子食いの獣~捜査一課に呪いを添えて 2~
刀綱一實
第1話 小さな遺体
「……今回は、八ヶ月男児の死亡例か」
検死官、
すっきりと片付けられた、警察病院の広い廊下。窓の外からは、黄色く色づいた銀杏の木が見える。床も壁も白く、銀色の光を放つ手術室の扉には、一から十までの番号がふってある。三代川にとっては見慣れた光景だったが、今日は解剖室に向かうのが苦痛だった。
「気が重いの、分かります。子供のご遺体は、見ると引きずりますからね」
同僚の言葉に、三代川はうなずく。大人の遺体に感じるものがないわけではないが、やはり小さな体を見ていると、理不尽への憤りはより強くなる。贔屓と言われようが、そういうものなのだ。
「日本では子供の解剖、そうそうやらないですからね。症例として見た方がいいのは分かってるんですけど」
「……そうね」
司法は、強く事件性が疑われなければ、子供の解剖はしてこなかった。しかし、昨今の事情を受けて、この傾向も変わりつつある。
控え室に入った三代川たちは、今日の解剖について話し合う。
「虐待、全国で問題になってますもんね。しれっとした顔で罪を免れた奴も、けっこういたんだろうなあ」
「それもあるし、臓器移植法が変わったのも大きいわ。脳死の原因が虐待だったと判断された場合、移植の適応にならないから」
今回の遺体は、すでに死後CTにかけられている。そこで脳に異常が見られたのに加え、警察の調べで男児には骨折の既往が認められた。のらりくらりと返答する両親たちが虐待していた可能性もあり、解剖が実施されることになった。
「大脳鎌(頭の中央にあり、左右の脳の間にある硬い膜)右側に高吸収(画像の白い部分)ありでしたっけ。やっぱり、虐待でできた血腫でしょうか?」
「小児科の先生は、その可能性が高いとおっしゃっていたわね」
「頭蓋骨骨折があればもっと虐待の可能性が高くなるんですが、それはなかったんですよね?」
「ええ。ただ、血腫も骨折もなかったからといって、虐待してないってことにはならないわ」
CTは、X線が人体を通った時の強弱によって画像を作る。そのため、骨や臓器、出血の有無は分かっても、薬物の検出や外傷のない窒息などはひっかからない。体を傷つけないCTはとっかかりとしてはいいが、やはりそれだけでは分からないことがある。
「嫌だとは言ってられないわね。みんなの協力で、やっとここまできたんだもの」
「当たり前です。白か黒か、はっきりさせてやりましょう」
言う度に言葉尻が変わる両親の妨害にあいながら、つかんだチャンスだ。
「……絶対に、真実をつきとめる」
三代川は自分に言い聞かせるように、もう一度低くつぶやいた。
「では、最終的な見解は出たということでよろしいですね」
「はい」
立ち会いの大学教授に聞かれて、三代川はうなずいた。
「事前の見立て通り、右硬膜下に血腫を認めました。脳は軟化・腫脹。これが死因と関連していると思われます。揺さぶりも疑われますね」
「肺にも吐物吸引のあとがあったね」
「はい。最終的な死因は、吐物を吸った事による窒息でしょう」
そこで三代川は、悲しそうな顔をしている部下を見やった。
「何か疑問があるの?」
「いえ、見立てに間違いはないと思うんですが……血腫の量が少ないのに、これで死んじゃうのかなって」
「児童の剖検例で、血腫が少ないのはよくあることなんだよ。脳の損傷よりも、今回のように吐物で亡くなるケースもあるし、頸髄延髄のダメージで呼吸不全を起こすこともある。後者は、解剖しても所見がわかりにくいんだけどね」
三代川の言いたかったことを、教授が全て口にしてくれた。
「今回の結果をもとに、捜査を進めていくといいだろう。両親の背景も合わせて考えると、虐待の可能性は十分にある」
「必ず、伝えます」
三代川は、教授に向かって頭を下げた。そして、小さな遺体にも同じようにする。
「……痛かったでしょう。よく頑張ったわね」
横で、部下が鼻をすする音がした。
「なんで、こんな可愛い子を殺してしまうんだろうねえ。大事に大事に育てても、あんな事件に巻き込まれてしまう親御さんだっているのにさ」
教授がぽつりと言った。三代川はすぐに、該当する事件に思い至る。
「本当に嫌な事件ですね。『シングルマザーの子供』だけが狙われるなんて」
「姉さん、その愚痴まだ続く?」
「なによ、もうちょっと聞いてくれたっていいじゃない」
「僕に話すよりさ、買い物でもしてぱーっと発散したら?」
「……それもそうね。じゃ、あんたも付き合ってよ」
また好ましくない流れになってきた。灯は困った気持ちを表に出さないよう、つとめて平静を装う。
「姉さんだけの方が、好きに回れていいよ」
「バカね、理由があって言ってるのよ。あんた知らないの? あの事件のこと」
灯は生返事をした。
「……父親役が欲しいってことだね?」
「そうよ。見る人が見れば夫婦じゃないことは分かるだろうけど、ないよりましだもの」
このところ、子供を誘拐してすぐに殺してしまう事件が連続して起こっている。二人の被害者は共にシングルマザーの子供であったと報道されたため、紗英は神経質になっているのだ。
「あの犯人は、どこかでもっと確実な情報を得てから動いてるんだと思うよ。街を歩いてる姿だけで、その人がシングルマザーかなんて分かるわけないじゃん」
すでに警察は、被害者の知り合い、またはシングルマザーの支援団体に対象を絞って動いている。団体の方はその動きをうけて、各種の相談会などを順次中止・延期にしていた。
「姉さんが僕と買い物したら、義兄さんが悔しがるよ? ラブラブなんだからさ」
「あら、そう? フフフ」
まんざらでもないのか、紗英の声に喜色が混じった。
「それにしてもあんた、なんでそんなことまで知ってるの?」
「こ、この前仲良くなった刑事さんに聞いたんだよ」
灯は以前、殺人事件に巻き込まれたことがある。そのことは紗英も知っている──というか解決したのはこの人──ので、刑事という単語を出しても驚きはしなかった。しかし、内部事情を知っていることを不審に思われている。
「ごめん。
「あんた、あんまり我儘言うんじゃないわよ。逮捕されても知らないからね」
「分かったよ。で、買い物はいつにする?」
買い物の約束を済ませて、灯はあわてて電話を切る。思わぬ約束をしてしまったが、本当に良かった。
「お前の姉からか? もっと詳しく話してやってもよかったのに」
「姉まで捜査の一員とみなすのはやめてください」
机の上に捜査資料が広げられていて、目の前の僧侶──
二人は色々あって、民間人ながら警察の捜査に協力している身なのだ。
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