を取りに部屋を一旦出ようとした。

「エリス、大丈夫?」

 裾をきゅっと握りしめられ、リグルが開きかけた扉を閉めてエリスをベッドに座らせる。

「あの粉、本当は一体何なのかしら……」

 封じの塔に監禁されたエリスの両親は、父リーヴ・アープのみが白骨死体となって見つかった。血の書き置きと状況から、エリスはその粉が母サウィン・アープのものであると推測した。そして父が『この粉を混ぜて剣を鍛えよ』と書き残したため、それに従ったのである。

 だがドワーフはそれを一角獣の角の粉だという。そもそも人骨を粉末状にしたものも、一角獣に至ってはその存在すら実際に見たことのないエリスに真偽は分からない。ドワーフ達はその存在を疑ってはいないようだが、少なくともリグルとエリスの故郷ジルベールでは一角獣は架空の存在だ。そんなものの角の粉など、持っていようはずもない。

「エリス、リーヴ伯父さんはあれを混ぜて剣を鍛えろって言った。今はそれだけ分かっていればいいんじゃないかな」

 何故あの状況で命を賭してまでそれを子供達に言い残さなければならなかったのか、どれだけ問うても死者は永遠に答えない。

 分からないことが多すぎて、そしてそれらはあまりにも急激に一気に降りかかってきて、エリスに不安という重圧になってのしかかる。リグルもそれを分かっていても、どうにもしてやることができない。できることといえば、ただ静かに寄り添って、ひとりではないと手を繋ぐことくらいだ。

 そっとエリスの手を握れば、きゅうと小さな手が握り返してきた。しばらくそのまま互いの温もりを感じていたが、リグルがぎゅっと一瞬強く握り返して立ち上がった。

「食事を持ってくるよ。エリスはここで休んでて。食堂はまだ酔っ払いが管を巻いているだろうからね」

 離れた手を追おうとして、エリスは手を引っ込めた。振り返ったリグルに笑顔で頷くと、扉が閉まるのを確認してベッドに倒れ込んだ。


   ***


 一ヶ月後。

 ギズンから依頼されていた剣ができたと連絡を受けた翌朝、リグルとエリスはギズンの家を訪れた。一ヶ月振りに会う彼女は少し痩せたように見えたが、満足そうな笑顔で二人を迎え入れた。

「待たせたね、約束の剣ができたよ。まずは鞘に入れたままで持ってみな」

 鞘は白く、先と口に控えめに金の装飾が施されている。鍔も柄もシンプルな造りだ。エリスが両手で受け取ると、その軽さに驚く。渡されたベルトで腰に下げても、刀身が短いためエリスの身長でも引きずることはない。見た目も無骨さがなく上品なため、エリスが佩剣していても違和感なく自然に見える。

「じゃあ、その状態で抜いてみな。刃に触れないよう気をつけるんだよ」

 剣を腰に下げてそれを抜くなどと、初めての体験である。エリスは左手で鞘を押さえ、右手で柄をぐっと握りしめて静かに剣を引き抜いた。

「わ……」

 窓から入り込む日の光に細身の刀身がきらりと輝いた。非力なエリスが片手で持ってもさほど苦もなく扱えそうだった。

「ここで振り回すんじゃないよ。あと、不用意にそれを抜くな。それは普通の剣じゃない」

 剣先を揺らしたエリスにギズンがすかさず釘を刺す。

「最初にエリスが言っただろう。親御さんの形見だったか、粉を混ぜて剣を鍛えれば、どんな魔物にも対抗し得る破魔の刃になるっていう。あれなんだがね。私らドワーフに伝えられる伝説の剣っていうのがあってね。それが今渡した剣だよ。ありとあらゆる邪悪なるものを切り裂く破邪の剣さ。

 物を斬る分には普通の剣と同じだがね、そいつで生きてるものを斬ると──そうだね、だいたい人間なんか斬ろうもんなら、そいつが心のどこかに抱えてる邪な部分に反応して攻撃力が増しちまうのさ。だから間違って人間が刃に触れようもんなら、かすり傷じゃ済まないよ。逆に言えば魔物にかすり傷でも負わせられれば、相手は無事じゃ済まないってことさね」

 ギズンの言葉を神妙な面持ちで聞いていたエリスは、刀身に映る自分の顔をのぞき込んだ。まだ何も斬っていない、生まれたばかりのこの美しい剣にそんな恐ろしい側面があるのかと背筋が冷たくなるのと同時に──父はどうしてこれを作らせたのかとも思う。

「ま、だから剣の稽古にそれを使うのは危なっかしいからね、同じ重さのをちゃんと別に作っておいたよ。こいつはおまけだ」

 鞘に装飾はなく、鍔も柄も同じ形状だが色味が暗い。破邪の剣を鞘に収めて両手でもうひとつの剣を受け取れば、鞘を含めた重量も同じである。

「ギズンさん、ありがとうございます」

 改めて深々とエリスが頭を下げると、リグルもそれに倣った。二人に頭を下げられていやいやとギズンが頭を掻く。

「こちらこそ、珍しいものを作れて楽しかったよ。ただ私もそいつで生物の試し切りはしてないんだ。だから破邪の剣の真髄がどれほどのものなのかは試した訳じゃない。さっき伝えたのは伝承だからね。だが──」

 ギズンの顔から笑みが消える。

「エリス、あの預かった粉はね、聖なるものの属性のもんだ。破邪の剣っていうのは、有名どころで言うなら一角獣の角なんだが、例えばペガサス、天使なんかだね。そういうのの骨とか身体の一部とかを混ぜて鍛えることで剣に聖属性を付与して、魔物に対抗する力を得たものなんだよ。昔うちのご先祖が鍛えたことがあってね、その時に混ぜたものの残りを子供の頃に見たことがある。そいつと粉を触った感じが似てたから、まあ間違いはないと思うがね」

 表情の消えたエリスの顔を見つめ、ギズンが笑った。

「だからまあ、親御さんの言う魔物に対抗し得る、っていうのはちゃんと果たせてるさ。そうでなくても切れ味は抜群だがね」

 リグルがぎこちなく笑うエリスの背中にそっと手を触れて、

「ありがとう、やっぱりギズンに依頼して正解だったよ。じゃあ、俺達はこれからまた修行があるから」

 そっと退出を促した。

「そうかい、相変わらず落ち着きがないね。今度はちゃんとゆっくり飲みにおいで」

 そうだねと短く別れを切り上げて、ギズンの家を後にする。ガゼルの宿に戻る途中、エリスが二本の剣を抱きしめて足を止めた。

「……エリスの言いたいことは分かるよ」

 あの形見の粉は一体何なのか。エリスが想像したように母サウィンの骨ではないのだとしたら、父リーヴと共に封じの塔に監禁されたはずの母の遺体はどこへ消えたのか。

 不安そうにリグルを見上げるエリスに、リグルは自分の無力さを思い知らされる。

「ごめん、何もしてあげられなくて」

 彼女の不安を取り除くための情報はもちろん、安堵させるための言葉すら見つからない。きゅっと唇を噛むエリスの頭を優しくなでた。

「……ううん、立派な鍛冶屋さんを紹介してくれてありがとう。あっ、そういえばこの剣の依頼料って、リグルさんが立て替えてくれたのよね? 私リグルさんに返さなきゃ」

「え、ああ、あれ? あれは酒に香り付けをするための葉だよ。こっちより向こうの森の方が多くてね。ギズンはあの香りのお酒が好きなんだってさ。大したことじゃないし、俺も剣に興味があったし。だから気にしないで」

「でも……」

「そうだなあ。じゃあ、どうしてもって言うなら、エリスが笑ってくれたら嬉しいかな」

 見上げれば、リグルのいつも通りの穏やかな笑顔があった。

「……うん。ありがとう」

 動じていないのか、そう振る舞っているのか。どちらにしても、変わらない笑顔はエリスの言いようのない不安を和らげてくれる。まだ少しぎこちない笑みを返してエリスは宿屋へと歩き始めた。


   ***


 宿屋で昼食を摂ってから森のはずれへと向かうと、すでに洞窟の前でエルフが待っていた。剣の引き取りがあるため午後からになることは伝えてあったのだが、最近は魔法を教えることが楽しいのかこうして洞窟の前で待っていてくれる。

 魔法の訓練は洞窟の前、木々が拓けた場所に結界を張って行っている。外からは中の様子が見えるが、見えない壁のようなものがあり魔法が結界の外に飛び出すことなはい。いつもはエリスを洞窟の前まで送ってリグルはすぐ宿屋へ戻り、また夕方に迎えに来ているのだが、今日は今後のことを話すため二人でエルフに挨拶をする。

「お待たせ。前に言ってたエリスの剣、さっき引き取ってきた。破邪の剣って見たことある?」

 リグルの言葉にエリスが破邪の剣ともうひとつの剣を差し出すと、エルフは閉ざされた眼で白い鞘の方を見た。

「破邪の剣か。本物は初めて見る」

「分かるんですか」

「見ることは叶わぬが強い光を感じる。なるほど、これで斬られては魔物はたまったものではないだろうな」

「あの、前から気になってたんですけど……魔物って、いるんですか」

 父リーヴ・アープは破魔の剣を作れと言い残した。祖国でも魔物についての言い伝えや物語はあるが、実在が確認されたことはない。エリス自身も物語の中の存在だとこれまでは認識していた。

「いる」

 エルフが短く答えた。神話の中にしか存在しなかったドワーフもエルフも竜も存在したのだ。魔物がいてもおかしくはないが、それと戦うことを父は想定している。

「戦ったことはありますか」

「ある。姿を消したり闇に紛れたりいろいろと厄介だが、破邪の剣と覇皇剣ならば容易いだろう。とはいえ──奴らも魔王が封じられている以上、活発に活動することはできん。その剣が本来の力を発揮せず済むことを祈る」

 太陽神と地母神が人間界に転生し、魔王を倒す──創世神話はおとぎ話だと思っているエリスに対し、エルフは過去に実際にあったこととして話している。どうしてもその差を埋めることができずエリスは困惑する一方だが、隣に立つリグルをちらりと見てみれば、彼も同様のようであった。

「その魔物と戦うためにこの剣を鍛えたんだけど、エリスは剣を使えないから……早速明日から剣の稽古を始めたいんだけど、その日程の調整を」

「そうか。この先の魔法の訓練だが、もう基礎的なことは終えていて、これから応用や威力の強化を始めようと思っていた。それにはこの場所は狭くてな、人間界と精霊界の狭間で行おうと思っている」

「狭間、ですか」

 万物には精霊が宿り、その精霊達が棲む世界が別にあるというのが魔法使いの考え方だ。

「そうだ。隙間と言った方が分かりやすいか。どちらにも属さない空間のようなものだ。『無』に近いかもしれない。そこでならどれだけ強い魔法を放とうが何も破壊することがない。時間の流れもこちらとは異なるし、体感時間も異なる。この世界の数時間が狭間では何日にもなることがある。つまりこの世界では短時間でも、実際に狭間で訓練できる時間は何倍も取れるのに、体感ではほんのわずかな時間でしかない」

 突然のことにリグルとエリスが呆然としていると、エルフは気にした様子もなく続けた。

「エリスには魔法の素質がある。どこまで伸びるか見てみたい気持ちもある。それに魔物と戦うことを想定しているのなら、破邪の剣と魔法を組み合わせた実践的な訓練も必要だろう。そのためには人間界は訓練の場としては不充分だ」

 この場所では難しい訓練も狭間でなら行える。ならばエリスに迷いはない。魔物と戦う未来を父が予測しているのなら、大切な人を守るためにその力は絶対に必要になるはずだ。

「是非お願いします」

 エリスがエルフに頭を下げた。

「じゃあ剣の稽古が終わってから狭間に……?」

 リグルの問いにエルフは首を横に振る。

「お前の剣とは剣長の違いもあるが扱いが異なる。私が剣の扱いも含めて教えよう。時間の問題もあるしな」

 剣を持ったこともない状態から魔法を組み合わせた剣の扱いを習得するまで、膨大な時間がかかるだろう。それを人間界で行うよりは、狭間で行った方が効率がいい。

「たまにはいいところを見せられると思ったんだけど」

 苦笑するリグルに、エリスがふるると首を横に振った。リグルに教えてもらうつもりだったので戸惑いがない訳ではないが、剣術に魔法も絡むというのであればエルフから習う他ない。

「狭間にいる時間は、こちらの時間でどのくらいになりますか」

「半年──が限度だな。それ以上滞在するとこちらを見失う可能性がある。何度も行き来するのも時差が面倒だ。一気に半年だ。覚悟は良いか」

「はい」

 エリスが強く頷いた。

「じゃあ、今日中に用意をして明日にでも──」

「行くぞ」

 一陣の風が吹いたかと思えば、リグルの目の前にはもう誰もいなかった。

 エリスに向けて伸ばした手は、彼女の指に触れることなく、ただ空にとどまった。

 ひとり取り残されたリグルが、ただ、立ち尽くしていた。

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