第35話 想う事
さくらは茫然と、リオンがいた場所を眺めていた。
今は真夏。いくらプールが近くにあるからと、暑さまでは忘れない。それなのに、さくらの身体は機能が壊れてしまったように、何も感じなくなった。
「おい、大丈夫か?」
ラウルの声に振り向けば、彼の銀の尾が大きくひと揺れした。
「大丈夫」
「んなわけあるか。何があった?」
「大丈夫、だから……」
「まさか、証についてか?」
違うよと、言葉にするつもりが、声にならずに喉に留まる。
「あの馬鹿が」
吐き捨てるように言い切ったラウルが、さくらと目線を合わせるように身をかがめてくる。
「俺はな、あいつならさくらを幸せにできるって、譲ったんだ。そんな顔させるために、諦めたんじゃねぇよ」
ラウルが何を言っているのか理解できないが、彼の鋭い目付きがさらに険しくなり、蒼眼にさくらだけが映し出された。
「なぁ、あんな臆病なヴァンパイアなんてやめて、俺を選べよ。そしたらそんな顔、絶対にさせねぇのに……」
それって……。
ようやくさくらが理解できた時には、ラウルは姿勢を戻していた。
「なんて、俺に言われてもさくらはあいつを選ぶんだろ? なら、俺がリオンに勝ったら、考えてくれよな」
「勝つって……」
「今日は満月。いいタイミングだな。じゃあな」
さくらの質問には答えず、肩を回しながらラウルは背を向けた。けれど彼は楽しそうにイザベルへ声をかけ、連れ立って出て行った。
***
残されたみんなで遅めの昼食を済ませる。けれど、さくらの心にぽっかり空いた穴が大きすぎて、満たされない。
それに、ラウルの言葉の意味を考えれば考える程、気持ちが沈んでいく。
するとアゼツが話があると、さくらをプラネタリウムまで連れてきた。
私、何もわかってなかったんだ。
自分の気持ちにすら気付けないのに、誰かの恋を応援しようとしていたなんて、本当に滑稽だ。
フィオナは彼女の力で幸せを掴み取ったのだ。けれど、ラウルの想いには応えられない。
プラネタリウムの主流の楽しみ方は、衛星が発見した遠くにある惑星の探索。VRを通してダイブし、まるで自分が宇宙飛行士にでもなったような軽い浮遊感を味わいながら、未知の体験を楽しむ。
しかしさくらはただ仰向けに、身体をすっぽりと覆う卵型のふかふかなシートに身を沈めるのみ。肉眼で星空の再現を眺めるなんて、遥か昔の人が行っていた事だ。けれど今は、作り物とのこの距離が心地良い。
「少しは、悩みが小さくなりましたか?」
隣のシートから、アゼツが身を乗り出してさくらの様子を窺ってくる。
「どうだろ……」
「人間は星を眺めると悩みが小さくなるそうですよ。なので、小さくなるまで眺めましょう!」
今、プラネタリウムを利用しているのはさくらとアゼツのみ。けれどアゼツは声をひそめ、小さくガッツポーズをした。
こういうところがアゼツっぽい。
たまに出るアゼツの中の人間豆知識が面白く、口元が緩む。それに、そこまで心配してくれた事が、さくらは何よりも嬉しかった。
「いつもありがとう」
「お礼を言われる事なんて、してませんよ」
さくらの言葉にアゼツが首を振り、ぽふんとシートに倒れ込んだ。
「……さくらは今、幸せですか?」
少しの間を置いて、アゼツの真剣な声だけが聞こえてくる。
けれど、さくらには答える事ができなかった。
幸せは、幸せ。
だって、みんなで生きてる。
それだけで、よかったはずなのに……。
今に慣れてしまったからだろうか。そんな自分が嫌になる。けれど、さくらが求める幸せは他にもできた。それが、リオンとの未来だ。
「人間は恋をしたら生きる気力が湧くと、そう思っていました。けれどさくらを見ていると、恋が幸せなものだけとは思えません」
さくらの返事を待たずに、アゼツが朗読でもするように話し続ける。
「もし今がさくらにとって幸せでないのであれば、ボクはリオンとの関係を認めません」
しかし言い切った言葉に、アゼツの決意が滲む。
「そんな……、アゼツが認めなくても、リオンは私の――」
「ボクがさくらの両親に真実を話せば、解消される関係です」
「そんな事ないっ!」
アゼツの考えが揺らがない事を知り、さくらは体を起こし、叫ぶように声を出してしまった。
「いいえ。それぐらい、脆い関係です」
違う!
そんな事、ない……。
アゼツはずっと星だけを眺めている。視線の合わない彼に否定の言葉をぶつけたいのに、さくらの声は出てこない。
「みんなで生きる選択をした『仲間』ではあります。ですからその関係に戻るのが1番、さくらにとって幸せなのではないですか?」
戻る……。
そうすれば、リオンと普通に話す事ができるのかもしれない。けれど、この痛みを知った今、その選択肢はさくらの中になかった。
「私は……、戻りたくない」
「何故ですか?」
苦しさはいつか乗り越える事ができる。どんなに今が辛くとも、その先に今があった。その経験がさくらの中にある限り、希望を見失う事はない。
それを誰よりも教えてくれるのは、みんなの存在なのだ。
だから、迷いなんて無くなった。
「私、生きてるから、こうしてたくさんの事を感じられるんだ。だから、このまま生き続けたい。それにさ、リオンを好きになったのに完全に元の関係に戻るなんて、無理でしょ? でもね、もし記憶を無くして戻ったとしても――」
そう。戻ったとしても。
さくらはずっとさくらなのだ。
だから答えは決まっている。
「私は何度だって、リオンに恋するよ」
リオンの言葉はさくらの心を優しく強く揺さぶる。それはきっと、彼も同じだろう。
それならば、リオンが本音を話すまで、さくらが揺さぶり続ければいい。
「……わかりました」
ずっと黙って星だけを見ていたアゼツが、ようやくこちらを向いた。
「ボクは、さくらの事しか応援しません。それはずっと変わりません」
「うん。それでいいよ」
「悩みは、小さくなりましたか?」
アゼツの言葉がどれも嬉しすぎて、さくらは心から笑った。
「うん! 大切な友達で家族のアゼツと一緒に星を見れたからね!」
そう伝えれば、アゼツがむくりと起き上がった。
「あの……、その家族について、話したかった事があるんです」
ちょこんと座り直し、アゼツが真剣な眼差しを向けてくる。
「もしかして、前に私と2人で話したいって言ってた事?」
「そうです」
家族について……。
いったい何を言われるのか。さくらも緊張しながら、同じように座り直す。
するとアゼツが目を閉じ、深呼吸した。
「ボクも……」
薄暗い中でも、アゼツの金の瞳がゆっくりと姿を現すのがわかる。
そして力強く見開かれれば、さくらの喉がごくりと鳴った。
「お父さんとお母さんって、呼んでも、いいですか?」
…………へ?
アゼツが呼び方をずっと悩んでいたとは知らなかった。確かに、『あの!』とか『その!』とかだったように思う。けれどそれは照れていたからであって、いつか自然と呼べる日が来ると、さくらは見守っていた部分があった。
「あのさ、それは私に聞かなくても、呼んでいいんだよ?」
「でもっ! ちゃんとさくらの許可が欲しかったんです。嫌じゃないのですか? いきなり自分の親が、ボクにもそう呼ばれるのは……」
その言葉に、さくらは靴も履かずに立ち上がり、ずかずかとアゼツの元まで進んだ。
「何言ってるの? もうずっと前から、私達は友達で、家族みたいなものだったでしょ!? そんなに悩んでたの、気付けなくてごめん。私は嫌じゃないから。そう呼ぶのは家族なんだから、嬉しいよ。それにね、お父さんもお母さんも、絶対喜ぶから!」
勢いで気持ちを伝えるあまり、さくらの声がどんどん大きくなる。
すると慌てたように、でもはにかんだアゼツがぴょんと立ち上がった。
「本当の家族……。えへへ。これも幸せ、なんでしょうね。ここが凄くくすぐったくて、あったかいです」
両手を胸に当て、自分の心音を感じるようにアゼツが視線を落とす。
「私の幸せをいつも願ってくれるアゼツが家族になったんだよ? だから、アゼツにも幸せを感じてほしい。家族4人で、たくさん幸せになろうね」
さくらの言葉にアゼツが顔を上げれば、お互いに笑い声がもれた。
この瞬間、本当に家族になれたのだと、言葉にしなくても伝わったから。
***
プラネタリウムを堪能し、アゼツと一緒に両親へサプライズメッセージを残す。するとそこまで待たずにどちらからも連絡が入り、同時に会話する事に。
やはり『お父さん』と『お母さん』と呼ばれた事はとても嬉しかったようで、涙声になっていた。
しばらく話せば家族全員が同じ声になり、凄く幸せな日になったねと、さくらは鼻をすするアゼツへ気持ちを伝えた。
さくらは部屋に戻ると、アリアにアゼツと過ごした時の話をし続けた。
すると、『アゼツくんはさくらちゃんと一緒で純粋なところが可愛いって思うんだけど、びっくりする程頼もしい時があるよね。だから家族っていうのもしっくりくるんだ。それにね、大切なさくらちゃんのために一生懸命動けるところが凄く素敵だなって、前から思っていたの』と、頬を染めながら褒めてくれたのだ。
そこまで気持ちを込めて話す様子が、まるで恋をしている女の子に見えた。
しかしさくらは、アリアはゲーム内で勇敢な人が好みだと言っていたのを思い出し、この考えを振り払う。
恋愛に関しては、思い込みで動くのが1番だめだと学んだ。だからこそ慎重になろうと、さくらは自分の成長を実感していた。
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