絶対異世界回避

鳥尾巻

いや逝かねえから

(―――よ…)


 頭の中で俺を呼ぶ声がする。心と体がクタクタに疲れ切っていて最初は幻聴かと思った。


「クソ、あのハゲ」


 年末だというのにバイト先のスーパーのハゲ店長に帰り際に残業を命じられ倉庫整理をしていたが、10kgの米袋を99個積み上げたあたりで肩と腰が悲鳴を上げ頭が朦朧としてきた。そういえば休憩もとっていない。だがあと一つで終わりだ。そう思った矢先だった。


(――うしゃよ…)


(勇者よ…伝説のつるぎリュアンダールよ暗黒を切り裂き光の下へ集え)


 今度ははっきり聞こえた。99個の米袋の中央から赤い閃光が走り天井に魔法陣が現れる。俺は最後の米袋を持ったまま長い長いため息をついた。


「くっそだる…」


 きらめく赤い五芒星がよりいっそう光を増し、ダイ○ンもかくやというすさまじい吸引力が俺を円の中心に引っ張りこもうとする。99個の米袋の山がグラグラ揺れ始めた。浮き上がった袋は抵抗する俺めがけて雪崩れようとしている。

 このまま下敷きにでもして昇天させようという魂胆か。足元に落ちてきた特売の米袋を避けた俺はとうとうブチギレて天井に向かって叫んだ。


「いや勝手に決めんな、いかねえからな!?」


(え…それは困る。我らの窮地を救えるのはそなたしか…)


「知らねえよ!てめえの世界はてめえでなんとかしやがれ!」


(そんな…)


「そんなもこんなもねえ!米袋元に戻して帰れ!!これ以上残業してたまるか!」


 俺は足を踏ん張り吸引力に逆らいながら、最後の米袋を天井に放り投げた。ビニール袋が破け、白い米粒がキラキラと光の中に吸い込まれて行く。


(おお……なんだこれは…神の奇跡か)


 向こうの世界がどうなっているのか分からんが、やけに感極まった声が聞こえてくる。


「米だよ!煮ても炊いても美味いぞ!」


(Kome…感謝する…これで世界は救われた…そなたの偉業は後世にまで語り継がれようぞ…)


「え…そうなの…?」


 さっきものすごく大袈裟な事言ってなかった?米袋1つで救われる世界って何?

 気にはなったがここを離れて異世界を見に行く気は毛頭ない。薄れゆく魔法陣を睨み俺はこみ上げる好奇心を必死で抑えた。後に残ったのは崩れた米袋の山と吸い込みきれなかった米粒のみ―。

 ダイ○ンなら最後まで吸い上げて行けってんだ。俺は毒づきながら散らばった米を片付け証拠を隠滅し、足りない米袋は適当に誤魔化してやっと仕事を終える事が出来た。


 俺は重い体を引きずって、隙あらば突っ込んでこようとするトラックや車を回避しながら這々ほうほうていで家に辿りついた。

 毎回毎回これでは命がいくつあっても足りない。みんな運転が下手すぎる。停まって謝りに来てくれる運転手もいて、みな一様に『急に制御不能に陥った』『急に眠気に襲われた』と言い訳する。

 居眠り運転するほど疲れ切る前に停まって仮眠を取れ。それでパワハラかますような会社は訴えてやれと小一時間ばかり説教したい。


 一人暮らしの安いボロアパートは、心安らぐ懐かしの我が家だ。しかしドアを開けようとして一瞬動きを止める。鍵を挿し込んだ時の感触がいつもと違う。ここで迂闊に開けてしまって足を踏み入れたが最後、異空間だったら目も当てられない。

 案の定、ドアの横についた台所の窓と換気扇から怪しげな紫色の光が漏れている。変な音も聞こえてくる。こんな照明器具は買った覚えもない。どの色でもヤバいのだが、多分紫は1番ヤバい色だ。


「またかよ」


 俺はイライラして思わず舌打ちした。疲れているのに家に入れない。とりあえず光が消えるまで友達の家に避難しよう…。

 と、背を向けようとした時、ドアが内側から勢いよく開いた。捻れた2本の角を頭から生やした赤い目と紫の肌の異形が、恐らく笑みのようなものを浮かべながら黒く長い爪の両手を広げて中から出てこようとする。だが、狭いドアの枠に角と蝙蝠のような羽根が引っかかって出てこられない。

 金属が擦れるような耳障りな響きの声でキイキイとヤツが言う。


「お迎えにあがりました!魔王さま」


「帰れ」


 勇者の次は魔王かよ。各異世界で俺の扱いどうなってんの?どっちにしろ行かないけどな。まずはこの不法侵入者をどうにかせねば。今までの経験上、警察に通報しても対処しかねるだろうから自分で説得するしかない。ヤツは眼から赤い涙を流して俺に手を伸ばしてくる。


「アラルコス様、ずっとお探ししておりました。魔界の隅々を探し時には危険を侵して天界にまで出向き、いくつもの星々を巡り時空を超え探した挙げ句、こんなみすぼらしい場所にいらっしゃったとは。ここは高貴な貴方に似つかわしくありません。さあ、私と共に参りましょう」


「あのさあ。盛り上がってるみたいだけど、俺なんも覚えてないし。こっちで平和に暮らしてんの。今さら別の世界なんて行きたくない。『去る者は日々にうとし』って言うだろ?俺の事は綺麗な思い出として胸に留めて新しくやり直しなよ」


 なんだか別れ話みたいだが、ここで譲ったら絶対ヤツの背後のどす黒い紫色の穴に引きずり込まれる。内心の焦りを見せないようにしつつ俺は必死だった。しかしヤツも必死だ。


「記憶なら、取り戻して差し上げます。お体に触れれば一瞬です!触ってもよろしいですか?」


「いやいらねえから。あとアンタ記憶取り戻すとか時空超えるとか星巡りとかそんな能力あんなら俺いなくてもなんとかなんじゃね?」


「能力の問題ではありません!貴方様は我々の心の拠り所なのです!」


「じゃあ、像でも作って崇めとけば?」


「もうやっております!」


「分かった!じゃあ、アンタの能力でその像を通話可能にしろ!そしたら一日一回決まった時間に託宣してやる。それ以上は譲らん!」


 俺は相手に被せるように出来るだけ偉そうに言った。ここで言葉に詰まってしまったらヤツの思うツボだ。なんとか妥協点を探るしかない。

 これ以上玄関先で押し問答してるのも近所迷惑だ。ヤツはまだゴネようとしたが、時間が来たのか背後の空間が揺れ始めた。紫の光が薄れると共にヤツの姿も薄くなる。


「とりあえずそれで今回は引き下がりますが、また必ずお迎えにあがりま…」


「いやいかねえから」


 消えゆく声に思わず突っ込んだ。

 俺がいなくて滅ぶ世界など滅びてしまえばいい。だからといってこの世界で必要とされてるのかと言えばはなはだ疑問だが、少なくともここにいる以上、生をまっとうしたい。

 早くに両親を亡くして他に親戚もなく施設育ちで天涯孤独。中学を出てから2年、夜間の定時制に通いながらバイト三昧の日々。

 幸い友達には恵まれたし、一人暮らしも苦ではない。この世に未練はまだまだある。せっかくなら可愛い彼女を作って平和に青春を謳歌したいが来るのはあんな奴らばかりだ。

 俺は疲れた足を引きずって家の中に入ったが、狭い6畳1Kに置いてあるシングルベッドの上がピンク色に光っているのを見て盛大に脱力した。


「今度はなんだ…」


「お迎えにあがりました、ご主人さま。ささ、共に天国へ」


 見ればベッドの上にムチムチボディのおねえさんが鎮座ましましている。覆う場所は恥部のみでかえって裸よりエロい。髪も眼も小さな翼もピンク、豊かな尻の間でピンクのハート型の尾の先が誘うようにゆらゆら揺れている。


「…いや、いかねえから!」


 かなり心は惹かれるが!想像つくよ!天国とか言ってるけど絶対ウソだ!邪淫地獄、ダメ絶対!俺の好みは清楚系!!

 俺は理性と本能の狭間で泣きそうになりながら、その場でガックリと膝をついた。このおねえさんにお引き取りいただくには時間が掛かりそうだ。

 腹減ってるしもう眠い…。学校は冬休みだが明日もバイトなのに。

 その間も誘惑は止まらない。糖分多めの甘ったるい声が耳に忍び込む。


「ねぇご主人さまぁ」


「いや絶対逝かねえから!」


 異世界など死んでも逝くものか。どうせ逝くなら両親と同じ天国がいい。

 狭い6畳一間に俺の絶叫が虚しくこだました。

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