へっぴり腰のアルベール
空見 大
第1話僕の名前はアルベール
この世界は美しい。
何度見ても見知らぬ発見がそこらかしこに落ちていて、さっき知ったはずのことも気がつけば全く別のものに変わっていたりする。
道端に落ちている石ころの中には綺麗な物やあんまり色がない物、宝石と石が混ざり合った川原を見てはそんなものが欲しくなる。
誰にも渡したくない。
自分のものだけにしたい。
綺麗な景色を、綺麗な場所を、美味しい食べ物を、家族が暮らせる場所を。
求めれば求めるほどに欲しいは広がっていく。
欲をかけばかくほどにもっともっとと広がっていく。
赤茶色の地面と灰色の水、燻んだ空を眺めながら僕は、さっきまで綺麗だったこの世界が汚くなってしまったのを目にした。
それはきっと欲に対する罰なのだろう。
それはきっと他人を羨んだ罪を清算した結果なのだろう。
僕はそんな世界を見てどうしようもなく寂しさを感じたのだった。
/
アルベール・トリガー。
それが僕につけられた名前。
我が家には苗字なんてものはない、トリガーは僕に与えられた二つ名である。
戦場に出て行った時に自分の名前を知られてしまうと困ってしまうらしい、だから父様に母様は僕にトリガーという二つ目の名前を与えた。
日頃から呼ばれることで相手にそれがコードネームであることを察されない様にと。
そうしてトリガートリガーと呼ばれる内に段々と自分の名前がどれだったのかをわすれてしまい、僕は目をまん丸とさせながら自分の名前が何だったかを思い出そうとする。
「どうかしましたかアルベール様」
そんな僕のことを名前で呼んでくれるのは、僕の家でメイドをしてくれているスクラップ。
機会工場のゴミ捨て場にいた所を拾ったからスクラップという名前になった彼女は、僕の身の回りをしてくれている優しい人だ。
家族からはラップと呼ばれることが殆どでスクラップと呼ぶのは当の本人ばかりである。
名前を呼ばれたことで自分がいま何をしていたのかを思い出し、やれと言われていた算術の授業を改めて受け始める。
算術は嫌いだ、どれだけ勉強しても全然違うできる様にならない。
でも兄様が言っていた、勉強は将来の糧になると。
勉強をしたことで将来がより良くなるのなら、ほんの少しだけ頑張ってみようという気持ちになる。
「ううん、なんでもないよ。兄さん達いつ帰ってくるのかなって」
「兄君様達はまだ後一週間は戦地からお戻りになられないでしょう。
特に長男であり撃墜王とも呼ばれるハヒルト様や海王の二つ名を持つ三男のタラサ様は戦地も遠いですし一体いつお帰りになることやら」
「そっか、フィオレー兄様だけでも帰ってこれるといいんだけど……」
僕の家は帝国ではそれなりに名の知れた戦争一家、四人の兄弟が居る中で三人は既に戦場でその名前を轟かせている。
長男のハヒルト兄様は空の王、撃墜王の二つ名も持つ今大戦中最も多くの敵を落とした空軍の英雄。
次男のフィオレー兄様は陸の王、将校として安全地帯に居られる立場でありながら最前線で戦い多数の突撃勲章を光らせる陸軍の英雄。
三男タラザ兄様は海の王、数多の艦隊を指揮し広大な海域を支配する兄はたった一度の敗戦もなく敵を打ち倒し続ける海軍の英雄。
三人の英雄を輩出した僕の家は、戦争開始前までは小さな家だったがいまや沢山の配下が集まる大きな家へと変貌し、いまとなっては帝国に我が家ありと言われるほどの存在にまで上り詰めてしまった。
そんな家に生まれたのが僕アルベール、未だに戦場にも出たことのない僕はそんな兄様達の武勇伝を聞くのだけが唯一の楽しみなのだ。
「きっと全員間に合いますよ、なにせアルベール様十歳の誕生日なのですから」
「だといいんだけど……」
誕生日には家族みんなが集まって楽しく会話をしていたい。
だけれど兄様達は忙しい人達で、僕のために時間を割くのは本当に難しいだろう。
兄様達が居なくなるだけで崩壊する戦線もある、兄様達が居るからこそ耐え切れている場所もある。
そんな場所にはやはり帝国の兵士がいて、その味方の人にも帰りを待つ家族がいて、そんな人たちを犠牲にしてまで僕は自分の誕生日を祝って欲しいとは言えなかった。
お父様とお母様、二人も来れるかどうかは怪しいところ。
軍人一家に生まれた以上これは仕方のないことだ。
兄様達だって淋しいはずだ、淋しいのは自分だけじゃない。
そう言い聞かせながら僕は授業を受け直すのだ。
それから三日後。
自体は驚くほどの急展開を見せていた。
「──兄様! お帰りになられたのですね!」
「ただいまアルベール。良い子にしていたか?」
真っ黒な短髪に綺麗な大きい青い瞳、落ち着いた雰囲気を持ち手を大きく広げているのは長男であるハヒルト兄様だ。
その胸に飛び込むと兄様は優しく僕の頭を撫でる。
兄様と会うのは実に一年以上ぶりになるだろうか、あの戦地で僕の手を引いて帰ってくれたのは他でもないハヒルト兄様だ。
「はいっ! 兄様の言いつけ通りに良い子にしていました」
「そうか。それなら盛大にお祝いしないとな、なぁタラザ」
「ガハハハっ! いやぁめでたいなぁ本当にめでたい! アルベールもこれで10か! 立派な
「タラザ兄様!? お帰りになられていたのですか!」
お酒で焼けた喉特有のガラガラとした声に大きな笑い声をあげるのは三男タラザ兄様。
大きな身体に頬から耳にまでかけて大きな傷跡が特徴的であり、茶髪の髪に黒い目陽によって焼けた肌は健康そのものであった。
どちらかが来てくれれば御の字、もし来てくれなくてもそれは仕方がないことであると割り切っていた僕からしてみれば二人も兄様が来てくれた事はなによりも嬉しい。
だがこんなところに居て大丈夫なのだろうか。
我が家は帝国の中でも中心部にだいぶ近い場所に家を構えている、戦場へと向かうには最低でも一週間と少しはかかることだろう。
つまり帰ってきた時間と合わせて最低でも三週間近い時間がかかる訳であり、そんな長い間二人も前線を離れる事がどれだけの被害を産むのかと思うと顔が青くなっていくのを感じる。
「そうだ、帰ったぞー! 久しぶりに実家に戻ってきたからな、せいぜいゆっくりするつもりだ。
そんな青い顔しなくても大丈夫だ! そろそろフィオレーのやつも帰ってくるはずだ」
「フィオレー兄様までですか!?」
「そうだ、嬉しいだろ? それに父さんも母さんも帰ってくるらしい。
家族みんなが揃うなんて開戦以来じゃないか?」
「確かに言われてみればそうだな。戦場で顔を合わせる事はそれなりに有ったが家で集まるのは久しぶりか」
「……そ、その本当に大丈夫なのでしょうか?
前線に兄様達が居なくても…もちろん祝いに来ていただけた事は嬉しいです! 本当です。
ですが僕の為に前線が崩壊しては……」
空と海に加えて陸の王まで前線から消える、それは敵からしてみればこれ以上ないほどの吉報だろう。
情報統制を敷き、相手になんとか気が付かれないようにしても帰ってくる兵士の数や戦場での目撃情報で一週間もあれば敵にも居ないことが割れるはずだ。
「大丈夫だよアルベール。戦争は終わったんだ」
「戦争が終わった……?」
「そうだよ、戦争を指揮していた将校が死んで古参の将校を筆頭に和平交渉が進んでる。
本当は来年度を目安に立ててた計画だったんだが、フィオレーがどうしてもって聞かなくてな」
王国との間に続いていた二十年にも及ぶ戦争。
最初はほんの小さないざこざから始まった戦争は実に長く続いたものだ、その戦争が遂に終わりを迎えたのである。
実際のところはまだまだ戦争の残り火は消えておらずこれからが難しいところなのだが、国家間の戦争が正式に終了したというのは何よりも素晴らしい事だ。
前線から兄様達三人が抜けられたのも戦争が終わったから、そう考えると確かに違和感というものはなかった。
「ようやく…ついた。疲れた…あ、アルベール。ただいま」
「フィオレ─兄様! 大丈夫ですか!? すごく疲れているようですけど…」
「大丈夫、今日中に間に合うようにあらゆる移動手段で寝ずに来たからちょっと疲れているだけ。
それよりも家にいるときは姉さんって呼んで? 私の可愛いアルベール」
フィオレー兄様──いや姉様は僕の頭を撫でながらそう口にする。
陸軍に所属しているフィオレー姉様は兄弟の中で一番敵と直接相対する可能性の高い人物であり、だからこそ女性であることを隠す為家族間でも男として扱うように言われていた。
だが戦争が終わったのであればそれを気にする必要もないのだろう。
黒い長髪にキリッとした吊り目が特徴的なフィオレー姉様は僕の頭をひとしきり撫でると自分の部屋に戻って行った。
こうして戦争は無事終決し、僕の誕生日は家族全員で盛大に祝われることになった。
豪華絢爛な装飾に様々な料理が机の上に並び、陸海空からいろんな偉い人達がやってきて僕に挨拶をしては兄様達の元へと向かっていく。
その場にいる面々を見ればわかる、本当に戦争は終わったのだろう。
長い帝国の夜も開け、これからはまた別の戦いへの準備期間にはいるのだ。
そうして誕生日も終わりを迎え僕はみんなの前に出る、隣にはお父様とお母さまが凛とした佇まいで立っていた。
これから行われるのは就任式、僕はこれから陸海空どれかの軍事部門へと入りお兄様達の手伝いをしなければいけない。
だけど僕にとってそれは長年の夢だった、どのお兄様のところに行っても変わらない努力でもって期待に答えるつもりである。
「アルベールよ、我が四人目の息子アルベール。今日ここにお前の仕事を授ける」
「はい。お父様」
「お前の仕事は商人だ、戦争のなくなったこの世界でお前はお前のために頑張るのだ。
しっかりと己の役割を自覚し、己のするべきことを忘れることなく頑張るように」
──こうして僕の仕事はあっけなく決まってしまった。
戦場に立つことすら許されない商人という立場、今まで一度たりとも銃剣すら持たせてもらっていなかった自分には仕方のないことなのかもしれない。
だけど、それでも僕は兄様達と同じところに立ちたかった。
兄様達と同じような景色を見て、仕事終わりに兄様達と共にお酒を飲んでみたかった。
こうして僕、アルベールは商人としてこの世界を生きていくのが今日この日この瞬間、決定してしまったのだ。
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