1章

第1記~『アヴェエ・ハァヴィ』 <1章>


 扉をぱたんと後ろ手に閉めたココは、鞄を手に下げたファーナゾン老医師と共に歩き出す。

陽光が差し込む通路は長く静かで、歩く人は1人もいなかった。

2、3の言葉を交わした後、しばらく歩いていたココは口を開いた。

「感服するしかないです・・・」

ココはファーナゾン医師に呟くようにそう言うしかなかった。

「感服・・、ですか?」

けれど彼は驚いたようにそう返す。

「私があれだけ言ってもアヴは聞かなかったんですよ、私のときは。なのに、あなたは一度だけで頷かせてしまいました」

「あぁ・・いや、はは。」

彼ははにかむように笑っていて。

並んで廊下を歩くココはその笑う声を聞きながらまた彼に目を向ける。

それに気付いた彼は照れたように微笑みを見せながら顔を正面に向けた。

「私は別に、彼女を無理やり頷かせたわけじゃないですし。そんな、感服するだなんて、大袈裟ですよ」

「でも私にはできなかった事ですから・・」

そうココは少し寂しそうな響きにそう言っていた。

「・・他の子も皆そうですが、彼女も、ただ無闇に駄々を捏ねて嫌がっていたわけじゃなく。やりたいと思ってる気持ち、やろうとしてる気持ちを充分に持っていました。」

「はぁ・・」

「・・・彼女はあまり話をしないし、私も時々、何かにつけて逃げてるように見えてしまうんですよね。でもそれもそのはずで、彼女自身さえ、彼女はずっと苦しみと闘っていて、自分の事もよくわからなくなるように、彼女は自分の事で精一杯なんですよ。私はそう思います。何か悪いことが起きる度に、彼女は自分と向き合い、闘う、闘わなくちゃいけない・・・」

ふと、彼は気付いたように、ココの表情に目を留めて、彼は熱の入りかけた相好を崩して笑った。

「それをわかってあげられるのが、近くで彼女を見てる私のやるべき事で。」

そう、彼は言葉を切ってまた微笑む横顔をココは見ていた。

「貴方は、よく見てますね、彼女のこと」

ココはやはり感心したように言うしかなかった。

「病院にいた頃から見てますからね」

彼は目を細めたまま、微笑んでいるような横顔を見せていた。

「私もそうならなくちゃとは思ってます・・」

「はい、頼りにしてます。」

彼はその事を微塵も疑ってないように微笑んだ。

「・・あの子って、性格もかなり特殊ですよね。最初は、なんていうかその、こういう境遇だから言葉少なな、不安がって、精神的に疲労してるからとか、だから物静かすぎるんだと思ってましたけど。最近になって、元々こういう性格の子なんだなって思い直しました、私」

ココは肩を落として疲れたように言って見せる。

「はは、なるほど。はい、まぁ。・・1人の医者から言わせてもらえば、どんな状態の人も、その人の行動はその人の性格の一面だと思っていますけどね」

そう、彼も冗談を言ったかのように微笑んでみせる。

「でも元気な人はよく笑う、それは間違って無いと思います。子供は特に明るくなりますよね」

彼はそう目を細める。

「病院にいた時から、どうなんですか?アヴは。変わりました?」

「ええ、大分。あの頃は、知らない人が近付くだけでパニックを起こしかけるくらいでしたから。」

「・・・」

「随分良くなりましたね。今はだいぶ精神的にも安定しています。だから、元々こういう子だっていう考えは間違って無いと思いますよ」

「・・・あの、どう接すればいいと、思いますか?」

続く、ココの遠慮がちな質問を聞いて、彼は僅かに目を丸くして彼女を見たのだった。

「彼女とですか?」

「はい、私、どう接すればいいのか、時々わからなくなります。彼女が何を考えてるのかもわからないし。先生みたいに私は諭せません・・。私の言い方だと全然駄目みたいで。忠告なんかアヴは聞いてくれません・・」

「そうですか?随分あの子は貴方を信頼してるように思えましたが」

「そうだと、嬉しいですが・・」

そう口にして言うココの表情は無理したように笑い、辛そうだった。

彼はその若い彼女の顔を見返しながら。

細めた眼鏡の奥の目を離し、正面を向き、無言になった。

そう言葉を失くした彼に、ココは倣うしかなかった。

何歩か歩いた後に、暫くして、彼は静かに口を開く。

「・・そうですね、私が心がけてる事は、味方になることです。」

そう、突然言った彼に、ココは目を向ける。

「まず彼女の事は理解できないと思ってください。」

「え・・?」

「その上で、彼女が思っていることを。今何をしたいと思っているのか、やろうとしたい事は何なのかを知ろうとします。聞こうとしたり、彼女を見ていて考えてみてください。そして一個ずつ確かな正解を見つけていく。それは時間も掛かるし、結構な負担が掛かるかもしれませんが、少しずつ、慌てない。今日駄目なら次の日に考えればいい、それで駄目なら次の日。貴方なら毎日あの子に会えますしね」

「彼女を見てるってこと、ですか・・・?」

「いやぁ、何ていうか。彼女が今、本当は何を思っているのか。何と対面して向き合っているのか。人が他人の事を想像してわかった気になるのもおこがましいですが。彼女が何を見ているのかくらいはわからないといけません。それがおぼろげながらにもわかれば、自ずと人はその人の話を聞くことができます。これは昔に書物で読んだ一句なんですが。」

そう彼はココに微笑んだ。

「人と話すには、その人の話をまず聞こうとしなければいけないですよね。難しい事なんですが。彼女に対してなら、貴方は特に優しく思いますから出来ると思います」

彼はそう、目を瞬かせて見ているココに再び微笑んでみせ。

「と、いうことを、私は心がけるようにはしています。」

「はい・・」

ココはこっくりと彼に頷いていた。

彼はそれに満足そうに微笑んで頷いて正面を向き直った。

共に並んで歩くココは、暫く彼が言った事を反芻してみていたがはっきりとは、よくはまだわからなかった。

とても難しくて、温かい事を言われた気がしたのはわかったが。

難しい事が難しすぎて、彼が言っていた事をおぼろげながらにもわかろうとはしても少しばかり無理のようだった。

彼はそれ以上何も言わず。

二人は並び、静かな廊下を歩いていく。

会話の途切れた中でココは思うのだが。

アヴェと話をしてみようにも、彼女は何も言わないのだからどうしようもないのだけれども。

成功する具体的なアヴェとの状況が思いつかないココは彼の隣で僅かに首を傾げるのだった。



****

ぼうっと、ぼやける部屋の中を見てた。

気がつくと閉じかけてる瞼で。

また頑張って目を開けて、枕の向こうの、テーブルのある向こうの方。

何も動かない部屋の中をじぃっと、ぼうっと見てて。

見てて・・・。

ピコピコピコピコ―――――・・・。

突然、大きな音が鳴り始めて、瞼を開けた。

いつの間にか目を閉じてたみたいで、枕の上で瞬きをしてまだベッドの中にいるのに気がついて。

ピコピコピコ―――――・・・。

・・頭が重いような、だるい身体をなんとか、肘をついて、起き上がって。

掛かってる布団を見てて。

ピコピコピコ―――――・・・。

・・・あれ。

何の音だろう・・・。

さっきからうるさかったかもしれない・・。

・・・あ・・。

思い出した私は、枕の横に転がってる、ピコピコ鳴ってるノートに手を伸ばして掴んで、アラームのスイッチを切った。

手の中のそれを回して。

時計を見たら7時で。

・・7時・・・。

7時・・・。

・・・ぼうっと見てたら7時1分になってた。

「・・・ふぁ・・ふ・・」

大きな欠伸が出てきてた。

布団の掛かった足の上の、手に持ってるノートをぼうっと見つめてて。

・・起きないと駄目だから・・・。

布団を手で捲って、ベッドの端から床の上のスリッパに足を下ろした。

まだ少しぼうっとする気もするけど。

手に持ったノートを枕の傍に置いた。



クローゼットまで歩いて、開いて、Tシャツのハンガーを手で触ってから気付いた。

今日はこっちじゃないや、って一番隅っこにあった、綺麗な制服のセットが全部掛かってるハンガーを取った。

やっぱり、綺麗な服だなって、なんか高そうな感じの目の前の制服を見つめながら、ベッドの傍まで戻って。

それから、布団の捲れてるベッドを見て。

・・・何となくきょろきょろ周りを見て。

テーブルの、椅子が丁度いいって思って、制服をその背もたれに掛けて来た。

ベッドの上の布団の捲れてるのとか、ちゃんと直してると、ノックの音が聞こえた。

振り返ると、また扉の方からノックが聞こえて。

見てたら少しして、がちゃっと鍵の外れる音がして扉が開いた。

入ってきたココさんはこっちの方を見て。

「あ、おはよう」

少し驚いたようにしてた。

「おはようございます・・・」

「ちゃんと起きてたのね、偉い偉い」

そうココさんは笑って。

「・・・・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・・・・・・?」

「・・いいから、私を見てないで用意なさい」

アヴェはベッドの傍で振り返ったままこくこくと頷いた。



とりあえずベッドを直しているらしいパジャマ姿のアヴェの背中が動くのから目を離し、テーブルの椅子に掛けられた制服を見つけたココは何気なくテーブルまで近付いていった。

その間もアヴェが一通りベッドを直したらしくこちらを振り返って。

ココと視線が合う。

で、アヴェが視線を外し、俯いたようにきょろきょろとし始めており。

「・・制服はここでしょ」

ココの声にぴたりと動きを止めるアヴェはココをちらりと見て、それから近付いてくるのであって。

「あぁ、その前に、先に顔も洗って歯も磨いてきた方がいいね。」

と、ココが言い。

アヴェはまたココの顔をちらりと見るのである。

「行きましょう、アヴ、寝癖直すの手伝うから」

そう微笑み、棚のほうへ歩いていき、それを追いかけるアヴェで。

ココが洗面具とヘアブラシを取ってから扉で振り返るのを、アヴェは追いかけて行った。

傍まで来たアヴェにココは洗面具のセットを手渡し、扉を開き。

アヴェの背中に手を添えて一緒に廊下に出て行った。

学生服の人も、まだ寝巻きの人も多い廊下で。

水道場の前で顔を洗い、歯を磨く人の中で混じってアヴェは同じ様に身だしなみを整えるのだが。

しゃこしゃこと歯ブラシを口の中で動かして、歯を磨いてる間もココが後ろで気分良さそうに髪を梳いてるのは。

他の皆の注目を集めてるようで、やっぱり恥ずかしかったアヴェである。

俯き加減になるアヴェの頭を掴み正面を向かせ、何度目かになる黒髪の小さな絡まりをたまに解くココで。

その間も他の子が挨拶するのをココは歌うように返してた。




ココさんが私の周りを回って私を見ていて。

制服に着替え終わった私の、肩を叩いたりした後にココさんは私をじろじろ見始めた。

それから私の前で立ち止まったココさんは。

「うん、完璧」

そう言って、満足げみたいだった。

「さあ、行きましょう。鞄を持って」

私は机の方に歩いていって。

机の上に置いてあった少しずしりと重い鞄を肩に掛けて。

テーブルの傍のココさんの所まで戻って。

ココさんが扉の方まで行くのに後ろをついていって。

扉を開けて手で誘われるのを、ココさんを見上げて、ココさんが私に気付いて微笑んだから。

私はココさんの前に出て、先に廊下に出て行った。

まだ賑やかな廊下を、後から出て来て扉を閉めたココさんの後ろについて歩いてく。

歩いてて、足元に見える、自分の足も見える少し短い気がする、スカートが気になるけど。

気をつけて歩いてみても、ゆらゆら揺れるスカートの風が気になってた。

「アヴ、どうしたの?」

そう呼ばれて、顔を上げたらココさんが私を振り返りながら見ていた。

「いえ・・」

私は首を横に振って、まだ少し不思議そうな顔をしていたココさんにちゃんとついていった。

歩く度にゆらゆら揺れるスカートだけど。

周りで歩いてる制服の子達と同じ格好をしてると思ったら不思議な感じだった。

皆が普通に歩いてるのが不思議なくらい。

私だけ短すぎるわけでもないみたいだし、もうちょっと短い子もいるくらいだし。

それに、なんだかどきどきしてた。



沢山の人がいる食堂で、朝ご飯を食べてる時も、椅子に座ってるだけなのに、少し動くと足元が涼しい気がして。

「気になるの?アヴ」

スカートの裾をちょっと引っ張ってみてた私にココさんが言ってきたのを、私は顔を上げて。

ココさんは私を見てた。

「いえ・・」

私はフォークを口に運んで。

それから少し考えていたようなココさんが言う。

「ハイソックスかタイツにしましょうか、欲しいなら買って来てあげる。でも少し暑くなるけど」

そこまで、いらない気もしたけど。

でもそっちの方がいい気もした。

こんなに、すうすうしてるより。

「・・はい・・・」

「どっちがいい?」

どっちがいいって聞かれても、どっちがいいかわからなくて。

少し考えていたら。

「・・じゃあどっちも買ってくるわ」

そう困ったように笑ってた。

「はい・・・」

私は頷いて。

ココさんがまた食べ始めるのを見て。

フォークで小さく切られたソーセージを口に入れた。



「聞くの忘れてたけど、」

食堂を出てから、ココさんが廊下の途中で私に。

「今日は何処も調子悪くないんでしょ?」

そう聞いてきた。

「はい・・」

私は頷いて答えた。

「今日の朝、聞き忘れちゃってたわ」

ココさんはそう笑ってて。

それから、見慣れない廊下を歩いて、見覚えのあるような廊下の扉の前で止まって、ココさんは扉を開いた。

「おはようございます」

って、声を掛けられながら、ココさんも返しながら。

ココさんが歩いてくのを追いかけた。

仕切りで囲まれた、大人の人達の忙しそうな雰囲気の中は前も来たことがあった。

「おはようございます」

ココさんがそう言ったデスクに座ってる人が振り返って。

「おはようございます。ああ、どうも、アヴェエか。」

私を見た男の人は前も、会った人で。

「おはよう」

私にそう言って。

「おはようございます・・・」

「よぉ聞こえんぞ」

って笑ってた。

それからココさんを見上げて。

「今度こそ連れて行きます」

って笑った。

「お願いします・・」

ココさんも少し困ったように笑ってたみたいだった。

「今日は大丈夫だよな?アヴェエ」

って呼ばれて。

その人を見たら私を見てて。

「・・・?」

何が大丈夫なのかわからなくて、そのまま足元に目が行って。

「大丈夫ですよ・・っ」

ココさんがそう言ってた。

「いや、つい心配になって」

と、悪びれた様子に言う彼だがその顔は笑っていて。

ココも彼に困ったように笑ってあげるしかなかった。

ココが隣のアヴェの横顔に気付けば、顔を真正面から見られていたからか、この前のことを思い出したからか、顔を紅くしていたようだった。



少し時間があるからと軽い話をしていた、主に二人は周りの人が少し慌しくなったのに気がついて、時間を確認して彼は立ち上がった。

「それじゃ行こう。アヴェエ」

彼は終始俯き加減だった少女にそう告げて入り口の方に歩き出す。

途中で振り返ればアヴェと、その後ろからココがついてきていて。

廊下へのドアを開けてあげた彼の前で立ち止まり、一度見上げてからまた俯く少女に、彼女は背中を軽く押して廊下へと出してやる。

彼はその後に続いて廊下に出て行った。

「それじゃ」

軽く彼が彼女に言い。

「アヴ、いってらっしゃい」

アヴェはそう呼ばれてココに振り向いたようだった。

彼が振り向いたときにはその少女は自分の所まで小走りに追いかけて来ているところで。

後ろで立ち止まったのを。

「隣に来い、隣に」

手招きで呼び、少女が斜め隣に来た所で歩き出す。

彼女も一緒にその距離を保ってくれるようだった。

また倒れはしないだろうけどな、という彼の思いつきの心配も他所に少女は鞄を肩に担ぎ歩いてるのだった。




ある教室の扉の前で立ち止まった彼の傍で、アヴェは暫くきょろきょろと周りを見回していた。

廊下にいても聞こえてくるたくさんの人達の喋る声が中から溢れてる。

それが聞こえるだけで、どきどきが強くなるアヴェに。

「ここが教室だ。」

そう先生が言ったのを、アヴェは見上げた。

すると彼のアヴェを見下ろしていた目と合った。

アヴェはそのまま視線を落としていくのだが。

「今はホームルームの時間だからな。アヴェエを紹介するよ。前の学校にもホームルームはあったろ?」

「はい・・」

「おう、その調子だ。まあ、紹介っつっても何でもいいよ。好きにやってくれればね」

好きにって・・・。

前の学校でも、転校してきた人のは2人くらいで。

その人達もいろいろ喋ってた気がする・・。

そういうのやらないと駄目なのかな、やっぱり・・・。

「それじゃ行こう」

彼はそう言って、ドアに手を掛けた。

アヴェが、あ、と思う前にも、それを目で追ってたアヴェの目の前でドアはすぐに簡単に開いてしまった。

そして彼は教室の中に大きな声を掛けた。

「よぉ、おはよう」

「おはよー」

「おはよーー」

元気な声が返ってくる。

教室の中に歩いてく先生に、中で騒いでた人達がみんな先生を振り返っていくのをアヴェは見て。

「おはよーございますー」

「せんせーおっはよー」

男の子の声も女の子の声も混じった声を一身に浴びながら先生は歩いてく。

慌てて席についてく人達が治まるのもすぐだった。

たくさんいる教室のみんなが先生の方を、教室の前の方に目を向けてて。

先生が正面に向かって大きな声で言った。

「ホームルーム始めるぞー。さっさと席に着けぇ、・・っと、」

先生がこっちを見て不思議そうな声で。

「あれ、アヴェエ入って来い」

先生が、手招きするから。

教室全部の皆が一斉に私を見た。

視線が一気に集まるのを感じていた。

直接見なくても、凄い迫力が私に集まってるのを、感じてた。

凄く嫌な感じが。

痛い。

冷たいような涼しいような、揺れてるスカートの足元が凄く、嫌だった。

「アヴェエー・・・」

先生が傍に戻ってきて。

「大丈夫か?」

覗きこんでくる。

「転入生ー?」

誰か、教室の中の誰かがそう聞いてきてたけど。

私は先生を見てて。

「・・大丈夫か?」

じっと、私を見てる先生に。

私は、先生に、こくこく何回か頷いてた。

「・・・」

先生はそれから頷いたようにして。

私から少し離れて、私を振り向いた。

「じゃ、行こう」

そう言って、足を止めて私を待ってて。

私はその先生の足までを見つめてて。

横から感じる、強くどきどきしてくる、他の子の視線を我慢して。

私は足を動かす。

ゆっくり、先生の方に歩き出した。

ふらつくみたいな、足元を、転ばないように、力を入れながら。

足の下のほうで揺れるスカートの風が、すかすかしてて、見られてるようで嫌だったけど。

我慢して。

先生の傍に着いた。

「ってことで、今日から一緒に勉強する子だぞ。」

先生は目の前の、席に座ってこっちを見ているたくさんの人達に大きな声を出して。

教室の中に広がる、隙間無いたくさんの人たちの視線がこっちを見てて。

私を見てる。

一番近い、目の前の人と目が合った気がして、ずっと足元を見てないといけなくて。

その間もじっと私を見てる人達はいて。

私を見て何かを考えてる。

いろいろなことを、いっぱい、みんなが。

「自己紹介してくれ、な?」

変な人が入ってきたってこと。

見られてるのが嫌。

ここにいなきゃいけないのもなんで?

見られてなきゃいけないのは・・。

ぽん、って。

肩に突然落ちてきたものが。

凄く吃驚した私は思い切り目の前の人と目が合った。

その人は私を見てて、それから笑ってた。

「・・おーい、アヴェエ、名前、名前」

私はどきどきするのが強くなるのを感じて、また顔を俯かせてた。

それから肩にある先生の手に、叩かれたのに気付いた。

先生は隣で、名前、って言ってる。

・・名前。

・・・名前言わなくちゃ。

名前を・・。

「・・あ、ァヴェ = ・・ヴィ、です・・・」

掠れた様な声が、喉で引っかかってた。

そう言ったつもりなのに、小さすぎる声。

「聞こえなーい」

遠くから誰かがそう言ってて。

喉が震えた。

でも声が出ないんだもん・・・。

声が出なかったもん・・。

喉がおかしくなってる・・。

先生達みたいに大きな声なんて出ない・・・。

「おい、初対面の子に失礼だな、デュヒトか?」

隣からの大きな先生の声に、教室の子の笑い声があがってた。

私はその大きな笑い声に押されて、また勝手に身体に力が入ったのを感じて。

「・・とまぁ、ちょいとシャイな女の子のアヴェエ = ハァヴィ = ユリゼントちゃんだ。他の学校から転入してきた。まだ友達もいないんだ、仲良くしてくれよ」

「はーい」

少しだけ、返事が返ってきてたのが、寂しい気がして、ちょっと胸に痛かった。

「じゃあ空いてる席に座ってくれ。あぁ、席は決まってないんだ。あそこの席なんてちょうどいいんじゃないか」

先生がそう肩に置いた手をぽんぽんと叩いて。

私が見上げたら、向こうに指を差してて。

私は先生の足元を見てから。

皆の方に歩いてく。

どきどきしながら。

変な感じの動かない足に、転ばないように。

手でスカートを握ったまま。

席の間を通って行って。

皆が私を見てるみたいにしてて。

私はずっと俯いたまま、空いてたっぽい席が目に入って、座った。

隣の、女の子が。

「初めましてー?」

って小さな声で言ってきて。

私は頑張って、その子の顔をちらりと、一瞬だけ見て。

「よろしくー?」

言ってくるその子に、頷きながら。

「・・よ、・・よろしく、おねがいします・・・」

たぶん、小さすぎる声だったから。

その後、何も言わなかったその子は聞こえなかったんだと思う。




ホームルームの時間は、私が肩に掛けた鞄を置くのに気付く前に、すぐに終わって。

先生の声が途絶えたと思ってたら、何人かの女の子達が近付いてきて、私に声を掛けてきた。

「アヴェエちゃん?って言うの?」

「アベ?」

凄くどきどきしたまま。

囲まれてる私は頭の上からの声を聞いてて。

「先生が1回しか言わなかったからぁー」

「そうだよね?覚えられないよねぇ」

「そうそう、だからもっかい教えて?」

「名前は?名前」

「・・あ、アヴェエ、ハァヴィ、です・・。」

「へー?聞いたこと無い名前ー」

私の声でも、聞こえたみたいだった。

「アベ?ハーヴィ?」

「アヴェィ = ハァビィだよ」

「違くない?ちょっと」

「もっかい名前言ってもっかい言って」

って。

「・・アヴェエ、ハァヴィ、です・・。」

「『アヴェエ』、ね。『アヴェエ』・・アヴェエ・・、アヴェエ・・・?」

特にその子は発音しにくいみたいで、気になるみたいで繰り返してた。

「あれ?もうちょっと長くなかったっけ?」

「その前に、授業遅れちゃうよ」

遠くからまた近付いてきた女の子がみんなに言ってて。

「先に教室行こ」

「あ、そだった、アヴェーも行こ。行こー」

「は、はい・・・」

ぱらぱらと散っていった皆を、なんだろうって思ってたら、みんなは自分達の鞄を持ってきて。

入り口近くの席の私に、声を掛けてくれて。

私も鞄を持って椅子から立ち上がって。

入り口のドアで待ってる人達にについていった。

廊下を歩いてる間も、私にいろいろ聞いてきたりする子たちが多くて。

なんか、真ん中にいる感じが、少し居心地が悪かった。

少し背の高い、隣にいた、肩まである茶色の髪を結わいてる子が明るく喋りかけてきて。

逆隣の、私と同じくらいの背の、肩までの金色の髪に、長い睫毛が印象的な子とか。

少し背の小さい、子が興味津々に私を見てるとか。

「アヴェエは、何処に住んでたの?」

「・・えっと・・・、2ブロックの・・、方の・・・」

「えぇっ、けっこう凄いところ?」

「え、2ブロックってそうなの?」

「そうだよー、リリーに近いもん。お父さんが凄い仕事してるんじゃない?」

「へぇー??」

「ねぇっ、そうなの?」

「わ、わかんないです、けど・・・」

「ふーん?まぁそんなもんかぁー」

仲良しの子ばっかりみたいで、私のちょっとの答えを聞いて盛り上がって話してて。

私はその話を何とか聞いてるのに精一杯だった。




授業の、隣に座った子が小さな子で。

金髪の結んだ長い髪を揺らしながら前の教室からここに来るまでずっと近くにいた。

教室に入れば、その子に言われるままに座った席で、その子の友達も笑顔を見せながらその子の隣や後ろ前に座ったみたいだった。

隣のその子は興奮してるような瞳をきらきらとさせて私を見ていたり、友達を見ていたりしていて。

私はその目にどきどきしながら、他の子がノートを準備しているのに気がついて、私も鞄を開けて。

気付けばその子もノートの準備をし始めているみたいだった。

起動のスイッチを入れて、勉強用の、点くのを待っている間、隣のその子がこっちを見てるような気がした。

「ねぇねぇ、アヴェエって」

って、その子は大きな声で私に話し掛けて来て。

「緊張してる?」

って。

その子をちらりと見たらその子は私をじぃっと見ていて。

凄く答えて欲しそうにしてるみたいで。

「い、いえ・・」

「そうかなぁ、そう思ったんだけどな。変な感じしたから」

・・・・・・。

変な感じ・・・。

・・変な感じ・・・・・・。

「ん、いいや、なんでもないっ。で、アヴェエって何か好きなものってある?趣味とかさ」

趣味・・・?

別に・・。

「音楽でもいいよ、そういうの無い?私はMoa Da kaが好きなんだけど。」

モー・・、ダカ・・?

「・・えぇ、アヴェエは好きじゃない?」

「・・え、えっと・・・あの・・」

何のことかわからないんだけれど・・・。

でも何か答えなきゃいけないし、何て答えれば。

知らないって言ったら失礼かもしれないし、でも知らないし・・。

「・・あれ?アヴェエ?どしたの?・・んん?」

「ススア」

打って変わった、静かな大人びた声が聞こえた。

隣の髪の長い子が口を開いたみたいで、私の隣のその子も振り返って不思議そうな声を出していた。

「ん?」

「あんまりそうやって追いすぎないで・・。そもそも、ちゃんと名前言ったの?」

「ん・・?」

と、少し止まっていたその子はそれから今度は考え事を始めたらしく首を捻ったみたいで。

その子の後ろ頭を見ていた私は、その子の隣の子と目が合って。

目を逸らして俯いてた。

「・・あ、私は、シリュアンネ = ニエルモ。・・って聞いてる?」

って、聞こえてた優しそうな声に、私はこくこくと慌てて頷き返した。

「そう・・、」

「あれぇ?言ってなかったっけ?」

って、さっきの子が今度は大きく動いて私を見て。

「言った?言ってない?」

って首を傾げてた。

言ったような、言ってないような・・・、みんな色々話してたから、聞き取れなくて・・。

「もう一回言えばいいでしょ、ススア」

「それもそうだね」

って、納得してた。

「私は、ススア、ビッフォ。ススア、って呼んでね」

って、私を見て答えを期待してるみたいに見てて。

「・・は、はい」

「こっちの子はシアナだからね」

って、さっきシリュ・・なんとかって名前を言ってた子を指して言ってて。

「皆にはそう呼ばれてるの」

シアナさんはそう笑ってた。

ススアさんはにっと笑って。

「で、キャロにぃ、エナ、にビュウミー」

って、周りの子も指差して。

その子達も呼ばれたと思って振り返ってた。

「あ、うん、よろしくー」

「よろしくね」

「こんにちは」

そう、挨拶してくれて。

「は、はい・・」

私はこくこくと頷いてた。

「アヴェエってどっから来たの?」

って、ススアさんがいきなり聞いていて。

どっから・・?

「ずっとこのドーム?他のドームに行ったりすると全然違って吃驚するらしいんだよ?だからアヴェエがもし違う所から来たなら吃驚してるかなって」

ススアさんはよく喋るから聞いてたけど。

「・・・あれ?」

言葉が途切れた後に聞こえたのはその声で。

私は顔を上げて、不思議そうにこっちを見てたススアさんと目が合って。

「・・・」

「・・え、えっとぉ・・・」

ちょっとまた考え始めたみたいなススアさんに。

「ずっとリリーに住んでたよね?」

って、隣のシアナさんが。

「は、はい・・」

私は少し慌てて頷いて。

「ふーん、そっかぁ」

って、ススアさんが頷いて。

「ススア、話しかけすぎじゃない?アヴェエさん困ってない?」

横からキャロさんがそう言ってきた。

「ええっ?そうかなー?そんなことないよねぇ?」

ススアさんのきらきらした目で、懇願されてるみたいで。

「う・・」

「困ってるでしょこれは。ねぇ?」

「うーん、そうかも」

ビュ・・ミー?さんが言って。

「えー?ほんとー?ほんとなのー?あまり話し掛けてないよ、でもー・・っ」

って、ガンって鳴って。

「いたっ」

椅子同士がぶつかったような、けれどススアさんは気にしてないみたいで。

「困ってないよね?困ってる?でもわからないこといっぱいあるでしょ?いろいろ教えるよ?お昼も一緒に食べようよ」

ススアさんが身体を揺すってるとガンガン小さな音がしてるんだけど。

「ススア・・」

静かな声が耳に届いて。

その声の響きに、ススアさんも私もシアナさんの方を見ていた。

シアナさんは自分のノートを見つめながら、目を細めていて。

ゆっくりススアさんに顔を向けて、表情の無かった顔がにっこりと笑って。

「知らない人がいてテンション上がるのはいいけど、大人しくしてて。人の迷惑だから・・・。」

静かで、優しい声で、シアナさんは言ったけれど。

「う、うん・・・・っ」

すぐに頷いたススアさんはその笑顔を凝視してたみたいだった。

少しの間、シアナさんに注目してた私たちだけど。

「ふふ・・っ」

って音が横から聞こえて。

振り返るとキャロさんが笑うのを我慢してるみたいに、口を抑えて肩を震わせてた。

何が可笑しかったのかよくわからなかったけれど。

「あぁ、ごめんね。話、続けて。」

って、言ってたシアナさんも、さっきからずっとにっこりと目を細めて笑っていて、少し怖かった。

「あー、えー、・・えへへぇー・・・」

ススアさんはシアナさんに誤魔化してるような声で、シアナさんから私に、私からシアナさんに目を行ったり来たりさせて笑っていて。

突然、静かになり始めた教室に。

顔を上げたら教室に先生が入ってきた所だった。

「・・あ、来ちゃった」

って、ススアさんの声が、少し嬉しそうだった気がした。

先生の声が教室に響いて。

授業が始まって。

やっと、静かになって。

その間も、胸がどきどきし続けてて。

授業をしてる間も、ときどき隣のススアさんが小さな声でシアナさんと話してるらしくて。

ときどき、私に話し掛けてくるから、私は頷いたりしてた。




休み時間になるとまたいろいろ、ススアさんが元気に話し掛けて来て。

考えてると、シアナさんが簡単に聞いてきてくれるのに返事をして。

ススアさんも納得して他にも色々な話になっていって。

授業が始まると、ススアさんは隣のシアナさんと小声で時々話してるみたいで。

時々、先生の話よりも気になってた。

私に小さな声で話しかけてくることもあって、私もどきどきしながら頷いたりしてた。

お昼には学校の、寮とは違う食堂でお昼ご飯を、ココさんと食べる時みたいに一緒に食べて。

皆は仲良しで楽しそうに喋ってて。

私はそれを聞きながら静かに食べてた。

「小食だね」

って言われて。

私は少し驚いて、首を横に振ってて。

皆は目を円くしてたみたいで。

それから、また止まった会話が楽しそうな会話になっていった。

ススアさんが話し掛けてくると少し難しくて。

シアナさんが聞いてきてくれるのは、とても楽で、良い人みたいだった。

「気になってたけど、敬語使わなくていいよ?」

って、途中でそう言われて。

頷いたらまた皆顔を見合わせてたみたいだった。

お昼休みの時間も終わって。

その後の授業もススアさんが呼んでくれて、一緒に教室に連れて行ってくれて。

今日の授業が全部終わった。

授業が終わったまま、皆が教室で話していて。

キャロさんに。

「クラブどうするの?」

って、聞かれて。

私は、なんて答えればいいか考えてた。

「まだ決めてないよねぇ?」

シアナさんがそう言ってきてくれて。

私は頷いて。

「私たちはクラブ、クリケットやってるんだけど、一緒に来る?」

そう他の子に、たしかビュウ・・みゅ?に、聞かれて、私は首を横に振ってて。

「んー来ないかぁ・・。」

そう困ったように笑ってた。

「もう帰るの?」

ススアさんがそう聞いてきて。

こくこくと頷いて。

「アヴェエって、家から通ってるの?寮?」

続けてススアさんが聞いてきた。

「り、りょうから・・・」

「おー、私と同じだー」

って、小さなススアさんが笑った。

それから向こうの方を向いて。

「アッキィーっ、アッキイーっ?」

って、大きな声で呼んで。

つられて向こうを見たら、女の子のグループがこっちを見てて。

その中から眼鏡を掛けた、見覚えのある子が他の子に何かを言ってこっちに歩いてきた。

「なに。大きな声で呼ばないでよ」

「あーごめんごめんー。嫌なんだっけー」

「・・・」

「あのね、アヴェエは寮から通ってるんだって。アッキィもそうでしょ?一緒に送ってあげてよ」

「うん?いいよ。」

その眼鏡の子は少し目を円くして、私を見て。

「よ、よろ・・」

しく、お願いします、って言わなきゃいけないような気がしたんだけれど。

「あ、ススアはクラブか」

「そうそう、アッキィは帰宅でしょ。」

なんか無視されたような感じで、口を閉じてた。

「みんなクラブだっけ?」

「うん」

ススアさんが頷いて。

「アヴェエの事よろしくね~」

シアナさんが柔らかく微笑んでた。

「じゃ、行こ」

「アキィに置いてかれないでねー」

って、手を振って、みんなが教室の出口に歩いてく。

それを見てて、それからアキィって呼ばれてた人を見て。

その人も私に気付いたように見て。

私はちょっと俯く。

「行こっか。」

私は頷いて、歩き出したその人についてって。

「みんな揃ってクリケットって、凄いよね」

そうその人は笑ってた。

「転校生の子?」

「うん。寮通いなんだって」

他の女の子たちのグループで、私はついてく。

「そっか、あの子たち体育会系だもんね」

「微妙に違う気が・・」

「特にシアナはね。」

「運動できないのに運動好きだよね」

「あはは」

「えーと、ごめん。名前なんて言ったっけ」

突然そう聞かれて、ちょっと驚いてその子を見てて。

「ん?うん、あなた・・」

「アヴェエ = ハァヴィ、だよね?」

アキィって呼ばれてた子が私に。

私はこくこく頷いてた。

「アヴェエ、ね」

「アヴェ、でいいのかな?」

って聞かれて。

「・・・?」

「呼び方、呼び方」

アキィって子が私に苦笑いみたいに言ってた。

呼び方、ってわかって、私はその子に頷いてて。

「じゃアキィはこのまま帰るの?」

「うん」

「私も帰るよー」

「クラブ入ってないのでいつも通りか」

「なんかないがしろー」

「え、そう?」

「うん」

なんか目を合わせて瞬きしてた2人をみんなが見てた。

「じゃ帰るよ」

って、アキィって子が笑ってて。

「うん、じゃね。クラブ行ってくる」

「バイバイ」

「ばいばい、また明日」

「ばいばいー」

手を振って教室から出て行くのを、私は見てて。

「それじゃ、帰ろうか」

振り向いたら、アキィって子と、もう一人、名前を知らない子と一緒に私を見てた。

「寮の何号室に住んでるの?」

歩き出したその子についてくと、その子は私に聞いてきて。

「・・え、えっと・・・」

私は思い出そうとして。

「あ、この子はメイノン。あだ名だけどね。私は、さっきも言ったけど、アキィシャルル = クロッシュカ。アキィって呼んでいいよ」

「メイノンは、メイ = ヤンです。どうぞよろしく」

ちょっとおかしな感じの発音で言って、メイノンって子は笑んで、私を見てる目の睫毛を瞬かせてた。

「よ、よろしく、お願いします・・・」

「んー。ちょと固いなお姉さん。ねぇ、アキィ」

「ん?」

と、アキィさんは私を見る。

「朝からずっとこうだよ、アヴェは」

「えー?疲れないー?」

私はふるふると首を横に振ってた。

「ふーん?まあ、アキィとかススアが怖かったんじゃない?」

「私は脅かしてないよ、ススアが行くから止めてたんだから」

「ふふん、ぐっジョブだね」

「どーもー」

って、メイノンさんが私を見て。

「あぁあ、放っといちった、で、ええぇっと・・・、あ、寮の番号は?」

「・・・」

・・あれ?

さっき思い出した気がしたんだけど・・・。

「・・大丈夫?覚えてる?」

「忘れたなら管理人さんに聞けばわかると思うけど・・」

私は慌てて首を横に振って・・あ・・思い出した・・。

「828・・、です」

「ほぉーぉ?828?かなり離れてるね?」

「転入してきたからじゃないかな?」

「なるほどねぇー」

「私は510。ススアと同室」

「私は521で、リョオ、って子と同室なの」

ススアさんと同室なんだ、アキィさんは・・。

「アヴェは一人部屋?」

「はい・・」

「やっぱそっか、ちょっと羨ましいね」

「そう?」

「一人で部屋使えるんだよ?気楽で良くない?」

「私は、誰か一緒にいた方が賑やかでいいと思うし」

「それがススア?」

「・・まぁ、うるさいけど」

「ふふん」



廊下を歩いてたら、いつの間にか学校の廊下の様子から変わってて。

寮の中にいるような色遣いの廊下になってて。

「アヴェはなんでここに転入してきたの?」

そう呼ばれて。

私は周りを見てたのを、メイノンさんに戻した。

「・・・?」

ここに、って・・・?

「やっぱりあのクチですか?」

「どのクチだ」

「どのクチもないよー。なんか、色々検査されて、ちょっと、なんかありそうな感じですって言われたからここにね」

「そこまでちゃんと言えばいいと思うけど。」

「だって、そんな感じの話じゃない?これって」

「そう?」

「まいいや、やっぱアヴェさんもそんなクチ?」

「・・・」

「アヴェさん?」

私は、答えられなくて下を俯いてた。

そんな、感じなのかな、やっぱり。

よくわからなかったけど、お医者さんの話は。

でも、お父さんとお母さんが熱心に頷いてたのは覚えてる。

ここに入るのが当然みたいな感じで・・・。

「・・・」

「・・えっとぉ、ここが私の部屋なんだけど」

って、アキィさんがドアを指差して。

「アヴェは、一人でわかる?」

「あ、ついてこうか?」

私は、私は首を横に振って見せて。

「大丈夫なの」

心配してくれてる二人に首を縦に振ってみせた。

「はい・・」

此処はもう、見覚えのあるところだったから。

「もし迷っても、スタッフさんの部屋が歩いてればあるからね。聞けば教えてくれるよ」

「はい・・」

「えっと、それじゃ、またね」

私は頷いて。

二人を一度見て。

その場を離れた。

――――その後ろで見てた2人はその俯いた感じのその子の背中を見ていて。

「暗い感じの子だねぇ」

「はっきり言いすぎ」

メイノンに一応注意したアキィである。



****

部屋はすぐに見つけられて。

鍵を開けて。

中に入ったら鞄をテーブルの椅子に置いて。

その隣の椅子に座って、ぼうっとしていた。

こう、ぼうっとしていたかった。

目を閉じれば、ちょっとくらくらするような感覚に。

少し楽になったような気がしてた。

部屋の中は静かだけど、外の廊下では人の笑い声とか、ときどき聞こえてきてて。

毎日の、いつもの夕方くらいの廊下だった。

私は目を開いて。

ぼうっとしたままの目で今日ずっと持ってた鞄を見てて。

それから、椅子から立って歩き出す。

クローゼットの方に。

閉まってたドアを開けて、中から洋服を取り出して。

制服を脱ぎながら、ハンガーに掛けながら着替えて。

クローゼットを閉じた。

それから、それから。

歩き出して、ベッドの方に。

ベッドの布団に座って、ぼうっとしてた。

なんか開かない感じの目で。

ぼうっとしてて。

柔らかいベッドに傾いて。

そのまま倒れて、ぼうっとしたまま、目を閉じた。




凄く、うるさい音が聞こえた気がした。

少し驚いて、目を開けていた。

目の前の色が流れてく。

水に溶かした絵の具みたい。

いろんな色は、部屋の、茶色の床だった。

その中で動くものがあって。

あまり動かない目で遠くのそれを見たら。

・・ココさんが、部屋に入ってきたところみたいだった。

扉を静かに閉めると、うるさい音は廊下の中のものになって消えていって。

それからココさんは私を見て。

「あ・・、寝てたの?」

ちょっとだけ驚いたみたいだった。

私はまだぼうっとして眠たい目のままで、ベッドから起き上がろうとして。

開かない目だけど起き上がって。

「学校が疲れた?」

ココさんが聞いてきてて。

「もうそろそろ夕ご飯だからね。起きなさいよ?」

「はい・・」

私はなんとか声を出して返事した。

「学校はどうだったの?」

ココさんがテーブルの椅子に座って、私を見てて。

学校は・・・、行ったけど・・。

どうだったのかな・・?

重い瞼のまま、私は少しだけ首を傾げていて。

「なに、それだけ?話すようなこと無かった?」

「・・・・・・・」

「・・ふふ、まぁ、今度なにかあったら聞かせてね」

「はい・・」

私は頷いて。

「友達とお話した?」

ともだち・・、ともだち・・って言うのかな・・?

「少し・・」

「あら、どんな話したの?」

どんな話・・・。

私が話してたのは・・。

「・・わたしのこと、聞いてきて・・」

それから・・、みんなが騒いでた気がする。

「・・・そう、いいね」

ココさんは、私を見て微笑んでた。

「ホームルームクラスには寮に住んでる子もいっぱいいるから、きっと寮でも友達が増えるよ」

・・そういえば、あの人達も、寮まで一緒に帰って・・。

「さて、ご飯食べに行きましょうか。いつもより少し早いけど、いいわよね。」

ココさんがそう言って立ち上がって。

だから私もベッドから立ち上がって。

ココさんの傍に行ったら。

「・・アヴェって、いつも寝癖があるね」

そう、見上げたココさんが仕方無さそうに笑ってて。

ココさんがブラシを取ってきて。

「ちょっとじっとしてなさい」

ココさんは私のブラシで髪を梳き始めて。

ブラシに髪を引っ張られながら、私は言われたとおりに動かないでじっとしてた。

「・・アヴェ、今日はお風呂行った?」

そういえば、今日は帰ってきてから、ベッドに座ってたら寝ちゃって。

今日は行ってない。

でもココさんがなんで気付いたんだろう。

・・匂うのかな。

「・・シャンプーの香りがしないからよ。匂いはしないから」

ココさんはそう言い聞かせるように言ってて。

私は服の肩の所を摘んでた指を離してた。

「でも匂いはしなくても、夕ご飯の後で行きなさいよ?明日も学校に行くんだから」

「・・・はい」

私は頷いて。

ブラシに少し引っかかった髪に頭が引っ張られて、ちょっと痛かった。

「あぁ・・、動かないで。痛かった?」

手を後ろ頭に当てようとして。

ココさんに言われて止めて。

少し頷いて。

「ごめんごめん、気をつけるから」

そう言ってくれたココさんのブラシは、その後は髪を引っ張られないで通ってったみたいだった。

「じゃ、眠そうな顔も洗ってきて、ご飯行きましょう」

それからすぐにココさんがそう言って。

扉の方に歩いてくココさんに。

「・・はい」

私はちゃんと頷いて返事した。



****

賑やかで活気のある寮生の声に囲まれている中で。

「あ、アヴェエだ」

その声に顔を上げたアヴェエは正面にいた小柄な女の子を見つけた。

彼女は目を円くしたまま真っ直ぐ人差し指を指していた。

それは水彩のような、色々な淡い色が散りばめられたような緩いチュニックに、一見スカートのような少し大き目のハーフパンツ姿の、金髪のススアだった。

今日、学校でずっと好奇心の瞳を向けてきたあのススア。

ぽけっと驚いているような、そんな顔をしているススアを見て、アヴェエも僅かに目を円くしたがこちらを見てるのが彼女だけでは無いのに気付いて少しばかり視線を伏せた。

ススアの高い声に振り向いた、近くにいたアキィやメイノン、エナはそれぞれがアヴェエに目を留めて見つけて。

皆、アヴェエを振り向いて。

アヴェエの隣にいるココはといえば、目の前で突然少し大袈裟に身振りをして反応した小柄な子を驚いて見ていたのであって。

その金髪の一つ結びの髪の子の友達らしい周りの子達がアヴェエを見つけて僅かばかり眉を顰めるようにしたのを見ていた。

中でも少しばかり背の高い眼鏡の子は、白いシャツに黒いデニムパンツの、シンプルな印象の格好の女の子。

隣の、首筋までの癖のある髪を柔らかく切りそろえている子は、白いワンピースのスカートにオレンジ色のアクセントをあしらった可愛らしい格好をしているし、逆隣の肩辺りまでの黒髪を束ねている女の子はシンプルな明るい色のシャツにハーフパンツで、みんなこちらに目を向けている。

他にも何人かがこっちを見たけれど、関係あるのはこの子達だけだろう。

少しばかり大袈裟な反応にてってっと近付いてきたその小柄な女の子に目を向けただけで、目立つその子を見たくらいだ。

ご飯時に食堂に集まる寮生の女の子グループは珍しいものではないけれども。

ココの隣でおどおどと、彼女達を盗み見るようにしているアヴェと同じ様に、食事の乗ったトレイで両手を塞がれているココは不思議な事態に瞬きをしながらも、そんなアヴェを不思議そうに目を瞬かせて見ている一番近くの小柄な女の子に声を掛けた。

「アヴェの友達?」

「え?はい」

小柄なその子はココに今気付いたように見上げた。

ココの胸のバッジを見たならココがスタッフなのもすぐわかるだろう。

後ろの子達は少しばかり顔を寄せて、こっちを見て短く何かを話してるようだった。

一様に不思議そうな顔をしている彼女達も歩いて近付いてくるので、隣のアヴェに目を移せば。

顔を俯かせたまま彼女達をちらちらと見ているアヴェがいて。

警戒しているような仕草に見えるのはいつものことだが、彼女達が友達ならその仕草は悪い癖だろう。

それからアヴェが目を伏せたのを見てから、ココは顔を上げてこちらを見ていた彼女達に言った。

「私はアヴェの担当スタッフなの。ココって呼んでね。」

と、彼女達はココを見ているそれぞれの目を瞬きさせていて。

わかったようなわかってないような感じである。

「あ、はい・・」

そう頷いた目の前の子もココを見上げてるだけで、あまりぴんと来てないようだ。

「アヴェの友達なのよ」

と、ココは彼女達に微笑んで見せた。

目の前の子はきょとんとした顔をしているが、なんとなく頷いてくれていた。

彼女達の視線を集める中で、ココは良い機会だと思い。

「良かったら学校でのアヴェのこと教えてくれない?」

ココは彼女達に口元に微笑みを作って聞いていて。

「はい?え、っとぉ、学校の、ですか・・?」

と、その小柄な女の子はココに不思議そうな瞳を瞬かせて、それから後ろを振り向いて友達の反応を見ているようだった。

「ええ、今日が初登校だったでしょう。だからどんな風だったか聞いてみたくて」

彼女達は互いの顔を見合わせていて。

前に出てる小柄な女の子はちらりとアヴェを見ていて。

アヴェの、ちらちらと見ていた目が合うと、彼女が瞬きしただけでアヴェの視線が伏せられてしまう。

「ご飯まだでしょ?いいかな?」

ココがなるべく穏やかに聞いてみれば、彼女はすぐにココに目を戻し。

「はい・・っ」

少し緊張したような面持ちで頷いた。

それからまた、横の、後ろの友達に顔を向けて目で聞いているようだった。

彼女達も、少しばかり戸惑ってるように見えたけれども、何も言わないで目を動かしてココやアヴェを見ていたようだった。

反対する子もいないので、ココは彼女達に言う。

「良かった。じゃあ・・、あの辺で待ってるから、食事もらったら来てね」

そう微笑んで。

「はい、わかりましたー」

振り返った小柄な女の子はココを見上げてさっきよりは軽く、はっきりと返してくれた。

ココは彼女達、4人の顔を改めて見回して。

アヴェの様子を気にしてる子や、表情を僅かに動かしてきょろきょろしてる子など。

それぞれがそれぞれの様子で、話についてきた感じはしなかったけども。

「じゃあ、行きましょう。アヴェ」

とりあえず、席を確保しにココはアヴェがついて来てるかを横目に見ながら、空いていた席へ歩いて行く。

いつもと変わらずに俯いてるアヴェを見つつ。

それから後ろを振り返れば彼女達はまだ立ち止まったまま何かを話してたようだった。

あの小柄な、屈託の無い女の子がこちらに気付けば、ココはそこから見えないだろう微笑みを見せて前へと向き直った。



待っているだけだと、折角のご飯が冷めてしまうので。

ココはアヴェを促して一緒に先にまだ温かいご飯を口に運び、周りを見回していた。

さっきより賑やかになった周りのテーブルの、空いていた席がほぼ埋まってしまって後から来る五人が座る席が無くなってしまっているのに気付いてはいた。

場所を移った方がいいかしら、と考えていた背中に高い声が掛かる。

「お姉さーん」

と、少しどきりとしながら振り向けば、さっきの彼女達がもうトレイを持って近付いて来ていて。

「あら、」

屈託無く笑みを見せる彼女を見つけてココも微笑んだ。

それから、きょろきょろとしてる彼女達を見て。

「埋まっちゃった。」

仕方無いので笑ってみせるココに、遅れて、一応ぎこちない笑みを見せてくれる彼女達で。

「移動しましょうか」

仕方なく立ち上がるココは隣でもくもくと食べてた、というか友達の彼女達が来て手は止まっていたらしい俯いたままのアヴェに声を掛ける。

「アヴェ、行きましょう」

アヴェはちらりとココを見上げ、それから彼女が立ち上がるのを見てから椅子から立ち上がり始める。

そんな二人を見ていた、トレイを持って立ったままの彼女達で。

遠くを見ていたココがそれから、歩き出したのを少しの団体となってついていく。

小柄な女の子、ススアは隣の少しばかり俯いたままのアヴェの横顔を見ていたが、アヴェは顔を上げなかった。

そんなススアの様子とアヴェの様子を後ろで見ていたアキィは目を細めたままで。

「ここなら全員座れるわね」

そう頷くように言ったココの声に、顔を上げた。

立ち止まる皆の前には長いテーブルに皆が丁度座れるくらいに席が空いていて。

テーブルにトレイを置きながら、向かい側に半々に席に着いていく。

端に座ったココは皆を見回し。

皆がこっちを見ているのに気がついた。

中には食器を手に取ったものの、という子もいる。

「どうぞ、食べて」

ココがそう彼女達に言えば彼女達も食器を持ち食べ物を突っつき始める。

そんな彼女達を見ていればやはりそわそわしたような、落ち着かない様子でお互いに目を動かしているのであって。

私がいるのがまずいのかな、とココは若い子達を思いながら、食べかけの、野菜に彩られている柔らかい肉にフォークを入れて口に運んだ。

「あの、」

と、呼ばれたココが顔を上げると対面の眼鏡を掛けた茶色の髪の子がこっちを見ている。

白いシャツに黒いデニムパンツの、シンプルな印象の子である。

「さっき学校でのこと聞きたいって言ってましたけど・・」

至極真面目にそう聞いてきていて。

ココは口の中の物を咀嚼しながら頷いてみせる。

それから誰も。

「・・えっと、何を言えばいいんですか?」

と、その子はじっとココを見て聞いてくる。

ココは2、3の瞬きをしてから、周りの子に目が行き。

他の子にも注目されてるのに気付いてから。

なんとなくココは合点がいった。

「あ、私。聞きたいって言ったけど。お仕事じゃなくてね。アヴェが学校でどんな感じだったのか、私が気になるの。」

眼鏡の、アキィは目を瞬かせてココを見ていて。

「だから教えて欲しいなぁって、友達とのお喋りみたいな感じでいいから」

「あ、はい。そうですか・・」

その子も納得したようだった。

「話してくれるのは何でもいいんだけどな・・・」

と、少し考え始めたココが周りを見れば。

その点、眼鏡の子の隣の小柄な女の子は既に、かかかっと、急いで口に詰め込むのに夢中のようだ。

恐らく、今話しかけても喋れないだろうと思えるくらい口に頬張っている。

その隣の子は対照的に、かなり大人しく口にスプーンを小まめに運んでいる。

白いワンピースのスカートのその子は見た目の印象からもこの中で一番大人しそうだ。

対面の眼鏡の子も食べ始めているが、遠慮がちにも見える、物静かな様子で。

そんな二人に挟まれたその小柄な子の忙しさはより際立っていた。

時折顔を上げていっぱいに頬張った口をもぐもぐさせながら円らな瞳で目に付く周りの顔を一つずつ見回すのである。

何かを待ってるようなその仕草にココは微笑んだ。

それから目を向けた隣のアヴェは、いつものペースで俯き加減にもくもくと食べている。

そのアヴェの隣に4人目の子が、嬉しそうに美味しそうにご飯を食べてる。

「あ、名前を知らなかった。」

ココが気が付いて、その言葉に視線が集まる。

「私はココ。みんなのニックネームを教えてくれない?」

その言葉に見つめてくる子、瞬くように頬を上げる子、きょろきょろする子、スプーンを咥えたまま瞬いてる子、とみんなそれぞれだ。

「アキィです。アキィって呼ばれてます」

と、最初に口を開いたのは眼鏡の子だった。

「エナ、です」

大人しそうなエナに。

「メイノンだよ~」

屈託なく笑うメイノンも。

ココは3人の名前を覚えつつ。

真ん中の小柄な子は口いっぱいに食べてるので話せないみたいなのを、ちょっとだけ唸ったようだから、ココは微笑んで。

「学校でアヴェはどんな風だったかな?」

ココの言葉に、視線は集まるもののそれから友達を見て口を開かない子達で。

その隣に座った、シンプルな色の楽な格好の子は口を動かしながらきょろきょろと周りの子を見ては、隣のアヴェも下から僅かに覗くように気にしているようである。

「やっぱり大人しかった?」

ココはそんなアヴェしか知らないのだが、間違ってはいないだろう。

彼女達はそう笑って聞いてみても、まだ少し固いようだった。

「はい・・、そうですね」

正面の眼鏡の子がそうこくこくと頷いてはくれた。

と、小柄なツインテールの少女が口いっぱいの食べ物を飲み込んで。

それから、ココをじっと見たり、目が合いそうになったらちょっと違う所を見たりしてたから。

「あなたのお名前は?」

「あたしススア、です。」

小柄な人一倍元気そうなススアが、得意そうに笑顔を見せる。

「よろしくね」

ココもススアに笑う。

ココはこうして皆を見てると、年相応の、お洒落してるわけではない、私服の普段着からの格好と比べても。

アヴェは地味な色の柄の服を着ているなぁ、って改めて思う。

一緒に見ても、かなり違う色に身を包むアヴェは贔屓目に見ても溶け込まないようである。

以前から思っていたことを口には出さないが、心の中で後ででも口出しをした方がいいのか少しばかり思ってみるココは。

「学校でのこと話せばいいんですかー?」

と、屈託無い声に言われて。

真ん中のススアがココを見て円らな瞳を瞬きさせていた。

「あ、うん。」

それからそのススアは上を見て思い出すような仕草のまま喋り始めるのを、なんとなく微笑んで見ているココである。

「うーん・・とねぇ、私と、私の友達が、一緒に教室移動して。案内してあげたよ。アヴェエはまだわかんないだろうから。ね、エナちん」

「え、うん」

「それは助かる」

そうココがススアに微笑めば。

「へへぇっ」

はにかむように笑って。

「それからぁ・・、休み時間になったらアヴェエに色々聞いてたけど・・・、アヴェエってあんまり喋らないから、あんまりよくわかんないよねぇ・・?」

「うん・・」

と、ちらりとそのエナはアヴェを見たようで。

そのアヴェは、俯いたまま小さな口をもくもくと動かしている。

まぁ、この性格はすぐには変わらないとは思う、見ていたココである。

「あとぉ・・、あとぉ・・・」

そろそろ頭の熱が上がってきたような感じに頬を紅くして、ぐらぐらんと頭が動き始めるまで搾り出そうとしてくれているのは嬉しいが。

そうしている間に全く減らない彼女の食べかけのご飯も気になる。

ココが口を開こうとする前に。

「そういやメイノンは全然知らないなぁ?」

と、アヴェの隣のメイノンが皆に言って。

「メイノン?」

ススアは、ぱちくりと不思議そうな瞬きを返すのである。

「メイノンは学校でアヴェエに話し掛けたりしてないじゃない」

そうアキィが。

「話し掛けたよー、一緒に帰ったでしょ?」

それに不服そうに答えたのはメイノンで。

「そうだっけ・・?」

アキィは僅かに首をかしげた。

「あれ、ひどいな、アキィは。私も一緒にいたでしょ?」

「いや、それは覚えてるって。話し掛けたかのほう・・・」

ぱたぱたと手を振って否定するアキィらしい。

それから、メイノンと言ったメイノンは自分の事をメイノンと呼んでるらしい、と少しこんがらがりかけるココである。

「話し掛けたよー。」

「そうだっけ。」

あくまでクールなアキィに。

「そうなの」

あまり不服そうに見えない様子で念を押すメイノン。

「うん・・、で、聞きまくらなかったんでしょ」

「ん、うん、そう」

ここも結構あっさりである。

「ダメだよ、アヴェエは押して押して押して行かないと全然答えてくれないんだからっ」

と、突然、ススアが元気に言ってくる。

「家族から前の学校の名前とか出身地も聞き出したからねっ」

なんだか得意げにしている。

「ススアは凄かったからね」

そう、アキィは苦笑いしてメイノンに言って。

「でもそれって、シアナでしょ?」

と、隣の大人しいエナがススアに言って。

「えぇ、そうだっけ?」

「んん?なに、シアナ?」

メイノンはエナに聞いてくる。

「あの、シアナが、聞いた事に、アヴェはけっこう答えてくれてたから」

「んー、シアナもアヴェエに話し掛けてたけど・・?」

「なんだ、シアナのお陰かぁ。ススアはダメだたか」

妙なイントネーションで喋るメイノンである。

「むぅっ?私も話してたよね?ね?ね?」

きょろきょろと周りを見回すススアで。

それを見てにやにや笑っていたり、微笑んでいたり、からかってるみたいで、アヴェはようやくちらりとススアの顔を覗き見たみたいである。

「私が見てたときはススアに怯えてたけどね」

と、アキィが意地悪く笑って言うのであって。

「ええーー?」

おっきな口で良い反応のススアだ。

「ススア、いいから、ご飯食べる」

メイノンが片言になるのであって。

「む、私ウソついてないからね・・っ?」

身構えているススアに隣のエナが教えるのである。

「ススアだけ減ってないんだよ?」

「むむ・・・」

ススアはきょろきょろと皆のお皿を見回して。

何かと葛藤したらしいススアも一瞬で。

次の瞬間にはご飯を素直にぱくつき始める。

そしてすぐにもきゅもきゅと口を動かしながら周りを円らな瞳で見回すのである。

それを笑っていたり微笑んでいたり、その様子を見ている表情は様々で楽しんでいるが。

少し静かになった周りに、俯かせてトレイを見ていた目を少し上げて見るのはアヴェだけだった。

彼女達の会話に一緒になって微笑んでいたココではあるが。

視界の端で大人しい、ココと一緒にいるときと変わらない様子らしいアヴェには思うところもある。

友達になれそうな彼女らとの接し方についても。

少し澄ましたような雰囲気の、笑っている彼女達と無関心のようなアヴェを見ていて、思い切り楽しめない気持ちでいるのは仕方のない事だと、ココは思っていた。



****

目覚まし時計がうるさく鳴って、目が覚めて。

目覚まし時計を手を伸ばして止めて、少しぼぉっとしてて。

ぐっと力を入れて起き上がって、静かな部屋の中でまた少しぼぉっとして。

身体をよじってベッドから足を下ろしてスリッパに足を置く。

まだ眠いから、少しの小さな欠伸を我慢して。

私は立ち上がって。

棚に置いてある洗面具の、隣にあったブラシを見て。

髪を梳かして。

棚の洗面具を持って、ちょっと止まってて。

1回扉を見て、ちょっと俯いたけど。

扉の鍵を開けて、賑やかな音が溢れる廊下に出て行った。

元気な人達の、明るい女の子の声で賑やかな中を歩いて。

水道の蛇口の前で歯を磨いて、顔を洗った。

私は今日も学校に行くから。

部屋に戻ったら、制服を持ってきてパジャマから着替える。

シャツを着て、少し短い気がするスカートを留めた所でノックの音がした。

「はい・・・」

返事をすると鍵の音がして扉が開いた。

部屋に入ってきたココさんはベッドの前の私を見つけて目を細める。

「おはよう」

そう声を掛けてきて。

「おはようございます・・」

賑やかな音が溢れてる廊下への扉が閉まるとまた、部屋の中は静かになった。

ココさんはいつものテーブルの方に歩いてきていて。

私は制服の上を羽織った。

振り返ったら、ココさんは手に持ってた黒い、布みたいなそれを・・・。

「はい、黒いストッキング。昨日欲しいって言ってたでしょ?」

そう言われて、思いだした。

昨日、少し話した気がすることを。

「ありがとうございます・・」

ココさんの嬉しそうな顔を見て、私はお礼を言ってた。

「いいえ、幾つか持ってきたから、使ってね」

そう、テーブルの上に黒と紺色のストッキングの入ったビニールが幾つか置かれて。

それから私に手渡してくれた、柔らかい黒いストッキングに、ベッドに腰掛けて私は素足を通して。

立ち上がって腰まで持ち上げると、ココさんの目が気になって、ちょっと見てみたけど。

ココさんはテーブルの方を見ていて、横顔があっちに向けられてた。

ちゃんと持ち上げたらスカートを直して、私はスカートが変じゃないか確認して。

足から全部がぽかぽかしてる感じはちょっと暑いかもしれないけど。

スカートが揺れててもあまり気にならなくなったから。

「穿けた?ぴったり?」

って、ココさんに聞かれて。

テーブルの方を見るとココさんがこっちを見てた。

「うん、この制服、ストッキングも合うわよね。穿いてる子があまりいないのが寂しいけど」

って、頷いてて。

「可愛いわ」

そう笑ってた。

「さ、いらっしゃい。髪を直しましょう、」

って、ココさんが言って。

私はスリッパのままテーブルの方に行こうとして。

歩くと、足にストッキングが伸びて擦れる感じが、いつもと違う感じがしてて。

少し、スカートの下のストッキングを触ってみてた。

私の足なのに、指と足の感触が変な感じで。

黒いまとわりつく柔らかいもので包まれた・・。

思い出して、顔を上げたら、ココさんがブラシを持って、テーブルの傍で引っかかった毛を抜いてて。

私はココさんの方に歩いてった。

椅子に座ってココさんに髪の毛を梳かしてもらってたけど、髪はさっき梳かしたつもりだったのに。

ココさんからしたら全然ダメみたいで、いつもみたいにブラシを髪に通していたから。

ココさんは、全く気付かなかったみたいだった。



****

この道を真っ直ぐ行くと、学校の方に行くから。

行ってらっしゃい、そう言って、ココさんは小さく手を振る。

「それとも、私がついていった方がいい?」

そう聞いてきて。

私は目を彷徨わせながら、廊下の向こうの方とココさんの顔をそれから廊下の床を一瞬ぐるぐる感じて。

ココさんが一緒に教室まで来た方が良かったけど、私は首を横に振ってた。

人に見られるのが、恥ずかしかったから。

私は廊下を真っ直ぐ歩いてる。

少し俯きながら、周りで歩いてる他の制服の子達を見ながら。

目は合わないように。

お喋りしてる子達の中を歩いてた。

教室までは白くて。

廊下に窓があると、太陽の光で少し眩しい。

その眩しい廊下に並んだ教室の入り口をときどき見上げて。

順番になってるそれを数えながら、私の行かなきゃいけない教室を探した。

けっこう、歩いて探した気がする。

昨日はもっと、早く着いた気がしたけど。

少し眩しいくらい白い、窓のある廊下の反対側を。

制服の人達が横を通ったり、教室に入っていく中を。

やっと見つけた、私の教室のプレートを私は見上げてた。

ポケットから携帯を出して。

番号も間違いないのを手帳で確認して。

私は手帳を閉じた。



空いてる席に座ってると、先生が来るまでやることがなくて。

けど、教室の中には人がいっぱいいて、少しうるさいくらいで。

私は机の上を見つめてた。

ぼーっと。

ただ、ぼうっと。

それから、周りの音が変わった気がして。

ちょっと顔を上げると、先生が入ってきたのが見えた。

先生の声が皆を静かにして。

私は机の上を見つめて、先生の話を聞いてた。

少し、ぼうっとしたまま。

先生の話はすぐに終わったから。

皆もすぐに騒がしくなる。

次の教室に行かなきゃいけないから、私はポケットから手帳を取り出して開いて。

時間割の項目を呼び出して。

「アヴェエ?おはよ」

って、呼ばれて。

どきりとしながら私は振り向いた。

眼鏡を掛けた女の子が私を見下ろしていて。

「お、おはよう、ございます・・」

アキィさんだった。

「次の授業行くんでしょう?一緒に行こうか。」

「あ、はい・・っ」

慌てて、私は手帳を閉じてポケットに仕舞いながら、鞄を持ちながら立ち上がって。

「いや、急がなくてもいいから」

アキィさんはそう困ったように笑って歩き出す。

鞄を手に持ったその背中を追ってくと、その先には見覚えのある、アキィさんの友達が喋っていて。

「おはよ」

「おはよー」

「おはよー、あ、おはよう」

私に気付いてそう言って。

「おはよ、ございます・・」

真っ直ぐ見てくるから、私はちょっと俯いてた。

「あぁ、えぇっと・・・」

「ん、なに、リョオ」

「転校生の、・・名前なんだっけ?」

少し困ったように、リョオさんはアキィさんに笑ってた。

「アヴェエよ。アヴェエ = ハァヴィ。」

「ああ・・っ」

「すっかり忘れてるみたいだね」

知らない人の声。

「ちょっと失礼だおね?」

えと、メイノンさん、は少し変な喋り方をする。

「もう覚えたと思ったんだよ・・っ」

「珍しいから忘れないでしょ・・?」

「ぁぁ、うん、さっき思いだしたさっき。」

「ぜったい嘘だよネ?」

「ねぇ~。」

「そんな事言ってないで行くよ、遅れるから」

知らない子がけっこういる。

「うーん・・・、まぁそんなとこだけどさ・・・」

リョオさんはそう難しい顔をしてて。

「・・あ、気にしないで。このリョオは記憶力が悪いだけだから」

って、アキィさんが私に言ってきたから。

私は頷いてた。

「名前を覚えるのが苦手なだけだよ・・っ」

「はいはい・・」

「・・なに、その反応、ルコロン・・」

「そういえばいつ来たの?アキィ」

「ん、ちょっと時間ぎりぎりに」

「運動が得意なんだからいいじゃない」

「あ、それだとなんか成績が悪いみたいじゃん」

「あれ?違う?」

「ススアが朝練だったの?」

「うん、起きた時にはいなかった」

「そっか」

「それで時間ぎりぎりならちゃんと時間セットして起きたほうがいいんじゃない?」

「そんなに悪くは無いでしょ・・っ?」

「確かに・・・赤点ぎりぎりだっけ?いつも」

「その通り、いやちがう・・っ、ぎりぎりは一個か二個だけだからっ」

「はいはい・・」

「ていうかみんな違う話して興味ないのが気になるんですけど・・っ」

「セットしてる、ちゃんと遅刻しないように来てるだけよ」

「ススアと一緒の時は早いのに?」

「付き合わされてるだけ」

・・・なんか、色んな話が入り混じってた感じだった。

私はみんなが話してるのを後ろでついていきながら、聞いてたけど。

「なに?名前を忘れられてたの、そんなにショックだったかい?」

って、振り向いて、皆の会話に入ってたメイノンさんが隣に来て。

「い、いえ・・・」

私は首を横に振ってた。

言われるまで忘れてたし・・、リョオさん?にちゃんと名乗ったわけじゃないし・・。

前を歩くアキィさんたちの背中についていきながら。

まだ少し白いような廊下を歩きながら。

隣のメイノンさんは何も喋らないでいて。

教室に着くまで私の隣で歩いてた。



アキィさん達の近くに座って、私は鞄を開けていて。

また少しちらりと見たアキィさん達も、鞄から机の上にノートを置いて。

開いてからは、少しぼぉっとしてるみたいだった。

お話をしてるのは前のメイノンさんと、その隣のルコロン?さんくらいで。

あとは、まだ名前の知らない子が時々2人に話してるくらいで。

他の子達は、少し騒がしい教室のお喋りの中を静かに待ってた。

隣のリョオさんは頬杖を突いて、少し眠たそうにしてて。

だから、私は目の前で少しずつ変わるノートの画面を見つめていた。

そうしていたら、いつの間にか先生が来て、授業が始まった。

授業中もアキィさんたちは静かにしていて。

先生の言う事を静かに聴いていた。

ずっと、先生の声が流れ続けた後。

鐘が鳴って、授業が終わって。

少しざわめきかけた教室に、先生の終わりの声で教室は騒がしくなって。

私はちらりと周りの皆を見てから、ノートを閉じた。

ノートを鞄に入れるメイノンさん達と、それから椅子を引いて立ち上がったアキィさんが。

「次は化学教室」

「んーむ」

誰かがそんな返事をして、皆立ち上がってく。

私も遅れて立ち上がって。

「アヴェエ、ここにいたのかぁ」

って明るい声が。

少し吃驚して、振り返れば、ススアさんが近くに立っていて私を見てた。

「・・・」

な、なんだろう、って思ってて。

「・・どうしたの、ススア」

って、アキィさんが言って。

「あのね、ホームルームの時いなかったから、来てないのかと思っちゃって。いて良かったぁ。」

「私が連れてきた」

「ふーん・・?」

「そうそう、遅刻しそうになりながらも」

「してないって・・」

「うん?アキィが?」

「うん、そうそう」

「違うって・・」

「私がいなくてもちゃんと起きれた?」

「お?おぉっ?」

メイノンさん達がなんか、嬉しそうに2人を見てる。

「・・あのね、誤解するような言い方はやめてよ」

「ん?」

「寝起き悪い疑惑がアキィにかかってんの今」

って、名前の知らない茶色の短い髪の子が嬉しそうで。

「えっそうなの?」

ススアさんはアキィさんを見て驚いてるみたいだった。

「あんたが一番よく知ってるでしょうが・・」

眉を寄せてるアキィさんが頭痛そうだった。

「あーうんー・・?言っていいのかなぁ?だめかなぁ・・・」

「おぉっなに、その発言?」

「意味シンー、イミシンーっ」

「・・なに?なにかあるの?」

「んー・・、寝起きのアキィのことばらしちゃっていいのかなぁって思って・・」

「ススア、教えてー」

「・・言わないで」

「えぇ、だってなんも無いんでしょ?」

「嫌な予感がする」

「・・・ススア、教えてー」

「ススア、早く・・っ」

「言っていいの?」

「ダメ」

「あのー、遅刻するよー?」

って、違う声がした。

皆が見たら、シアナさんが少し離れたところでこっちに声を掛けたみたいで。

シアナさんの隣にも、いつもいる友達の三人の子もいて。

「ああ、ころっと忘れてた」

メイノンさんがそう言ってた。

「・・ほら、遅刻するって」

アキィさんが小さなススアさんの背中をぐいぐいと押してシアナさんの方に押し出してく。

「あんま押さないでよー」

って、言いながら、ススアさんはシアナさんの横を通って押し出されてった。

それを鞄を持って追いかける皆がぞろぞろとついてく感じになって。

「私たちの事、忘れてたでしょう」

先頭の方でシアナさんがススアさんにそう言ってた。

「うん、ごめーん」

アキィさんと並んで歩いてるススアさんは、笑いながらシアナさんを見上げてたけど。

「・・・・・・んふふ」

シアナさんは笑ってるみたいだったけど、どんな顔をしてるのか少し気になった。

2人を見てるアキィさんの横顔が少し変だったから・・。



次の教室で、席が空いてなくて。

皆少し困ったようにしてから、ばらばらに別れて空いてる席を探して。

私はススアさんの方の人に誘われて。

ススアさんの前の席に座った。

ススアさんたちが笑いながら喋ってるのを聴きながら。

私はノートを静かに開けた。

ススアさんたちの楽しそうなお喋りは続いてたけど、先生が来て。

教室の人達が静かになる間に、ススアさんたちも気付いて静かになってた。

授業が始まっても、ときどき後ろから喋る声が聞こえてたけど。

私は先生の話を聞いてた。

そうして授業が終わって、席を立って、ススアさんたちに付いていって。

また違う席の位置に座って。

先生の話を聞いて。

終わったら移動して。

新しい教室に入って、先生の話を聞いていて。

授業が終わって、みんながまた騒がしくなって。

私はノートを閉じて鞄に詰めてた。

「ねぇねぇ、アヴェエは今日暇?」

って、隣のススアさんに聞かれた。

振り向くと私を見て大きな瞳を瞬きしていたから、私はすぐに目を戻してた。

「暇じゃないの?」

そう聞かれて、聞かれてたのを思いだした。

ひま、かわからないけれど。

予定は、無いけれど。

なんでそんなこと聞いてくるのかわからなくて。

「・・無理して誘わなくてもいいんじゃない?」

って、ススアさんの隣のシアナさんが言ってくれて。

「えぇ?無理なの?」

「・・・私に聞かないで」

にっこりと、シアナさんは笑顔を貼り付けてたみたいだった。

ススアさんは振り向いて私に。

「この後、街に遊びに行こうって、みんなで話したんだけど。一緒に行かない?」

って。

このあと・・。

このあと・・・、って。

・・あ、今日は、もう授業、終わり・・・。

「・・行かない?」

って、ススアさんが聞いてきて。

私は、首を横に振ってた。

「あれ・・、行かない?」

なんか、いきなり、寂しそうな声が聞こえて。

「ご、ごめん、なさい・・」

「いやー、あは・・。・・やー、アヴェエがつれないー」

って、ススアさんはシアナさんにくっ付いて。

シアナさんはそんなススアさんの頭を見つめてて。

それから、ススアさんの頭を胸に。

「・・そうね。けど、仕方ないよね?そうでしょ?」

「うーんー・・・」

なんか、シアナさんの、ススアさんの背中を見てる顔は、ご満悦って感じだった。

「良い子ね・・、ススアは良い子だから好きよ」

って。

「うんぬぅ、私もシアナ好きー」

「・・うーん・・・、ちょー可愛い・・っ」

なんか、抱き着くススアさんをぐりぐりしてるシアナさんで。

そのまま、そんな会話を続けてる2人に。

気付いたら、前に座ってたキャロさんやエナさんたちは笑ってて。

私に気がついてまた笑ってた。

私はよくわからなかったけれど。

まだ胸の中の頭を撫でてるシアナさんと、気持ち良さそうに撫でられてるままのススアさんは。

「いつものことだから」

って、エナさんがこっそり、小さい声で教えてくれた。

とりあえず、キャロさんたちが2人を放っておいて話してて。

それからキャロさんが大きな声を出して皆を立たせるまで、シアナさんとススアさんはずっとくっ付いてたみたいだった。

でも、ススアさんも、シアナさんも顔が赤いのが少し気になった。




廊下で、ススアさんとエナさん以外とはさよならして。

私はススアさんとエナさんの隣に付いていく。

少し騒がしい学校の廊下を私は歩いていて。

二人も寮に一回帰るって言ってたから。

「ふんふんふん・・っ、アヴェエやっぱり行かない?」

って、ススアさんに聞かれて。

私はどきっとして首を横に振ってた。

「そっかぁ・・」

「あまり何回も言わない方がいいんじゃない?」

エナさんがそう言って。

「あぁー、うん。しつこい?」

「しつこいわけじゃないけど・・」

「またシアナに言われそうだね。シアナが聞いてたら」

「あとで言おうかな・・」

「あ、ダメー」

「ふふ・・っ」

「さっきもなんか怒ってたんだからぁー・・」

「シアナ怒ってたの?」

「たぶんそうだよ。それに、シアナ、力強くて暑かったぁ・・」

「あはは・・、アヴェエ、凄く驚いてたみたいだったよ」

「ん、そうだった?」

って、ススアさんは私を見たみたいで。

「シアナは私のファンなの」

「あはは」

「ふっ、あはは」

ススアさんとエナさんは笑ってたみたいだった。

「で、アヴェエほんと行かない?」

ススアさんが私に聞いてきてて。

私は少しどきりとして、床を見てた。

「ご、ごめん、なさい・・」

「うーん・・、謝らなくてもいいんだけどね。」

「また今度行こうね」

「・・まぁ、仕方ないかー」

って、ススアさんは少し残念そうだった。

後で行くって言う、街のお店の話とか、ススアさんとエナさんはそれから楽しそうに話してて。

歩いてる床はもう学校の廊下から寮の廊下に変わってた。

寮の廊下を歩いてる制服の子はけっこう多くて。

私は寮の廊下の床を見つめてて。

「あれ?ススアの部屋ってこっちだよね?」

って、エナさんの声が聞こえた。

どきりとして立ち止まったら、隣にはススアさんがいて。

エナさんがちょっと後ろで止まってこっちを見てた。

「アヴェエの部屋に行ってみよっ」

って、ススアさんは笑ってた。

「あ、じゃ私も」

エナさんも笑って。

「あ、いいよね?」

って、エナさんに聞かれて。

私はこくこくと頷いてた。

気がついたら、少し、見覚えのあるような、見覚えの無いような感じの廊下の道を。

なんでか忘れそうになってる道をきょろきょろして、私は少し道を探してた。

廊下の先がどこに繋がってるのかも思い出せなくなってる気がして。

「まだ慣れてないのかな」

って、エナさんとススアさんが話してたのが聞こえた。

「番号いくつ?探してあげるよ・・っ」

ススアさんはそう言ってた。

私はどうしようかと思ってたけど。

廊下の先は、忘れてはいないはずで。

私を見てたススアさんに首を横に振ってた。

それから歩いてくと、部屋を見つけて。

私は扉の前で立ち止まった。

「・・あ、あの。ここ・・」

「ここ?なんか・・立派だね・・?」

「普通と違うみたい・・?」

ススアさんとエナさんは、扉を見上げて驚いてるみたいだった。

「・・?開けないの?」

って、それからススアさんに言われて。

私は少し慌てて、鞄の中の鍵を探し始めた。

探している間もじっと見られてる気がしてて。

鞄の中の手が当たった、冷たくて固いそれを握って。

鍵を扉の錠に差し込む。

がちゃりって、鳴って。

「開いた・・」

ススアさんの、後ろで呟いたみたいな声が聞こえた。

ノブを捻ってドアを開けたら、中は静かな、変わらない私の部屋。

私は、部屋の中を見回して。

止まって。

振り向いて。

ススアさんとエナさんが、部屋の中を見てたのを、私に気付いて、私を見て。

一瞬だけ、目が合ったら、私は視線を落としてて。

「・・あ、帰ろうか、部屋わかったし・・」

エナさんがそう言って。

「そだね。」

ススアさんは頷いたみたいだった。

「じゃねぇ、今度遊びに来るからね」

って、ススアさんは私に。

「ばいばい」

エナさんも。

「はい・・」

一瞬、ちらりと見えた、二人の笑ってる顔に。

私はこくこく頷いてた。

離れてく制服のススアさんとエナさんの後ろ背中を見てて。

「シアナすぐ怒るから・・」

って、少しだけ話してるのが聞こえるのを。

私は扉の隙間から部屋の中にそっと入って。

静かな、私の部屋を見回して。

扉が閉まった音を聞いて。

私はほっと、息を吐いてた。



部屋の中は静かで、ぼうっとしていると耳が少しおかしくなったように感じてくる。

部屋の外からは、ときどき誰かの声が聞こえたりするけど。

部屋の中で音を出すものは無かった。

私が少しだけ動くと、服が擦れたり、息が聞こえたりするだけで。

私はときどき目を瞑って。

少しぼおっとして。

目を開けて、テーブルの上の何も無いところを見つめて。

それから、ときどき壁際の棚のほうとか見て。

またテーブルの上を見ながらぼうっとしてると、瞬きをしてて、目を瞑ってて。

静かな、夜みたいに、何も無い闇のような中で、静かに息をしてる。

心地よくて、気持ちよくて。

ぼうっとしてた。



****

テーブルの椅子の上に座るアヴェが、少しだけ身じろぎして、アヴェのスカートが揺れ椅子が小さくぎぃって鳴る。

音の僅かにアヴェは聞こえていないように、そのまままたうっすらと開いた目を瞑る。

今日は朝から何も無い日。

ココさんに言われて。

朝ご飯を食べた後は、お昼ご飯を食べる時間までこうしていて。

思いついてノートを開いて、ニュースを見たり、お気に入りの動画が更新されてないか見てみて。

それもすぐに終わったあとは、ノートを閉じて、なんとなくテーブルの椅子の上に座っていた。

ぼうっとしたまま、部屋の中を見つめてた目も、時に閉じられていた。

あと、どれくらいで、お昼ご飯を食べに行かなきゃいけない時間なのかも、もう忘れて。

学校に行かなきゃいけない日が続いてたので、とても落ち着く時間が久しぶりで。

何もしてなくていい日は、とても、ぼうっとして、眠くなる。

ときどき、椅子の上で身じろぎするアヴェの音と、それから風の通るような音、廊下の音を聞きながら。

アヴェは目を瞑って、静かな部屋をずっと聞いていた。

固い音が響いた。

何も無い部屋の中で。

アヴェは薄く目を開けて、僅かにどきどきと鳴り出す心の音を感じながら、息を潜める。

静かな部屋の中では何の音もしない。

こんこん、とノックの音がまたした。

アヴェは顔を上げて扉の方を見た。

扉の外に誰かが来ているから、アヴェは息を吸い込んで、声を出す。

「はい・・・?」

けれど、入ってくる気配が無い。

ココさんなら、いつもはすぐに部屋に入ってくるのに。

少しの間、アヴェは扉の方を見ていたけれど。

3回目のノックの音を聞いて。

アヴェは椅子から立ち上がっていた。

扉の方へと歩いていくアヴェは少し恐れている。

誰が来たのか。

ココさんかもしれないけど、ココさんじゃないようだし。

歩いていく間にも扉の向こう側で誰かが話してる感じで。

扉の前に着いてから、ちょっとの間考えたようなアヴェは手をノブの方へと伸ばそうとして。

不意にがちゃっと、ドアノブが動いて、扉が開いて隙間ができる。

「あぁ、勝手に開けたらダメ・・」

「開いちゃったんだもん~・・」

って、ドアが開いてくと。

顔を覗かせてきた、その金髪の頭の背の低い・・。

「・・ぉぉ・・・っ」

感嘆のような小さな声が聞こえてきた。

そしてその目が、アヴェのお腹辺りを見つけて。

アヴェは見上げてきた、ススアと目が合った。

「あっ、アヴェエだ」

って、驚いたような顔をしてたけど。

「・・・」

暫し、アヴェは目を瞬かせていて、ススアと見詰め合う。

扉の向こう、ススアの後ろではなにか騒がしくなったようだが。

「あーのー・・、」

と、ススアがアヴェに言う。

「入っていい?」

アヴェはまた少し目を瞬かせたが、それからこくこくと頷いていた。

「ありがとー、入っていいって」

って、アヴェに後ろ頭を見せて、後ろに向かって言ったススアに。

「っじゃ、おっじゃま~」

聞き覚えのある声が返ってきた。

すぐに、扉がもっと開いて。

小さなススアと、メイノンがアヴェの横をすり抜けて部屋の中へと素早く入っていく。

アヴェがそれを首を動かして目で追いかけて。

2人が部屋の中できょろきょろと面白そうに見回してる後姿を目を瞬かせて見ているのであって。

それから気がつくと、アヴェの隣には少し背の高い少女、アキィが立っていた。

アヴェは吃驚したように眉を上げていて。

アキィは部屋の中を見ていた目をアヴェに向けて。

「入っていいの?」

って聞いてきて。

「は、はい・・」

アヴェはまた何度かこくこくと頷いてた。

「お邪魔します」

アキィはそう言って、2人のところへときょろきょろしながら歩いてく。

というか、既にススアとメイノンはばらばらに部屋の中を珍しげにして散らばっているが。

「おじゃましま~す」

って、遅れて部屋に入ってきたエナにアヴェは目を向けて。

すまなさそうに笑ってアヴェを見ているエナに、アヴェは目を瞬かせながら。

「い、いらっしゃい、ませ・・・」

と、かろうじて、搾り出していた。

エナは柔らかく笑っていて。

アヴェは気付いて、扉の外を見たが、もう他にお客様はいないようだった。

もう一度、アヴェはエナを見るが。

エナも部屋の内装をきょろきょろと見回していて。

既に部屋の中で暴れまわってるようなススアとメイノンを注意してるようなアキィで。

そんな彼女達の様子をまだ目を瞬かせて見ているアヴェに。

エナが振り向いたのに気付いて、アヴェは少しばかり顔を俯かせた。

「だいぶ違うんだねぇ、アヴェエの部屋って。私たちの部屋より」

「・・・」

そう言って、俯いたまま反応の無いようなアヴェに、目を離してエナはまた周りをきょろきょろとしていた。

とりあえず、アヴェは開いたままの、廊下の方から丸見えの扉をぱたんと閉めておいた。



「うわぁー・・、なんかいいなぁ」

「なにこれ、こんな部屋あっていいんですかね?」

「私たちの部屋と違うね・・、あ、こら・・っ、勝手にベッドに座っちゃダメでしょ・・っススアっ」

「ベッドはあんまり変わんないかもしんないー」

「はいはい、わかったから・・」

なんか、とても自由に動き回ってるススアとメイノンとアキィの3人を、部屋の壁際の端っこで見てるアヴェで。

その隣のエナは少しばかり呆れたような、苦笑いを浮かべて時折アヴェのまだこの状況に追いつけていないような横顔を見ていた。

「あぁっ、なにこれ、これ天窓?天窓って言うの?太陽の光も入るようになってるんだ!?」

「えっ、ほんとっ?見して見してっ」

「ススア、走らないっ、人の部屋でっ」

と、エナもエナで、面白そうに色々なものを見つけている3人をたびたび気にせずにはいられなく。

3人が寄り集まって、日の光の当たる床の上に立ってるのを見つめているその横顔は少し羨ましいのかもしれない。

それから、はっと気付いたように、エナはアヴェの横顔を見るが。

アヴェはその3人のはしゃぎっぷりをまだ目を瞬かせて見ていた。

「み、みんな、珍しいみたいだね・・?」

って、エナに言われて。

アヴェはエナを見て、それから少しばかり俯かせた頭でこくこくと頷いて見せて。

「はしゃぎすぎだよね、ごめんね?」

って、アヴェは首を横にふるふると振って。

「ねぇっ、天窓って開けられないの?」

興味津々に目をきらきらさせて上を指差しているススアで。

上から日が差している天窓は、アヴェが今まで気にした事も無かったものなので答えようがなく。

「・・わ、わかんないです・・・」

小さな口に、アヴェがそう言って。

ススアはまだ興味津々に目を瞬かせて見ている。

「わからないんだってー」

って、隣のエナがススアに言って、それからススアは少し残念そうな声を出すのだった。

「えー、そうなんだー」

そう少し投げやりに言ったススアはまたメイノンと一緒に天窓を見上げた。

アキィがそんな二人から離れて、周りを見ながらアヴェたちの方に近付いてきているのを。

それを見つけたアヴェは、アキィの目と合ってどきりとして視線を落とし。

「・・・」

アキィがそんなアヴェを眼鏡の奥から見ていた。

「いきなり来てごめんね、アヴェエ」

アヴェはアキィの言葉を聞いて特に頷きも首を振りもしない。

そんなアヴェを見ていた目を離し、アキィは隣のエナを見る。

エナは肩を竦めたように、苦笑いのようにしている表情を見せるだけで。

「広くて良い部屋よね、ここ」

アキィはまたアヴェにそう言った。

反応の特に無いアヴェなので、それから目を離してまた辺りを見回すアキィで。

アヴェはそんなアキィを少し盗み見るようにしていたみたいだった。

時折、それに気付いて、アキィがアヴェに目を向けるが。

アヴェはそれに気付けばすぐおどおどと目を彷徨わせて。

最後には俯く。

そんなアヴェを見ていたアキィはやはり何も言わなかった。

「ねーねー、なんかお話しよー」

ススアの声に気付いて、アキィもエナもそちらを見ればススアはテーブルの傍の椅子の背もたれに手を置いていて。

同じくその傍にいるメイノンと一緒にこっちを見ている様子は、そろそろ部屋の観賞も飽きたようで。

「ほんと元気だな、ススアは・・」

アキィは呟くようにエナやアヴェに聞こえるように言って。

「椅子足りなくない?」

アキィはテーブルの方に歩いていく。

「・・自由すぎるよねぇ」

エナはそう、テーブルの辺りの方を目を円くして見ているようなアヴェに言ったようだった。

アヴェは頷きもしなかったけれど、肯定しているような感じだった。



いつの間にか持ってきていた勉強机の椅子に、部屋の隅にずっと置いてあったテーブルのと同じ椅子で囲んで全部で四つ。

きょろきょろと、他に椅子になるものが無いか探してるメイノンやアキィで。

一応テーブルの傍に来た、なんか不安げに見えるアヴェに、エナもアヴェの隣を離れテーブルの周りで首を回している。

「座って座ってっ」

って、ススアが皆に言っていて。

「一つ足りないよ?」

メイノンがそう言うのを、ススアははっきりと言うのである。

「いいから座ってっ」

ススアの言うとおり、空いていた席に座っていく彼女達で。

そんなエナの隣に来たススアは椅子に半分座らせてもらってエナを見て笑うのである。

微笑み返すエナを見ていたアキィはそれからテーブルの周りを見回して。

「なんか姉妹みたいだねぇ」

って、メイノンはススアとエナに笑っている。

「そんな風には見えないでしょ」

と、ススアは過敏に反応していたようだが、隣のエナは笑っているだけで。

「あ、お茶とか、無いかなぁ?」

メイノンはそれからアヴェの方に顔を向けて。

アヴェはいきなり話が回ってきたのを驚いたみたいに目を逸らしつつ、首を横に振って。

「・・な、ないです・・・」

思い出したように呟く声は隣のエナやアキィが聞こえれば良いほうだったかもしれない。

「無いか」

あっさりと言って、メイノンはきょろきょろと部屋を見回している。

「あってもいいような雰囲気だからねぇ」

って、ススアも頷いていた。

「紅茶とか、ティーポットとか、その辺に隠してあったり」

メイノンもそう言ってススアたちと笑ってて。

「隠さなくてもいいでしょ?」

そうエナも笑いながら二人に言ってて。

目を円くして見ているようなアヴェにアキィは言ってあげる。

「寮の子で部屋にポット置いてる子も多いから、お茶したりするんだ。」

「そうそう、お茶はおっけぃだから、規則には引っかからないんだよ」

メイノンもそう言って。

「私の部屋にもあるからね。今度来なよ」

って、ススアがアヴェに笑顔を見せる。

「ススアはお茶にお菓子の収集もしてるからね」

「いっぱいあるよ、昨日も補充したし」

「街に行くと増えるからね、狙いドキ」

メイノンはアヴェに教えてくれたようだ。

「あ、お菓子は規則違反だから。他の人には言わないで」

って、エナがアヴェエに言って。

「でもけっこう緩い感じじゃない?」

「だいぶ大目に見てもらってるよ。この前もスタッフの人に見つかってたし。でも何も言われてなかったみたい」

「あ、あの時は吃驚したねー?」

と、驚いたのを思い出したようなススアに。

「あんたかい」

メイノンはそう笑ってた。

エナも笑っていて。

それでもきょとんとしたように見ていたアヴェに。

アキィは笑んでいた口元を戻していて。

「えぇっと・・・。」

と、少し考えてみている。

すると、ススアの声がアヴェに向かっていて。

「アヴェエはいつも何してるの?」

そう聞かれて、アヴェは俯かせていた頭をぴくりとも動かさない。

と思ったら僅かばかり捻ってみている。

「もしかして何もしてないの?」

ススアは驚いたようにアヴェに目を円くしていて。

それでもまだ考えてるように動かないアヴェである。

「いやいや、そんなわけないですって姉さん」

メイノンが妙な言葉遣いでススアをとりあえず宥めていた。

「うん・・・?」

不思議そうなススアの視線がメイノンに向けられるのであって。

「暇だったら私達の所に来ればいいよ」

エナがそうアヴェに言っていた。

「あ、そうそう。それがいいね」

「うん、いつもみんな私の部屋とかにいるから。暇だったら遊んであげる」

「は、はい・・・」

アヴェがこくこくと頷いているのを、ススアは目元を細めていて。

それから、4人はなんとなくと、部屋の周りに目を向けてきょろきょろと。

なんとなく、静かな時間が流れる。

着てから日が浅いからなのか、部屋には面白そうな目ぼしい物など一つも置かれていないので。

いつも何してるのか、というのも彼女達のやはり素朴な疑問である。

「・・うーん・・」

と、メイノンが唸ってみたりしていて。

「勉強とかは大丈夫?」

アキィがアヴェに聞いてみる。

「は、はい・・」

「そう・・。ここで不自由な事とかはある?」

「い、いえ・・」

同じ様な返事が返ってくるだけであって。

皆の顔を覗くエナは・・・。

「・・・そろそろ帰ろっか?」

エナがそう、言って。

「そうしよっか・・?」

メイノンも他の二人をきょろきょろと見てる。

「うん・・」

ススアが頷いていて。

頷いたアキィも立ち上がるのを、皆も順に立ち上がっていく。

「いきなりお邪魔してごめんね・・?」

エナがそう、座ったまま俯いたままのアヴェに伝えて。

アヴェは首を横にふるふると振っていたけれど。

「あ、私の部屋は510番だからね。いつでも来ていいよ」

去り際にススアがそう掛けたのを。

「は、はい・・」

アヴェは頷きながら立ち上がって、皆の後をついて扉まで歩いていく。

「んじゃお邪魔様~」

と、メイノンが扉の向こうに。

「またね」

「ばいばいー」

「ありがとうね」

エナがススアがアキィが、続いてそうアヴェに伝えて。

扉の向こうの廊下へと、それから最後にアヴェを見て。

ススアとメイノンはアヴェに手を振っていて。

アヴェは軽く会釈するようにして。

4人が他の人が歩く廊下を行く背中を見ていた。

それから静かに扉を閉めて。

扉の音がした後は、静かな部屋に自分だけが残される。

部屋の中からは何も聞こえない音。

暫く、それを聞いていた。

テーブルの方では、4つの椅子がさっきの時間のまま置かれている。

アヴェはそれを暫く見つめていて。

それから、歩き出す。

テーブルの、椅子の横を通って。

ベッドの方に。

柔らかいベッドの端に腰を下ろして。

少し身体を揺らして。

テーブルの方を見ていた。

今は誰もいない、それでも人がいた跡。

テーブルから少しずれた椅子が立ち上がった跡のもので。

さっきまでの、あの子達の雰囲気が残ってる気がしていた。

なんでここへ来たのかわからないけれど。

楽しそうにしてたみたいだった。

ぼうっと、してきたアヴェの目は。

それから、身体を大きく傾ける。

静かな、音の無い部屋で。

ぼす、と音が立つ。

布団の中に埋まったアヴェの黒い瞳はまだテーブルの方を見つめ続けていて。

ずっと、ずっと、細めた瞳のまま見つめ続けていて。

いつの間にか、うっすらと開いていただけの目は閉じられていた。

それから、睫毛が動く事は無く。

ベッドの上で、アヴェの細い肩が静かな寝息と共に動くだけだった。



****

目が覚めて、部屋の中はもう少し明るい。

少し動かない身体。

ぼうっと、上から日の差し込むテーブルの方を見ていた。

白いブラウスのシャツに着替えて、それから。

まだ少しすぅすぅする感じが慣れない、いつもより短めのスカートに。

裸足の脚に黒いストッキングを通して私はベッドから立ち上がる。

ブラシを取りに行って、髪の毛を梳かしている間、目に入ったテーブルの、昨日から集まったままの椅子のあるテーブルの方をずっと見てた。

4つある椅子は、テーブルの周りで、まだ人が座ってたみたいに。

そう見えた。

歯を磨いて顔も洗ってきたあと、鞄を持って部屋の中に忘れ物が無いかを見て。

廊下に出て。

扉の鍵を閉めて。

大きな声で話してる子達の中を歩いて、食堂に着いて、少し探してみればココさんがいて。

立って待ってたココさんは私のほうに歩いてきているから、私もココさんの方に歩いていく。

ココさんは目を細めて笑っていた。

「おはよう。」

「おはよう、ございます・・」

ココさんを見上げてたのを、ココさんの足元を見て。

「ちゃんと来たわね、偉いわ」

そう、ココさんは笑ってて。

「・・ちょっと髪が跳ねてるわね」

って、私を頭を動かして見てた。

「ん・・、後で直しましょ、水つければすぐ直る」

そう言って、配膳の方に歩いてく。

私はココさんの後ろを追いかけて並んだ。



ご飯を食べた後、ココさんの櫛で梳かされて。

手を振ったココさんにさよならして、私は廊下を歩いてる。

白くて少し眩しいような広い廊下で、たくさんの制服の子たちが楽しそうに話しながら歩いてる。

私は少しだけ顔を上げて、周りの子達の向こうの、教室までの道が合ってるかを見て。

それから、遠くの光が少しだけ映ってる床を見つめていた。

歩いてれば、教室は、いつもみたいにそこにあった。

教室に入れば、席は半分くらい空いていて、早くに来た人達は集まって喋ったりしていて。

「アヴェエ、おはよー」

って、聞こえたから、少し驚いて探してみたら、あっちでススアさんが笑って手を振ってた。

遠かったから、私は会釈して。

それから、端っこの、近くの席に鞄を置いて、椅子を引いて座った。

それから、先生が来るまではやる事が無いから。

私はぼうっと、机の上の鞄を見ていた。

先生が来てから。

先生の話を聞いていて。

他の人が立ち上がる音に、気付けば先生の話が終わっていたから。

騒がしい部屋の中を立ち上がって、私は鞄を持って部屋の外に出て行った。

廊下も、人がもう騒がしくて。

その中を歩いてて気付いて、私はポケットから手帳を取り出した。

行く所がわからなかったから、手帳を開いて調べて。

手帳の文字を目で追って、少し驚いて立ち止まって。

読み終えた手帳を閉じてポケットに仕舞って。

行こうとしてる方向と逆だったのがわかったから。

私は横に後ろに人がすぐ傍にいないのを首を回して見てから、振り返って。

今来た方に行く人の流れについて行った。



空いてる席に座って、ノートを開いて。

少し待てば先生の授業が始まる。

テキストの通りに、私の知ってる事を話してるとわかりやすくて。

私は先生の話を聞きながら、ノートに出てるテキストを目で追って。

ときどき、テキストとは違う話をし始める先生の言葉がおかしくなって、わからなくなってくる。

ぼうっとしてると、いつの間にかまたテキストに戻ってるから。

私はまた先生の話をテキストで追う。

手を上げて答える子たちの答えが間違っていたり、合っていたりしてるのを聞きながら。

そういうことを繰り返して、授業は終わってく。

たぶん、三時限目の終わりに。

皆が騒がしくなった中で、ノートを鞄に仕舞ってると、ススアさんが私の名前を呼んできた。

「アヴェエ?」

聞こえて、少し驚いてすぐに振り向いて。

「一緒に行こうよ?」

ススアさんとエナさんが傍に立ってた。

鞄を持ってて、私を誘いに来てくれていただけみたいだった。

一瞬、ススアさんの不思議そうな顔を見て、私はこくこくと頷いてて。

まだノートを入れてないのに気付いて慌てて入れて、それから立ち上がって。

エナさんの後ろ背中が行く方、ススアさんが振り返って待ってる方に、いつも一緒の2人の子が入り口近くで立って待ってたみたいだった。

私がそこまで行くまでに、エナさんとススアさんがその子達の所に着いて、何かの話をしてて。

顔を上げた私に気付いたみたいな、その少し背の高い髪の長い・・その人は、それから振り返って教室を出て行くのを、みんな追いかけた。

廊下で、他の人達が歩いてる中で、お喋りに笑いながら歩いてるのを。

どう考えてみても名前が思い出せないその2人の、後ろ頭と横顔を見てた。

ときどき、目を細めて微笑む表情が優しいその人は、ススアさんと仲の良い・・、でも名前がやっぱり思い出せなかった。



食堂で、楽しそうにお喋りしてるのを聞きながらお昼ご飯を食べて。

教室で少しぼうっとした後、授業を受けて。

それから全部の授業が終わったら、学校から帰る時間になって。

クラブがあるから、ってススアさんたちは手を振って私にさよならして。

「はい・・」

そうちゃんと頷いて、ススアさんたちが教室から出て廊下を行く後ろを見てた。

廊下は人がいっぱいで、向こうにいなくなって。

向こうを見てる、ドアの傍で立ってた私を、少し見てくる人達がいるのに気付いて。

私は俯きながら逆の方に歩き出した。

寮のある方。

学校が終わって帰る方。

そっちに歩いて行った。

制服を着た人達がいっぱいいる中を歩いてた。

両手に持った薄い鞄は少し重い。

窓の外はまだ明るくて、緑の木の葉のある景色が濃くて。

今日は青い空が広がってた。

廊下を歩く人達にぶつからないように、足元に目を戻して。

歩いてた。

もう少し、人のいない所に、って思った。

静かに歩いてると。

歩くのに合わせてスカートがゆらゆら揺れるのを感じてるのに気付いて。

両手で持った鞄で前の方を押さえてるようになっていたから。

後ろの方が動くのが気になったまま、少し歩いてみていたけど、やっぱり、鞄を持つのを片手にして横に手をつけてみたりして。

けどあまり変わらない感じで。

後ろを直接押さえても、なんか、目立つ気がして。

結局、両手で鞄を持って、少し揺れるスカートの後ろを感じながら。

さっきより、少しは人の少なくなってる学校の廊下を歩いてた。

足元の、黒いストッキングの足とこげ茶色の靴の爪先が、見え隠れしてるのを、見つめてた。



静かな、寮の、私の部屋を開けて。

朝に出て行ったときから、何も変わってない部屋、少し見回して。

扉を閉めたら、テーブルに鞄を置いて。

クローゼットから服を持ってきて、制服から着替える。

ハンガーに掛けた制服を仕舞って、クローゼットを閉じて。

それから。

やる事は全部無くなった。

テーブルの方では4つの椅子が周りに置いてあって。

それを見てて。

それから、私のベッドの方に歩いて。

掛かってる布団の上に、ベッドの端に少し弾んで、座って。

それから。

それから・・。

ぼうっとしてると。

目が閉じかけていて。

目を瞑ると、少し気持ちよくなる。

だから。

だから・・、目を瞑ってて。

・・静かな音に、少しだけ目が覚めて。

何も動いてない、部屋の中を見て。

何かの影を見ながら、目を閉じていて。

ベッドの上に身体を傾けて乗せて。

少し弾む、柔らかい感触に頬を擦り付けた。



****

ココさんが来るまで。

たぶん、目が覚めるまで、ずっとそうしてた。

お風呂に入りなさい、って言うから。

眠いまま、支度して、ぼうっとしたまま、お風呂に行ってきて。

温かいお湯で頭を流したりしてたら、目が覚めてきてた。

濡れた頭を、タオルで拭いてると、ドライヤーは部屋にあるのを思い出して。

少し、鏡の中の黒くて長い髪を見つめてて。

他の人も着替え終わっていくから。

後ろの髪をタオルで包んで、なんとか、服が濡れないようにして廊下を歩いて帰った。

先が少しだけバスタオルから出てたのを手で持ちながら、濡れないように。

部屋で、熱くしないようにドライヤーの風を当てて、ゆっくり髪を乾かした。

約束の時間、夕ご飯を、ココさんと一緒に食べて。

それから部屋に帰ってきたら歯を磨きに行って。

それから、ノートのパワーを繋いだままにして。

それから、ぼーっとしてると眠くなってきたから。

灯りを消して、ベッドの中に潜って。

枕の上に頭を乗せて。

薄明るく見える、暗がりの天井に目を閉じた。



****

窓の外がとても明るい。

緑の葉っぱは日の光を光沢で返していて、遠くの黄緑色の芝もとても綺麗な色だった。

青い空の、白い太陽の光は強すぎるくらい輝いていて。

外は綺麗だけど、とても熱そうだった。

それでも外の舗装された道をを歩いてる人達はたくさんいて。

どんっ、て衝撃に、私は吃驚する前に、私は立っていなくて。

急な、何が起きたのかわからないまま、上を見たらこっちを見てる、制服の男の子たちがいた。

私を見てるその視線に、大きくどきりとしたのを感じた。

何人も私を見てるのがわかったら、喉の奥が苦しくなって、私の身体中が固まったみたいだった。

「なんで立たねぇの?」

男の子達は顔を合わせて不思議そうにしてて。

「あっちからぶつかってきたよな?」

一斉にこっちを向く。

私は、見られてて。

私は転んでて。

私がぶつかったらしくて。

私が悪いなら。

私は謝らなくちゃいけなくて。

でも、男の子達はたくさんいて。

こっちを見てて。

私は。

私は・・、じわりと、瞼が熱くなってきてるのを感じてて。

「あれ、泣いてない?」

「なんで?」

泣きそうになってたのに気付いて。

私は息も我慢して顔を下に向けて。

泣かないように、我慢してた。

喉の奥から込み上げてくるものを漏らさないように。

けれど酷く悲しい気持ちになるのが止め処なくて。

私は床に座ったままで。

他の周りの人達の足元も目に入ってきてたから。

沢山の人に私は見られてる。

地べたに尻餅を着いた格好の。

そう思うと、鼻を通る息にも、胸が大きく震えた。

「ちょっ、なにやってんの・・」

違う、女の子の声がした。

「ん・・?どうしたのアヴェエ・・?」

声が近付いてきて。

眼鏡の、アキィさんの目が私を見てた。

「なにしたの・・?」

不機嫌そうなアキィさんの声が向こうに向けられてた。

「いや、なんも・・」

「あいつがぶつかってきたんだよ」

「ほんと・・?」

「ほんとだよ・・」

「聞けよ」

「・・ほんとにぶつかったの?」

声が向けられて。

私は勝手に歪む顔を見せないように、頑張って何回も頷いて。

「・・なんかそうは見えないんだけど・・・」

アキィさんはまた顔を上げて男の子たちに言ったみたいだった。

「いやいやいや、まじだって・・」

「おい、どうした?なにやってる」

大人の人の低い声がして。

「あ・・?何があった?」

「いや・・、なんも・・・」

「そうなのか?」

「私・・が来たときにはもう、こんな感じでしたけど・・」

「そっちの子は、大丈夫か?」

「ぁぁ・・、えっと、たぶん・・」

「ん?怪我でもしてるのか?」

「いえ、・・泣いてるみたいだから、その・・、あの、あまり・・」

「・・わかった、とりあえずお前らも、来い」

「えぇっ、なんで」

「ほんとに勝手にぶつかってきただけだぜ?なあ?」

「ああ、はい、そうっす」

「話は聞くから、とりあえず移動させてくれ」

「意味わかんないっすよー」

「後で聞く、そっちの子は立てそうか?」

「えっと・・、はぁ、じゃあ私が連れていきます」

「こっちだこっち、お前ら全員ついてこいよ?」

「・・なんで俺達が」

「ったくよぉ・・」

声が、足元が離れてくのを。

「アヴェエ、立てる?」

アキィさんの声がまた近くなって。

私は顔を見せないように、こくこくと頷いてて。

「ほら、捕まって」

差し出された手に、手を置いて。

力強く引っ張られて。

立ち上がった私を、手を引っ張って連れて行く。

涙で濡れた顔を俯かせて。

片手は重い鞄を持ってるから。

顔を隠す事も、拭く事もできなくて。

周りの人はきっとみんな見てるから。

涙で滲んでて、何も見えないから。

手を引っ張る強い力だけに私はついていく。

目元から離れてく感触が。

目から溢れてるたくさんの涙が。

熱くて、また溢れて、落ちていってた。



****

一時限目の授業が始まる前の、休み時間の間に。

他の制服の子達もまだ歩いてる廊下をアキィとアヴェは歩いていた。

アキィは時折、隣を歩くアヴェの頭を見てみるが、俯かせたままの顔はよく見えず。

もしかすればまだ泣いているようなアヴェのふとした仕草を見ては、ただ何も言わずに正面に顔を戻す。

途中でハンカチで顔は拭かせた。

何も話してはいないし、話せるような雰囲気じゃないのは確かなようで。

教室に着くまで、ずっと2人は無言で一緒に歩いてた。

アヴェは顔を俯かせたまま、一度も上げる事は無かった。

一時限目の授業の教室に着いて。

教室に入る前にアキィが立ち止まると、アヴェもその隣で立ち止まった。

大人しい様子のアヴェの仕草、そのまま、アヴェはアキィの顔をちらりと見上げたようだった。

一瞬、目が合うとアヴェはすぐに視線を落として顔を俯かせるが。

その少し赤い瞼の目に涙の跡は無いようだった。

アキィはアヴェの頭から目を離し、教室へ入っていく。

それをやはり追いかけてくるアヴェを目の端に辺りを見回した。

元気な、騒がしい教室の雰囲気の中で立ち止まって。

それから、歩き出して、離れてく。

騒がしくて、元気な人達の教室。

私は鞄を持ったまま、空いてる席を探そうと周りを見回して。

「アヴェエ、こっち」

少し離れた場所でアキィさんが私を振り向いてて、立ち止まったまま呼んでいた。

私はそれを見つけて、少しどきりとして。

私は、アキィさんの方に歩いて。

歩き出したアキィさんの後ろに付いていく。

幾つもの席の間を通り抜けて行って。

「よっほぅ、アキィ」

って、声が聞こえた。

「おはよ」

アキィさんが足を止めて挨拶したのはメイノンさんたちの、友達の固まってる席の場所で。

「おはよー」

「おはよ、いつもより遅いね。一緒に遅刻?」

「アヴェエと一緒に?あ、おはよーアヴェエ」

いきなり呼ばれたから、少しどきっとした。

「お、おはようございます・・・」

「やっぱりススアが朝練だとダメか」

「そういうんじゃないって・・」

近くの、空いてる席に座ったアキィさんの、隣の席に座った私は鞄からノートを取り出してて。

「なんでアヴェエと一緒なの?」

「ん?」

って、アキィさんはそれから。

「・・偶然」

って言って、机の上の鞄をごそごそしてた。

「一緒に偶然遅刻ねー」

ってメイノンさんは言ってて。

ノートの準備をしてるとすぐに鐘が鳴って、先生が勢いよく教室に入ってきた。



「ねえね、何があったの?」

ススアさんがいきなり話し掛けて来ていて。

授業が終わった後の、ノートを鞄に仕舞ってた私はススアさんがアキィさんの傍に立ってるのを見てた。

「え?」

ススアさんを見上げる、アキィさんの訝しげな声が聞こえて。

「何かあったんでしょ?ユッコたちが話してたよ」

「なになに、何の話?」

「朝のはなしー」

「あさ?」

「知らない?」

「HR来てなかったね」

って、ススアさんはちらりとこっちを見て、またすぐに友達の人に目を戻して。

「ユッコから聞いた話なんだけど、アキィがなんか男の子達と言い合ってて、あとアヴェが泣いてたって」

「え、まじ?」

「あぁ・・・」

メイノンさんは、なにかを納得してるみたいだった。

「ほんとなの?」

「ん・・・」

アキィさんは私をちらりと見て。

「・・まぁ」

「おお、すっごいー」

「・・え?」

ススアさんが驚いたように言えば、訝しげなアキィさんの声。

「アヴェを救ったヒーローなの、アキィってば」

「いや、違うけど・・」

「あれ?」

「違うの?アヴェエ」

私は慌ててこくこくと首を縦に振ってて。

「それはどっちですか?」

メイノンさんがそう笑ってて。

「助けてもらったんでしょ?」

私は頷いてて。

「やっぱりそうなんじゃん」

「どんな風だったの?」

アキィさんは鞄を持って立ち上がって。

ススアさんが横で追いかけてくのを、みんなも立ち上がって。

私も慌てて立ち上がってた。

「ねー、どんなだったの?」

「ん、知ってる子が困ってるみたいだから間に入っただけ」

「そういうの謙遜って言わない?しなくていいのに、さすがアッキィー、かっこいーっ」

「はいはい・・」

アキィさんとススアさんが話してるのを先頭に、教室から出た廊下もずっと喋ってて。

「ケンカとかしてないよね」

「アッキィ強そうだけどね」

「男の子にも勝てそうだしぃ」

「好き勝手言うな、そこ」

「拳でやりあってた?」

って、いきなり聞かれて。

私は首を横に振ってた。

「やってないか」

その子は、そう言って笑ってた。

「シアナたちはどうしたのススアは」

「シアナ?先に教室行ってると思うよ?それより、ちゃんと何があったのか教えてよー、泣いてたってのも本当なのアヴェエも」

って、ススアさんが振り返って来たから、私は慌てて首を横に振っていた。

「・・ほらね、なにも無かったって言ってるでしょ」

「別に口で言ってないけど」

「・・あんまり面白くないよ。そういう冗談」

「むーっ・・、別に冗談じゃないしー。」

「アキィのまねー。『・・別に必要ないし』」

その後ろでメイノンさんが、友達と話してて。

「ぷ・・っ」

「似てる・・っ」

ちょっと笑った友達を、ススアさんも振り向いて見つけたみたいで。

「『わざわざ言うことないし』」

「ぷっあははは・・っそれアキィ言ってる・・っ」

「『・・別に笑う必要ないし』」

「あははははっ」

「・・いや、面白くないし」

って、言ったアキィさん以外の人はみんな笑ってるみたいだった。



****

授業の休み時間中、アキィさんの所に来る女の子達がときどきいて。

「ううん、そうじゃなくてね。私が来た時には何も無くてね・・・」

また来てるのに気がついて何の話をしてるのか聞いてると大体、ススアさんが言ってた朝の話のことみたいだった。

「そうなの?みんなそう話してるっぽいけど」

「違う違う・・」

私は話し掛けられるのも嫌だったから、机の上のノートをじっと見てて。

「あの子でしょ?」

「ん、・・うん」

「ふーん・・・」

女の子達が行ってしまうまで話し掛けられることは無くて、その度にほっとしてた。

帰り道に、アキィさんたちが話していて。

私はその後ろをついていってて。

人の溢れる廊下を歩いてた。

たくさんの人の足元。

私はアキィさんたちの足元を追いかけてく。

周りに人がいっぱいいるから、私は追いかけてく。

「なに見てるの?アキィ」

「・・え、・・別に?」

「あっちの・・?」

「あぁ・・」

「なに?」

って聞くその子に、メイノンさんは声を小さくして言う。

「男の子達いた」

「え?・・あぁ・・・」

「・・あれ、どうしたの?」

立ち止まった私を、少し離れて気付いたみんなは見てて。

言わなきゃ、言わなきゃいけないから。

「あ、あの、こっち・・」

「・・あ、そっちのが近いんだっけ?」

メイノンさんがそう言って。

私はこくこくと頷いてて。

「それじゃね、また明日」

「またねー」

「ばいばい」

「さ、さようなら・・」

手を振ってくれたみんなに会釈して。

みんなが行ってしまうのを見て、それから私は、廊下の途中の階段を見て。

上ってった。

人の少し歩いてる廊下を歩いて。

私の部屋の扉の鍵を開けて。

扉を後ろ手に閉めてから、静かな部屋で。

自分の胸がどきどき鳴ってたのに、気付いた。



****

「よぉ、お前」

・・・そう、近くで、呼ばれた気がして、立ち止まって。

「お前だよ、お前、聞こえてるだろ」

近くの、男の子の声に顔を上げて見たら、その子は私を見て話し掛けてきていた。

「お前、あんとき迷惑だったぞ」

その子の隣に、後ろに、後から来た男の子達が。

私を見てて。

私は俯いてた。

歯を噛んで。

足元を勝手に泳ぐ目で見てた。

「あんときお前の所為で俺達も怒られかけたんだからな」

頭の上から掛かってくる声が怒ってるみたいで。

「勝手にぶつかってきたのそっちだろ」

違う不機嫌な声。

「何とか言えって」

声が強くなって。

「悪かったのはお前だろ、謝れよ」

ずきり、と息が止まって。

胸の奥が苦しくなって。

「何か言えー」

それに堪えるしかなくて。

そうしてたら、目から、涙が滲んでた。

「黙ってるなこいつ・・」

足元が歪んでた。

ぬっと、いきなり上から顔が入ってきて近くて。

吃驚して身体が震えた。

男の子の顔が下から覗いてきていた。

私は喉の奥が震えて。

目をぎゅっと瞑っていた。

口も、唇も頬も、顔を全部ぎゅっと。

「あれ、泣いてるぞ」

びくりと身体が震えて。

身体中に力が入って、息もできなくなるのを。

「あ、ほんとだ」

「ぁあ?なんで?」

「この前みたいになるんじゃねえの?」

「うお」

声が離れてく。

遠くに。

「ぶーす」

その声で私の息が詰まる。

「ぶすーっ」

息が詰まりすぎて、息が、変な風に鼻が鳴った。

それはもう自分しか聞こえてないだろうけど。

独りで、堪えてる。

酷く悲しい気分を。

想うだけで。

涙が滲んで。

鼻を通る息が悲しくて。

息を止めたら鼻が鳴って。

動けない私は。

廊下の真ん中で動けない私は。

酷く変で、惨めだった。



****

「あれ、どうしたの?」

ススアさんの声で、私の心は震えてた。

「・・アヴェエ?」

なにか怖かった。

怖くて、嫌だった。

だから、ススアさんが私を見てるのをちらりとだけ見て。

私は首を横に振る。

「どうしたの」

「ん、アヴェエが、いつもより違う気がするんだけど」

「ん??」

私の顔を覗き込もうとしてくる。

「んー・・、泣いたとか?」

「えっ、またなんかの話?」

「なんとなく、なんとなく。・・でも、アヴェエ、なんかあったの?」

私は首を横に振ってた。

「そう?やっぱ気のせいじゃない?」

「そっか」

ススアさんたちはそれから、私から目を離して話を始める。

私は、だから、ほっとしていた。



****

「あ、おまえ」

そんな、男の子の声がして。

私は身体を震わせて。

足が止まっていた。

私は恐る恐る顔を動かして。

床の上の、近づいてくる複数の男の子のズボンの足元が目に映って。

私の前で止まった。

「お前いつもそんななの」

そんな・・・、の意味がわからなかった。

「はっきりしろよお前・・」

怒ったような声が向かってきて、また少し息が詰まる。

「お前、名前なんて言うの?」

名前・・、名前・・・。

「聞いても知ってる奴いなくてさぁ。」

「・・いい加減答えろってお前っ」

「・・っ・・」

「お前の名前、なんつぅの」

名前・・・、名前・・。

「・・ァ、ァヴェエ・・ァヴィ」

「アッヴェ?アヴィ?」

「変な名前だな」

「アヴェじゃねぇの?」

「はっきり言え、はっきり」

怖くて、少し苦しい。

「・・・・・・っ・・」

「・・あぁもう言いや、アヴェだな?アヴェ」

そう聞かれて。

私はなんとか、頷いてて。

「やっぱ変な名前だな」

「俺も思った」

「つぅかお前、びびりすぎじゃね?俺ら見ろよ俺ら」

って、怖い声で言ってくる。

私は、私は顔を上げられずに、もっと深くなってしまう。

「逆だろ、なんで余計に下向くんだよ・・」

「それってアヴェエの友達?」

女の子の声がした。

聞き覚えのある声。

私の傍に、女の子の足が並んで。

「あ?リョオか」

「なに?なにしてんの、あんたたち」

「なにって?」

「話してるだけだろ?」

「なあ?」

「ふぅん・・。で、なにか用」

「いや、なんでお前が聞いてんの」

「お前に興味ねーって」

「んだとこら」

「おぉこえ・・っ」

「ひはっは・・っ」

「ばーか、ぶーす・・」

「おまえらっ、ばーっかっ」

男の子達の声が遠ざかってって。

最後にその、リョオさんが、少し汚い言葉で、大きな声を出してた。

「・・ほんっとむかつく、あれ・・っ」

リョオさんは怒ってるみたいで。

「アヴェエは何してたの、あんなのと話してて」

まだ怒ってるような声だった。

だから、私は、リョオさんの顔を見上げかけて。

それから、首を横に僅かに振ってた。

「・・・・・・」

・・チャイムが、周りから聞こえてきて。

「・・あ、行こう。始まっちゃう」

私は、リョオさんの足を追いかけてく。

「・・あれ、同じホームルームクラスのやついたよね?」

・・暫く行った後で。

「・・あーいうむかつくの、嫌なら嫌って言ったら。それか無視するとか」

「・・・・・・」

少しちょっと、リョオさんの言葉が悲しかった。



****

私は授業が終わったら。

少し急いでノートを仕舞うようにする。

鞄に詰め込んで、皆がまだ教室にいる間に。

みんなに声を掛けられる前に。

特に、あの人達から、声を掛けられる前に。

「よぉアヴェー」

なのに、声を掛けられるときも、いっぱいあった。

廊下で、呼ばれて、私がびくりと震える。

振り向きたくなかった。

すぐ後ろにいるかもしれないその人達を。

だから歩く事もやめたくなかった・・。

「おい、無視すんな・・」

いきなり・・、ぐいって肩に強い力が掛かって。

肩の半分が後ろに引っ張られてて。

回転させられそうになって。

立ち止まってた。

もう、囲まれてて。

いくつもの足が、見えてて。

私の身体に、お腹の奥にぎゅっと力が入る。

「・・な、なんだよ」

誰かがそう言ってた。

「なにが」

「・・こいつ聞いてんのかな」

「はあ?そりゃ聞いてるだろ」

「今も無視しようとしてるだけじゃん?」

近い声が、私に掛からないで通ってく。

「・・・」

「まず、お前、ノゲに謝れつってんだよ、前から」

「そうだぞ謝れよ」

「お前の所為だろあれは・・・!」

・・私が、この人を傷つけた。

だから、私は謝らないと。

でも、だけど。

ごめんなさい・・って、言いたくても。

言おうとしても。

声が出ない・・。

「・・こ・・、き・・ぃ」

かすれた声が、喉に引っかかって出るだけ・・。

「俺達が怒られたんだからな」

「なんもしてねぇのに」

私の所為で。

私が悪かったのに。

私の所為で。

私が悪いことして。

私の所為で。

私が悪くて。

「何とか言えっつうの・・・っ」

怒ってるような声で。

私がびくって震える。

小さくなってる息。

息しにくい。

すごいどきどき鳴ってる。

手も足も震えて、動かない。

ごめんなさい、て言いたくても、言えない。

「・・こ・・・・・・・さぃ・・・」

声が変になる・・。

「・・・ああもういいや、お前。遅刻すっぞ、行こうぜ」

「あ、ああ・・・」

「ブスだしなあいつ」

遠ざかってく声で、そう言って。

笑ってるのが聞こえた。

胸の中が熱くなった。

息が止まってる。

鼻の奥が震えて。

涙が出そうに。

私を襲う。

心の中が凄く、ずきずきしてる。

それはどんどん痛くなってる。

こんなの、嫌だから。

嫌だから。

どこかに行きたかった。

なのに、身体が動かない。

床の上を見つめたまま。

体中の力が。

力を入れようとしたら、震えて。

さっきからなのか。

動かなかった。

俯いたまま、ずっと床を見てた。

周りの人達は、廊下を歩いてく足元が幾つも通り過ぎていってて。

私の横を通り過ぎてくけど。

楽しそうな笑い声とか。

聞こえてて。

私は、鼻の奥が辛くて。

泣きそうだった。



****

「どうしたの?アヴェエ」

隣の、エナさんが、私を見て、聞いてきてた。

「い、いえ・・・」

そう答えて、机の上のノートに手を置いて。

何かしようとして。

何も無くて手が動かなかった。

「ん、なんかあった?」

前の席のススアさんが振り返ってて、聞いてきて。

「な、なんでもないです・・・」

私はまた少し顔を俯かせてた。

会話の止まった音。

少しして、ススアさんたちは、またお喋りをしてて。

楽しそうに話してた。



****

誰もいない、部屋で。

少しオレンジっぽい色の灯りの部屋の中。

ベッドの端に座って、ぼうっとしてた。

静かで、少し薄暗くて。

ずっと、なにも動かない、テーブルの向こうを見てて。

何も無い中で思い浮かぶのは、学校の事。

話し掛けてくる、男の子たちのこと。

私に話し掛けて。

みんなだけで笑って。

今日は、肩とか触ってきて。

強く引っ張られた。

私は、動けなくて。

ずっと、男の子達の中で、話を聞いてた。

動けなかったから、ずっと。

怖かったから、きっと。

そこから離れたら、追いかけてきて、怒りそうだったから。

色々言ってたけど、もう忘れてる。

忘れた方がいいに決まってるから。

ばかとか、・・ぶすとか。

「・・・ぶす・・」

口の中から、空気が抜けたみたいに、独りの部屋で。

もう、目が開きにくくなってて。

眠りたくないけど。

眠くて。

明日にならないといいのに。

眠くて。

気がついたら、目を開けて。

座ったまま少し、眠ってたのに気付いて。

まだ目が少し開かないくらい眠くて。

私は。

・・身体を傾けて、ベッドの上に乗っかって。

枕に顔を埋めて、擦りつけた。

眉を顰めて。

でも瞼が落ちてく。

枕も、ベッドも、柔らかくて、とても、気持ちよかった・・。



****

『・・なあぁんでっこんなことになってんのぉっ!

って、本人に言ってやりたいわ・・・っ、っもう・・っ!

あの子はなんて答えるか、聞いてみたいけど・・っ!

めんどうだって思うでしょ、あなたも、ねぇっ!?

でしょっ!

コルッコなんてコルルル鳴いちゃうわよねっ!

なんでめんどうな方に行くのかなぁっ、あの子はっ。

別にここでずっと遊んでたっていいじゃないっ。

私はここ好きなのに!

あの子もきっとそうなのに・・っ!

なんで、はいはいっていっつもすぐ返事するのかなっ!

逆らわないんだからっまったくっ!

やだって言えば残れるかもしれないのにさ!

あの人だったら聞いてくれるかもしれないのにっ!

まったくっ、この子にはもっとしっかりしてもらわないと・・っ。

・・・んむむ・・・。

んむむむむ・・・・・・・っ!

・・・・・・はぁっ。

・・もう仕方ないかぁ・・っ。

わかってるよ、ポール・・。

今更こんな事この子に言ったって・・。

・・あ。

・・あっちの方に言ってみようかな・・・。

うなされてくれたらいいし・・・、うふふ・・。

・・・はぁ・・っ。

わかってるっ、この子が決めたからでしょ、うん。

はぁ・・、明日は学校かぁ・・っ。

さすがに緊張するでしょうね。

転んだりしたら恥ずかしいわ。

・・この子ちゃんとできるのかな・・。

貴方もそう思うでしょ?

ね、とろいし。

とろとろすぎだし。

・・・・。

んん~~っ。

もう、めんどくさ~・・ぃ・・っ。

ほら、遊びに行くわよっ。

今日が最後なんだからっ。

みんなついてきてよ、いいねっ。

ちょっとは騒がしくしたって・・、今日はいいでしょ、ねっ!

一番ビリが最初の鬼だからね・・・っ!!

ほらこっち・・・っ!・・ふふ・・っ!

                    』



****

―――気がついて、目を開けたら。

ぼんやりしたものが見えて。

静かな中で、降ってくる光で、明るい部屋の輪郭が、ぼんやり。

私は枕に顔をつけてて。

柔らかいベッドの上で、眠ってた。

もう、朝だった。

まだ、眠い。

昨日、座ってて、ぼうっとしてて。

そのまま眠っちゃったのを思い出してた。

明るくなった部屋の中の、テーブルの上に差し込んでる光を見てて。

昨日の夜とは違う、白い雰囲気。

・・・起きないと。

学校に遅刻しちゃう。

ココさんが怒るから。

・・今何時・・・?

・・・時計?

・・目覚まし・・・。

昨日、セットしてない・・・。

ベッドの上の、枕の横に、転がってて。

手を伸ばして、それをこっちに向けたら。

私は開かない目で、じっと見てて。

「・・・・・・ぁ。」

それは、少し急がないと遅刻しそうな時間で。

・・・。

ノートを押さえてる手から力を抜いて。

枕の上に突っ伏した。

まだちょっと眠くて。

少しの間ぼぉっとしてて・・。

・・・腕に力を入れて、気持ちのいいベッドから起き上がった。

スリッパを履いた後。

いつもより急いで。

制服に着替えて。

寝癖の髪の毛を直して。

すぐに歯も磨きに行って、顔を洗ってきて。

鞄を持って、部屋を出て。

寮の廊下はいつもと変わらないけれど、私は少し急いで食堂へと向かった。

いつもの場所にいるココさんが私を見つけて。

ココさんは優しく微笑んでくれる。

「おはよ、アヴェエ」

「おはようございます・・・」

「ちょっと遅いわね、少し急ぎましょう」

ココさんはそう言って、配膳をもらいに行くのを、私は追いかけた。



「今日は急いだの?」

ココさんが、聞いてきて。

私は持ち上げかけたスプーンを置いて、ちょっとココさんを見た。

ココさんは別に、怒ってないみたいだった。

「は、はい・・」

私は頷いてて。

「そう。・・寝坊?」

「・・・」

・・・寝坊、だったのかな・・?

寝てて、・・時間過ぎてたんだから・・、そうなのかな・・。

「・・ふっ、まあ、寝癖がちょっと立ってるわ」

ココさんが少し笑ってそう言って。

私は少し慌てて髪の毛を捜してみる。

「ちょっとよ、ちょっと。そんなに目立たないから」

って、ココさんが私の髪の毛を触って、たぶんそこなんだと思う。

「早く食べちゃいましょう、遅刻するわ。髪はあとでちょっと濡らしてみましょう」

ココさんがそう言って、スプーンを口に運ぶから。

私も少し急いで口に入れてった。



白い廊下はいつもより遅れてるはずなのに、制服の人がいっぱい歩いていて。

私はその中を少し急いで歩いてて。

髪に寝癖がある、ってココさんが言ってたのが気になってて。

でも、廊下の床を見つめながら、歩いてた。

廊下の少し先の、私の教室のドアが見えたときにチャイムが鳴って。

もう少し急いで教室に入って。

教室は人がいっぱいになってて。

私は空いてる席を探して、空いてた真ん中の方の席に座って。

鞄を机の中に入れたら、先生が入ってきた。

「おはよう皆」

いつもみたいに、教室の子も挨拶をして。

「おはよームリアーニ先生ー・・」

その子が入ってくると。

「おはー・・」

その声は小さくなる。

その子が入ってきたら。

みんなの声が小さくなった。

みんなと同じ制服を着た女の子。

その子は、大きな先生の後ろをついて教室に入ってきてて。

栗色の髪の、綺麗な長い髪が歩くのと一緒に揺れてた。

まるできらきらしてるみたいに、輝いてるみたいだった。

少し俯かせた横顔の、白い頬が少し紅色に染まってて。

静かに、先生の後をついて歩いていた。

先生が立ち止まって、その子も止まって。

「今日は最初に紹介した子がいるんだ」

その子に先生が何かを小さな声で言ったようにして。

その子はみんなの方を、こっちの方を向いて見えた、栗色の綺麗な髪と同じ、瞳。

瞬いて、白い肌が紅色に、強く染まる。

それから少し、その瞳を伏せて。

少し躊躇っているようにしてから。

震えるように、淡い唇が動いて。

吸い込まれるように白い光で柔らかく煌く瞳。

「・・みなさま、・・初めまして、」

小さな、心地いい音が、聞こえてた。

「今日から、入学、しました。エルザニィア = ミニョン = プリュミエィル = フェプリス、と申します。」

小さいのに、最後まで心地よく届く音。

「どうか、よろしくお願いします。仲良くしてくれると、嬉しいです」

言い終えて、僅かに、会釈をしたみたいに、その子の顔が伏せられて。

前で重ねていた手を握りなおしていた。

・・私は、その子をじっと見ていた。

それに気付いて。

見てる目を、私の机の上に落としてた。

あの子が凄く、きらきらしてたから。

今までに、見たことないくらい。

綺麗な子。

・・私は、もう一度、少し顔を上げて。

その子は、まだ、先生の隣で恥ずかしそうにしてるみたいで。

・・どきどき、してきてた。

柔らかそうな、栗色の髪が煌いて。

上目遣いに、先生を不思議そうに見上げたその子の瞳が柔らかく煌いて、長い睫毛が瞬いて。

気がついたら、教室の、みんながその子を見てるみたいだった。

「ん。ということで・・」

「かっわいいーっ!」

「かわいいーーっ」

女の子達の声が、大きくて。

「こっち見て、ねーっこっちーっ」

「どっから来たのーっ」

「静かにしろー」

私は机の上を見てて、先生の話が終わるまで、ずっと胸がどきどき鳴ってるのを感じてた。



ホームルームが終わると、その子の周りには女の子達がいっぱい集まってた。

「ねぇっ、こんにちは、」

「はじめましてっ、私、ナロカ・ジュトゥピっ」

「どっから来たの、」

「なんて呼べばいいかなあなたの事っ」

たくさんの質問に、姿の見えないあの子は戸惑ってると思う。

中には男の子もいて。

ススアさんやアキィさんたちもいた。

「やーんっ、かわいいーっ」

「髪の毛とかきれ~!」

離れた席で、その子を囲む皆を見てた私は机の上に置いてた鞄を持って立ち上がって。

教室の外に歩いて行く。

ふと顔を上げて気付いたら。

教室の中の遠くから、その子たちの方を見てる人はいっぱいいるみたいだった。

「・・・」

私は少し顔を俯かせて。

白い廊下に出た私は、制服の子達の中を次の時間の教室へ歩いていった。



「よぉー、アヴェー」

声がして。

私はどきりとして。

振り向くか振り向かないか、考えた。

でも、足が、ゆっくりになってたのに気付いて。

「おぉ??」

気がついたときには囲まれてた。

「どこ行くんだよ」

「聞こえてたろ」

男の子達が、私を囲んで見下ろしてる。

私は小さくなって、床を見つめてるだけ。

「次の教室お前どこ?」

「お前いつも一人だよな。一緒に行くやついないの?」

「ふっはは・・」

笑ってる。

「つうか答えろって」

「・・・」

声が、出ない。

「シカトしてんぞ」

「待ってたら遅刻するって」

「答える気ねーの」

何を言っても、どうせ聞こえないなら。

「・・こいつまじむかつく」

「くはっはは・・」

「びびってんじゃねぇの?」

「・・・・・・」

・・誰も何も言わないで、ここだけ静かになって。

いきなり、ぐって、頭が後ろに引っ張られた。

「・・・・・・ぁっ・・っ」

髪の毛を、誰かに引っ張られた。

私は顔が一瞬上がって、前に立つ男の子たちの、私を見てる顔を見ちゃって。

「ぉ、惜しい、声出んじゃん」

すぐに引っ張る力が無くなって、すぐにそのまま顔を俯かせて下に下ろして。

「・・・・・・っ」

少し息が詰まった。

「ぉら、行こうぜ」

「ん、あぁ」

「・・やっぱシカトしようとしてんじゃねぇの、あいつ・・・?」

前を歩いてく男の子達の声が遠くなってく。

人も声も動く廊下の中で、私は動かないでいて。

床を見つめてた。

暫くしてから、私は同じ方向に歩いて行った。



****

「ミキ・ボンとか好き?」

「・・え?」

「ミキ・ボン、あれ?知らない?」

「いいえ・・」

「うわ、ちょっとショック、超有名だと思ってたのにっ」

「シュトリーム・クランゼは?知ってる?」

「いいえ・・・」

「えー知らない?『嘘つきの歌』とか良い曲なんだけど」

曲・・なんだ。

何の奏者・・、歌手の人かな・・?

「いつもどんな曲聴いてるの?」

いろんな子が、いろんなことを休み時間になると聞いてくる。

だから、ちゃんと答えようとしてるけれど。

みんなが私を見てるのを見て、私はなんとか口を開いて。

「・・あの、普段はあまり聞かないです。メル・・おかあさんが、ときどきかけてるのを聞く程度で」

「そうなんだ?」

「お母さんはどういうの聞いてるの?」

「・・えっと、クラッシックの・・、15番が一番好きって、」

「ああぁぁ・・・」

「クラッシックかぁーっ」

「ちょー納得・・・」

「・・・?」

「すっごい似合いそうだもん、エルザさん」

「わかるわかる」

「お昼にメイドさんに紅茶入れてもらってそー」

「・・・?」

よく、おかあさんに入れてもらってるけど・・・?

「あはは、広い庭見ながらね」

「そうそう」

「ていうか、行かないと遅刻しちゃうよ」

「あ、行こう行こう、エルザさんも、はい、立って」

「あ、はい」

椅子を引いて立ち上がって、鞄を持って、皆が行くのについていくのに、よく私を振り返って見てくれる。

良い人達。

親切な人達。

「じゃあハプコンとか見てる?」

「・・ハぷ・・・?」

「動画、」

「・・・?」

「見てないかー」

「はい・・」

「一体、いつもどんなの見てるのか気になるよね」

「なるなるー」

動画・・・、テレビ・・・いつもは、見ないけど。

おかあさんが、ニュース見てる・・。

「いつも何見てるの?」

「・・ニュース、です」

「うわ、有り得ないー」

「すっごい厳しいんだねエルザさん家って」

「まっじめー」

なんか、凄く驚いてるみたいだった。

「そういえば昨日のコンテ・メモリーさ、見た?」

「見た見た」

凄く明るく喋る、ケイトさんみたいに、皆はいろいろ楽しそうに喋ってて。

いろいろな言葉が飛び出すから、わからない言葉がたくさんあって。

「・・の仲にさー、ケリーが割り込むのっての有り得なくない?」

「私は好きだけどなー」

「えぇー?」

でもそれをみんな当たり前のように話してて。

笑ってて、おかしそうにしてて。

「ね、エルザさんもそう思うでしょ?」

「・・・?」

「・・んぬぅー、そういう顔が可愛いー」

「エルザさんってちょー可愛いよね」

「だよねー」

なんか、誉められた・・。

「ありがとうございます・・」

「髪の毛触っていい?」

・・えっと。

「やー、ちょー柔らかいー、きれー」

返事する前にもう触ってるみたいだった。

なんか、みんな、とても楽しそうだった。



笑ってたススアが目を留めた。

皆が笑ってる周りの中にいる彼女は。

立ち上がった遠くの席の、黒髪の少女のアヴェの姿を見つけて。

笑っている途中で目を留めていた。

アヴェは鞄を手に持って、いつものように俯き加減に歩いて。

教室から廊下に歩いていく。

それを少しの間、目で追っていた。

その後姿に何か、したい事を感じたような気がして。

けど、次の聞こえてきた声に少し驚いたように振り向き。

彼女達の言葉にススアは笑っていた。

新しい友達のエルザニィアは不思議な子で、だけどとても可愛いし、皆集まってる。

アキィも興味があるみたいで、よく一緒に彼女の所へ顔を見せに来るし。

シアナ達はなぜか、遠くの方から見てるだけで近付いてこないけど。

シアナなんかはまた、エルザニィアを見て眉を顰めた仏頂面をしてそうだ。

授業中によく見るあの顔を思い出してススアは少し笑ってしまう。

ふと、思い返した、さっき感じたアヴェへのそれは。

もう、とても小さなことのようで、すっかり思い出せなくなってて。

ススアは友達の言ったことがおかしくて、また大きく笑ってた。



****

また、眠い。

最近、もっと眠い。

前なら、まだ眠る時間じゃないのに。

柔らかい、ベッドの端に座ったまま。

私はテーブルの上の、橙色の灯りの光景を見てた。

それだけで瞼が落ちてくる。

開けようとしても、落ちてきて。

このまま横になればすぐ眠っちゃいそうだった。

だから、私は頑張って、目を開けようとしてるのに。

ちょっと気持ちよくなったと思ったら、瞼が閉じてるのに気付いて目を開けて。

さっきからずっとこんなことを繰り返してて。

でも、眠りたくなかったから。

我慢してた。

でも、私は、いつの間にか目を閉じてる。

いつも朝に、ベッドの上で目が覚めるから。

明日もきっと、そうなんだ。

そうしたら、また学校に行って。

行かなきゃダメだから・・・。

行かないと、ココさんに嫌われちゃうから・・・。

だから、起きてたかった。

まだ、少し、起きてたかった・・。



****

「エルー、エルー・・、ねー、エルー?」

「・・・うん?」

「今日の学校はどうだったの?」

「うん・・?うん・・・」

「なんか眠そうね・・?」

「うん・・」

「・・なんか、囲まれて楽しそうにしてたじゃない」

「うん・・・?」

「うんだけじゃわかんないって。どう、学校は」

「・・えっとね、人がいっぱいいる・・。」

「当たり前でしょ・・っ」

「・・?当たり前なの?」

「・・と、思う。他には?」

「うん・・?うん、他にね、言ってる事がわかんないの」

「ん、誰の?」

「みんな・・・?なに言ってるのかわかんなくなってくるの・・、難しくて・・」

「同じ言葉喋ってるでしょ」

「うん、でも・・」

「なんでダメなの、まったく。エルはー・・」

「うん・・・、ねぇ、」

「うん?」

「まじどんめって、なにかな・・?」

「まじどー・・?あ、あの子がよく言ってたのでしょ」

「うん」

「まじどって言ったら、あれでしょ、あれ。あの・・・・・・」

「・・・、なに?」

「・・あれに決まってるでしょ、あのぉ、なんか、・・そうだ、感激、みたいな。そんなのっ。」

「・・うーん?」

「だからっ、そういうすっごく感激したら、出ちゃうのみたいなのっ」

「・・・・・・うーん」

「なに、まったくわかんないの?」

「ううん、でも、感激って・・、なにかおかしい気がする・・」

「・・私の説明が悪いってこと・・・っ?」

「・・・?ううん?」

「・・・・・・むぅっ。いいっ?エルっ、わかんないんだったらその時に聞けばいいじゃない。そうしたらこんな風に聞かなくてもわかるでしょ。」

「うん・・」

「・・これで解決でしょっ、はい、次の質問はっ?」

「・・・ありがとう」

「な、なに・・?いきなり」

「・・・?」

「・・私の方が不思議よ。そんなこと言ったって、どうせいつも話忘れてるんだし、エルは」

「そんなことないよ・・」

「・・・そこはいつもウソつくし」

「ううん、・・そんなこと―――」

「・・・おやすみ。エル―――」



****

授業が終わって、次の教室に行く為に廊下を歩いてた。

鞄を両手に持って、同じ様に教室を移動する人達の中を。

ふと、呼び止められたのに気付いた。

「アヴェ、ちょっとこっち来い」

いつもと何か違う声。

私は俯いたまま、床の上の足元を探してた。

いきなり肩を触られて。

ぐいって、強い力で肩を掴まれてた。

私の身体が大きく、びくりって震えて。

けどそのまま、誰かに押されて連れて行かれる。

「・・・・っ」

声は、出ないくらい、喉の奥に息が引っかかってた。

息苦しい。

掴まれたまま・・。

引っ張ってきた人の顔を見上げるとその人は、あの男の子達のグループの1人で。

私を見た目と合って、私は驚いて、顔を俯かせた。

力強く押されたまま。

「おぉ、連れてきた」

声がした。

「おほぉ、本気だな」

楽しそうな声。

「お前らがやれっつったんだろ」

いつもみたいに、男の子がいっぱいいる。

廊下の端っこで。

「よぉアヴェ、元気?」

何があるのかわからなくて、怖くて。

私は床を見つめたまま、息をしてた。

少し暗いところで、囲まれてるのは雰囲気でわかってた。

「お前、廊下とかだとシカトしようとするだろ」

「・・・・・・」

「それ、無視すんなつってんだよ」

「目見て話せつってんだよ・・」

怖かった。

怒ってる声。

「お前まだちゃんと謝ったこと一度も無いだろ」

「いいからちゃんと謝れよ、ぶす」

ずきん、・・って胸の中が痛かった。

「別にお前と友達じゃねぇけどはっきりさせたいんだよな」

「・・ほんとまじむかつくなお前」

「おい、聞いてんのか」

「ここで黙ってるなんてありえねぇ」

言葉が続いてく。

苦しい言葉。

「・・ばーか、お前なんか相手にしてねぇよ、ぶす」

それがいっぱい。

言う度に、喉の奥が詰まったみたいに、息が苦しくなって。

喉の奥が震える。

「・・・ばーかっ」

「・・ぶーすっ」

頭から押さえつけられてる、この感情、重くて、気持ち悪くて、怖くて。

身体が動かない。

「ほんとむかつくわお前」

私はただ打ちのめされる。

心がぎゅっと、何かに掴まれて。

苦しくなって。

この人達の言葉が、心の中を強引に引きずり回す。

苦しくなる言葉の度に。

胸の奥の苦しさが。

震えて、震えてる。

目の奥が。

熱くなってるのに気付いたとき。

目を歪ませるようにしたら。

一粒、涙が流れた。

頬を伝ってくそれを感じる前に。

手で拭き取る前に。

涙があふれ出してた。

私は勝手に引きつってく顔に力を入れて目を閉じて。

でも涙が止まらなかった。

溢れて、流れた。

凄く辛い気持ちに私の中が塗れて。

無理やりすぎるくらい私の深くに沈み込まれて。

それでも、ずっと私にしかかって抑え続ける。

身体中がそれで、塗れてる。

私は身体のどこかがときどきびくっと、強く震えるのを感じるだけで。

遊び半分に。

中に押し込まれ続ける。

「また泣くのかよこいつ・・っ」

「泣いたってなんともねぇよ、」

「ぶすが泣いたってな」

「ひはっはは」

息も出来ないくらい、強く押し込まれ続ける。

押し込まれてく。

嫌な感情。

この人達の、嫌な感情。

嫌な気持ち。

私に押し込んでくる。

私の身体が震えてく。

身体が動かなくなっていく。

喉の奥に震える息。

胸の奥を震わす息。

堪えるように、涙を零し続け。

涙を零し。

零した涙で。

私はずぶ濡れになってた。


少女が、見ていた。

廊下で、彼女を見ていた。

俯いて、時折肩を震わせているような少女。

その少女は男の子達に囲まれていて、少女を見る彼らの様々な表情。

驚いてるような、笑っているような、楽しんでいるような。

いつからか、足を止めた少女はじっと見ていた。

少女の周りで楽しそうに、女の子達が笑って話している中で。

不意に女の子達は少女の見ているものに気付き、声を止めていく。

そのときに、少女は、見ていた方へ足を踏み出していた。

彼女の栗色の、癖のある長い髪が揺れる。

制服の、スカートの裾を左右に揺らして、彼女は真っ直ぐに彼らが屯う黒髪の少女の方へと歩いていく。

彼女はただ無表情にじっと、少女を見ていた。

近付く少女に気がつく彼は上げた顔の眉を寄せる。

それから彼女の姿をはっきりと認めて、僅かに眉を上げる。

他の彼らも次第に近付く少女の姿に顔を上げていく。

少女は彼らの傍で足を止めて立ち止まった。

その茶色の瞳がじっと見つめているのは黒髪の少女の、僅かに見える横顔。

俯いて床へ向けた、瞳が焦点を失ったように揺らめき続ける、光の無い。

それを無表情に、じっと見ていた。

少女は深い瞳と長い睫毛を僅かに動かして、彼らの顔を見上げ、見回してからまた少女を見る。

その瞳を向けられた彼らは一様に一瞬だけたじろぐように身体を揺らしていた。

それでも少女の瞳はその彼らではなく、中心の少女で止まる。

「・・何か用か?」

彼らのうちの一人が声を出した。

そう声を出した。

けれど彼女は視線を上げる事も無く、何も答えない。

ただ表情を動かしもせず、無表情に俯く少女を見ているだけだった。

「・・・んだよ、あっち行けって」

彼の声に。

覗く少女の瞳が、僅かに歪んだように見えた―――。

女の子が独り、泣いている。

女の子は男の子達に囲まれて。

男の子達は笑ってた。

面白いものを見るように。

それは普通?

普通に感じること・・?

でもそれは、酷い事。

よくわからないくらい、おかしな事。

なんでこの人達は笑ってるんだろう・・?

なんで、慰めてあげないんだろう・・・?

泣いている子がいるのに。

泣いている事は、楽しいこと・・?

楽しくなんて、ない。

楽しいことなんて一つも、ない。

なんで助けてあげない・・?

そんなわけないのに・・・。

なんで誰も、助けないんだろう。

それは、なんで。

なんで助けてあげれない・・?

女の子がないている。

それは悲しい事。

悲しい事を、笑ってる、この人達は、酷い人。

凄く、酷い人達。

酷い人達・・・。

・・うん、・・酷い。

―――私なら、怒る。

・・?

・・・私は・・?

私は・・・。

・・私は。

―――私なら、こいつらを憎む。

どうして?

・・でも、・・うん・・。

―――私と同じでしょ?わかってるの?

・・・うん。

胸が熱くなってくる。

この子を見たときから。

心が熱い。

熱い、心・・。

熱くなっていた。

熱い心。

震える、心。

誰かの心みたいに。

とても熱く。

震えてる。

私が。

私の・・・?

貴方が・・・?

―――どっちでもいいでしょ・・。

・・そう、だね。

私たちの心・・・。

気持ちのままに・・。

熱くなってる。

熱くて、熱くて。

全部が溶けるくらい。

熱い、胸の中―――。

―――少女の強い瞳が、彼一人を射竦める。

その眼差しは、彼の目を焼きそうに、心の深くまで刺さったように。

彼は胸の奥が一瞬の後、重くなった。

少女の瞳は真っ直ぐに激しい怒りを伝えてくる。

先ほどまでとは違う瞳。

僅かに色を変えただけの瞳なのに。

その瞳を見た彼らは一瞬でも、たじろいでいた。

・・だが、彼女のそれを見て彼らも前に出る・・。

彼が足を踏み出しても、強い眼差しを中てる少女の瞳は全く動かなかった。

前に出ようとした彼らは、1人、また1人、足を止めていた。

少女の背後に他に集まってきたのを見つけたから。

彼女達は困惑したような表情で覗き見ようとしていたり、気持ち悪いものを見るような表情を彼らに向けているなど様々に。

しかし、皆がその少女の味方をすることは明らかだった。

彼らは、足を止めて彼女らを見ていた。

そんな彼らを少女は強い眼差しのままじっと、見詰め続けていた。

――――・・少女と、少女の目が合う。

―――・・深く染まった瞳は、それだけで、白い輝きを持ったものに変わっていく。

それを、涙を溜めた黒い瞳で、ぼうっとしたように見ていた少女は。

それから、大きな粒の涙を溢れさせた。

僅かに歪んだ黒い瞳からぼろぼろと溢れる涙を、不思議そうなものを見る瞳で栗色の少女は見ていた。

涙で濡れる顔が大きく歪んだ。

くしゃくしゃに潰れていく顔の、苦しそうな息を、口から漏らして。

苦しげに開いていく口から。

「・・ぁ・・っ・・・、・・ぁっ・・ぁぁっぁあぁ・・・っ・・・」

苦しげな声が漏れる。

真っ赤になる顔に、きつく閉じられる目、だらしなく広がる口元。

じっと、栗色の少女は見つめていた。

「・・ぁぁあああぁぁああぁぁっっぁあぁああぁあぁっ・・・ああ・・っ・・あ゛あ゛あ゛っ・・・っ」

大きく開いた口、大きな声。

それを振り返って見た男の子の彼らは驚いたような顔をし、一人がその場から駆けていく。

それに気付いた彼も追いかけ、他の彼らもそれを追いかけていく。

「あああああ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ・・っっああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁっっ・・・」

大声で泣いている少女とそれを見つめている少女の間には何も無くなっていて。

小さな子供のように上を向いて泣き続ける、少女の顔を見つめたまま。

不思議そうな瞳で見つめていた。

・・・それから、一歩、泣いている少女へと踏み出す。

近付く彼女に気付きもしない、大声で泣き続ける少女。

一歩、二歩歩いて、少女の前で立ち止まる。

少女は瞬き、目の前の少女のくしゃくしゃに歪んだ泣き顔を見つめていた。

その端正な瞳を僅かに円くして。

不思議なものを見るように、ずっと。

・・そして少女は、じっと見ていた瞳を俯かせる。

一人で泣き続ける少女の、垂れ下がった細い右手を左手で握って。

少女との周りに女の子達が集まってくる。

二人を覗き込む心配そうな表情で満たされる。

廊下を通りかかった人達が彼女達を見つけ足を止めていて、その数も増えてきた時。

大きな大人が慌てたように近付いてくる。

「どうした?どうした?」

周りの女の子達に首を回し聞く中を。

泣き続ける少女の手を両手の中に握って、少女は落としていた視線を上げて少女の歪んだ表情を僅かに見る。

手の中に包むその熱さをずっと感じていた。



****

廊下を心持ち歩き急ぐココの胸の内は逸る思いが燻っていた。

出歩く生徒がいない廊下は今は授業中であるからなのだが、端まで見える長い廊下に幾分の苛立ちを覚えて足を動かすのである。

廊下の途中にあるドアを見つけ、ココはそこ目掛けて急ぐ。

逸る気持ちを抑えながら、目の前に辿りついたココは気持ちを落ち着ける間もなくドアを開いた。

部屋の中の少女達が一斉にこちらを振り返り、ココはどきりと僅かに目を円くした。

かなり多いその数に驚いて。

けれど、彼女達を見ていた目を移して、椅子に座った看護スタッフの彼女を見つける。

彼女はココを見上げ、それから向こうの方へ顔を向けた。

彼女に声を掛ける前に、その方へ目を移し、それから、こちらに背を向けたままの、栗色の、癖のある長い髪の制服の少女を見つける。

その少女の目の前でベッドの端に座ったまま大粒の涙をぼろぼろと流し続けているアヴェを見つけた。

声を殺すように泣いているアヴェに、またどきりと胸を鳴らすココ。

彼女は看護スタッフの彼女の傍へと寄った。

彼女はココを見上げて言う。

「ラスラさん?」

「はい、あの子の・・」

そう言いかけて、ココは言葉を止めた。

少し、ここは人が多いみたいだったから。

「怪我とかではないんで、安心してください。」

「そうですか、あの・・」

「えぇ、どうぞ、看てあげてください。」

ココはアヴェの方へと足を向けて。

アヴェはタオルを顔に当ててはいるものの、未だぼろぼろと涙が流れているようで肩がときどき震えている。

それをじっと見つめている、栗色の髪の、色白の綺麗な可憐な印象の少女の横顔を一瞬、横目にして。

ココはアヴェの前に膝まづいて顔を覗きこんだ。

「アヴェ・・」

返事の無いアヴェの、手に手を当てた。

嫌がる様子は無かったが、これ以上の事は無理そうだった。

顔を見てみたかったが、それも無理だ。

・・気付いて、振り返ると。

こちらを見ている少女達はアヴェと同学年くらいのようで。

付き添いに来てくれたのだろう。

何かショックを受けているというより、心配そうに眉を寄せている子が多い。

「・・付き添っててくれたの?」

ココは彼女達に聞いていた。

「は、はい・・・」

戸惑ったように、けれどばらばらに頷いていた彼女達。

ココは微笑みを見せていた。

「そう、ありがとう。助かったわ」

そう、告げて、目の前で立ってアヴェを見下ろしているだけの、綺麗な顔立ちのその少女を見上げた。

彼女はただ一言も発さずに見つめているだけで。

それが不思議な雰囲気だった。

「・・この子は大丈夫。私が見るから。もう授業が始まってるでしょ?皆さんありがとう。戻ってください」

そう、彼女達はまたどうしたらいいのかわからないように、顔を見合わせていた。

「なんでもないのよ、きっと。ときどきこういうことがあるだけから・・」

ココはそう言いかけて。

目の前の少女が僅かに動いたのを感じた。

ココが顔を下げるのと同時に、少女の印象的な瞳と目が合う。

どきりとした。

美しい可憐な少女・・・。

彼女の瞳はただ無表情にココの中を見ているようだった。

「・・何も無いのに、泣いてしまう子、いるわけないじゃないですか・・?」

静かに呟いたような、声。

一瞬、ココは心がどきりと鳴った気がした。

息が詰まったような思いを感じた。

「そ、そうね。・・ごめんなさい」

ココは謝る言葉しか思いつかなかった。

握った熱い手を感じながら。

・・ココが顔を僅かに上げれば、その少女はまたその可憐なのに端正な表情でアヴェをじっと見下ろしていた。

「・・・」

気がつけば、ほかの少女達の方も、少したじろいだように、ココを見ていて。

顔を見合わせて、困ったようにしている。

看護スタッフの彼女に目を移しても、彼女も苦笑いのような、微妙な表情しかできないようだった。

「まあ、いいから。戻りなさい。あとは私たちに任せて」

そう、彼女が言ってくれて。

それを見て、安心したような顔をする少女達もいて。

1人、2人と、一緒に、やっとこの部屋から戻っていってくれるようだった。

ココはそれを少しほっとしたような気持ちで見ていた。

ただ、後ろのドアが閉まっていく中で、残った女の子達もいた。

見た事のある、そして話をした事もある彼女達もその中にいた。

以前、一緒に食事をしたその子達も。

出て行けなかったようだった。

小さな少女の肩を後ろから指の先で軽く叩き、眼鏡の子が連れて行こうとしているのだけれど、彼女は肩越しに見ただけで、残りたがっているようで。

「あの、大丈夫だから。ここは任せて、みんな戻って?」

ココはなるべく優しく、微笑んで見せた。

「で、でも・・、と、友達だし・・」

とても、遠慮がちに、小さな彼女はココに言ってくれた。

その気持ちが、ココには嬉しかった。

振り向く気配。

目の前の少女が、後ろを見て。

彼女に、静かに呟くように言う。

「・・今も泣いてるのに?」

それは不思議そうに。

聞いただけのようだった。

けれど、ココは少しずきっと心が痛んだ。

彼女の端正な無表情の横顔に。

その横顔が見つめる、小さな少女のショックを受けたような表情に。

彼女が無言で、俯きかけるのを見ていた。

彼女は自分の気持ちに堪えている様に。

それを暫く見つめていた。

彼女の後ろに立っていた眼鏡の少女は、眉を僅かに寄せたまま彼女の背中を突つき。

何かを呟いたようだった。

小柄な少女はまるで仏頂面のようにしたまま、僅かに頷き、手を引かれて一緒に部屋を出て行った。

何人か、あの時一緒にいた子達も一緒に、部屋を出て行った。

「あ、あの、ありがとう、付き添ってくれて」

その背中にかけたはずの声を、彼女達が聞き取ってくれたのかはわからなかった。

ドアが閉まって、入り口付近にいた少女達がいなくなって。

ココは近くの気配に顔を上げる。

綺麗でいて可憐な雰囲気の、見慣れない少女はまだそこにいて、まだじっとアヴェの泣いている所を見ている。

熱い指が動くのを感じて、ココは振り向く。

いつの間にか、大分落ち着いていたアヴェがタオルを離して、くしゃくしゃの顔を少し見せてくれていて。

「・・・」

少しばかり落ち着いた気持ちに、小さく息を吐いたココは、彼女の黒髪の頭に手を置いた。

熱い・・・アヴェの頭・・。

・・ふと気付くと、目の前にいた筈の少女はいなくなっていて。

入り口の方を見れば、彼女の後ろ姿がドアを開き。

そのまま通り抜け、こちらへ振り返ると、ノブの手元を見つめる彼女は静かに閉めて行く。

そうして、ココは、残った看護スタッフの彼女と目を合わせて、彼女が僅かに首を傾げた風にしたのを見るのだった。

ココは手の中の黒髪を撫で続けるまま、アヴェの顔を時折覗きこみ。

先ほどの不思議な少女の事を少し思い返しているのだった。

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