第37話 用意されていたエンディングとイザベルの気付き

 夜の風はだいぶ涼しくなってきたものの、冷や汗がさくらの背中を伝う。先程からノワールに『近付くのは危険』だとして、行手を阻まれている。

 だからさくらは、リオンとラウルを止められずにいた。


『まずこれを飲んでと』、姿を隠す薬を渡された。

 特に害はなく、アデレード先生お手製のものとも聞かされ、さくらは承諾したのだ。


「よくやるよねぇ」


 ノワールが気怠そうに呟く。


 次に渡されたのは、銀の観察用オペラグラス。花が蝶の形に見えるよう細工を施された、持ち手付きのもの。これには魔法が掛けられており、観察対象の声まで拾える。

 なので勝負に巻き込まれない位置からでも、会話が聞き取れた。


 何故こんなものまでとノワールに尋ねれば、『僕には頼りになる協力者がいるからね』と、それだけしか教えてくれなかった。


『血を飲んでねぇヴァンパイアはこんなもんか』

『そう、ですね。でも、これからです』

『ハッ! 強がりにしか聞こえねーよ! 俺のでよければくれてやるよ。さっきかわし損ねて無駄に流れてんのでいいならな!』

『いえ、結構です。食事に偏りがある方の血は不味いので』

『あ? 偏ってねーだろうが!』


 リオンは自由を取り戻すため、ラウルの腹を殴ろうとした。けれどそれを察したのか、ラウルがリオンの足を掴み直し、振り投げた。それでもリオンは受け身を取り、すぐに立ち上がる。


 今すぐにでも、やめさせるべきなのだ。

 けれど、彼らはまるで子供のように笑っている。


「ほら、大丈夫だろう? イザベルも動いていないし。これが男の友情ってやつなんだろうねぇ。僕には真似できないけれどね」


 薬の効果でさくら側の音も多少は抑える事ができるそうだ。けれど、激しくぶつかり合う音はオペラグラスから聞こえ続けている。


「ラウルをここまで動かすなんて、さくらはとても愛されているね」


 前だけを見るノワールの言葉に、さくらの胸が苦しくなる。


「その事も、ちゃんとするから。ねぇ、ノワールは何のために、私をここへ連れて来たの?」


 彼が教えてくれたのは、リオンとラウルが決闘するのを知ったから、さくらに声をかけた。それだけだった。

 でもそれにしては、ノワールの態度がおかしい。


「僕らとのエンディングはいくつかあるそうだけれど、その中で、ハッピーエンドとトゥルーエンドが用意されていたそうだ」


 いきなりゲームの話を始めたノワールは、オペラグラスを下ろした。

 何故急にと言いかけたが、物憂げな彼の表情が気になり、さくらは口をつぐんだ。


「それぞれ、ヒロインとは種族が違うだろう? だからね、結ばれる際にさらに選択肢が現れるそうだ」


 それが、ハッピーエンドとトゥルーエンドの分かれ道、なんだろうな。


 ノワールの言葉に耳を傾けるも、さくらはオペラグラスだけを前方に固定したまま、リオンとラウルの状況も気にし続けた。


「たとえば、双子。クレスと同じく、天使になる道を歩むのがハッピーエンド。クレスを堕天させ、人間にするのがトゥルーエンド」


 堕天って……。


 さくらは危うくオペラグラスを落としそうになるものの、ノワールを見つめ直す。


「キールと同じく、悪魔になる道を歩むのがハッピーエンド。キールを人間にするため、ヒロインのために命を落とさせるのが、トゥルーエンド」

「なに――!」


 声を上げようとすれば、ノワールが微笑みながら人差し指をさくらの口元へ持ってきた。


「これは悪魔の生を終わらせ、人間として生まれ直すって意味らしい。だからね、キールはある意味無事だよね」

「そんなの、無事じゃないから」


 戦いはまだ続いているが、大声を出したら気付かれる。だからノワールは止めてきたのだろう。

 何より、リオンの晴れやかな顔を見て、彼には必要な事なのだろうと、さくらは納得しつつある。

 それでも、ノワールから教えられるものに、怒りを感じずにはいられない。だから彼の手をどけ、意見を口にした。


「ラウルはね、ヒロインと結ばれる際に、同族の長になる資格を剥奪される。他の種族との婚姻は、長となる者は認められないそうだよ。長にならなければ、いいようだ」


 そんな設定があったなんて……。


 先程から語られるのは本当にハッピーエンドとトゥルーエンドなのだろうか? と、さくらの中で疑問が膨れ上がる。


「けれどね、ラウルが長の資格を持ったまま、逃避行するのがハッピーエンド。2度と長としての資格を得られないように牙を折り、普通以下の力を持つ狼男として生きるのがトゥルーエンド」


 ラウルが言っていた『牙を折る』の意味がわかり、血の気が引く。


「そ、そんなの、望んでない」

「さくらはそうだろうね。でもね、僕が話しているのはゲームの話だから」


 さくらの事を面白そうに眺めていたノワールが、興味を失ったようにまた前だけを見る。


「リオンはね、ヒロインをヴァンパイアの伴侶として迎え入れるのがハッピーエンド。ヒロインと同じ人間になるため、人間にはなれないが目を潰し、人間に近い存在にまでなる事がトゥルーエンド」


 まさか……。


 今リオンがやろうとしているのは、そのトゥルーエンドなのでは? と、さくらは察する。

 すると、ノワールは口元を手で隠し、笑った。


「これをリオンに教えてあげたのは、僕だよ」

「なん、で?」


 怒りよりも、真実を知りたくて声が震える。


「ランピーロを見た日から、リオンの態度はおかしくなっていっただろう? 遅かれ早かれ、彼はきっと同じ悩みに辿り着く。さくらに証を贈れば、さくらの体を変化させる。この意味は、さくらの方がよくわかるんじゃないのかな?」


 身を案じるようなノワールの琥珀色の瞳が、微かに揺れた。

 けれど、さくらには言葉の意味がすぐにはわからなかった。


「それって、私の体に何かあるの?」

「それもまだ話されていないのか。いや、言わずに終わらせる気か……」


 ちらりと、ノワールがリオンへ視線を送る。けれどすぐにこちらへ顔を戻した。


「証を贈るという意味は、リオンの血を僅かにだけれど、さくらの体に混ぜる事になる。そうするとね、ヴァンパイアだけにわかる血の匂いの変化が起きるそうだ。これにより、リオンだけの特別な人間として出来上がる。それを、さくらは耐えられるの?」


 リオンだけの、特別な……。


 含みのある言い方は、わざとにしか聞こえない。

 ノワールは確かに心配しているが、さくらの事も試しているのだ。


「変化って、それだけ?」

「……ふふっ。そう、それだけ」

「じゃあ、何も問題ないよ」


 さくらの返事に満足したのか、ノワールが声を殺して笑っている。

 オペラグラスからは息切れが聞こえてきた。そろそろ決着がつくのかもしれない。


「じゃあさ、ノワールは?」

「僕が、何?」

「ノワールとのエンディングだけ聞いてないから」


 驚いたように琥珀色の目が見開かれたが、ノワールはすぐにいつもの笑みを浮かべた。


「僕はね、そのままの僕を受け入れてくれるのがハッピーエンド。そのままの僕を受け入れつつも、選ばない事を選択し続けるのがトゥルーエンド。ほら、僕は誰のものにもなりたくないから、選ばない事で離れなくなるそうだよ」


 頬にかかる、ストロベリーブロンドの緩い巻き毛をいじりながら、ノワールが他人事のように話し続ける。

 けれどその手を止め、さくらへ蕩けるような笑みを向けてきた。


「僕が1番、リスクが少ないんじゃないかな? 同じ人間だし。それに、さくらの事を、本当に好きだから」


 笑みを消したノワールの手が自分の短い髪に触れそうになる。けれどその前に、さくらは頭を下げた。


「そうだとしても、私はリオンが好き。だから、ごめんなさい」


 胸が痛む。わざわざ言わせてしまった事に。けれど、態度は変えたくない。

 ノワールもさくらにとって大切な仲間なのだ。

 だから顔を上げ、言葉を紡ぐ。


「ノワールはさ、私達がちゃんと向き合えるように、先に手を打ってくれたんでしょ?」

「何を言っているのかな?」


 とぼけるノワールへ、さくらは自分の考えを伝える。


「『遅かれ早かれ、彼はきっと同じ悩みに辿り着く』って、言ったでしょ? それが答え。リオンが自分で気付いたら、きっと誰にも相談しないで実行したかもしれない。ノワールがいきなりそんな話をしたから、動揺してラウルに話した。だからね、最悪な事態は避けられたんだ」


 さくらの言葉が途切れれば、ノワールは苦笑した。


「いつも思うのだけれど、どうして普段からそんな風に察する事ができないのかな? それならこんなに心配する事もないのに」

「これでも、勘は良い方だと思うけど……」

「ははっ! 本気で言っているよね。まぁ、僕にはもう付き合いきれないから、今後はリオンに任せる事にするよ」


 可笑しそうにお腹を抱えて笑うノワールに若干苛立つが、彼の顔が真剣になる。だからさくらも気持ちを切り替えた。


「本当なら、僕が幸せにしてあげたかった。でもね、さくらの幸せが僕の幸せだ。君がこの先もずっと笑っていられるよう、僕は何でもする。それだけは、覚えておいて」


 僅かに微笑むノワールの姿に、胸が締め付けられる。けれど同時に、彼の琥珀色の瞳には強い決意が宿っている事をさくらは感じ取る。

 それに何故か、不安を覚えた。


 次の瞬間、オペラグラスからリオンの苦しげな声と、ラウンの唸り声が響いた。


『くっ……! まだ、起き上がるのですね。けれど次で、決めさせて、いただきます』

『あぁ? こんなんで俺は満足しねぇ――』

『そこまで』


 オペラグラスを通さずとも、轟音が響く。

 何が起きたかと思えば、イザベルが2人を地へ沈めていた。


 ***


「月が綺麗ね」


 確かこの言葉は、告白、だったかしら?


 満月の感想を伝えただけなのだが、余計な情報がイザベルの頭をよぎる。

 運動場の真ん中で仰向けに寝そべるラウルの横に座っているが、彼は呻いた。


「満月だったのにな。影を使わないリオンにここまでやられるなんて、情けねぇ……」

「仕方ないわよ。だって好きな女のためには全力で戦うのが男ってものでしょう?」

「それは俺もだろ?」

「でも最後は満月の光に当てられて、戦う事しか頭になかったでしょう? それの違い。リオンもリオンで血を流しすぎて貧血になっていたし」


 イザベルが終了を告げれば、突然さくらとノワールが現れた。

 ノワールは『お先に失礼するよ』とすぐに消えた。

 さくらはラウルに『友達以上に思ってくれてありがとう。これからはもう、あんな顔、見せないから』と言い、リオンを無理やり医務室へ連れて行った。

 ラウルも一緒にと言われたが、それを断り、イザベルとこうして満月を眺めている。


「ラウルはもう、自分の中で気持ちが決まっていたんでしょう? さくらの事を諦めるって。だから純粋に友として戦っただけ。違う?」


 慰めでも何でもなく、イザベルは感じていた事を伝える。

 すると、むくりとラウルが起き上がった。


「はじめから、さくらに関して負けてんのなんか、わかってんだよ。だから今日で、すっきりした。馬鹿みたいにただ殴り合って、リオンもすっきりしただろうしな。俺に出来る事なんて、こんなもんだろ」


 まったく。

 不器用よね。

 でも、今のラウルは好きだわ。


 くしゃりと笑うラウルが、ゲーム内にいた時の彼より輝いて見える。

 満月で高揚しているだけではない。この気持ちは、友愛以上の何かに形を変えようとしていると、イザベルは確信した。


「ねぇ、まだ足りないんじゃない?」

「は? いやもう満足……、イザベル?」

「ラウルとリオンを見ていて、私もずっと疼いてたのよ」

「ま、待てよ。ほら、満月の光に当てられてるだけだ。落ち着けイザベル」

「落ち着く? ラウルだけすっきりしているなんて、ずるいでしょう?」


 お互い、立ち上がる。イザベルが近付けば、ラウルは後退する。

 そんな彼が可愛らしい獲物に見えて、煽られる。


「私の事も、満足させて?」


 拳を交えたら、私も自分の恋のかたちが見つかるのかしら?


 きっと、高揚を隠し切れない自身の笑みは、捕食者の顔をしているだろう。

 しかし、ラウルはそんなイザベルを受け入れるように、踏み留まった。


「地面に顔がついたら終わりだからな」


 それが合図となった。


 今日の月は、本当に綺麗。


 久々に本気で戦いたい相手を前にし、イザベルの胸は高鳴っていた。

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