第5話
「調子はどうだ?今日はリハビリをしたと聞いたよ」
由紀の元に父親が見舞いに来た。
娘が大変な時に、仕事を休んで毎日ついていてやれない苦しさはある。
母親がいない娘には頼れるのは自分しかいないのだから。
いや、違う。
娘には自分しかいないのではない。逆だ。自分には娘しかいない。
娘がすべてなのだ。だからこそ、今、娘が苦しんでいるときについていてやれないのが辛い。
残業はすべて断り、なるべく早い時間に病院に顔を出すのがやっとだ。完全看護ですから大丈夫ですよと看護師さんは言うが、看護の心配ではない。
父親は返事のない娘の顔を見る。
調子いいはずなんかないでしょっ。もう歩けないんだよっ!と、娘の目が父を睨んだ。
「そうだ、修理から戻ってきたよ。データは無事だったみたいだよ」
返事がないのも、睨まれているのも気にせず父は娘に明るく話しかける。
手提げかばんの中から、箱に包まれたスマホを娘……由紀に渡した。
由紀は奪うように箱を受け取ると、蓋を開け、白いスマホを取り出してすぐに電源を入れる。
よかった。こうして好きなものがあるだけで、まだ由紀は大丈夫なんだと思えて父はほっと小さく息を吐きだした。
「充電器は?」
「あ、そうか。すっかり忘れていた」
由紀が父を睨む。
「持ってきてよ」
「明日でいいか?」
「もう充電20%しかないんだけど?」
何を言っているんだと馬鹿にしたような目を父に向ける由紀。
たった1日スマホが使えないくらいなんだと、以前なら由紀に言ったであろう。スマホ依存症の子たちが勉学にも支障が出ているという話も聞いている。それだけに、由紀にはスマホを使いすぎないように何度も注意をしてきたのだ。
だが、今はそのスマホが由紀の心を慰めてくれるならと、父は由紀に笑いかけた。
「まだ売店やってたよな。ちょっと売ってないか見てくるよ。家に取りに行くのはさすがに今からじゃ無理だから……売店になかったらごめん」
父親が病室を出ていったのを確認すると、由紀はメッセージや無料通話ができるアプリを開こうとアイコンに触れる。
が、開く前に手を止める。
メッセージのやり取りをしていたのは中学の友達や、高校の友達。
それから、グループでやり取りしているのはチア部の子たちだ。
もう、二度と自分が戻ることはできない部活……。部活の子たちのやり取りを見るのが辛い。
と、思っていたときに、ちょうどメッセージの通知画面が流れた。
通知画面には、添付画像でなければそのままメッセージが表示される。アプリを開かなくても、メッセージを読むことができてしまうのだ。
ピロロン。
独特の通知音とともに流れたメッセージ。
『由紀って歩けなくなったってマジ?』
『あーそれ、マジらしいよ』
もう、学校のみんなに知られてる。
まずは、そのことに恐怖を覚えた。
歩けないなんて、知られたくなかった。
もちろん高校に復学すれば皆には分かってしまうことだけど……。父が言っていた。
もしかしたら転校しなければならないかもしれないよと。
由紀は、その話に少し安堵したのだ。復学まで時間がかかれば留年することになる。友達の後輩になってまで高校になんて通えない。
歩けない自分を知られたくない。見られたくない。同情なんてされたくない。そう思ったから、転校したくないなんて思わなかった。
『ざまぁ』
次に表示されたメッセージに、由紀の心臓が凍る。
『ちょ、ざまぁはないでしょ』
『だって、由紀ってちょっと天狗だったじゃん』
『あー、確かに』
『でも、歩けなくなってざまぁはないっしょ』
『だねー、もう人生積んじゃったのに』
『それな』
人生、積んだ……。
それ、な……。
『ちょっと、由紀も見るんだよ、言い過ぎ』
『おっと、これ由紀入りグループだっけ?裏だと思ってた』
裏?
なに、それ……。
『発言削除、削除っと。既読んなってないから大丈夫、証拠隠滅』
『ってか、もうこのグループから由紀外せばよくね?』
『あー、チア部グループだし、もうチア部戻ってこないんだよね』
『外しちゃえ外しちゃえ』
そこで、メッセージは途絶えた。
「由紀、あった、あった。売ってたぞ」
病室に戻ってきた父親が見たのは、修理から戻ってきたばかりのスマホを思い切り壁に投げつける由紀の姿だった。
「由紀?」
「ああああああーーーーっ」
由紀が叫び声をあげた。
「由紀、おい、どうした」
父親が慌てて駆けつける。
今日はリハビリにも参加したと聞いた。やっと少し落ち着いてきたと思ったのに。
「あああっ、もう嫌だっ、なんで、なんでっ!なんで私なの?」
由紀が叫び続ける。
「もうやだ、もうやだよーっ!死にたい……ってか、死ぬっ。もう死んでやるっ!」
「由紀、落ち着きなさい」
父親が由紀の腕を手に取る。
「うるさい、うるさい、だまれ!私の人生なんてどうせ積んでる。生きていたって仕方ないんだもん」
「そんなことない、由紀っ」
叫び声に気が付いた看護師さんが部屋に入ってきた。
「大丈夫ですか?」
どう見ても、大丈夫だと思えないほど由紀は叫び続けていた。
「私が、話をしましょう」
看護師さんの後ろから、カウンセラーが姿を現した。
「あの、でもいいんですか?」
カウンセラーは、私服姿でカバンも持っている。
勤務時間が終わっているのはすぐに分かった。
「大丈夫です。しばらく席を外していてもらえる?他の人にも、大丈夫だと伝えてください。何かあればナースコールで呼ぶので」
カウンセラーの言葉に看護師が出て行く。
病室に残されたのは、由紀と父親とカウンセラーの3人になった。
「由紀っ」
父親の声は由紀に届いているのか分からない。
「死にたい、死にたい、生きていたくない、死んでやる、死ぬんだ。死ねば……私が死ねば……」
由紀が父親の顔を見た。
「もう、私の面倒見なくて済むんだから、楽になるでしょっ、歩けなくなった娘の面倒なんて、見たくないでしょっ」
「ばっ、ばかやろーっ」
今まで一度として手を上げたことのない父親の手が降りあがる。
「お、お父さんっ」
その手は由紀に振り下ろされる前にカウンセラーによって止められた。
「何?私が死にたいと言っているのを聞いて、来てくれたの?本当に自殺するの手伝ってくれるんだ」
由紀がカウンセラーの顔を見る。
「じゃぁ、今すぐ、今すぐ私を殺してよっ!」
「由紀、何を言っているっ!そりゃ歩けなくなったかもしれない。だけどお前は生きている、生きているじゃないかっ!」
父親が由紀の両肩をつかんで強く揺さぶった。
「そうですよ。親にもらった大切な命を粗末にするなんて」
カウンセラーが、床に落ちていたスマホを拾い上げた。
「ああ、画面にひびが……でも、電源は入るみたいね」
と、由紀の激情などまるきり無視したように落ち着いた口調でスマホを差し出した。
修理から帰って来たばかりのスマホの画面は粉々だ。
「いらないっ!そんなもの、いらないっ!もう、私は死ぬんだから、だから、いらないっ!」
由紀の手が、カウンセラーの手からスマホを弾き飛ばした。
カウンセラーは再び床に落ちたスマホを拾うと、サイドテーブルに置いた。
「もう一度言うわよ、親に”もらった”大切な命を粗末にしては駄目」
由紀がカウンセラーを睨みつける。
「何よ、強調しなくたって分かるわよ、生んでくれたって意味じゃないんでしょ?私に、5年寿命をくれたってこと?別に私が欲しいって言ったわけじゃないし」
その言葉に、カウンセラーの平手打ちが由紀を襲った。
「いい加減にしなさいっ」
ほほをぶたれた由紀は一瞬唖然としてカウンセラーを見たが、すぐに怒りに満ちた目をカウンセラーに向ける。
「何よっ、いい加減にしてほしいのは私の方だわっ!」
由紀は、両手のこぶしを握り締めてガンガンとベッドを殴りつける。
「嫌い、嫌いっ、パパも、このポンコツな体も、それから私を産んだ人もっ、大っ嫌いっ!」
「産んだ人?ママのことをそう呼ぶなと言っているだろう!」
父親が由紀の手首をつかんだ。
「何よ、知らないとでも思ってるの?パパは、幸せな家庭を演じたいの?残念だけど、無理でしょ、無理……私、知ってるんだから」
由紀が、父親の目を睨み返す。
「知ってる?何を?」
父親の手の力が緩んだところで、由紀は父親の手を振り払った。
「聞いたの。噂。……嘘だと思ったから、調べた。ネットで。……そうしたら、私を産んだ人の写真……リビングに飾ってある写真と同じ顔が出てきた」
父親の顔が青ざめた。
「た、他人だろう、それは、ただの……似た人が世の中には……」
「でも、パパの背中には傷跡があるよね?それ、ネットに書いてあったことと一致するんだけど」
父親がふぅっと小さなため息をついて、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした。額に手を押し当てて苦悩の表情を浮かべている。
それを見て、由紀は悲しそうな顔になった。
「やっぱり、本当だったんだ……。もしかしたら、ただの偶然がいくつも重なっただけだと思ってたけど……やっぱり、私を産んだ人は……人殺しだったんだ」
由紀の目から涙が落ちる。
「おばあちゃんの寿命を奪うために、私におばあちゃんの寿命を5年渡すために殺したんでしょ……」
父親は何も答えない。
いや、何をどう言えばいいのか分からなかったのだ。
「それは、違うわよ」
カウンセラーが由紀の言葉を否定した。
「何が違うっていうのっ!ネットに書いてあったんだからっ!私を産んだ人は、おばあちゃんを殺して、パパを殺そうとして……寿命強盗殺人と、殺人未遂の罪で死刑になったって」
カウンセラーが首を横に振った。
「それは違う……」
「だから、何が違うっていうのよっ!」
カウンセラーの真理子が、父親に言葉をかけた。
「それは、真実ではないんでしょう?」
父親が顔を上げる。
「本当のことを、由紀ちゃんに話してあげてください」
父親が怪訝な顔でカウンセラーを見る。
「あなたは、何もかも知っているような顔をしているが、なぜ……?」
真理子がゆっくりと首を縦に振る。
「何もかもは知りません。ですが、何もかも知りたいと、いろいろと調べて、考えました」
カウンセラーの真理子は、乱れたベッドの上を整えた。
由紀が座っていられるように角度を調整し、辛くないようにクッションを当て、足には冷えすぎないように布団をかける。
「私が由紀ちゃんのママを殺しました」
ベッドを整え終わると、真理子は由紀の顔をまっすぐ見た。
「え?」
「あの事件で量刑を死刑だと言って、あなたのママを死に追いやったのは私。――あの事件の裁判員だった私たち」
真理子の言葉に、父親がはっと息を飲む。
そして、父親は真理子にしっかりと頭を下げた。
「死刑にしてくれてありがとう」
――と。
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