第4話

 真理子の大学生活も残り1年という時、それは起こった。

 ただのいつものようにサークルのメンバーが集まった飲み会のはずだった。

 4年生の先輩が封筒を取り出して飲み会に参加している10人程度のメンバーに見せた。

「これ、来た」

「なんだよ、それ」

 A4サイズの封筒。

「なんか、裁判員の候補になったとかいう連絡」

 先輩が、封筒から中身を取り出して隣の席の人間に渡す。

 真理子はちょっとこの先輩のことが苦手だったけれど、一応言うべきことは言っておこうと口を開く。

「先輩、裁判員とか、事件の内容はもちろん、選ばれたこともいろいろ、守秘義務があって、言っちゃダメなんじゃないんですか?」

「え?候補名簿に載ったことくらいはいいんじゃないか?」

 ああ、確かにそうなのかな。そもそも、いろいろごちゃごちゃ封書の中に書いてあるけど、文字が多くて分かりにくいもん。

 直接説明を聞かないと分からないこともたくさんあるよね。

「あははは、でもさぁ、これから先、選ばれたら言わないだろ?でも、選ばれなかったら、選ばれなかったって言いそうじゃん。だったら、何も言わなかったら選ばれたってバレバレになるんじゃね?」

「それ、それ、それな!」

 先輩が慌てて封筒をカバンの中にしまい込んだ。

「え、選ばれても選ばれなかったって言うからな、だから、えっと、別に、情報漏洩させてない、うん、俺は無実だ!無実!な?」

 ぎゃはははと、飲み期の席は笑い声に包まれる。

「でもぉ、先輩、本当に選ばれたらどうするんですか?確か断ることもできるんですよね?」

 よっぽどの事情があって認められない限り辞退はむつかしいと聞いた気がすると、真理子は思った。

「ことわらねぇよ!お前らは断るのか?」

 先輩が、ビールでごくりと喉を鳴らしながらサークルメンバーに顔を向ける。

「大体、俺は日々思ってたんだよね。判決って、甘くねぇ?」

 先輩の言葉に、手羽先の骨をガラ入れに放り込んみながらメンバーの一人が頷いた。

 カランと、骨は金属製のガラ入れを鳴らす。

「分かる。人殺しなんて生きてたってしゃぁないじゃんよって思う。税金で牢屋で衣食住保証されて生活するんだと思うと、腹立たね?」

 隣の後輩女子が小さく机を叩いた。

「特に腹立つの、レイプ犯っ!なんであんなに罪が軽いのかって思いますっ!何が、更生のチャンスをよっ!再犯率めっちゃ高いですよね!」

「なー、いろいろ腹立つだろ?だから、俺は裁判員に選ばれたら、辞退しねぇよ。ちゃんと世間一般の感覚で、軽くない刑を考える」


 それから2年が経ち、真理子は偶然先輩と街で会った。

「先輩?」

 苦手だった先輩。そのまま気が付かなかったふりもできがけれど、思わず声を真理子はかけた。

 明らかに、あの自信満々だった先輩と顔つきが違う。

「ああ、久しぶりだな」

「先輩、あの、仕事が大変なんですか?」

 とても疲れていて、ストレスをためているように思える。

 季節は冬だ。街中で立ち話をするには少々寒いと、2人で近くのカフェに入った。

「ちょっと、考えてしまって、最近寝不足なんだ」

「何を考えているんですか?」

 真理子の質問に先輩は口元を少しゆがませただけで、答えない。

「まぁ、守秘義務ってやつだから、詳しくは話せない」

 守秘義務。仕事の悩みかな?

 これ以上詮索するわけにもいかないと、真理子は質問をやめた。

 けれども、先輩の方は、偶然街中で会っただけの昔のサークル仲間だからこそ……家族や会社の人間や友達に言えないことも言える……言っても大丈夫な気持ちになっていた。

 聞いてほしい。誰かに、聞いてほしいと……ずっと思っていた。

 それなのに守秘義務だと出口をふさがれ、ただ出口のない迷路の中で苦しんでいたのだ。

「昔、裁判員の話とかしたの、覚えてるか?」

 真理子は頷いた。

 よく覚えている。

「その……な、死刑を決めたのは自分だったとする。みんなで決めた死刑じゃなくて、自分が率先して死刑にしたとする」

 例え話の形をとっているが、これは先輩自身のことだとすぐに真理子は思った。

 あれから選ばれたか選ばれないかなどサークルメンバーが話題にすることはなかった。

 そもそも、当時4年生だった先輩が大学に顔を出すことは少なかったのでメンバーはすっかり忘れてしまったんだと思う。

 真理子が覚えているのには理由がある。

「死刑ってのはさ、刑だけど、結局犯人を殺すってことだろう?」

 命を奪うということを殺すと呼ぶのなら、そういうことになるだろう。

「この人殺そうぜ、殺されて当然なんだから……って、死刑を主張するのって、殺そうと言っていることじゃないかと考えたらさ……。ちょっと複雑な気持ちになった」

「で、でも、犯人は本当に殺されても仕方がない罪を犯したのだから、その、気に病むことはないんじゃないですか?」

 先輩が首を横に振った。

「皆が皆、死刑が妥当だと思うような犯罪なら確かにそうかもしれないけれど、死刑にするほどでもないんじゃないかと、そう思う人もいた場合……」

 先輩がうつむいて、組んだ手の上に額を置いた。

「本当に、死刑である必要があったのかと……もし、死刑が重すぎたのだとすると、死刑にしろと主張していた俺……は、殺せ殺せと犯人に対してただ、正義を振りかざしていただけで……」

「先輩?」

「ああ、ごめん。もうバレバレだよな。ここだけの話にしてくれよ。俺の話だ。今も考えだすと眠れない……。確かに、あの時はそれが正しいと思っていたんだ。だけど、社会に出て、社会人1年生としていろいろ理不尽な扱いを受けるようになって……。その、犯人にも同情するべき点があったと思うようになって……。学生だった俺にはそれが分からなくて。同情すべき点について主張していた人もいたけれど、心の底から理解することもできなくて。同情するべき点があれば犯罪は許されるのか!とただ憤りが増すばかりで……その、ああ、ごめん」

 先輩は、真理子が震えだしたのを見て謝った。

 聞きたくない話をしてしまったと思ったからだ。

「本当に死刑でよかったのか?……」

 真理子がつぶやいた。

 私が裁判員だったあの事件の被告人は、本当に死刑でよかったのか?

 みんなで決めた死刑。

 みんなでと思えば、私のせいで死刑になったという気持ちからは救われる。

 でも、あの時死刑に反対していた人はいなかったか。

 初老の男性は、1人殺しただけで死刑はないと言っていたのではないだろうか?

 主婦は、あんなにひどいことを言われれば自分でも殺したくなると同情を寄せていたのではないだろうか。

 裁判員は6人だ。私がもし、あの時死刑に反対していれば3対3だった。

 もし、裁判員として最後に死刑を導き出したとしても、話し合いの過程などいろいろ加味して最終的に判断を下すのは裁判官だ。

 3対3で意見が分かれていたら、結果が違っていた可能性はないのだろうか?

 あれ?

 私は、あの時、なんで死刑だと思ったんだろう?事件の背景にあるものまで考えただろうか?

 真理子の目の前には、悩みでやつれている先輩の顔。

 あんなに自信満々だった先輩がこれほどになるまで自分の出した結果に悩んでいる。

 死刑というのは特別だ。無期懲役、終身刑とは重さが違う。

 人が人を殺す判断をするのだから……。

「先輩……あの、私……無関心で、間接的に人を殺したかも……」

 真理子の顔は血の気が引いて白くなっていた。

 あの時なんで、私はもっと考えなかったんだろう。人の生死にかかわることだったのに……。

「え?」

「私も……裁判員に選ばれたことがあって……」

 被告人には死刑の判決が下った。

 控訴もせず、そのまま刑を受け入れ、そして、早々に執行されたと聞く。

 昔のように、何年も死刑が執行されないことは減った。

 なぜなら、死刑囚の寿命は遺族や遺族の家族に渡されるからだ。

 執行まで10年もかけてしまえば、その分渡せる寿命が10年減ってしまう。

 もちろん遺族が犯人の寿命などいらないとなれば、5年ごとにばらけてオークションにかけられる。売上金が遺族への賠償金となるのだ。お金も寿命も必要ないという遺族は、寿命バンクに犯人の寿命を寄付する。

 

 真理子と先輩はカウンセリングを受けることとなった。

 二人が上手く自分の心と向き合えるようになるまで7年ほどかかった。

 その7年で、二人の間には絆が生まれていた。

「……先輩、人が人の命を決める、そのことの重さを感じているのはどれくらいいるんでしょうね」

「そうだな。5年の寿命のやり取り……たった5年だと思うか、とても大きな5年だと考えるか……」

「お前が無駄に5年生きるよりも、自分なら有意義に5年使えるなんて……無駄な人生有意義な人生って、誰が決めるんでしょう」

「決めるのは本人だけだよなぁ……」

「そうですよね、先輩……」

「あーっと、それなんだけど、そろそろ先輩って呼び方やめてくれないかな。その……真理子が有意義な人生を送れるように、俺、頑張るから、その……」

 先輩が、ポケットから空っぽの指輪ケースを取り出した。

 そこに入っていたのは紙きれ1枚。

『一緒に婚約指輪を選びに行きませんか?』

 

 夫婦になった二人は思うことがあった。

「俺より先に死ぬなみたいな歌あったよなぁ……」

「せっかく寿命の受け渡しできるなら、5年なんて制限かけるよりも、一緒に死にたい人と足して二で割れるといいのにね」

 命の話をすると、裁判員で下した判断が正しかったのかといまだに苦しい気持ちがよみがえることもある。

 だけれど、二人は二人で生きていくことにした。誰よりも命の重さをかみしめながら。

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