第7話


 由紀の余命が告げられてから半年後。計画は実行に移された。

 旅行の工程の半分が過ぎ、初めて広志は計画の全貌を妻と母親に告げた。

「そう……分かったわ。由紀ちゃんのために私の命は全部使うと決めていたから……好きなようにしてちょうだい」

「お義母さん」

 計画を聞いて、祖母の決断は早かった。

 則子だけが、頭が上手く働かない状態だった。

 由紀は、ホテルの保育ルームに預かってもらっている。

 夫の立てた計画は完璧だ。保育ルームで保育士さんが見てくれる施設のついているホテルを選んで宿泊している。

 それから、レンタカーを借りて、平日はほとんど観光客のない場所へと3人で移動してきた。

 車を止めて、外に出る。もう、春だというのにやけに寒く感じる。

「ごめんね、母さん」

 則子がぼんやりと現実を受け入れられないままでいると、広志が手袋をはめた手に包丁を握る。

 振り上げた包丁が、太陽の光を浴びてギラリと光った。

 まぶしくて則子が目をつむると、ずぶりという不快な音と小さなうめき声が聞こえた。

「うぐ……」

 目を開ければ自分の母親に包丁を突き立てている広志の姿がある。

「お義母さんっ」

「則子さ……ん、由紀ちゃんをよろしくね……。ほら広志、もっとしっかり刺さないと死ねないわ……」

 広志は、包丁を母親から引き抜くと再び振り上げた。

 広志はぐっと奥歯をかみしめ、苦しさに耐えている。

 なんで、どうして!

 振り下ろした包丁は、やはりしっかりと由紀の祖母には刺さらず、小さな傷をつけるだけだ。

 3度、4度と夫広志が実の母に刃を向ける。

「駄目、やめて!」

 自分の手で、親を殺すなんて……させてはいけない。

 見ているのがあまりにも辛く、則子は夫から包丁を奪った。

「お義母さん、お義母さん、ありがとう……ありがとう……」

「ええ、こちらこそ……辛い役目をさせてしまうわね……一思いに……」

 則子の握る包丁は、正面から義母の心臓に突き立てられた。

 その勢いのまま、則子は今度は夫に包丁を向ける。

「待て、則子、計画が違う。殺人犯になるのは僕だ。則子は僕に命を狙われた被害者」

 則子が首を横に振った。

「駄目よ……駄目。あなたの計画の犯人は私じゃなければ駄目……」

 夫の口にした計画。

 それは、自分が母親を殺し、妻をも殺そうとした殺人罪と殺人未遂罪で死刑になるというものだった。

 寿命の受け渡しの上限の5年……唯一死刑だけは例外なのだ。

 被害者がいる。だから、被害者や被害者家族には上限なしで寿命を渡すことができるのだ。

 被害者は寿命を自分で受け取ることもできるし、その寿命をオークションで売り、金銭として受け取ることもできる。

 つまり、広志の残りの寿命……日本人男性の平均寿命まで生きるとすれば約40年。

 死刑になった広志の寿命は、被害者である妻の家族の由紀に渡すことができる。

「駄目だ。由紀には母親が必要だ。だから、僕が死んで、僕の寿命を由紀に……」

 女の子である由紀には確かに母親がいたほうがいいだろう。

「駄目よ……。駄目……」

 包丁を握ってからの則子の決断は早かった。

「まず、動機を疑われるわ。寿命を子供に分けなかった妻と母が憎いなんて誰が信じるの?私もお義母さんも娘のことを大切にしていたことはみんな知っているわ」

「それは……じゃぁ、娘も死ぬし、妻が邪魔になったと離婚を切り出したけれど、離婚に応じなかったからというのは?」

 広志が必死に紀子を説得しようとしている。

「お義母さんまで殺す理由がない……」

「半年間、お義母さんは寿命譲渡しなかったという事実、夫のあなたはこうして見取り休暇を取っているという事実。事実を突き合せれば、二人とも娘を見殺しにするつもりだと判断される可能性が高い。だから、娘が大切な私が二人に殺意が湧いた……これならきっと世間も納得する」

 則子の頭は驚くほどすっきりしていて、すらすらと考えが浮かんできた。

「則子……」

「嫁姑問題、そして、家庭を顧みない夫。かわいそうな妻。……ふふ、かわいそうな妻ですって。私はいいお義母さんと素敵な旦那さん、それからかわいい娘に恵まれて、とても幸せだったのに……」

 則子の両目から涙が流れ落ちる。

「死刑になると、保険金が下りないんですって。あなたが死んでしまえば、専業主婦の私はたちまち食べる者にも困るわよ?」

 広志の目にも涙が浮かぶ。

「由紀を殺人犯の娘だと言われないように、この後引っ越しもして名前も変えてとするんでしょう?貯金もほとんど無くなってしまうでしょう。あなたなら、引っ越し先でも仕事はすぐに見つかる。由紀に金銭面でまで苦労を掛けずに済む……」

 則子の言う通りだと、広志は思う。

 だけれど、決して妻に説得されるつもりは広志には無かった。動機をもっと練り込めばきっと大丈夫。だからやはり、犯人は僕でいいと、広志は則子の手から包丁を受け取ろうと手を出す。

「金なら、生活保護でも何でもきっと何とかなる」

 広志の言葉に則子が首を横に振る。

「下手に軽い罪になっては駄目なのよね……だから、いざという時の保険……同意書と毒を用意したのでしょう?」

 夫がはっと驚く。

「封筒の中を見たのか……?」

 則子が頷いた。

「やっぱり、毒だったのね……隠したのは私。探し出せなかったのはあなた。……。死刑になるために罪を重くする証言を、あなたはできない」

「則子っ」

 ぶるぉぉぉと、車が近づく音が聞こえる。

 誰かが来る。

 もう、話会う時間もないし、包丁に付着しているであろう則子の指紋をふき取る時間もない。

「由紀をお願い……私は、由紀の中で……由紀の命として生きていくから……あなたのそばでずっと……」

 則子が包丁を振り回し、夫の背中を傷つける。二度、三度として振り回す。その様子を、「目撃者」が見ているだろうと、声をかけられるまでやめることなく続けた。


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